北の大地で君と

高松忠史

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光る宙

光る宙

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朝 愛蘭が起きると洋介は既に起きていて広縁のソファーに座って庭を見ていた。 

洋介さんおはよう
愛蘭は布団から声をかけた。

ああ…おはよう
洋介は庭を見たまま振り向くこともなく元気なく答えた。

朝食の時間も洋介は愛蘭の問い掛けに気の無い返事で視線を合わせようとしなかった。

元々寡黙な洋介ではあるが更に口数が少なくなっていた。

愛蘭は洋介の横顔を見ながら思った。
洋介さん後悔しているの?…
洋介さんは美紗子さんのことをまだ…

私が無理矢理あなたの心の扉を開いてしまったの?

愛蘭は悲しかった。

愛蘭 今夜もしかしたらペルシウス座流星群が見られるかもしれない。
一緒に見に行かないか?
それが洋介が愛蘭の目を見て話した唯一の言葉だった。

うん…
愛蘭には否応もなかった。

昨日までの雨は上がっていたが空は曇っていた。

愛蘭は帰国前に父親や友人、学校の子供達にお土産を買うべくお店によってもらうよう洋介に頼んだ。

洋介は一緒に店に入ることは辞退した。
洋介には現実を突きつけられてとても耐えられなかったのだ。

一人で洋介は車で待った。

愛蘭 ごめんよ…
俺は冷酷で酷い男だよな…

洋介は昨晩 愛蘭を抱いたことを後悔していない。
また美紗子に対しての罪悪感や背徳感があった訳でもない。

洋介の気持ちには愛蘭に対する別の想いがあった。
洋介は静かに目を瞑った。

買い物を終えた愛蘭を乗せた車は最後の目的地へと出発した。

そこは冬になると多くのスキーヤーが訪れるいくつものゲレンデがある山を更に上に登った場所にあるキャンプ場だった。

空が近く感じられる。
周りには民家や建物もない人里離れた森の中のキャンプ場で利用者は誰もいなかった。

山の中のキャンプ場で洋介は夜を迎える準備をすることにした。

洋介は森の中へ入って薪を集めた。

愛蘭はその様子をただ座って眺めていた。

そして時は悪戯に過ぎていった…

日は翳りあとは流星群を待つばかりであった。

洋介は火を起こし薪に火をつけた。

奇しくも出会った海と同じように最後の夜 二人は焚火を囲んでいた。

しかし、今の愛蘭の洋介を見る目は海で見せた憎悪に満ちたものではなく、悲しさで潤んだ目を洋介に向けていた。

依然空には雲がかかり星空を見ることは出来ない。

夜のしじまが二人を優しく包み込んでいった。

洋介は湧水地で汲んできた天然水を沸かし紅茶をいれ
無言で熱い紅茶を愛蘭に差し出した。

二人は焚火の炎を見つめたまま紅茶を口にした。

愛蘭は心憂い思いで洋介に目を向けた。
相変わらず洋介は遠い目をして炎を見つめていた。

愛蘭は口を開きかけたが言葉を飲んだ。
愛蘭は怖かった…
今 洋介に語りかけたらこの場ですべてが終わってしまう気がした…

風が出てきた。
木々がサワサワと音を出して揺れている。

洋介は車から毛布を取り出してきて優しく愛蘭の肩にかけた。

愛蘭は海でタオルをかけてくれた洋介を思い出した。

あの時と同じ…

洋介の優しさは何も変わらなかった。

しかし洋介は何かを思いつめたように寡黙であった。

洋介さん…
どうして何も言ってくれないの…
洋介の沈痛な面持ちに愛蘭は目を伏せた。

こんなに近くにいるのに…
ここにいる洋介はとても遠くにいるようだった。

焚火の中で燃える枝が転げ落ちた。


愛蘭の訴えかけるような目が洋介には辛かった。

洋介の思いは一つだった。

愛蘭の本当の幸せを願うこと…

これだけだった。
しかもこの瞬間のことではない…
これから先の愛蘭の幸せを…

洋介にも愛蘭の自分に対する想いは痛いほど伝わっていた。

