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頭の上、天使の背負う光輪のような形をした血色の冠が一瞬揺らいで消えた。
僭主は両膝を地につけた。彼は生まれながらの衝動と、大量殺人者の苦悩とを相手に戦っていた。その性質に合わない善性を持ち合わせてしまったがために、僭主は痛みから解放されない。他者を害さねば生きていけない性か、他者を害することを忌避する性か、どちらか一方がなければ彼はそうも苦しまなかったであろう。
「侵入者を……追い払いに来たのか」
脇腹を押さえながら姿勢を変え、地面に腰を下ろした狩人のその問いが、僭主を現実に引き戻した。
「違う。あなたを助けに来たんだ」
僭主は衝動と苦悩を端へ投げやった。
「はは、今夜は一層きれいだな」
その言葉を発したのは狩人だった。彼は目の前にいるただ一輪の花に向かって手を伸ばしていた。
「これから死にでもするかのようなことを言うな」
狩人は僭主の前で初めて笑ってみせたのだが、それを気にする余裕は僭主に無かった。彼は吸血鬼にしか許されない半ば強引なやり方で止血と治療を試みた。
「剣を返そう……なかなか素直で軽やかでそれでいて頑丈な良い剣だった」
「妙なことを言うんじゃない、遺言みたいだろう」
僭主は治療の手を止めない。
「また庭を荒らした、すまない」
「そんなことはいい、またどうとでもやれる」
狩人は右手で花弁を弄ぶ。
「もう一晩部屋を借りてもいいか。疲れた、ひどく眠い。今すぐにここを立ち去れそうにない」
「一晩でも二晩でも。治るまでいろ、どうせあなたのほかに来る者はいない」
夜風が吹いた。古城のほうがにわかに明るくなった。灯火がともっていた。
「……少し寝てもいいか」
「待て」
「ここでいい、野宿は何度もしたことがある」
「そうじゃない、今寝たら」
「あなたにおれは運べないだろう。風が少し冷たいが……」
「今寝るな、死ぬぞ」
狩人はまた笑う。
「死ぬ?……まさか」
その腕でぐっと僭主を引き寄せる。
「おれはまだ死なない」
狩人はそっと触れるだけのキスをする。
「良い夜を」
狩人はそれだけ言い残し、糸の切れてしまったかのように地面にばたりと倒れ込んだ。
僭主は慌ててその息を確認した。胸に触れ、鼓動を確認した。呼吸、している。心臓も動いている。
「っ……紛らわしい」
処置をひと通り終えて。わたしを並の人間と同じように思うな、と僭主は狩人を抱えあげる。
一滴の血の汚れもない石畳の上を歩く。扉は僭主が触れずとも開いた。首のない従者がいつの間にそばに立って開けていた。二人が中にはいったのを見届け、従者は蝙蝠の群れと化して散り散りに消える。
十三の犠牲でもって、いまやこの城内に退廃を感じさせるものはない。古木の調度品は飴色に照り、埃と黴で淀んでいた空気は再び時間の流れを獲得した。足元に敷かれたカーペット、長らくローズグレーと思われていたその品は、美しい赤が生まれながらの色であったらしい。廊下の燭台もエントランスホールのシャンデリアも、火を得て煌々と輝いている。
自身と結びついた造物だというのにその絢爛さが鬱陶しくなって、僭主はまばたきひとつを合図にほとんどの火を消してしまう。あとには落ち着いた薄闇だけが残る。眠るにはそれくらいがちょうどいい。
僭主は狩人が寝泊まりしている部屋の前まで来た。扉はまたも首無しの従者が開けた。しかしその扉のわずかな隙間を、
銀。断末魔。
なにが起こったのか理解するのにさほど時間はかからなかった。部屋の中から飛び出し、頬をかすめていったそれ。振り返る、廊下の壁にそれは突き刺さっている。
「銀の暈……」
塵が舞っていた。蝙蝠が身を呈して軌道をそらしてくれたようだ。おかげで僭主は頭をつぶされずにすんだ。
「自律して敵を斬りに行くとは聞いていないぞ」
並の武器であればそんな挙動はしないだろう。人間が対吸血鬼のため努力したその結晶か、いや、もっと簡単な解釈の仕方がある。
繰り糸か。
力が戻ってきたからか、僭主の目にはそれがうつるようになっていた。細い細い銀の糸。虚空から銀の暈を吊るその。
吸血鬼狩りの武器からする吸血鬼のにおいは、吸血鬼を狩って染みついたものだと僭主は思っていた。だがもしそれが染みついたのでもなんでもなく、それ本来のにおいであったとしたら?
