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第十話 温もり
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宿の一階にある食堂はそれほど混雑しておらず、どこか懐かしさを誘う香りが漂い、穏やかな日常の温もりが、静かに空間を包んでいた。
四人は空いている窓際の席に腰を下ろし、それぞれに温かい食事が運ばれてきた。
カゲリとヒカリは、目の前の料理をじっと見つめたまま動かない。
ルーベルトが「冷めちゃうよ」と声をかけると、二人は小さくうなずき、そっとスプーンを手に取った。
まず一口、スープを口に運んだ瞬間――。
「……っ」
カゲリの肩がわずかに震え、スプーンを口元で止めた。
続けてヒカリも、そっと一口を味わい、目を見開く。
「……あたたかい……」
「……美味しい……です……」
ぽろぽろと、涙が零れた。
二人はスプーンを持ったまま、言葉を失い、涙だけが静かに頬を伝っていた。
その涙には、これまでの日々の苦しみと飢え、絶望の中で忘れかけていた“生きている実感”が、にじみ出ていた。
やがて、カゲリが口元を覆いながら、絞るような声で言った。
「こんなに……優しい味……初めて……」
ヒカリも続ける。
「すごく……すごく……あたたかくて……」
涙をこぼしながら、二人はゆっくりと、丁寧にスープを口に運び続けた。
パンをちぎり、スープに浸し、小さく噛みしめるたびに、また涙が溢れた。
そして――完食したあと、カゲリが胸に手を当て、感極まったように微笑んだ。
「……ごちそうさまでした」
「……本当に……ごちそうさまでした……」
温かい食事と、優しい時間が、傷ついた姉妹の心に、確かに染み渡っていた。
⸻
夕食を終えた四人は、静かな廊下を通り、宿の部屋へと戻った。
部屋に入るなり、ヒカリとカゲリはどこか落ち着かない様子で、視線を泳がせながらそわそわと動いていた。自分の体を抱きしめるように腕を組んだかと思えば、時折控えめに自分の袖や髪の匂いを確かめるように鼻を寄せる。
それを見たルーベルトは優しく微笑みながら声をかけた。
「お風呂、もう湯が張ってあるよ。二人で入っておいで」
その言葉に、二人の狐耳がぴょこりと跳ねる。
「はいっ! 行ってきます!」
元気よく返事をして、浴室へ向かおうとした――その時。
「まってえええええ!!!」
突然、クリスが叫んで二人の前に滑り込んだ。
「私も一緒に入りたいっ! 一緒がいいのっ!」
「順番に入ればいいんじゃない?」とルーベルトが提案するも、クリスは首をぶんぶん振って反論する。
「やだやだやだ! 二人のあの耳!尻尾!私のと全然違うもん!あんなにもふもふな毛並み、今まで見たことないの!お願いっ、一緒に入ってもふもふさせてえぇ!」
ルーベルトはやれやれと肩をすくめながら、二人に視線を向けた。
「……その、触られるのって、嫌じゃない?」
ヒカリとカゲリはお互いの顔をちらりと見合わせ、狐の尻尾を控えめに立てながら、少し照れた表情で言った。
「……嫌じゃ、ないです……」
「そっか。なら、いいけど……この宿のお風呂、ちょっと狭いかもしれないから、譲り合ってね?」
その時、クリスが無邪気な声で聞いてきた。
「ルーくんも、一緒に入る?」
予想外の問いにルーベルトの顔が一気に赤くなる。
「い、いいよ、僕は……遠慮しとくから。みんなで、楽しんできなよ……!」
彼は照れ隠しのように視線を逸らし、耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。
その様子を見たクリスは、(一緒に入りたかったのになぁ……)と心の中で呟きながらも、「じゃあ、ヒカリちゃん、カゲリちゃん、行こっ!」と二人の手を取って、三人で浴室へと向かっていったのだった。
⸻
クリスはヒカリとカゲリの手を引いて、ぱたんと脱衣所の扉を閉めた。
その瞬間、先ほどルーベルトに言った言葉が頭をよぎり、彼女の顔は一気に湯気が出そうなほど真っ赤になる。
(うそっ、私、なに言ってるの……!? ルーベルトとお風呂!? 裸見られちゃうのに!? しかも、ルーベルトの裸……は、ちょっと見てみたいけど……ちがっ、ちがうっ!)
