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幸せの形
幸せの形
しおりを挟む昨夜のこともあり洋介はまだ瞼が重かった。
車の外から鳥の囀る声が聞こえてきた。
カーテンを通しても外が明るくなってきたのが分かった。
目を擦りながら横を見ると愛蘭は上半身を起こしカーテンの端から窓の外の一点を見ていた。
おはようと洋介は眠さで気だるそうに声をかけた。
ねぇ南波さん!
外見て外!
洋介は一体どうしたの?
と答えた。
静かにね。
と愛蘭は囁いた。
何事かと洋介は窓から外を見ると小さな野生のリスがいるのが見えた。
かわいい!
愛蘭は興奮していた。
さすが北海道だけあって野生動物がこんなに間近に見られるものなんだなと洋介は感心した。
すごい!私初めて見た!
と狭い車内で頰と頰がくっ付くくらい愛蘭は洋介に顔を近づけてきてリスに見入っていた。
洋介は子供みたいに無邪気にはしゃぐ愛蘭に本当に昨夜の人と同じ人なの?
疑問を感じた。
暫くしてリスが去ってから二人は車の外に出てみると顔を出したばかりの太陽が雲と雲の間から幾つものシルクのような光の帯を落とし湖面をキラキラと金色に美しく染めていた。
緑の森から立ち上がる朝霧、流れて行く雲に反射する陽の光…
それは現実の世界からかけ離れた神秘的な光景だった。
二人は息を飲んだ。
これが車旅の醍醐味なんだよ…
洋介は独り言のように呟いた。
愛蘭は湖を見ながら黙って頷いた。
愛蘭はこの大自然の中心で今まで自分はいかに人生経験の浅い小さな人間だったのかを思い知らされた。
そして心が洗われた気がした…
愛蘭は旅に出て本当に良かったと思った。
洋介は愛蘭と同じ方向を見ながら違う感情が心を占めていた。
美紗子にもこの景色を見せてあげたかった…と
二人は身支度を整えると湖を出発した。
今日も行き先の決まっていないきままな旅の続きだ。
車は森が続く山あいを抜け広大なトウモロコシ畑が続く道を走っていた。
洋介は尋ねた。
愛蘭さん今回初めての車中泊だったけど疲れていないかい?
ううん…とても面白かったです。
それにこういう旅は今までしたことなかったから凄く楽しい。
そう、それは良かった。
家族で旅行とかは?
母が私が子供のころに死んじゃったから…
それから父が男手一つで私を育ててくれて旅行なんて行けなかった…
あの日を境に私の人生は決まった…
愛蘭は遠い記憶を蘇らせていた。
愛蘭ちゃん元気だしてね。
親戚や近所の人たちが次々に愛蘭に声をかけて行く。
愛蘭ちゃんまだ子供なのに気の毒に…
離れた場所でこそこそ話す親戚の声も愛蘭の元にも届いた。
奥さん事故だって?
嫌ねー
清切さんこれからどうやっていくのかしら?
早く新しい人見つけてやっていかないと
もしかしてもういるんじゃない?
ふふふ
まさかぁ?
