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恋人編

第4話「未熟者ほど喧嘩が絶えない」 ②

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 真白の家族がいなくなった後。私と真白は、部屋の中で、気まずい雰囲気で過ごしていた。

 会話がまったく無く、外を走る車の音と、互いの息遣いだけが部屋に響く。居心地の悪さはあったが、どうにも、心がささくれ立って、私は部屋から出る気になれなかった。

 頭の中では、先の真白のお兄さんが放った言葉の数々がこだましていた。接着剤の付けられたガムのように頭から離れなくて、私はそれにますますイライラが募ってしまった。


 ――ああ、クソ。モヤモヤが止まらない。なんなんだよ、あの男。


 と言うか。何よりも、一番最悪なのは、私の言いたい事を、何一つ言えなかったことだ。

 あの男の調子に乗せられて、つい言いたい言葉が全て頭から抜け落ちてしまった。本当は、真白の父親にも、母親にも、ちゃんと言っておきたかったことがあったのに。

 なんでこんなにもモヤモヤするのか。その理由は、明白だった。
 私は、ちゃんとアイツらとけじめを付けられなかったのだ。だけど、今更どうしようもなくて、心が徐々に死んでいくのを感じる。


「――ごめん、詩子」


 と、真白が突然に声を出した。この静寂な雰囲気を打ち壊してくれる声に、私はハッと顔を上げて、「いや、アンタが悪いわけじゃないし」と、ややぶっきらぼうな調子で返す。


「大体、なんなんだよアイツ。人の話も聞かねぇで、ガイジだのてんかんだの……! 言葉選びのモラルが終わってるんだよ! 何よりあの他人のこと見下して、自分が正しいって面してる所が死ぬほどムカつく! あそこまで会話が成り立たねぇ奴、始めてだわ、マジで……!」

「……兄貴は、なんと言うか……あんな感じなんだよ。人を怒らせる天才と言うか。ネットの世界でも一際クソを煮詰めたような人間しか言わない悪口を、平然と日常生活で使ってきやがるから」


 真白は肩を落として、大きくため息を吐いた。彼の様子からして、どうやら日常的にあんな感じらしい。

 なんと言うか、ああいう奴、マジでいるんだな。ツイ○ターのクソリプ位にしか存在しないと思っていたが。


「……アンタ、よくあんなのと一緒に生活できるね……」

「怒らせなければ、暴力も暴言も飛んでこないから。僕も部屋からあまり出ないし、関わることがないから、そこまで気にならないんだよ。まさか、詩子がいるのにああなるとは思わなかったけど」


 真白はまたため息を吐いてうつむいた。そりゃあ、あんなことが起きれば、何度もこうなるのは仕方がない。


「……僕が君を家族に会わせたくなかったのは、こう言うことだったんだ。どう考えても厄介事になるのが目に見えてたから……」

「……私のこと、『知らない』って言ったのもそう言うことだったのか。……うわぁ、なんて言うか……」


 本当に、言葉では表せない。あの家族は、あまりにも問題がありすぎだ。

 あの状況で何もしようとしないばかりか、私を利用してその場から逃げ出そうとした父親。旦那がアレだとは言え、人前で大声で叱り付けたり、すぐに感情が爆発するヒステリックな母親。

 そして何よりも、暴漢を絵に描いたような理不尽の塊である兄。

 真白の一家は、まさしく、機能不全家族と言わざるを得なかった。むしろ、どうしてこんな崩壊した家族の中で、コイツと言うまともな人間が育ったのか、果てしなく疑問に思う。


「……あ、詩子」


 と、私が色々と考えていると、真白が私に話しかけて来た。私は彼の方へと顔を向け、続きの言葉を聞く。


「その……ちょっと、言いたいことがあって」

「……なに?」

「詩子も、今日みたいなことは、もう、やめて欲しいんだ」


 今日みたいなこと……? 私は真白の言葉が思い当たらず、少し目線を上に向けて、一日の出来事を思い浮かべる。

 と、真白は私が思い至っていないことを察したらしく、「アポなしで来たこと」と、少し肩を落としながら言った。


「あ、ああ……。……それは、ごめん」

「うん。突然来られると、今日みたいなことになりかねないから。……今度から、気を付けて欲しい」


 真白は私から目を逸らしながら、少しキツイ口調で言った。

 ――そりゃ、そうだよな。私は真白の言葉に頷いた。

 そもそも、この出来事だって、私が軽率にコイツの家に来なければ起きなかった話だ。いつかは出会うこともあっただろうが、出会い方が違えば、この結果にはならなかっただろう。

