只人であれば幸福だったか

継津 互

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 空の端が白み始める。朝、太陽の来訪だ。

 狩人の得物は久方ぶりにその背の上へ納まった。塵が落ち、光の粒子が舞う。
 
 はじめの方こそ狩人を見ていた僭主だったが、彼が淡々とその職務をこなしているだけだと悟るとその場を去っていった。そして一晩中荒れ果てた庭と古城とを行き来し、立ち止まり、歩き、また立ち止まり……、そんな意味のない行動を繰り返していた。喪失の前を思い描き、痕跡をなぞっているかのようだった。

 ひと通り塵を払い、最後森の方に睨みを利かせ、狩人は古城の方を振り返る。僭主の姿は見えない。既に屋内に入ったらしい。

 狩人は古城の方へ歩き出した。



「は??」

 僭主はありえないものを見たというような顔をした。実際ありえなかった。

「なんでいる」

 そこには狩人が立っていた。古城内部、廊下でのこと。

「宿を求めてきた」

 何を言っているんだこいつは、と僭主は思う。

「この近くに帰る場所があるんじゃないのか」

 一昨日の夜も、その前の夜も、どこかに帰っていただろう。

「あるにはあるが近くではない。もう朝だ。それに今晩もこの付近を狩場にする予定だから、戻るのは効率が悪い」

 僭主は色々と言いたかったが、言う前に全て答えが予想できてしまったので、口を噤んだ。
 断ったらどうする気か、ときけば庭で野宿でもすると言い出しそうだし、寝首をかかれると思わないのか、ときけば貴方におれは殺せない、くらい言うだろう。

「……使えそうな部屋を探してくる」


 僭主は心当たりのある部屋を複数見て回ったが、どこも微妙に埃っぽかったり家具の足が折れていたりと欠けがあった。

「吸血鬼が住むにしては窓が多いが大丈夫なのか」
「特殊な素材でできているから問題ない。だが念の為カーテンは締め切っているし、布を張ったりもしている。蝙蝠型なんかの体の小さいやつはそれでもたまに焼かれて灰になっているが、気にすることもない」
「窓をなくしたほうがいいんじゃないのか」
「そんなことをしたら精神がいかれる。カーテンは夜になれば開けるし、邪魔なだけのものじゃない」

 僭主はその場で待っていろと狩人に言うのを忘れていた。察してくれるだろうと思ったのが間違いだった。そのせいで今、僭主の後ろを狩人がついていき、狩人の質問に僭主が答えるという言うなれば即席の古城ツアーが開催されていた。僭主としては不本意である。


「雨風がしのげればどこでもいいが」

 なかなかいい部屋が見つからず歩き回っていると、狩人は言う。
 こちらがよくないのだ、とは僭主は口に出さなかった。

 彼の足はある一室の前で止まった。

「ここは」
「わたしが使っている部屋だ」

 僭主は悩んでいる様子だった。

「今一番マシなのはここだろう」
「家主を追い出してまで部屋を借りる気はないが」
「家主か」
「渡された情報では“僭主”とあったが、実際はどうなんだ」
「どうだったか……」

 僭主は記憶を探るが、いまいちわからない。彼にあるのは、昼は古城の中を、夜は外の庭をとただひたすらモノを慈しみ続けた記憶だけだ。そこに他者の影はほとんどない。この隣に立つ男によって死と痛みに関する鮮烈な記憶をもたらされるまで、侵略するだけの吸血鬼や一夜の宿を求める人間といった他の生命体は、大して印象に残らない過客にすぎなかった。

「この古城の主に関しては不明とあった。貴方が正当な城主の可能性もある。いずれにせよ、貴方がここを拠点としはじめたのはかなり昔のことなのだろう」

 返答がないと見るや狩人はそう言いその話題を切り上げる。
 だが。狩人は引っかかりを覚える。ここまで見てきた部屋は荒れているところもあるとはいえ、大広間も廊下もそこまで時間の爪痕を感じられなかった。かなり管理が行き届いている。放棄されていたのを自分のものにしたならば補修が必要だし、奪い取ったにしても然り。はじめからここの主であったとしても、この規模の保持はひとりが人力でなせる技ではない。
 目の前にいる吸血鬼のもつ力について、認識を改めるべきかもしれない。そう狩人は思う。


「まあ、その話はいい。それで、ここでいいか?」

 僭主はドアノブに右手をかける。

「待て」

 その手の上から狩人の右手が重なる。

「貴方はいいのか」

 気配はすぐ後ろに。僭主はこの不意の客人のを改めて認識する。
 わたしを殺しに来たあなたが、なぜ今になってわたしのことを気にする。

「わたしはいい。一昼くらいどうということもないし、今日は眠るつもりもない」

 僭主は返事を待たずドアノブをひねった。


 室内は整然としていた。チェスボードひとつで埋まりそうな机に、椅子、キャビネット。ベッドは天蓋付き。装飾品もいくつか置かれているが、いずれも派手ではない。落ち着いていて品のある印象を受ける。

 僭主は室内のものについていくつか説明をすると、部屋を出ていこうとした。すんでのところで狩人はそれを呼び止める。

「宿代だ」

 狩人は袖を捲くり腕を差し出す。

 僭主はいまいちその行為の意味を理解しかねていた。しかし狩人が短剣を取り出すと、流石に察する。

「わかった、でも短剣は下ろせ」

 狩人は指示に従った。

「噛んでも?」
「それは……」
「針を刺すのと同じだ」
「眷属化はおこらないのか」
「少なくともわたしはそんな方法じゃ眷属をつくれない」

 狩人は考え込む素振りを見せる。
 しばらくそのままでいると、僭主は何かを振り払うように頭を振り、狩人が差し出していた腕を押し返した。

「申し訳ない、気が狂っていた。忘れてくれ」

 瞳は暗い。
 去ろうとする彼を、狩人は少し腕を伸ばすだけで捕らえる。この敬虔な信徒より「節制」を実践していそうな吸血鬼は、いとも簡単にその腕の中におさめられてしまう。

「いや。どこでもいい、噛め。でなければ無理にでも与える」

 狩人の重く低い声が、僭主の耳元でそうささやく。僭主は口に出さず、心の内で敗北を宣言した。



 ベッドの上に寝転んだまま、狩人は自身の左腕を眺める。そこには今しがた開けられたばかりの穴が二つ。血はほぼ止まっている。
 気になって狩人はその傷跡を舐めてみた。そんなにも旨いものだろうかと。しかしやはり鉄臭いだけで、旨いともなんとも思えない。
 
 狩人は眠った。寝具からは花の香がしていた。僭主がまとっているのと同じ香りだった。飼い慣らすか殺すか。この芳香を損なうのは、惜しい気がしていた。




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