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第弐念珠

#020 『おもいこみ』

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 荒磯という、クセの強い男が居た。

 俺様気質の上に、異常なほど思い込みが激しい。

 あまりにも調子に乗っていたので地元チームのアジトに拉致られてヤキを入れられたが、荒磯には連中が本格的な極道者に見えたらしい。「お前らヤクザだな!」「俺をゆすっても金は出ないぞ!!」とトンチンカンな啖呵を切った為、「こいつは頭がおかしい」と判断されて直ぐに解放された。
 荒磯はその後、「ヤクザの事務所に連れ込まれてリンチされた。一歩も怯まず吠えてやったら、向こうもビビって俺を解放しやがった。ざまぁみろ!」と周囲に自慢しまくったという。

 いつも取り巻きを数人連れているが、皆、ボーッとした年下者ばかり。
 その中のリーダー格である本人は、まさに『お山の大将オレ一人』な趣だったそうである。
 いつも根拠のない自信に溢れていて、本気になればオレにやれない事はない、と口癖のように言っていた。


「私も浅はかだったんです。そんな自信満々な彼が、魅力的に見えてたんですから」

 後悔に満ちたような瞳でそう語ってくれたのは、幸恵さんという女性である。
 荒磯の話は、すべてこの方から聞かせて頂いた。

「元カレでした、彼。ばりばりに粋がってたけどいつも視線が真っ直ぐで、話してみるとひょうきんな部分も見せてくれて。自然に、付き合うようになりました」

 しかし、これが彼女の受難の始まりであった。

 まず第一に。荒磯は、幸恵さんの想像以上に荒っぽい性格だったのだ。

 気に入らない相手がいれば、まるで挨拶をするように喧嘩を売った。二人っきりのデートの途中、昼食を食べた店のウェイターの態度が気に入らないと言って胸ぐらを掴んで凄んだことすらあったらしい。

 荒磯がキレるたび、幸恵さんは泣いた。泣いて、やめてやめてと訴えた。
 荒磯自身も、その度に心を痛めたようだった。「ごめんよ」「もうしないよ」と、直ぐに振り上げた拳を引っ込めた。だが、その30分後にはまた気に入らない誰かにメンチを切るのだ。


 困った男である。
 だが、彼にはもっと、困った性格が備わっていた。
 ――思い込みの、激しさ。


「・・・忘れもしません。ある日のデートで噴水の側を通った時。彼は屈託のない笑顔を浮かべながら、言ったんです。『幸恵。お前って、アレだろ。鬱病だろ』・・・って」


 そうである。
 信じられないことに。受け身で物静か、内省的な幸恵さんのことを、荒磯はいつしか短絡的に『鬱病』だと思い込むようになったのである。

「よう幸恵!鬱病の具合はどうだ?」
「悩み事は何でもオレに言えよ。お前は鬱病なんだから」
「幸恵は鬱病のくせに、出来た女だよなぁ。健常者より感心なくらいだぜ」

 折に触れてそのように曰い、幸恵さんを一方的に鬱病患者へと仕立ててしまった。自分の言っていることが、幸恵さん自身はおろか、鬱病で苦しんでいる多くの方々にも失礼極まりないという事実に、まったく思い至らなかったようだ。

 ――思い込みが激しいのも、ここまでくると恐ろしいとすらいえる。

 心が健全な者でも、毎日のように話す人間がこんな調子では、逆に心が病んでしまう。
 やがて幸恵さんはノイローゼ状態になる。その上「幸恵は最近鬱病がひどいな」「ありのままの自分を受け入れると楽になるってテレビでやってたぞ」と荒磯が手前勝手な診断療法を押しつけるので、心の不調はどんどんこじれていく。

 本当に鬱病の症状を呈し始めた頃、幸恵さんは荒磯と別れることを決意した。
 もう会わないでください。何も言わないでください。勇気を出してそう告白したのだが、


「オレはお前が鬱病だからって見捨てたりしないぞ!二人で頑張れば病気は治る!!」


 真剣な顔で間髪入れずに断言されたので、心から怖くなってその場から走って逃げた。
 追ってくるのではないかと思ったが、何とか逃げ切れた。

 途中で一度振り返ってみたそうだが、そのとき荒磯は、愕然としてただただ立ち尽くしていたそうである。


  ※   ※   ※   ※

 それから2年あまりが過ぎた。

 もっともその間、幸恵さんはずっと心休まらぬ日々を送っていたという。

 ――いきなり荒磯が家を訪ねて来たらどうしよう。
 ――出先で、偶然出会ってしまったらどうしよう・・・

 常識が通用しないところのある男だっただけに、本気で恐ろしかった。
 その恐怖に終止符が打たれたのは、秋口に差し掛かったある日のこと。

「え・・・ これって彼の名前・・・」

 たまたま朝刊に目を通していた幸恵さんは、その紙面に以前の恋人の名を見つけて、肝を潰すほどびっくりした。

 別に、荒っぽさが高じて傷害事件を起こした、などというわけではない。
 荒磯の名は、訃報欄にあったのだ。 
 喪主は父親。
 亡くなったのである。

(どういうこと?死んだって・・・ エ、ほんと??)