頭を抱えながら、ぐるぐると思考を巡らせてはジタバタと身をよじるクリス。顔だけでなく耳まで真っ赤だ。
そんなクリスをよそに、ヒカリとカゲリは無言で衣服に手をかけ、落ち着いた動作で一枚ずつ脱いでいく。乱暴された痕はまだうっすらと残っているが、それでもふたりの肌は年相応の柔らかさと、清潔な白さを取り戻していた。
「あっ……うん、私も脱がなきゃ……!」
我に返ったクリスは、慌てて自分の服にも手をかけ、ヒカリとカゲリに続いて衣服を脱ぐ。恥ずかしさと期待と混乱を抱えたまま、三人はそろって浴室へと足を踏み入れていった。
⸻
湯気が立ちこめる浴室に、三人の少女たちの笑い声がほのかに響く。
そんな中、クリスはカゲリの横顔をじっと見つめていた。
特に視線の先にあるのは、頭の上でぴょこんと揺れる、ふわふわの狐耳。
「……もふもふ、したい……」
無意識のうちに、ぽつりと本音が口をついて出る。
その耳はまるで絹のように柔らかそうで、指を通したらどれほど気持ちいいだろうと、好奇心が湧き上がってくる。
クリスの目は、まるで宝石を見つけた子どものように輝いていた。
その視線に気づいたカゲリが少し戸惑ったように首を傾げるが、クリスの目は釘付けのままだった。
そして、クリスの手がカゲリの頭のほうへと向かう。
カゲリのふわふわとした狐耳に、そっと指先が触れた瞬間――
「ひゃうっ……!」
小さな悲鳴にも似た、思わず漏れた愛らしい声。
カゲリはびくんと肩を揺らし、ぱちくりと瞬きを繰り返す。驚いた表情を浮かべながらも、完全に耳を遠ざけようとはせず、その場にじっと佇んでいた。
その態度は、触れられることを完全には拒んでいない証拠。
むしろ、照れたように視線を泳がせ、指先が再び耳に触れるのを、どこか期待しているようにも見える。
頬をわずかに紅潮させたカゲリの耳が、ぴくりと反応するたびに、彼女の無防備さと信頼が伝わってくるようだった。
「うわぁ……ほんとにもふもふ……!カゲリちゃんの耳、ぬいぐるみみたい……!」
目を輝かせながら撫で続けるクリスの手に、カゲリはくすぐったそうに肩をすくめる。
「……ふぁ……」
思わず小さな吐息が漏れる。
その声に驚いたのはクリスの方だった。
「ご、ごめん! 痛かった!?」
「い、いえ……ただ、なんだか……不思議な感じで……そんなに珍しいですか……?」
「珍しいよー! 私の耳はちっちゃいし、全然もふもふじゃないもん……」
クリスは自分の耳をぺたんと押さえて、ぷくっと頬を膨らませる。
「でも、クリスさんの耳も可愛いと思います」
そう言ったのはヒカリだった。彼女は控えめに湯に浸かりながら、クリスの横に寄り添うように座っていた。
「えっ……ほんと?」
ぱっと顔を明るくしたクリスが、今度はヒカリの尻尾に興味津々と視線を移す。
ヒカリはクリスの視線が自分のふさふさの尻尾へと向けられていることに気づき、そっと振り返る。
「もしかして……これも、触ってみたいですか?」
「いいの!? じゃあ、ちょっとだけ……」
おそるおそる手を伸ばし、ヒカリの尻尾に触れた瞬間、驚くほど柔らかく弾力のある毛並みにクリスは目を見張る。
「なにこれ……天国……」
くすぐったそうにヒカリが笑みを浮かべ、ふわりとした声をこぼす。
「……んっ……ふふっ……」
ふわふわの尻尾の手触りに目を輝かせるクリスは、嬉しそうに声を上げる。
「すごい……! ヒカリちゃんの尻尾、ふわっふわで最高……! ねえ、もっと触ってもいい!?」
身を乗り出すようにしてたずねるクリスに、ヒカリは一瞬たじろぐも、すぐに恥ずかしそうに答える。
「……はい。でも……その……優しくしてくださいね?」
その頬はほんのりと紅く染まり、垂れ気味の耳がかすかに震えていた。
「やったー!」
クリスは子供のような無邪気な笑顔で、そっと尻尾に触れ、その感触を堪能するように頬を当てた。
お湯の温もりと、互いのぬくもり。