しかし洋介は将来のある愛蘭を自分などが引き留めることなどあってはならないと思っていた。

悲しい目をして炎を見つめる愛蘭をチラッと洋介は見た。
心の中で洋介は愛蘭に語った。

愛蘭 …今の俺は職すらない
しがない中年のヤモメ男なんだよ…
しかも歳だって違うしどう考えたって釣り合いが取れる訳ないじゃないか…

君には眩しいくらいの将来が待っている。
どうかわかってほしい…
俺は君には幸せになってほしいんだ…



だけど…今 君に俺の気持ちを伝えてもきっと君は
そんなことないって
頑なに認めようとはしないんだろうな…

だから…言えない…
俺の気持ちは君に伝えることはできないんだよ…

そして洋介は湧き上がるもう一つの自分の気持ちに蓋をした。

俺さえ耐えれば…
洋介は胸が締め付けられる思いを必死に堪え固く目をつむった。 

二人の想いは悲しくすれ違った…

パチパチと風に煽られて勢いよく枝が燃えていた。

洋介は燃えさかる炎を静かに見つめていた。

急に今まで封印していた記憶が呼び起こされた。
理由はわからない。
洋介が望んだことでもなかった。

それは美紗子との最期の別れの時…

ご主人直ぐ病院に来てください。
仕事中の洋介は病院からの電話に呼び出された。

奥さんの容態が急変しました。
入り口で看護師に告げられ洋介は集中治療室まで走った。

集中治療室の中で美紗子は酸素マスクを付け息を白く苦しそうに呼吸をしていた。

このとき美紗子はげっそりと肉が落ち頰は削げ眼の周りはくぼんでいた。

洋介が息を切らして着いた時医師から首を横に振られた。

そんな…

洋介は美紗子のベッドの横に行って美紗子の名前を呼んだ。

美紗子!美紗子!

美紗子はかろうじて薄く目を開けるともう見えなくなった目で洋介を探した。

美紗子、俺だわかるか?

ゆっくりと上げられた美紗子の右手が宙を彷徨った。

洋介はしっかり美紗子の手を両手で掴んだ。

ハア…ハア…
美紗子の息が荒くなった。

美紗子、しっかりしろ…
洋介は涙を浮かべて声をかけた。

美紗子の口がパクパク動いていることに洋介は気づいた。

何だ美紗子?
何を言いたいんだ?
洋介は美紗子の口元に耳を傾けた。

美紗子は最期の力でか細い声を出した。


あなた…  愛してる…


洋介は美紗子の顔を見た。
一瞬微笑んだように洋介には見えた。

その瞬間、無情にも心電図のモニターの画面が変化し音が平らな信号音に変わった。

洋介に預けた美紗子の手の力ががくんと落ちた。

医師は蘇生を試みようとベッドに近寄った。

もういいんです
止めてください…

洋介は震える声でやっと声を出した。

それでも看護師が器具を持って近寄ってきたとき

止めてください!
洋介は怒鳴った


家に帰ろう…


洋介は涙を流しながら美紗子の頰を撫でた…

美紗子は穏やかな顔で二度と目覚めることのない永遠の眠りについた…


強い風が炎と周りの木々の葉を揺らした。

洋介は瞳に溜まってる涙が溢れないように上を向いた。

空が…

洋介は思わず呟いた。

愛蘭もつられて空を見上げた。

なに…これ…

雲が流れて夜空は晴れていた。

瑠璃色の夜空を幾千幾万の星々が
眩ゆいばかりの光芒を放ち光り輝いていた。

それは宇宙創世のままの姿をまざまざと見せつけているようだった。

ミルキーウェイ と呼ばれる天の川が白いインクをこぼしたかのように無数の星々の集団を形成していた。

二人はまるで自分たちが天の川銀河の中心ににいるような錯覚に陥った。

そして…

流星群という名の煌めく光芒の矢が地上めがけて降り注いだ。

それはまるで宙が二人の悲しい別れに涙を流しているようだった。


洋介と愛蘭は無言のまま宙を見続けた…

二人にとって最後の夜が終わろうとしていた…



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