只人であれば幸福だったか

継津 互

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 夜の狩人、昼の異端審問官。
 異端審問官は主に昼に動き、街に潜む人型吸血鬼を標的としてその処刑を行う。

 狩人も異端審問官もどちらも恐れられるものだが、理由はそれぞれ違った。狩人が恐れられるのは、化け物じみた戦闘能力を持っているから。対して異端審問官が恐れられるのは、その刃が亜人種でない並の人間にまで向けられるからである。


「嫌な風だな」


 夜明け前、古城の扉の前で狩人はそう呟いた。クラガンを退けた夕暮を含めて二夜越し、古城の滞在も三泊目に入ろうかという頃合いでのことだ。

 高地を吹く風は、なぜか生ぬるい血の臭いがした。


「まだいる気なのか」

 城内。扉が閉まると声。

「不満か」

 見上げれば階段の途中に僭主が立っている。

「あなたは狩人だろう、ずっとここにいてはいけないんじゃないのか。……わたしが言うことでもないが」

 不満かどうかについて、僭主は言及しなかった。

「狩りなら行っているから問題ない。ここにいることについても、おれの轡を握っている奴からの許可が出ているから問題ない」
「訊いたのか?!訊く方も訊く方だが、許可を出す方も出す方だ、まったくどういう理由があって……」

 そう言い頭を抱える吸血鬼に対し、「どういう理由」を質問ととらえた狩人は、これまた微塵も表情を変えず言い放つ。

「奴は物事を天秤にかけた時、利がある方を支持する奴だ。交渉したら許しが出た。飼い慣らすか殺すかだそうだが」
「……脅しか?」

 狩人は僭主のその紅い目を見る。

「いや」

 脅そうなどとは微塵も思っていなかった。狩人は事実を伝えただけだ。

 僭主の後ろについて、狩人は階段を上がる。

「夜のうちに水を浴びたのか」

 僭主の髪が濡れているのを見て、狩人は言う。

「あなたと違って昼には動けないからな」

 振り返ることなく、僭主は返す。

「能力かなにかで乾かせないのか。風邪をひく」
「……人と似たような姿をしているが、わたしはあくまで吸血鬼だ。身体のつくりがまるで違う。並みの人間と同じような風邪はひかない」
「そうなのか」

 狩人の中には疑問が湧く。ではどこまで人間に寄せて作られているのだろう、と。吸血鬼は血液をエネルギー源としているものの、生命体としては吸血生物より精霊などの霊的存在に近いとする説があった。ならば消化器官はないのだろうか。霊的存在なら呼吸もしなさそうである。であれば鼻はなんのためにある。形状の模倣か?ならばどこまで模倣されている?気管は、肺は?
 狩人とて目の前に立っているものを急に解剖し始めるほど人間を捨ててはいなかった。ただの吸血鬼であったならば分からないが。しかし少なくとも——無自覚であるが——情をかけているものを好奇心で開くほど、野蛮ではなかった。

 部屋の前につく。
 僭主の部屋に狩人が寝泊まりしたのは一泊目のみであった。その後は急いで掃除でもしたのか、初日にはなかったはずの空き部屋に荷物ともども押し込まれたからである。

「後で伺う」

 僭主が部屋の中にその姿を消す前に、狩人は声をかける。宿代と言って狩人が血を与えるのも常態化しつつあった。

 ✧

 冷水を頭から被り、塵を落とす。
 風に混じる血の臭いがより濃くなったように、狩人には感じられた。それは不吉な予感が嗅覚に訴えかけて作り出した幻覚だ。

 黎明を、それのもたらす影を見て感じとる。日が昇る、吸血鬼を灼き殺す光が来る。

 シャツに袖を通し、ベルトを締め、狩人は立ち上がった。風はほうぼうと吹いている。なにとも分からぬ鳥獣の鳴声が鋭く早朝の空気を裂いた。彼が眠る前に戻らねばなるまい。

 ✧

 蝙蝠型の吸血鬼らが天井付近を飛んでいく。吸血鬼であるのに、彼らは狩人に手を出しはしなかった。まるで狩人がここの主の客人であることを分かっているかのようだった。しかし彼らは別に僭主の眷属ではないのだという。
 狩人は僭主の部屋の扉をノックをした。しかし返事はなかった。ドアノブに手をかけた。鍵はかかっていなかった。

 部屋の中は沈黙している。日の光の排されたそこは暗く、闇がその身を横たえている。

 僭主は眠っていた。
 最近、彼は庭いじりを再開したらしかった。ゆえに疲労がたまっていたのだろうと狩人は推測する。

 狩人がすぐそばまで近づいても、僭主は起きなかった。無防備な。狩人はそう思う。
 狩人はベッドの縁に腰掛ける。そしてこの芸術品とも見紛う僭主の顔に手をかざす。息がある。それは生命維持のための呼吸だろうか、それともただの模倣だろうか。

 呼吸に合わせて上下する胸。薄手のシャツ一枚をはぎ取ってしまえば、その下にあるのは陶器のように白く滑らかな柔肌だ。まだ傷跡はあるだろうか、それとももう消えただろうか。
 狩人は僭主の輪郭をなぞった。割れ物に触れるような手つきだ。彼はそっと僭主の唇に指を添える。その感触は初めて触れたときとは全く違う。
 
 目の前で眠るそれは紛うことなき人間だった。あの日、死にかけた彼の中に、死にかけた己の人間性を見いだしてから、狩人にとって僭主は己以上に人間だった。

 飼い慣らす。飼い慣らされるのは自分の方ではなかろうか、狩人は思う。自分は猟犬だ。指示を受けたように獲物を噛むしか能のない猟犬だ。教皇庁の首輪のついた猟犬だ。

 自覚しようとしないその心の奥で、狩人は僭主を欲していた。同様に、欲されたいと思っていた。その所有欲は裏返しだ、所有されたいと思う心の。




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