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友情編

第9話「陽キャとか陰キャとかいちいち言う奴が一番そういうのを気にしているし、男とか女とかいちいち言う奴が一番男女を分けてる」②

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 天音さんの歌った結果がモニターに表示される。平均点よりちょっと高いくらいの点数を見て、僕は『この中でも一番音痴なのは僕か』なんてことを思っていた。

 とりあえずでいいから平均点は超えられるようにしたい(というかいつも思うのだが、カラオケの平均点って妙に高いよな)。そんなことを思いながら、持ってきていたウォークマンをいじり、次に歌おうと思っていた曲のタイトルを表示させ、それを端末へと入力していく。

 姫川は今トイレに行っているのだから、まあ、僕が歌っちゃって構わないだろう。そんなことを思っていると、突如、「ねえ」と天音さんが話しかけてきた。


「……ん? どうかした?」

「いや、ちょうどいいからさ。ちょっと、話したいことがあってさ」


 天音さんはそう言うとソファに腰を落として、僕の方を向いた。僕は入力の手を止めて、首を傾げながら天音さんの顔を見た。


「……話って、なに?」

「いや。私がアンタと遊びに来たのも、正直、これが理由でさ」

「えっと、ごめん。率直に言って?」

「……アンタさ、姫川のことどう思ってるの?」


 僕は天音さんにそう尋ねられて、視線を天井の方へと向けた。

 ……まあ、うん。気になるよな。僕は彼女の当然とも言える疑問に頷いた。

 SNSでは度々話題になるこの言葉――『果たして、男女の友情は成立するのか』。それに関する問いかけと言っても良いだろう。

 個人的な意見としては「する」なのだが、まあ、そこは今の話に関係がない。とどのつまり、天音さんは、僕が姫川に対して恋心を持っているのかと聞いているのだろう。

 これに関する答えは、至極簡単だ。僕は姫川に対して、恋心と呼べる代物は持ってはいない。僕は視線を彼女の方へと戻すと、その旨を伝えた。


「別に、姫川は友達だよ?」

「んー、んー、それはあの子も言ってた。いやそうじゃなくてさ、こう……女として、その、」

「まあそりゃあ女の子なんだから女の子って思ってるよ。でも君が思っているような感じ方ではないよ?」


 僕は若干言葉に詰まりそうになりながらも、天音さんの疑問に答えていった。天音さんは「ええ……」と少し言いながら、眉間にしわを寄せて僕の方を見つめ、明らかに疑わしいと思っている感じで更に尋ねてきた。


「いやでも、アンタ男じゃん」

「いやまあ、男だけど」

「だって、こんなこと言うとアレだけど、あの子そこそこかわいいよ? 男が女の子のことそういう風に見てないって、ありえないでしょ。……あ、もしかして、そういう趣味?」

「生憎僕は普通に異性愛者だ。あと、うん、そうだな。じゃあ、正直に言わせてもらってもいい?」

「え、うん」

「引かない?」

「……うん」

「じゃあ敢えて言うけど、ぶっちゃけ、姫川のことを“そういう目”で見てないかと言えば、ウソになる」


 僕は少しの気まずさを覚えながら、天音さんに対して後ろめたい感じでそういった。天音さんは少し僕を訝しむ様子で、「あー、やっぱりか」と返した。


「……やっぱ、男と女の友情って成立しないんだな」

「そこは意見が分かれる所だが……いやまあ、けど、これだけは言わせて欲しい。男は大概、目の前に女性が――それもかわいい、というか、見た目の良い女性がいたら多少なりともそういう風に思うよ。これは、その、アレだ。生物としての限界だ」

「種の保存とかいう奴?」

「うん、まあ、そんな感じ。種の保存というか遺伝子の保存だけど……って、まあそこはいい。とにかく、雄である以上性欲はあるし、となると当然、そういう気持ちを女性に対しては抱く。いやまあ例外はいくらでもいるけど、ここでは面倒臭いから割愛させてくれ」

「まあ、うん」

「だからまあ、とにかく、僕が姫川をそういう目で見てないかで言えば見ているよ」

「へえ。……私は?」

「……敢えて言わせてもらうけど、気持ちが無いかと言えば、あるよ。君は姫川より……じゃなくて、姫川くらいに美人だし」

「今失礼なこと言いかけたな」

「ごめん。……姫川には言わないでくれ」

「まあ言わないけどさ。けど、ねえ。私にもそういうの思うって、案外見境ないんだね」

「そう言われると返答に困る。男としては基本的にそうだろって言いたくなるが、別に僕がこの世の男全員にアンケートした結果を答えているわけじゃないから、そこまでくるとなんとも言えないし――。
 ……何の話だ一体コレ。とにかく、それでも、僕が思っている気持ちは恋心じゃないよ。どちらかと言うと――いや、よしとこう」

