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恋人編
第7話「今は昔の集積地点」②
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――思想。それは、人間を人間たらしめる、最大の特徴と言える。
人間社会にとって、思想とは何よりも不可欠な存在である。人々は思想を基に生き方を決め、時にそれを拠り所にする。
多くの人は、思想と言う物をなんとなく獲得している。いや、と言うよりも、そんな大層なことは考えていなくて、ただ周りと合わせていたら、自然と常識として思想を身に着けてしまっているのだ。
一方で、生粋の変人と言うのは、社会に適応するためのこの過程を踏めていなかったりする。そして、僕もまた、その生粋の変人と言う枠に入ってしまった人間だった。
『ねぇ、お母さん』
小さい頃の――小学一年生か、二年生くらいの僕は、ある時母親に尋ねた。
『どうして、人は生きるのだろう?』
小さい子供から、こんな問い掛けが飛んで来るなんて、今にして思うと、異常も甚だしい。だけれど、僕は当時、真剣にこうしたことを悩んでいた。
『どうして努力は大切なの?』
『僕はお父さんとお母さん、どっちに似ているの?』
『どうして僕には自分と言うモノが無いの?』
大人でも思わず答えに窮するような問い掛けだったと思う。今の僕が、当時の僕にその答えを示せるかと言えば、まったく持って自信が無い。
だからだろうか。お父さんとお母さんは、そんな僕にそれぞれ違った答え方をした。
お母さんは怒り狂って、『そんな変なことを聞くんじゃない!』と僕を怒鳴りつけた。お父さんは、『そうか、そうか』と言いながらも、やがて横になったまま寝息を立て始め、遂にはいびきをかき始めた。
いずれにせよ、僕は自分の思想と言うモノが、どれだけ他人にとって不快な物なのかを理解した。
小学一年生から成長していくに連れて、その気持ちはますます強くなって行った。体が大きくなった僕は、自分の中にある禍々とした考えを、次第に、その身の内にしまい込むようになった。
だけれど、人間と言うのは、言いたいことや思ったことをしまい続けると、どこかで頭が狂ってしまう。そんな僕が、物語と言うモノに手を付け始めるのは、時間の問題だったのだろう。
誰にも言えない考えを。誰にも言えない答えを。僕は、物語にして詰め込んだ。
誰にも話を聞いて貰えなかった僕には、それくらいしか発散をする方法が無かったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
『おい、クソガリ』
大学2年生の頃。夏に帰省していた僕は、突然兄貴に話しかけられた。
なに、と話を聞くと、兄貴は酷く怒った様子で、『洗濯物の仕分けがちゃんとしていなかった』と僕に伝えた。
曰く、父親と自分のシャツが混ざっていたと。兄貴はそんなことを説明しながら、僕のことを、『カス』だの『ゴミ』だの、『この程度のこともできないのか、この低脳が』と罵倒してきた。僕は自分が手伝いを上手くやれなかったことに罪悪感を覚えつつも、兄の言葉に腹を立て、その日はかなりの大喧嘩になった。
僕にとって、兄に罵られることは、日常だった。そもそも、『ガリ』と言う呼称も、当然ながら、僕をバカにするために作ったあだ名だった。
僕の兄貴は、おおよそ僕を褒めたことがない。口を開けばからかい、罵倒し、ありとあらゆる言葉が、僕の人格や人生と言うものを否定していた。
そして何よりもだが。そんな兄は、僕にとって、間違いなく、目上の存在であった。
何も、年上だとか、兄弟だからだとか、そう言うことではない。兄は僕よりも遥かに優秀で、努力家で、勉強の成績もよく、運動神経も高い、まさしく手の届かない存在だったのだ。
どんな物でも要領良くこなし、物覚えも早かった。そんな兄に対して、僕は自然と劣等感を抱いていた。
自分はバカだ。自分はカスで、ゴミで、何も出来ない。生きていても仕方のない人間だ。兄の罵倒は、自然と、僕にそのようなアイデンティティを植え付けて行った。
人生で始めて絶望したのは、おそらく、小学三年生の頃だったと思う。友達も上手く作れず、運動も上手くいかず。そんな僕は、どうしようもない無能感のようなものを抱いていて、自分の将来や人生と言う物に悲嘆していた。
だけど、死ぬのは怖かった。怖かったけど、生きることは果てしなく辛かった。幼い頃は天国や地獄と言う話も信じていて、だから、やっぱり死ぬのが怖かった。
何もかもが怖くて、どうしようもないほどに辛くて、僕はどう生きれば良いのかも、どう自信を付ければ良いのかもわからず、ねっとりとした暗さが体に張り付いていた。