 享年 29歳。

 ショックではあった。思ったよりも胸が痛んだ。だが、これで心のしこりが取り除けるような気持ちもあった。その一方、あの殺しても死なないような図太い彼がどうやって死んだのか、本当に死んだのか、と現実を受け入れられないような妙な感覚もおぼえた。

 確かめてみなければ。幸恵さんは、連絡先を知っていた荒磯の子分の一人に、意を決して電話を入れてみた。

『荒磯さん?うん、死にましたよ。まじに』

 兄貴分が死んだとは思えないくらいノホホンと彼は答えた。
 それがねぇ、ふつうの死に方じゃなかったんすよ、とも。

『やっぱねぇ。アレが原因かなぁ・・・ あのね、荒磯さん、死ぬ前の日に俺に電話かけてきたの。そん時、教えてくれたんすけどねぇ』


  ※   ※   ※   ※

 その日、荒磯は山の方へ舞茸を採りに出かけていたという。シーズンになれば、ウキウキしながら山菜やキノコを採りに行きたがる。学生時代からの彼の意外な趣味だった。

 例年通り、山の舗装道路を通ってポイントへ向かう(舞茸は、毎年決まった場所に生えるのだという)。その途中、荒磯は見慣れぬ細い小道のようなものを見つけたらしい。

 興味本位でそこへ入り、しばらく歩くと切支丹キリシタンの慰霊碑があった。

「キリシタン?!!」
『はい。荒磯さん、そう言ってましたよ』

 ――くどいようだが、荒磯は病的に思い込みが激しい。
 そんな彼が、「切支丹慰霊碑・・・だとしか思えないもの」がそこにあった、のだという。

『そしたら、何かしみじみした気持ちになっちゃったって』

 いくら荒磯でも、切支丹の人々が江戸幕府に弾圧されてひどいやり方で拷問・処刑されたという地元の暗い歴史を知らないわけではなかった。
 その日はたまたま、殊勝な心持ちだったのだろう。「切支丹の人達はつらかったろうに」「誰も死にたくなんぞ無かっただろうに」と、昔の人々に対する同情の念が心に湧き上がってきたそうである。

『だから荒磯さん、』

 持っていた飲みかけの炭酸ジュースを、石碑の上からドボドボと振りかけた。



「・・・え?!!」



 あまりに突拍子の無い供述に幸恵さんが絶句していると、
『まぁ荒磯さんなりの弔意の示し方だったんでしょうよ』
 電話の向こうで、取り巻き子分は何食わぬ口調。

『本当は酒だったら良かったんだけどなぁ、こんなんでカンベンしてくれや・・・とか何とか言いながら、成仏しろよ、成仏しろよって。パンパン柏手打って、石碑を拝んだって』

 その日の夕刻。荒磯はいい気分で、この子分に電話をかけてきたわけだ。
 かくかくしかじか、いい事をしてきた。俺様があれだけ拝んでやったんだから、あそこに蟠っている霊もみんな成仏するに違いない、と。『ドヤ顔が目に見えるような言い方』で一部始終を報告したという。


 次の日の朝、寝室で冷たくなっている荒磯を母親が見つけた。

 死因は、急性心筋梗塞。

 死の直前に相当苦しんだと見え、寝具は著しく乱れていたという。


  ※   ※   ※   ※

 ・・・荒磯からその電話を受けた時、ヤバイとは感じなかったのか、と幸恵さんは子分に質問した。『そら思いましたよ!』『何やってるんだこの人!って思いました』そうであるが、

『お腹が空いてたから、何も言いませんでした』


 ・・・ああ、そうだ。
 まったく、こういう人間だった。
 取り巻きも。彼自身も。

 その時やっと、幸恵さんは心の底から荒磯に愛想が尽きた。彼の呪縛のようなものから、完全に解き放たれたような気がしたという。

「お葬式にも出ませんでした。出る必要もないと思いましたし」


 ただ一つ。

 荒磯は幸恵さんと別れた後、一切他の女性と付き合おうとしなかったらしい。彼なりに男の操を通そうとしていたようだ。

 それを子分の口から聞いた幸恵さんは、何処となく変な義務感のようなものを感じ、荒磯が粗相をしたという『切支丹の慰霊碑』を探してみることにした。

 見つけて、あの男が汚した石碑を清水で洗い清めてあげよう――という尻ぬぐいのような気持ちだったらしいが、何故か教えて貰った場所をいくら探しても、それらしき物は一向に見つからない。近くに住んでいる人にも尋ねたが、慰霊碑はおろか石碑の類いのようなものも、ここらへんには無い と言われてしまった。


「たぶん、切支丹関連の石碑ではなかったんだと思います。じゃあ何だ、と言われると、それもわかりませんが・・・ たぶん、もっと荒くて怖いモノ」


 荒磯が死んで一ト月も経たぬうち、その父と母、妹も、不審な死を遂げた。

 いま現在、一家が住んでいた二階建ての家屋は空き家となり、寂れている。



「未練とか同情とか―― もう 一切、消えました」



 ずぅっと前の話ですから。

 ・・・そう言って、幸恵さんは静かに話を終えられた。

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