狩人に貸した長剣を見る。それは僭主が構築したものであるがゆえ、僭主の気配をまとっている。だが僭主の目に映る糸も吸血鬼狩りの武器も、別の吸血鬼の気配がした。
吸血鬼狩りの武器が吸血鬼によって作られている。それは僭主にとって確信に近かった。吸血鬼狩りに協力する吸血鬼がいるのか。いたとしてそれは公のことなのか、それとも秘匿されているのか。彼はこのことを知っているのだろうか。様々な思考が頭の回路を駆け巡る。
僭主はふと狩人の方を見た。その首、うなじのあたりでなにかがきらめいたからだ。
糸。銀色の糸。
背筋が冷えるようだった。同意の上でだろうか?まさか。吸血鬼狩りが吸血鬼の支配を受け入れるとは考えにくい。
僭主の頭の中にある可能性が、疑問のかたちで思い浮かんだ。狩人の属する教皇庁という組織、また教皇という人物。それらを構成するのは果たして本当に人間なのだろうか?
僭主は壁に突き刺さっている銀刃を睨む。それはもう動く気配はない。腕のなかで狩人がうめき声をあげた。起きたかと思われたが違った。……そうだ、処置はしたとはいえ、彼は大怪我を負っている。ここでいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。思考を中断し、僭主は部屋の中へと踏み込んだ。
僭主は両膝を地につけた。彼は生まれながらの衝動と、大量殺人者の苦悩とを相手に戦っていた。その性質に合わない善性を持ち合わせてしまったがために、僭主は痛みから解放されない。他者を害さねば生きていけない性か、他者を害することを忌避する性か、どちらか一方がなければ彼はそうも苦しまなかったであろう。
「侵入者を……追い払いに来たのか」
脇腹を押さえながら姿勢を変え、地面に腰を下ろした狩人のその問いが、僭主を現実に引き戻した。
「違う。あなたを助けに来たんだ」
僭主は衝動と苦悩を端へ投げやった。
「はは、今夜は一層きれいだな」
その言葉を発したのは狩人だった。彼は目の前にいるただ一輪の花に向かって手を伸ばしていた。
「これから死にでもするかのようなことを言うな」
狩人は僭主の前で初めて笑ってみせたのだが、それを気にする余裕は僭主に無かった。彼は吸血鬼にしか許されない半ば強引なやり方で止血と治療を試みた。
「剣を返そう……なかなか素直で軽やかでそれでいて頑丈な良い剣だった」
「妙なことを言うんじゃない、遺言みたいだろう」
僭主は治療の手を止めない。
「また庭を荒らした、すまない」
「そんなことはいい、またどうとでもやれる」
狩人は右手で花弁を弄ぶ。
「もう一晩部屋を借りてもいいか。疲れた、ひどく眠い。今すぐにここを立ち去れそうにない」
「一晩でも二晩でも。治るまでいろ、どうせあなたのほかに来る者はいない」
夜風が吹いた。古城のほうがにわかに明るくなった。灯火がともっていた。
「……少し寝てもいいか」
「待て」
「ここでいい、野宿は何度もしたことがある」
「そうじゃない、今寝たら」
「あなたにおれは運べないだろう。風が少し冷たいが……」
「今寝るな、死ぬぞ」
狩人はまた笑う。
「死ぬ?……まさか」
その腕でぐっと僭主を引き寄せる。
「おれはまだ死なない」
狩人はそっと触れるだけのキスをする。
「良い夜を」
狩人はそれだけ言い残し、糸の切れてしまったかのように地面にばたりと倒れ込んだ。
僭主は慌ててその息を確認した。胸に触れ、鼓動を確認した。呼吸、している。心臓も動いている。