あはは
母の葬儀に不躾な言葉を発する大人の話しを愛蘭は唇を噛み締めて聞いていた。
大人なんて…
愛蘭は学校でも同級生に片親であることを揶揄われた。
愛蘭は居たたまれなくなって学校を飛び出した。
愛蘭はこのことを父親に話すと愛蘭、俺は俺自身が馬鹿にされるのは構わない。
だけどお前は別だ。
俺がお前を立派に育ててやる。
お前は周りを見返してやるくらいの人間になるんだ。
そのためなら俺はお前に何だってしてやる。
父親は金属の加工工場で働いていた。
愛蘭のために朝早くから起きて弁当を作り夜遅くまで真っ黒になるまで一生懸命働いた。
そんな父親の背中を見ながら負けず嫌いな愛蘭は寝るのも惜しんで学業に励んだ。
両親を馬鹿にした大人たちを見返してやるために…
父親の身を粉にした働きで一般的な中流家庭のレベルを維持できた。
清切は経済的に大変ではあったが愛蘭には高等教育を受けさせた。
そして中国でも屈指の名門の一流大学を卒業した愛蘭は教師となった。
愛蘭には母親が死んでから父親とどこかへ遊びに行った記憶などなかった。
愛蘭も自分のために父親の油で黒くなった手を間近で見ていたから甘えるようなことはしなかった。
いや出来なかった…
同級生が遊んでいても愛蘭は決して羨ましいとは思わなかった。
愛蘭は父親が引いたレールを歩き続けた。
愛蘭はそれが正しいことだと思っていたし疑わなかった。
そして大成するまでは愛蘭は感情を表に出さないと心に決めた。
厳格な父親に育てられ今の愛蘭があるのだった。
洋介は黙って愛蘭の話しを聴いていた。
目がしらが熱くなった。
愛蘭さんのお父さんはお母さんが亡くなったとき君を守るって決めたんだね。
強い人だよ。君のお父さんは。
それに比べて俺は弱い…
守るべき人のいる人の意志とは比べものにならない…
洋介は思った。
でも…
私が教師になって子供たちに教える立場になってなんか違うって思うようになったの。
どう?
洋介は尋ねた。
教壇で子供たちに日本語を教えていると子供たちはすごく目を輝かせて私の話しを聴いてくれるの。
勉強のための勉強じゃなくて純粋に日本に興味を持って楽しんでいるの。
純真で無垢な子供たちの向学心を見ていると私の自分本位で打算している考え方って正しいのかなって…
父は相変わらず私に偉い人
、立派な人になることが私の幸せに繋がるんだって信じていて上級試験も父に強制的に受けさせられたんです。
最近父の考えが疑問に思ったんだけどやっぱり直接父には言えなくて…
それで私もどうしていいか分からなくなってしまったんです。
でもそんな父が今回私が日本へ行くって言い出したとき旅費の足しにってお金を渡してくれたんです。
私驚きました。
そして心が痛かったです。
父だってそんな余裕は無いはずなのに…
黒板五郎さんみたいだな…
洋介は独り言をポツリと言った。
その方誰ですか?
愛蘭は尋ねた。
いや、こっちの話し、ただの独り言だから気にしないで。
?
愛蘭は不思議そうに洋介を見ていた。
洋介は話しを続けた。
でも愛蘭さんはお父さんのこと好きなんでしょう?
勿論です。
これは俺の考え方だからどこにでも当てはまるかどうかは分からないことを承知で聞いてもらえたらと思うんだけど…
はい。
俺には子供がいないし本当の意味で親の気持ちは分からない…
…でも、親が幸せに思うことって自分の子供が幸せにしているってことじゃないかと思うんだ…
子供が不幸なとき、不幸だと思っているとき、きっと親も不幸なんだと思う。
別に親に何かプレゼントするとかじゃなくても
子供が笑って暮らしている…
それこそが一番の親孝行なんだと俺は思う。
洋介の話しを聞いて愛蘭はうなだれた…
愛蘭にはこんな考え方無かった。
お金のある生活…
それが幸せ…
それが私に父が望むこと…
父の望むことを叶えるのが父に対しての私の恩返し…
愛蘭は今まで自分が信じていた価値観がガラガラと崩れていった。
…私も南波さんの考え方正しいと思います…
…でも私これから父とどうやって向き合っていったらいいのか…
洋介は言った
腹を割って話してごらんよ。
愛蘭さんのやりたいこと…
進みたい道を…
お父さんに
でも…
血の繋がった親子じゃないか。
世の中に子供の不幸を喜ぶ親なんていやしないよ。
…はい…。
愛蘭はスッと気持ちが楽になった。
同時にそんな考えをする洋介を尊敬した。
トウモロコシ畑を抜けると丘陵に花畑が現れた。
わぁ凄い…
愛蘭は声をあげた。
赤、白、青、緑、紫、黄色、オレンジ色の花がそれぞれ絨毯の帯のように順番に地面を埋め尽くしていた。
下から見える花の丘は空まで伸び真っ青な空とどこまでも重なり合っていた。
洋介はその中の一つの観光農園に立ち寄ってみることにした。
農園の前には何台もの大型観光バスや自家用車が停まっていた。
二人は車から降りると花の芳香に包まれた。
入場券を購入し二人は花畑の中に入って行った。
目の前一面に広がる花の波に二人は目を奪われた。
これは凄いね…
洋介は呟いた。
初めて見る光景に愛蘭も言葉をなくしていた。
あれだけのバスや自家用車があるのに土地はその広大なキャパで人を受け入れるのに充分な余裕があった。
二人はゆったりした足取りで花畑の中を歩いた。
愛蘭の花を見るキラキラした瞳が洋介には印象的に映った。
突然後ろから声をかけられた。
あの-もし良かったらシャッターお願いできませんか?
