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本編>第一綴:——
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しおりを挟むエリオディアム・ソリュ・メーヘム、軽佻浮薄で品がなく幼稚。奏術師を格式高い職と考える者から、その品性のなさはよく罵倒されていた。彼の扱う奏術は好きだが、彼自身は好きではないという人もいる。ただその伝統に縛られない破天荒な部分が後に国王となる王太子殿下と共鳴し、彼はそれまでの奏術師らの名を塗りつぶすほどの名声を得ることになるのだが。
その実力は誰よりも高かったからこそ誰も彼を力不足だとは言えず、ちょうど太陽の光で遠い星の輝きがかき消されるように彼の光の陰に入ってしまった者らは、その人間性を槍玉にあげるほかなかった。
誰しも変化を恐れるものだ。安寧の中にいる者ならなおさら。彼は変化をもたらす嵐だった。
彼の宮廷内での立場ははっきり言って最悪そのものだ。宮廷に来て初日で奏術師長を敵に回したのは後にも先にも彼だけである。良くも悪くも信念を貫こうとする性格ゆえ衝突が絶えず、後ろ盾のないままに師長に食ってかかっていくさまはまさに無謀としか言いようがない。二度目の始まったあの時点では、彼はすでに孤立していた。
水曜まではあっという間だった。久しぶりにするこの音と魔法とを絡めていく作業は楽しくて仕方がなく、私は時に寝食を忘れて没頭した。また、二度と会うことはないと思っていた知り合いたちとも顔を合わせる機会があった。言葉を交わす度に目頭が熱くなってしまって、抑えるのに苦労したものだ。「最近生き生きとしている」と言われた時はそんなに分かりやすかったかと少し衝撃を受けた。エリオともあれ以降幾度か顔を合わせたが、あの誘いについて言及されることはなく。だから
「今夜、もし誘いに乗ってくださるのなら、九区にある“鍛冶師の酒場”まで来てください」
朝織の折にそう耳打ちされたとき、あれはただの冗談や社交辞令などではなかったのだと、ようやく理解した。
うわのそらで一日が過ぎていった。二度目のはじまったあの昼下がりから、気づけば三日だ。今日、宮廷には雨が降っていた。
宮廷のある一区から九区まではさほど遠くない。カタツムリの殻のような渦巻き状に分けられたこの都市の行政区は、外側に行くにつれ数字が大きくなるよう割り振られている。ゆえに九区は一区と隣接しており、辻馬車でも拾えばすぐに向かえた。問題はその“鍛冶師の酒場”なるものがどこにあるのかわからないということだ。完全に辻馬車頼みになる。
他の奏術師らに見つかると少々面倒なので日没を待ちたかったが、遅くなりすぎて彼の「見に来て」ほしいものを見逃してもいけなかった。私はコートを羽織り、誰かに見つかることのないようにと祈りながら部屋を出た。
雨脚は大分強くなってきていた。日が雲に遮られあたりが薄暗いのは好都合だ。ただこのまま続くようなら、どこかで魔術師らの干渉が入るだろう。
宮廷を出て大通りを下り、辻馬車を拾う。それはさる住居の前に停まっていた。誰かを送り届けたあとだろうか、ちょうどいい。
「九区の“鍛冶師の酒場”まで頼めるか」
御者は頷いた。それからおずおずと
「旦那様、もしやあなたは魔術師でしょうか?でしたら雨避けの呪いをくれると嬉しい。代わりに、値は負けておきます」
と申し出た。私はその時にやっと、傘を持たずに来たことに気づいた。
「了解した」
多少のことなら魔法で解決していた癖が裏目に出た。魔法が使えることすら隠すのなら、傘を差してくるべきだったのに。だがもう置いてきてしまったので仕方がない。私は御者に手を出すように言った。呪文は覚えている。宮廷をでてくる時、無意識に唱えていたくらいだ。
「ありがとうございます」
さっと乗り込み扉を閉める。外で鞭の鳴る音がした。
✧
「どうしたの?今晩はずいぶんとぼんやりしてらっしゃるのね」
「そんなことはないさ、いつも通りだ」
十九時を過ぎてから、長針はもう文字盤の四分の三を進んだ。日はとうに沈んだろう。空は来たときから変わらず雨模様だった。
エリオは壁に身を預けながら人を待っていた。誰かは言うまでもない。酒場にはゆったりとした音楽が流れていて、労働を終えた人々が集い食事やら賭博やらに興じている。エリオの隣まで来たのはこの店で働く女性だった。
「お酒は?」
「控えてるんだ。……いや、一杯」
エリオはこの店をよく訪れていた。彼は自分の身分を隠していたが、ただ者でないことはその身なりから察されることだった。目ざといものなら腰部に吊られたアミュレットに気づいたことだろう。上着で隠れて見えなくなるギリギリのところだ。魔法を扱う人々は皆、その副作用でうまれる悪性のものが体内に蓄積しないよう浄化のアミュレットを携帯する。
女性は彼がしきりに出入り口の方を気にしていることに気づいていた。彼女はそれを、帰りたがっているのだと誤解した。
「もしお帰りになるなら、ひとつ演奏してくださらない?もうすぐあの人たちも一曲終わるわ」
女性が店の奥まった方を一瞥し合図を送ると、そこから流れてきていた音楽はループを抜け出し終わりに向かう。
「はあ、ならもう一杯くれ、今日は調子が悪いみたいだ」
「お酒で曇りが晴れるならいくらでも。ほら、演奏料よ」
やはりあの身持ちの堅い男は来やしないだろうか。もっと良い誘い方があったはずだと今更悔やまれる。
ヤケだった。エリオはグラスを受け取り一気に呷ると、壁を手で押して身を引き剥がし、酒場の賑わいの中に割って入った。
嚥下したところから次第に冷えた体が温まってくる。気分が上向いてきた。上々だ。エリオに気づいた常連の男が、布を手渡してくる。目隠しに使えと、面白い。
先ほどまで演奏していた男たちは場所を開けて待っていた。店の奥の一段高くなっているところには、店主がどこぞから安く貰い受けてきたという古い打弦楽器が置かれている。エリオはその正面に座り、布で視界を覆った。何も見えなかったが、すべてが見えていた。彼の指が鍵盤に置かれ、最初の音が弾かれる。
ちょうどその時だった、ひとりの男が、ひっそりと酒場にはいってきたのは。
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