「っ……紛らわしい」
処置をひと通り終えて。わたしを並の人間と同じように思うな、と僭主は狩人を抱えあげる。
一滴の血の汚れもない石畳の上を歩く。扉は僭主が触れずとも開いた。首のない従者がいつの間にそばに立って開けていた。二人が中にはいったのを見届け、従者は蝙蝠の群れと化して散り散りに消える。
十三の犠牲でもって、いまやこの城内に退廃を感じさせるものはない。古木の調度品は飴色に照り、埃と黴で淀んでいた空気は再び時間の流れを獲得した。足元に敷かれたカーペット、長らくローズグレーと思われていたその品は、美しい赤が生まれながらの色であったらしい。廊下の燭台もエントランスホールのシャンデリアも、火を得て煌々と輝いている。
自身と結びついた造物だというのにその絢爛さが鬱陶しくなって、僭主はまばたきひとつを合図にほとんどの火を消してしまう。あとには落ち着いた薄闇だけが残る。眠るにはそれくらいがちょうどいい。
僭主は狩人が寝泊まりしている部屋の前まで来た。扉はまたも首無しの従者が開けた。しかしその扉のわずかな隙間を、
銀。断末魔。
なにが起こったのか理解するのにさほど時間はかからなかった。部屋の中から飛び出し、頬をかすめていったそれ。振り返る、廊下の壁にそれは突き刺さっている。
「銀の暈……」
塵が舞っていた。蝙蝠が身を呈して軌道をそらしてくれたようだ。おかげで僭主は頭をつぶされずにすんだ。
「自律して敵を斬りに行くとは聞いていないぞ」
並の武器であればそんな挙動はしないだろう。人間が対吸血鬼のため努力したその結晶か、いや、もっと簡単な解釈の仕方がある。
繰り糸か。
力が戻ってきたからか、僭主の目にはそれがうつるようになっていた。細い細い銀の糸。虚空から銀の暈を吊るその。
吸血鬼狩りの武器からする吸血鬼のにおいは、吸血鬼を狩って染みついたものだと僭主は思っていた。だがもしそれが染みついたのでもなんでもなく、それ本来のにおいであったとしたら?
狩人に貸した長剣を見る。それは僭主が構築したものであるがゆえ、僭主の気配をまとっている。だが僭主の目に映る糸も吸血鬼狩りの武器も、別の吸血鬼の気配がした。
吸血鬼狩りの武器が吸血鬼によって作られている。それは僭主にとって確信に近かった。吸血鬼狩りに協力する吸血鬼がいるのか。いたとしてそれは公のことなのか、それとも秘匿されているのか。彼はこのことを知っているのだろうか。様々な思考が頭の回路を駆け巡る。
僭主はふと狩人の方を見た。その首、うなじのあたりでなにかがきらめいたからだ。
糸。銀色の糸。
背筋が冷えるようだった。同意の上でだろうか?まさか。吸血鬼狩りが吸血鬼の支配を受け入れるとは考えにくい。
僭主の頭の中にある可能性が、疑問のかたちで思い浮かんだ。狩人の属する教皇庁という組織、また教皇という人物。それらを構成するのは果たして本当に人間なのだろうか?
僭主は壁に突き刺さっている銀刃を睨む。それはもう動く気配はない。腕のなかで狩人がうめき声をあげた。起きたかと思われたが違った。……そうだ、処置はしたとはいえ、彼は大怪我を負っている。ここでいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。思考を中断し、僭主は部屋の中へと踏み込んだ。
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