振り返ると気の良さそうな老夫婦が立っていた。
ご主人の方は高価そうな一眼レフを手にしていた。
二人共帽子を被り眼鏡をかけていた。
観光客みたいだなと洋介は思った。
近くにいた愛蘭にお願いしていた。
愛蘭は
私、そんな凄いカメラ使い方わかりません…
ちょっと困ったような表情を浮かべた。
ご主人は
大丈夫、簡単ですよ。
オートになっているんでこのシャッターを押してもらうだけでいいんで。
愛蘭は
わかりました、いいですよ。
とご主人からカメラを受け取った。
老夫婦は花畑をバックに腕を組んでポーズをとった。
仲が良いご夫婦だなと洋介は思った。
美紗子が生きていたらあんな風に歳を重ねていけたんだろうか…
二、三枚ポーズや背景を変えて写真を撮っているのを洋介は近くから微笑ましく見ていた。
お返しに旦那さんと奥さんの写真も撮って差し上げますよ。
ご主人が洋介に話しかけてきた。
え?
旦那さんと奥さん?
あ、いや、僕らは…
洋介は愛蘭との複雑な関係をまとめられず答えに窮したが面倒臭くなり
あ、じゃあお願いします…
と答えた。
愛蘭は口に手を当てて笑っていた。
あ、でも僕らカメラ持ってないんですよ。
じゃあ、携帯のカメラで撮って差し上げますよ。
奥さん携帯貸してください。
愛蘭はバックの中からスマホを取り出しご主人に渡した。
ほら、旦那さんそんなに離れてちゃあフレームに入らないよ。
あ、はい、
洋介は愛蘭に近づいた。
小恥ずかしかった。
じゃあいきますよ-
ハイチーズ
カシャ
洋介はどんな顔をして撮られたのかわからなかった。
多分作り笑いで顔が引きっていたと思う。
奥さん凄く写真写り良いですね。
良かったらちょっとだけモデルお願いできませんか?
愛蘭は困惑した。
モデルなんてやったことないですし…
すみません。最近主人カメラに夢中なもんで。
奥さんが答えた。
まあ二、三枚で良いんで…
頭を下げるご主人は諦めきれない様子だった。
じゃあ少しだけなら…
愛蘭は請け合った。
ご主人の注目通り愛蘭は花の前でシャッターに収まった。
その間洋介は奥さんと話していた。
ご夫婦はご主人の定年後夫婦一緒に毎年旅行に出かけ趣味のカメラで名所の風景や人を撮っているということだった。
洋介は奥さんと会話をしながら視界に愛蘭がラベンダーの前で香りを嗅ぐ仕草で横顔を撮られている姿が目に入った。
ありがとうございます。
奥さん綺麗なお花に負けないくらい美人だから良い写真がとれましたよ。
愛蘭は照れ笑いしていた。
ここへは何度も来ているんだけどこんなに天気に恵まれたのは初めてですよ。
あなた達は運が良い。
ご主人は屈託のない笑顔で言った。
老夫婦は挨拶すると手を繋ぎその場を離れて行った。
幸せそうな二人を洋介たちは見送った。
私たち夫婦に見えたんですね。
愛蘭は照れた感じで洋介の顔を見た。
夫婦って…こんな若い奥さんとこんなおじさんじゃ無理があるよ。
洋介はわざと横を向いて照れながら言った。
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