「性欲に近いってこと?」

「君意外とそういうこと言うんだな。あー、まあ、その理解であってる。……なんかごめん。嫌な気持ちになってない?」

「私から聞いて私から答えさせているんだし、別に気にしなくていいよ。これでセクハラって騒ぐ女子とかキモイでしょ」

「……まあ、そこは置いておこう。だからまあ、僕と姫川は友達っていう間柄だし、別に僕は姫川のことを好きだとは思ってないよ。コレは明らかに、好きって感じとは違う。うまくは言えないけど、性欲と恋心、もとい好意は確かに男にとって似た感情で、勘違いをすることも多々ある――って言われてるけど、なにかそこに境界線があると思うんだよ」

「それでアンタの気持ちは、その境界線を越えてないってこと?」

「……うん」


 僕は天音さんに淡々と詰められていき、少しずつ気持ちが落ち着かなくなっていた。

 なぜこんな圧迫面接のような気分になっているのだろうか。そういえば、大学1年生の頃に初めて受けたバイトの面接では若干こんな雰囲気があった気がする(落ちて良かったと今でも思っている)。僕はゆっくりと天音さんの方へと目を向けて、彼女の反応を伺った。

 僕はそして、彼女の目に少し驚いてしまった。さながら戦記物の軍師かとでも言わんばかりに目の奥を読むことができず、それでいて、僕の意思だけはしっかりと読み込んでいるような雰囲気が確かにあったからだ。


「……アンタって昔、好きな人いた?」

「なっ……!」


 僕は王手でも打ったかのような気迫を見せた彼女に思わず狼狽えてしまった。


「と、突然人のそういうのを聞くな。……いや、まあ、その、えっと、いたかどうかで言えば……いや、そりゃあ、僕だって20だし、いたよ。恋の1つくらい、あったよ」

「うわ、わっかりやす。ははあ、なるほどね。……じゃあ聞きたいんだけど、仮に今、詩子から好きって言われたら、アンタ一体どうするの?」


 ――? 僕は天音さんの問いかけの意味がよくわからなかった。

 なんでそんなことを聞くんだ? そもそも彼女は、なぜ僕なんかと一緒に過ごしたいなんて願ったんだ?

 少なくとも僕は、彼女に好意を持たれるような覚えもないし、かと言って、話している感じ、悪意で出会っているというわけでもない。彼女は僕と話したかったと言っているが、僕と話して彼女になにか、明確なうまみと言うのがあるのだろうか。


「……姫川に告られたら、か。……。
 ……断るだろうね、実際。それはいくらなんでも、不誠実に思える」


 僕は天音さんの目を見つめながら、自分の気持ちをハッキリと伝えた。

 天音さんはさほど意外と思うわけでもなさそうに、「へぇ、男子なのにね」と言った。それはある種の彼女の男性観の露呈であり、そして、僕への評価でもあるように思えた。


「けど、いいの? もしそんなことあったら、下手したらアンタだと一生付き合えないんじゃない?」

「僕は軽い気持ちで恋愛をするくらいなら一生独りでも良いと考える性質たちの人間だ」

「まあ、だろうなって思うわ。アンタからも詩子と同じ匂いがするもん」

「……どういうことだ?」

「恋愛なんか別にしなくていいって、マジで思ってる奴。……そーいや、漫研の連中はそんな奴ばっかだな。付き合ってる部長でさえ恋愛は二の次みたいな所あるし。いや彼女さん大切にしてるみたいだけどさ」


 ……まあ、偏見だが、オタクは大半恋愛より推し活なイメージがあるが。僕はしかし、彼女の言いたいことがなんとなくわかった気がした。

 恋愛とは麻薬だ。恋の高揚感はそこいらの娯楽よりもよほど楽しい物であり、人によってはこれに依存してしまうこともある。
 多くの人がなぜ恋に憧れ、そしてしたいと考えるのか。それは恋愛という行為そのものを楽しみたいという側面が強く、大切な誰かが欲しいだとか、愛を育みたいという認識とは些か違っている。

 それは陰陽変わらず普遍的(とは言うが、常に例外はいくらでもいるのだが)なのだが、所謂陽キャと陰キャには決定的に違う点がある。それは、陽キャは人付き合いを好むのだが、陰キャは人付き合いを避ける傾向がある、という点だ。

 まあ、陽キャ、陰キャという分け方は実のところ少し正確じゃない。正しく言えば「外向的、内向的」とした方が良いだろう。

 とにかく、陰キャ……つまり内向的な性格傾向が強い人間は、あまりに感受性が豊か過ぎる故に、人付き合いに喜びや楽しさではなく疲弊感を見出してしまう。見た感じ陽キャ側にいる天音さんが、陰キャのそうした無意識の価値観に疑問を抱くのも無理はない(それも傾向でしかないが)。

 そも、人付き合いを煩わしいと思う輩が、積極的に恋をしようなんて思うわけがないのだ。それは決して恋人が欲しくないという意味ではなく、恋愛をしたくないという意味でもない。だが、どこかそれが二の次、三の次になっているのだ。矛盾しているようだが、これにはどうしても感覚的な側面があり、理解できない人には一生理解できない。