 恋人だし、半年も付き合っているんだし、まあいいか、と、少しラインを測り違えてしまった。私は自分の行いを恥じて、もう一度、「ごめんね、本当に」と謝罪した。

 真白はただ一言、「うん。わかってくれれば、大丈夫」と優しく言ってくれた。私は少しだけ、彼の態度に心が落ち着くのを感じた。


「……やっぱり、詩子は凄いよね」

「え?」

「今みたいな時にさ。ちゃんと反省して、ちゃんと謝れるのって、意識していないと思うけど、本当は凄いことなんだよ。……僕の家族は、誰も出来ない」


 私は真白の言葉で、「あっ、」と声を漏らした。

 なんとなくその言葉で、私は彼の家庭環境を想像できてしまって、また目を逸らす。気まずい雰囲気がどんよりと流れて、また部屋に居づらくなってしまう。


「……ごめん、詩子。今日はもう、帰った方がいいと思う」

「……うん。そうする。……ごめんね、迷惑かけて」

「それは、こっちの台詞だよ。……遊びに来てくれたのに、本当にごめんね」

「いやいや。アンタのせいじゃないから。……そんじゃあ、また明日」


 私はそう呟きながら、ゆっくりと立ち上がる。真白は「うん。また明日」と私に返す。

 真白は、見送りには来なかった。こんな雰囲気なのだから仕方がないと、私も何も思わず、そのまま玄関から出ていく。

 がらんと、私と真白の間の扉が、重々しく閉まった。


◇ ◇ ◇ ◇


 ――夜。詩子が帰ってから、僕は特にやることもなく、部屋の中で呆然としていた。

 動画も、アニメも、漫画も、小説も、なにもする気が起きなかった。食事を取ろうと言う気も起きず、お腹がすいてぐるぐると音が鳴る中でも、僕は机の前に座り込んで、何の気無しにTwit○erをいじる。

 と、そんなことをしていると。突然スマホのアラームが鳴り響き、何者かから電話がかかって来た。

 画面に表示された名前は、『母親』だった。僕はため息を吐いてから、応答ボタンを押して、母親からの電話に出る。


『真白? 今日、どうだった?』


 母さんは不安げな色の声で、僕にそう言ってきた。僕は重々しく、「別に、どうもしないよ」と返事をする。


『今日はごめんね、うるさくしちゃって。あの後、お兄ちゃんにも言っておいたから』

「別に、もういいよ。……それで、どうしたの?」

『あ……いや、どうも。ちょっと、心配だったから』


 僕は母さんからの言葉でため息を吐いた。

 理不尽なため息にも思えるかもしれない。だけど、僕は母さんに、「用がない時は電話をしないで欲しい」と以前に伝えていた。

 理由は単純で、母さんからの電話は、とにかく長くなりがちなのだ。どれだけ短くても10分、長ければ2時間も電話で拘束されてしまう。

 大学に入って一年目の頃は、それが毎日かかって来た。だから「いい加減にしろ」と、必要な時以外は電話を掛けないよう言いつけたのだ。
 もっとも、今日の電話は、まあ、理解できるけど。僕は電話の向こうに、「それじゃあ、切るね?」とぶっきらぼうに伝える。