かつて誰からも優しくされたことのなかったカゲリとヒカリにとって、この穏やかな時間は、それだけで胸がいっぱいになるほど尊いものだった。
その場の空気は、湯けむりとともにどこか和やかで、三人の少女たちの心の距離も少しずつ、けれど確かに縮まっていくのだった。
⸻
一方その頃、ルーベルトは浴室へとぱたぱた駆けていく三人の背中を見送りながら、一人ベッドに腰を下ろしていた。
まさかクリスが「一緒にお風呂に入ろう!」などと言い出すとは思いもしなかった。頭の中には、思わずみんなで湯船に浸かる光景が浮かんでしまうが、慌ててそれを振り払うように枕に顔を埋める。
浴室の方からは、楽しげな笑い声や、耳や尻尾に触れ合っているらしいくすぐったそうな声が微かに漏れ聞こえてきて、意識すればするほど気になってしまいそうだった。
ルーベルトは両手で耳をふさぎ、「煩悩退散……煩悩退散……」と小声で繰り返しながら、ひたすらにお風呂から上がってくる三人を待ち続けていた。
⸻
しばらくして、浴室の扉が開いた。
湯上がりのクリス、ヒカリ、カゲリの三人が、湯気をまといながらタオル一枚を巻いただけの姿で脱衣所から出てきた。髪はしっとりと濡れ、頬はほんのりと上気している。
その姿を目にしたルーベルトは、思わず両手で顔を覆った。
「ちょっ……! ぼ、僕もお風呂行ってくるから!!」
声を裏返らせながらそう叫ぶと、彼はまるで逃げるように浴室へと駆けていった。
残された三人は、きょとんとした表情でルーベルトの背中を見送る。
「……あ」
ふと、自分たちの格好に気づいた瞬間、クリスが顔を赤らめ、ヒカリとカゲリも同じく目を見合わせて頬を染める。タオル一枚という姿が、いかに無防備だったかをようやく理解したのだった。
「わ、私たち、は、恥ずかしい格好で……っ」
「き、着替えよう……!」
クリスはすぐに行動に移し、自分の寝巻きを引っ張り出すと、ヒカリとカゲリにそれぞれ貸してあげた。幸いにも予備があったため、三人ともふわふわもこもこのパジャマ姿に身を包むことができた。
着替えを終えた三人は、弾けるようにベッドへとダイブした。柔らかな布団に包まれ、くすくすと笑い合いながら、誰からともなく仰向けになって天井を見上げる。
しばらくして、部屋の中に穏やかな静けさが戻った。
――ルーベルトが戻ってくるまで、もう少しだけ、こうして待っていよう。
そんな思いを胸に、三人は並んで寄り添いながら、ほんの少しだけ、まどろむように目を閉じるのだった。
⸻
ルーベルトは湯船に身を沈め、静かに目を閉じた。
怒涛の一日を、ゆるやかに脳裏で反芻する。
ベルトラとの邂逅。
そして、ヒカリとカゲリという新たな命との契約。
──救いたかった。いや、救わずにはいられなかった。
明日もまた、ベルトラのもとを訪れ、奴隷商としての知識を深めねばならない。
午後には、ヒカリとカゲリに必要な衣服や日用品を揃えるため、街へも出る予定だ。
新たな日常への不安と責任を胸に抱きながら、湯の温もりに身を委ね、ひとときの静寂に包まれていた。
やがて湯から上がり、浴室の扉をそっと開けると──
「……あ」
そこには、ベッドに寄り添うようにして、すやすやと寝息を立てる三人の姿があった。
整った寝巻きに身を包み、まるで子猫のように丸まって眠るヒカリ、カゲリ、そしてクリス。
ルーベルトは静かにタオルで髪を拭き、早々に着替えを済ませると、ベッドにそっと歩み寄り、一人ひとりの頭を優しく撫でた。
撫でられた耳がぴくんと揺れ、尻尾が小さくぱたぱたと動く。
みんな、安心したような穏やかな寝顔を浮かべていた。
(……これでよかったんだよな)
そう心の中で呟きながら、ルーベルトは一歩下がり、そっとソファへと腰を下ろした。
これ以上ベッドに誰かが加わるには、少し狭すぎる。
それに──一緒に眠るには、まだ自分の気持ちが落ち着かない。
毛布を肩にかけ、深く息をつく。
(明日も、頑張ろう)