辛い。嫌だ。死にたい。死にたくない。どうすればいいのか教えて欲しい。僕は将来どんな大人になるんだ。
言語化できない痛みを叫びたかったが、僕にはその相手がいなかった。母親に伝えれば、またヒステリックに怒られるのが目に見えていたし。かと言って父親は、僕の話を聞いてくれない。暴力と罵倒を繰り出す兄は論外だった。
そうして、どうしようもない苦しみが、どうしようもなく胸から溢れた頃に。僕は、部屋のドアノブで、首を吊って死のうと思った。
今にして思えば、アレは本当に死にたかったわけじゃなくて、そう言うアピールだったのだと思う。誰かに、自分の苦しみをわかって欲しくて、だからこそ、『ドアノブでの首吊り』を選んだのだ。
ドアノブでの首吊りは、正確に言えば『首吊り』ではない。尻が床に着いているし、苦しくなったらいつだってやめられる。これで死ねる人間は、極一部しかいないだろう。
結局、その程度の覚悟だったのだ。僕は死にたいなんて思っていなくて、今でもあの頃の記憶を思い出すと、自分のメンヘラさに頭が痛くなる。
それからも、僕は結局、なぁなぁと生き続けた。友達が出来なくて、孤独で、寂しくて、嫌で嫌で仕方がなかったけど、死ぬのはとにかく怖かった。
けれど、生きた先で、僕は友人を得た。そうして自尊心を獲得して、僕はようやく、まともな人間としての人生を歩み始めたのだ。
――それでも。僕は、ふと、不安に思うことがある。
この根暗さを。この、メンヘラな性質を知られたら、みんなはどんな顔をするのだろう。
僕の醜さを、僕の闇を、みんなが知ってしまったら――僕は、今の自分の立場を、守ることができるだろうか。
――ああ、誰か。誰でもいい。僕を、僕のことを見てくれ。
この醜い闇を。痛々しくて、気持ちの悪い、僕のこの深い内面を。誰か、理解してくれ。
たすけてくれ。誰か。僕の話を、聞いてくれ。
◇ ◇ ◇ ◇
マク○ナルドの隅の席で。私は、最近詩子とよくつるんでいるらしい、2人の女子から話しかけられていた。
「――でさ。とにかく、アイツ最近元気ないんだって」
「私が別れろなんて言ったからかな……。と、とにかく、河野くんと別れてから、アイツ、もう本当に腑抜けちゃって。私のせいっぽいし、心配だから……。……アンタなら、きっと、なんとかできるでしょ?」
2人の女子は、矢継ぎ早に私に言う。私は一度、隣に座る友人の心春に目を向けると、大きく息を吸い、深く、深くそれを吐いて、目の前の2人を睨みつけた。
「……詳しく、話を聞かせて」
親友の――詩子の恋愛事情を、捨て置く訳にはいかなかった。
そして、私こと天音由希は、詩子と真白の関係に何があったのかを2人から聞いた。
人間社会にとって、思想とは何よりも不可欠な存在である。人々は思想を基に生き方を決め、時にそれを拠り所にする。
多くの人は、思想と言う物をなんとなく獲得している。いや、と言うよりも、そんな大層なことは考えていなくて、ただ周りと合わせていたら、自然と常識として思想を身に着けてしまっているのだ。
一方で、生粋の変人と言うのは、社会に適応するためのこの過程を踏めていなかったりする。そして、僕もまた、その生粋の変人と言う枠に入ってしまった人間だった。
『ねぇ、お母さん』
小さい頃の――小学一年生か、二年生くらいの僕は、ある時母親に尋ねた。
『どうして、人は生きるのだろう?』
小さい子供から、こんな問い掛けが飛んで来るなんて、今にして思うと、異常も甚だしい。だけれど、僕は当時、真剣にこうしたことを悩んでいた。
『どうして努力は大切なの?』
『僕はお父さんとお母さん、どっちに似ているの?』
『どうして僕には自分と言うモノが無いの?』
大人でも思わず答えに窮するような問い掛けだったと思う。今の僕が、当時の僕にその答えを示せるかと言えば、まったく持って自信が無い。
だからだろうか。お父さんとお母さんは、そんな僕にそれぞれ違った答え方をした。
お母さんは怒り狂って、『そんな変なことを聞くんじゃない!』と僕を怒鳴りつけた。お父さんは、『そうか、そうか』と言いながらも、やがて横になったまま寝息を立て始め、遂にはいびきをかき始めた。
いずれにせよ、僕は自分の思想と言うモノが、どれだけ他人にとって不快な物なのかを理解した。
小学一年生から成長していくに連れて、その気持ちはますます強くなって行った。体が大きくなった僕は、自分の中にある禍々とした考えを、次第に、その身の内にしまい込むようになった。
だけれど、人間と言うのは、言いたいことや思ったことをしまい続けると、どこかで頭が狂ってしまう。そんな僕が、物語と言うモノに手を付け始めるのは、時間の問題だったのだろう。
誰にも言えない考えを。誰にも言えない答えを。僕は、物語にして詰め込んだ。