 と、


『待って。話したいことがあるの』


 母親は、そう言って僕を呼び止めた。僕は「なに?」と、面倒臭いなと言う雰囲気を醸しながら聞き返す。


『今日会った、あの子のことだけど』


 ああ、やっぱりか。僕は殊更面倒臭いことになるぞと内心で呟いて、「詩子のこと?」と話しを促す。


『そうそう。……真白。悪いことは言わないから、あの子はやめておきなさい』


 僕は母親の言葉を聞いて、思わず「はぁ?」と答えてしまった。

 またか。またこの流れか。僕はため息を吐いてから、自分の母親にうんざりと言い返す。


「あのさ。なんでそんなこと言うの? 僕が誰と付き合うかなんて、僕の勝手だと思うけど」

『だって、あの子、明らかにおかしいじゃない。あの、なんか……ピンクにゴテゴテした服? とか。ちゃんとした人はあんな服着ないわよ』

「僕もその辺は確かに変だと思うけど、それ以上は何も思っていないよ。アイツの趣味なんだから、好きにさせればいいじゃないか」

『いくらなんでも趣味が悪いわよ。私、ああいう服着ている人見たことあるけど、大体変な人だったよ? もう本当、社会の常識が欠片も無いような。自分勝手だし、でも文句言われるとすぐに泣きじゃくるし』

「確かに大方あの格好の人ってそんな感じらしいけど、詩子は違うよ。アイツはちゃんと、真っ当な常識や感性を持ってるよ」

『いや。どう考えても変よ。だって、普通彼氏の親に説教しようなんて思う?』


 僕は母親がかなり不機嫌なのを察して、思わず舌打ちをしてしまった。途端に母さんは、『なに、今の舌打ち?』と突っかかって来て、僕は「別に」と言い返す。


『あ、そう。大体ね、あんな20かそこらの若造が、人の親に盾突こうって言うのがおかしいじゃない。普通義理の親には敬意を示すものでしょ?』

「あのさぁ、母さん。ウチはそう言われても仕方ないことをしたでしょ? だから、言われてもしょうがないよ」

『は? なに? 私が間違ってるの?』


 またこれだ。僕は母親の言い分にまた舌打ちをして、ハッキリと、「うん。今回は、こっちが悪い」と言い切った。


『ああ、そう。はいはい、ごめんなさい。でもね、それでもやっぱり、言い方って言う物があるでしょう?』

「いや、母さん。ごめんなさい、じゃなくてさ」

『なに? ごめんなさいじゃなくてなんなの?』

「いやだから。それこそ、言い方だって。思ってないでしょ、絶対。ごめんって」

『思ってるわよちゃんと。私はその上で、あの態度はなんなの、って言っているんであって」


 僕は母親の言い分にまたため息を吐いた。

 本当に、いつもいつも、すぐこれだ。父さんが話を逸らすとすぐにツッコミを入れる癖に、やっていることは自分も変わりない。

 謝ったのだからそれでいいだろう、と、不良の中学生と同じ感性でいる。だから反省もしないし、改善しようとも思っていない。そしてまた同じことを繰り返す。

 こうなった時のパターンは、大体同じだ。そんなことは、わかっているけど。


「母さん、あのね。詩子は真っ当な事を言っていたよ。アレは全部兄貴が悪いでしょ」

『お兄ちゃんが悪いのはそうだけど。でも、私にまで突っかかろうとしてたじゃない、あの子。あの状況で、なんでそんなことしようって思うの?』

「いやだから。詩子だって思うことがあったんだよ。アイツ、割と言いたいことはハッキリ言うタイプだから」

『彼氏の親なんだから、もうちょっと遠慮しなさいよ。そういう常識がない時点で、あの子はヤバいよ。どうせ家の事とか、何もしていないんでしょ?』


 ……あー。それは、確かに。僕は母親からの指摘に、そのまま「あー、まあ、そうだろうけど」と受け答えてしまった。


『え? ……あの子の家、行ったことあるの?』

「え? ……ま、まあ、あるけど。いや、何もしてないからね?」

『そう言う話じゃなくて。どうだったの、部屋とか?』


 うわぁ。僕は、親が尋問モードに入ったことに辟易として、肩を落とした。

 面倒臭いな。僕はその思いを心の内にしまいつつ、「いや。まあ、確かに、綺麗じゃなかったけどさ」と、親からの言葉に素直に受け答えてしまう。


『……ちょっと、真白。アンタ、あの子に伝えておきなさい。来週、またそっち行くって』

「は? え、なんで?」

『いいから。それじゃあ、お願いね』

「は? え、はぁ!? ちょっと、待って!」


 僕は呼びかけたが、すぐに電話がぷつりと切れてしまった。

 ――うっわ。僕は苦々しく顔を歪めて、「どうしようかな」と呟いた。
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