そう心に決め、ルーベルトは静かに目を閉じた。
四人は空いている窓際の席に腰を下ろし、それぞれに温かい食事が運ばれてきた。
カゲリとヒカリは、目の前の料理をじっと見つめたまま動かない。
ルーベルトが「冷めちゃうよ」と声をかけると、二人は小さくうなずき、そっとスプーンを手に取った。
まず一口、スープを口に運んだ瞬間――。
「……っ」
カゲリの肩がわずかに震え、スプーンを口元で止めた。
続けてヒカリも、そっと一口を味わい、目を見開く。
「……あたたかい……」
「……美味しい……です……」
ぽろぽろと、涙が零れた。
二人はスプーンを持ったまま、言葉を失い、涙だけが静かに頬を伝っていた。
その涙には、これまでの日々の苦しみと飢え、絶望の中で忘れかけていた“生きている実感”が、にじみ出ていた。
やがて、カゲリが口元を覆いながら、絞るような声で言った。
「こんなに……優しい味……初めて……」
ヒカリも続ける。
「すごく……すごく……あたたかくて……」
涙をこぼしながら、二人はゆっくりと、丁寧にスープを口に運び続けた。
パンをちぎり、スープに浸し、小さく噛みしめるたびに、また涙が溢れた。
そして――完食したあと、カゲリが胸に手を当て、感極まったように微笑んだ。
「……ごちそうさまでした」
「……本当に……ごちそうさまでした……」
温かい食事と、優しい時間が、傷ついた姉妹の心に、確かに染み渡っていた。
⸻
夕食を終えた四人は、静かな廊下を通り、宿の部屋へと戻った。
部屋に入るなり、ヒカリとカゲリはどこか落ち着かない様子で、視線を泳がせながらそわそわと動いていた。自分の体を抱きしめるように腕を組んだかと思えば、時折控えめに自分の袖や髪の匂いを確かめるように鼻を寄せる。
それを見たルーベルトは優しく微笑みながら声をかけた。
「お風呂、もう湯が張ってあるよ。二人で入っておいで」
その言葉に、二人の狐耳がぴょこりと跳ねる。
「はいっ! 行ってきます!」
元気よく返事をして、浴室へ向かおうとした――その時。
「まってえええええ!!!」
突然、クリスが叫んで二人の前に滑り込んだ。
「私も一緒に入りたいっ! 一緒がいいのっ!」
「順番に入ればいいんじゃない?」とルーベルトが提案するも、クリスは首をぶんぶん振って反論する。
「やだやだやだ! 二人のあの耳!尻尾!私のと全然違うもん!あんなにもふもふな毛並み、今まで見たことないの!お願いっ、一緒に入ってもふもふさせてえぇ!」
ルーベルトはやれやれと肩をすくめながら、二人に視線を向けた。
「……その、触られるのって、嫌じゃない?」
ヒカリとカゲリはお互いの顔をちらりと見合わせ、狐の尻尾を控えめに立てながら、少し照れた表情で言った。
「……嫌じゃ、ないです……」
「そっか。なら、いいけど……この宿のお風呂、ちょっと狭いかもしれないから、譲り合ってね?」
その時、クリスが無邪気な声で聞いてきた。
「ルーくんも、一緒に入る?」
予想外の問いにルーベルトの顔が一気に赤くなる。
「い、いいよ、僕は……遠慮しとくから。みんなで、楽しんできなよ……!」
彼は照れ隠しのように視線を逸らし、耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。
その様子を見たクリスは、(一緒に入りたかったのになぁ……)と心の中で呟きながらも、「じゃあ、ヒカリちゃん、カゲリちゃん、行こっ!」と二人の手を取って、三人で浴室へと向かっていったのだった。
⸻
クリスはヒカリとカゲリの手を引いて、ぱたんと脱衣所の扉を閉めた。
その瞬間、先ほどルーベルトに言った言葉が頭をよぎり、彼女の顔は一気に湯気が出そうなほど真っ赤になる。
(うそっ、私、なに言ってるの……!? ルーベルトとお風呂!? 裸見られちゃうのに!? しかも、ルーベルトの裸……は、ちょっと見てみたいけど……ちがっ、ちがうっ!)