誰にも話を聞いて貰えなかった僕には、それくらいしか発散をする方法が無かったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
『おい、クソガリ』
大学2年生の頃。夏に帰省していた僕は、突然兄貴に話しかけられた。
なに、と話を聞くと、兄貴は酷く怒った様子で、『洗濯物の仕分けがちゃんとしていなかった』と僕に伝えた。
曰く、父親と自分のシャツが混ざっていたと。兄貴はそんなことを説明しながら、僕のことを、『カス』だの『ゴミ』だの、『この程度のこともできないのか、この低脳が』と罵倒してきた。僕は自分が手伝いを上手くやれなかったことに罪悪感を覚えつつも、兄の言葉に腹を立て、その日はかなりの大喧嘩になった。
僕にとって、兄に罵られることは、日常だった。そもそも、『ガリ』と言う呼称も、当然ながら、僕をバカにするために作ったあだ名だった。
僕の兄貴は、おおよそ僕を褒めたことがない。口を開けばからかい、罵倒し、ありとあらゆる言葉が、僕の人格や人生と言うものを否定していた。
そして何よりもだが。そんな兄は、僕にとって、間違いなく、目上の存在であった。
何も、年上だとか、兄弟だからだとか、そう言うことではない。兄は僕よりも遥かに優秀で、努力家で、勉強の成績もよく、運動神経も高い、まさしく手の届かない存在だったのだ。
どんな物でも要領良くこなし、物覚えも早かった。そんな兄に対して、僕は自然と劣等感を抱いていた。
自分はバカだ。自分はカスで、ゴミで、何も出来ない。生きていても仕方のない人間だ。兄の罵倒は、自然と、僕にそのようなアイデンティティを植え付けて行った。
人生で始めて絶望したのは、おそらく、小学三年生の頃だったと思う。友達も上手く作れず、運動も上手くいかず。そんな僕は、どうしようもない無能感のようなものを抱いていて、自分の将来や人生と言う物に悲嘆していた。
だけど、死ぬのは怖かった。怖かったけど、生きることは果てしなく辛かった。幼い頃は天国や地獄と言う話も信じていて、だから、やっぱり死ぬのが怖かった。
何もかもが怖くて、どうしようもないほどに辛くて、僕はどう生きれば良いのかも、どう自信を付ければ良いのかもわからず、ねっとりとした暗さが体に張り付いていた。
辛い。嫌だ。死にたい。死にたくない。どうすればいいのか教えて欲しい。僕は将来どんな大人になるんだ。
言語化できない痛みを叫びたかったが、僕にはその相手がいなかった。母親に伝えれば、またヒステリックに怒られるのが目に見えていたし。かと言って父親は、僕の話を聞いてくれない。暴力と罵倒を繰り出す兄は論外だった。
そうして、どうしようもない苦しみが、どうしようもなく胸から溢れた頃に。僕は、部屋のドアノブで、首を吊って死のうと思った。
今にして思えば、アレは本当に死にたかったわけじゃなくて、そう言うアピールだったのだと思う。誰かに、自分の苦しみをわかって欲しくて、だからこそ、『ドアノブでの首吊り』を選んだのだ。
ドアノブでの首吊りは、正確に言えば『首吊り』ではない。尻が床に着いているし、苦しくなったらいつだってやめられる。これで死ねる人間は、極一部しかいないだろう。
結局、その程度の覚悟だったのだ。僕は死にたいなんて思っていなくて、今でもあの頃の記憶を思い出すと、自分のメンヘラさに頭が痛くなる。
それからも、僕は結局、なぁなぁと生き続けた。友達が出来なくて、孤独で、寂しくて、嫌で嫌で仕方がなかったけど、死ぬのはとにかく怖かった。
けれど、生きた先で、僕は友人を得た。そうして自尊心を獲得して、僕はようやく、まともな人間としての人生を歩み始めたのだ。
――それでも。僕は、ふと、不安に思うことがある。
この根暗さを。この、メンヘラな性質を知られたら、みんなはどんな顔をするのだろう。
僕の醜さを、僕の闇を、みんなが知ってしまったら――僕は、今の自分の立場を、守ることができるだろうか。
――ああ、誰か。誰でもいい。僕を、僕のことを見てくれ。
この醜い闇を。痛々しくて、気持ちの悪い、僕のこの深い内面を。誰か、理解してくれ。
たすけてくれ。誰か。僕の話を、聞いてくれ。
◇ ◇ ◇ ◇
マク○ナルドの隅の席で。私は、最近詩子とよくつるんでいるらしい、2人の女子から話しかけられていた。
「――でさ。とにかく、アイツ最近元気ないんだって」
「私が別れろなんて言ったからかな……。と、とにかく、河野くんと別れてから、アイツ、もう本当に腑抜けちゃって。私のせいっぽいし、心配だから……。……アンタなら、きっと、なんとかできるでしょ?」
2人の女子は、矢継ぎ早に私に言う。私は一度、隣に座る友人の心春に目を向けると、大きく息を吸い、深く、深くそれを吐いて、目の前の2人を睨みつけた。
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