「まあけど、ならよかったよ。やっぱり今日来て正解だったわ」

「……ふむ」


 よかった、か。彼女はそんなに、僕という人間が自分の友人と付き合うのが嫌だったのだろうか。

 まあ、なんとなくわかる。僕がどういう立場の人間かを考えれば、彼女の考えも頷ける。

 ……だけど僕は、自分の中に奇妙な違和感を覚えた。天音さんは少なくとも、そんなことで知らない男と会って話そう……とは思わなそうだったからだ(単純に失礼だろうし)。

 それに、よかったと言った時の彼女は、心底ホッとしているようにも見えた。それがなぜか、僕にはひどく奇妙なことに思えた。

 と。ガチャりと扉が開いて、姫川がスマホを持って現れた。どういうわけか彼女は口元をへの字に曲げて、何か悩ましく思うことが起きたのがうかがい知れた。


「……姫川、どうかしたのか?」

「えっ!? あ、いや、その……」


 僕は姫川の目を見つめる。なんとなくだが、迷いというか――恐怖心のようなものがある気がする。僕はそれを察するとひとまず彼女から目を逸らし、「まあ、無理に話す必要はないよ」と声をかけた。

 すると姫川は、一度大きくため息をついたかと思えば、「いや、いいよ。ちょっと、二人にも話すから」と天音さんの隣に座った。


「実はさ、さっき部長から連絡がきて……」


 部長――となると、漫研部のか。僕が「ふむ」と言うと、姫川の隣の天音さんが彼女に尋ねた。


「部長からなんて連絡きたの? まさか、来いって?」

「いや、部長は『あんなこと言われた後だし、しばらくは来なくてもいいよ』って言ってくれたんだけど――ちょっと、どうしても悩んじゃって」

「……来なくていいのに?」

「いや、来なくてもいいのはわかってるけどさ。けど、いずれは行かなきゃならないじゃん。そうなると、また私と河野のこと、聞かれるのかなって……。
 いやていうかホントさぁ、もう私、ぶっちゃけ漫研行きたくないのよ。あそこにいるとなんか息苦しいって言うか、こう、気持ち悪いぶりっ子にならなくっちゃいけないからさぁ、嫌なんだよ」


 ――? 僕は姫川の言葉に少し違和感を覚えた。

 あんなこと――という辺りが何かはわからないが、とにかく姫川にとって大変な何かという点は間違いないだろう。

 しかし、妙だ。それに対して『しばらくは来なくてもいい』と言える人間が、果たして、姫川にそんなことを求めるのだろうか。僕は黙したまま、しばらく会話の成り行きを見守っていた。


「あー、なるほどなあ。……うーん、ならもう行かなくていいんじゃ?」

「いやだって、申し訳ないじゃん。漫研って言ってもサークルだし、一応所属してはいるわけだし」

「詩子ってたまにクソマジメになるよな。別にいいんじゃね? 言うて、アンタもあんまし楽しんでなかったし」

「けどさ……」


 と、ふと姫川が、僕の方を見た。僕はなぜ彼女がこちらを見詰めてくるのかわからず、戸惑いを覚え首を傾げた。

 すると姫川は僕から目を逸らし、やがて肩を落として大きくため息をつくと、「河野」と僕を呼んだ。


「……なに?」

「いや、さ。……アンタがよかったらだけど、一回、その、えっと……。
 漫研にさ、ついてきてくれない?」


 天音さんが姫川の言葉に「えっ、マジ?」と虚を突かれたような声を出す。僕からしても予想外の提案だったので、僕は彼女の発言に「なんで?」と聞き返してしまった。


「いや、なんだろう。……その、漫研に居づらくなったのって、なんていうか、あそこでアンタとのことでちょっと色々あってね」

「あー。そう言えば、聞く限りではなんかそういうサークルって言うが……」

「だからさ、もう、この際、文句言われるの覚悟で言っちゃえばいいかってさ。いや、言うて友達ってだけでやましいことはなにもないんだけど、なんだろ。そういうの込みで、下手に隠してもって思ってさ」


 ようは、僕との関係の潔白さを証明したいということか。僕はしばらく考えてから、「まあ、別にいいよ」と受け答えた。

 天音さんが「いやいやいや、いくらなんでもそれはちょっと変だろ」と僕を止める。しかし僕は、「変でもまあ、問題のある行動ではないよ」と返した。

 ――それに、だ。


「それに、少し気になることもあるから」

「気になること……?」

「うーん……というか……うん。少し見てみたいって言うか。漫研」

「なんじゃそりゃ」


 天音さんが僕の応答に肩を落とす。僕は「とにかく、一緒についていくよ、姫川。君はそっちの方がいいんだろう?」と彼女にいい、姫川は「うん。由希も、お願い」と言いながら、天音さんの手を小さく握っていた(てぇてぇ)。

 その後話はまとまり、またしばらく歌を歌った後、僕たちはそれぞれの家へと帰った。
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