頭を抱えながら、ぐるぐると思考を巡らせてはジタバタと身をよじるクリス。顔だけでなく耳まで真っ赤だ。
そんなクリスをよそに、ヒカリとカゲリは無言で衣服に手をかけ、落ち着いた動作で一枚ずつ脱いでいく。乱暴された痕はまだうっすらと残っているが、それでもふたりの肌は年相応の柔らかさと、清潔な白さを取り戻していた。
「あっ……うん、私も脱がなきゃ……!」
我に返ったクリスは、慌てて自分の服にも手をかけ、ヒカリとカゲリに続いて衣服を脱ぐ。恥ずかしさと期待と混乱を抱えたまま、三人はそろって浴室へと足を踏み入れていった。
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湯気が立ちこめる浴室に、三人の少女たちの笑い声がほのかに響く。
そんな中、クリスはカゲリの横顔をじっと見つめていた。
特に視線の先にあるのは、頭の上でぴょこんと揺れる、ふわふわの狐耳。
「……もふもふ、したい……」
無意識のうちに、ぽつりと本音が口をついて出る。
その耳はまるで絹のように柔らかそうで、指を通したらどれほど気持ちいいだろうと、好奇心が湧き上がってくる。
クリスの目は、まるで宝石を見つけた子どものように輝いていた。
その視線に気づいたカゲリが少し戸惑ったように首を傾げるが、クリスの目は釘付けのままだった。
そして、クリスの手がカゲリの頭のほうへと向かう。
カゲリのふわふわとした狐耳に、そっと指先が触れた瞬間――
「ひゃうっ……!」
小さな悲鳴にも似た、思わず漏れた愛らしい声。
カゲリはびくんと肩を揺らし、ぱちくりと瞬きを繰り返す。驚いた表情を浮かべながらも、完全に耳を遠ざけようとはせず、その場にじっと佇んでいた。
その態度は、触れられることを完全には拒んでいない証拠。
むしろ、照れたように視線を泳がせ、指先が再び耳に触れるのを、どこか期待しているようにも見える。
頬をわずかに紅潮させたカゲリの耳が、ぴくりと反応するたびに、彼女の無防備さと信頼が伝わってくるようだった。
「うわぁ……ほんとにもふもふ……!カゲリちゃんの耳、ぬいぐるみみたい……!」
目を輝かせながら撫で続けるクリスの手に、カゲリはくすぐったそうに肩をすくめる。
「……ふぁ……」
思わず小さな吐息が漏れる。
その声に驚いたのはクリスの方だった。
「ご、ごめん! 痛かった!?」
「い、いえ……ただ、なんだか……不思議な感じで……そんなに珍しいですか……?」
「珍しいよー! 私の耳はちっちゃいし、全然もふもふじゃないもん……」
クリスは自分の耳をぺたんと押さえて、ぷくっと頬を膨らませる。
「でも、クリスさんの耳も可愛いと思います」
そう言ったのはヒカリだった。彼女は控えめに湯に浸かりながら、クリスの横に寄り添うように座っていた。
「えっ……ほんと?」
ぱっと顔を明るくしたクリスが、今度はヒカリの尻尾に興味津々と視線を移す。
ヒカリはクリスの視線が自分のふさふさの尻尾へと向けられていることに気づき、そっと振り返る。
「もしかして……これも、触ってみたいですか?」
「いいの!? じゃあ、ちょっとだけ……」
おそるおそる手を伸ばし、ヒカリの尻尾に触れた瞬間、驚くほど柔らかく弾力のある毛並みにクリスは目を見張る。
「なにこれ……天国……」
くすぐったそうにヒカリが笑みを浮かべ、ふわりとした声をこぼす。
「……んっ……ふふっ……」
ふわふわの尻尾の手触りに目を輝かせるクリスは、嬉しそうに声を上げる。
「すごい……! ヒカリちゃんの尻尾、ふわっふわで最高……! ねえ、もっと触ってもいい!?」
身を乗り出すようにしてたずねるクリスに、ヒカリは一瞬たじろぐも、すぐに恥ずかしそうに答える。
「……はい。でも……その……優しくしてくださいね?」
その頬はほんのりと紅く染まり、垂れ気味の耳がかすかに震えていた。
「やったー!」
クリスは子供のような無邪気な笑顔で、そっと尻尾に触れ、その感触を堪能するように頬を当てた。
お湯の温もりと、互いのぬくもり。
かつて誰からも優しくされたことのなかったカゲリとヒカリにとって、この穏やかな時間は、それだけで胸がいっぱいになるほど尊いものだった。
その場の空気は、湯けむりとともにどこか和やかで、三人の少女たちの心の距離も少しずつ、けれど確かに縮まっていくのだった。
⸻
一方その頃、ルーベルトは浴室へとぱたぱた駆けていく三人の背中を見送りながら、一人ベッドに腰を下ろしていた。
まさかクリスが「一緒にお風呂に入ろう!」などと言い出すとは思いもしなかった。頭の中には、思わずみんなで湯船に浸かる光景が浮かんでしまうが、慌ててそれを振り払うように枕に顔を埋める。
浴室の方からは、楽しげな笑い声や、耳や尻尾に触れ合っているらしいくすぐったそうな声が微かに漏れ聞こえてきて、意識すればするほど気になってしまいそうだった。
ルーベルトは両手で耳をふさぎ、「煩悩退散……煩悩退散……」と小声で繰り返しながら、ひたすらにお風呂から上がってくる三人を待ち続けていた。
⸻
しばらくして、浴室の扉が開いた。
湯上がりのクリス、ヒカリ、カゲリの三人が、湯気をまといながらタオル一枚を巻いただけの姿で脱衣所から出てきた。髪はしっとりと濡れ、頬はほんのりと上気している。
その姿を目にしたルーベルトは、思わず両手で顔を覆った。
「ちょっ……! ぼ、僕もお風呂行ってくるから!!」
声を裏返らせながらそう叫ぶと、彼はまるで逃げるように浴室へと駆けていった。
残された三人は、きょとんとした表情でルーベルトの背中を見送る。
「……あ」
ふと、自分たちの格好に気づいた瞬間、クリスが顔を赤らめ、ヒカリとカゲリも同じく目を見合わせて頬を染める。タオル一枚という姿が、いかに無防備だったかをようやく理解したのだった。
「わ、私たち、は、恥ずかしい格好で……っ」
「き、着替えよう……!」
クリスはすぐに行動に移し、自分の寝巻きを引っ張り出すと、ヒカリとカゲリにそれぞれ貸してあげた。幸いにも予備があったため、三人ともふわふわもこもこのパジャマ姿に身を包むことができた。
着替えを終えた三人は、弾けるようにベッドへとダイブした。柔らかな布団に包まれ、くすくすと笑い合いながら、誰からともなく仰向けになって天井を見上げる。
しばらくして、部屋の中に穏やかな静けさが戻った。
――ルーベルトが戻ってくるまで、もう少しだけ、こうして待っていよう。
そんな思いを胸に、三人は並んで寄り添いながら、ほんの少しだけ、まどろむように目を閉じるのだった。
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ルーベルトは湯船に身を沈め、静かに目を閉じた。
怒涛の一日を、ゆるやかに脳裏で反芻する。
ベルトラとの邂逅。
そして、ヒカリとカゲリという新たな命との契約。
──救いたかった。いや、救わずにはいられなかった。
明日もまた、ベルトラのもとを訪れ、奴隷商としての知識を深めねばならない。
午後には、ヒカリとカゲリに必要な衣服や日用品を揃えるため、街へも出る予定だ。
新たな日常への不安と責任を胸に抱きながら、湯の温もりに身を委ね、ひとときの静寂に包まれていた。
やがて湯から上がり、浴室の扉をそっと開けると──
「……あ」
そこには、ベッドに寄り添うようにして、すやすやと寝息を立てる三人の姿があった。
整った寝巻きに身を包み、まるで子猫のように丸まって眠るヒカリ、カゲリ、そしてクリス。
ルーベルトは静かにタオルで髪を拭き、早々に着替えを済ませると、ベッドにそっと歩み寄り、一人ひとりの頭を優しく撫でた。
撫でられた耳がぴくんと揺れ、尻尾が小さくぱたぱたと動く。
みんな、安心したような穏やかな寝顔を浮かべていた。
(……これでよかったんだよな)
そう心の中で呟きながら、ルーベルトは一歩下がり、そっとソファへと腰を下ろした。
これ以上ベッドに誰かが加わるには、少し狭すぎる。
それに──一緒に眠るには、まだ自分の気持ちが落ち着かない。
毛布を肩にかけ、深く息をつく。
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