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第21話『魔術の発展 2』

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 まどろみから覚めると、太陽はもうオレンジ色をしていた。沈みかけた日は世界を染め、その上を風がサッと撫でた。

 フィオナはゆっくりと起き上がり、「んっ……」と呟いて頭をかいた。


「ああ、目が覚めましたか」


 と。隣から、男の声が聞こえた。
 なぜか安心する声だ。フィオナはそう感じながら、ゆっくりと声のした方へと首を回す。

 ――エルだ。エル・ウィグリーが、ペンとインクを持って何やら筆を空に向けて走らせている。彼の目の前には浮遊した謎の文字があり、それはにわかに魔力を帯びていた。


「あなたの言っていたことを参考に、ちょっと試してみました。たまたまインクとペンがあったもので、インクに魔力を流したのですが――面白いですね、これ。空に浮くよう意思を込め、インクを浮かせました。
 どうやら、魔力の転移のしやすさは物によって変わるみたいですね。ペンとインクの場合、思いのほか簡単に――文字も何も使わないでできてしまいました。
 まあ、それはいいのですが。試しに『炎を出せ』って空に書いてみたら、炎が飛び出して草に燃え移っちゃいました。なんとかして消火しましたが」


 エルはそう言うと、空中に書かれた文字に触れた。途端、空中に浮かぶインクは一際大きな輝きを放ち、水の塊を吐き出しながら霧散していった。


「こんな感じで、魔力を帯びたインクからは魔法が発動するのですよ。凄く面白い現象です。おそらく、言葉の魔術の延長線にある技術なのでしょうが。――しかし、冷静に考えると、僕はこの現象がなぜ起きるのかをわかっていません。まあ、それはおいおい考えれば良いとも思いますがね」


 エルはそう言いながらペンとインクを地面へと置いた。


「……私が寝ている間、ずっと試してたのですか?」

「はい。まあ、手持ち無沙汰だったので。……あ、一応言いますが、変なことは何もしていませんよ」

「言われなくてもわかってますよ。だって、エルさんなんですから」


 フィオナは言いながら立ち、そして大きく伸びをした。


「――もう夕方ですね」

「そうですね」

「…………ごめんなさい。わざわざエルさんを呼んだのに、眠ってしまって。そ、その、もしかしてですけど、失礼なこととかしてませんかね? 前後の記憶が曖昧で……」

「まあ、事実を伝えると、結構変な言動はしていましたね」

「うわあ、やっぱり!」

「けどまあ、アレだけ修行をした後に徹夜をしていたんです。仕方ありませんよ。ただまあ、今後は体をしっかりと労わってくださいね。無論無理な徹夜は厳禁です」

「――し、失礼しました」

「謝らなくていいですよ。むしろ僕は、頑張って魔術を発展させてくれたことに感謝したいくらいです」


 エルはそう言って立ち上がり、フィオナの隣へと並んだ。


「ありがとうございます。そしてお疲れ様でした。……さて、今日はもう帰りましょう。そして明日は休んで、明後日は――まあ、帰りながら、話しましょう」


 エルはフィオナを責めることなく、微笑みながらこちらを向いた。
 風が草原を撫でる。エルの優しい笑顔と夕陽が重なる。フィオナは申し訳なく思い、瞬時顔をうつむかせたが。

 ――ああ、違うな。この人は、私にこんな表情、求めていない。

 そう感じたフィオナは顔を上げ、「はいっ!」と満点の笑顔で返した。


◇ ◇ ◇ ◇


「――そう言えば、その、つかぬことをお伺いしますが」


 大草原を、エル・ウィグリーと並び歩く中。彼は突如として、フィオナに対しおずおずと言った様子で質問を投げかけてきた。


「どうかしましたか?」


 フィオナは首を傾げる。ほんのわずかに間が空いて、エルが気まずそうな顔をする。フィオナはエルがどうしてそのような表情をしているのかがわからなかった。

 と。


「フィオナさんは……学生時代、どんなふうに生活していたのですか?」


 エルのその問いを聞いて。フィオナは足を止めてしまった。
 なぜそんなことを聞くのだろう。フィオナは考え込んでしまった。

 エルは自分の状況を知っているし、学校については、あまり触れてほしくないという感情にも気付いているだろう。それに彼は、決して無配慮な人間では無いはずだ。

 ――答えたくない。フィオナがそう思うと、


「あ…………ごめんなさい」


 エルが突然謝ってきた。


「その、やっぱり聞くべきじゃなかったですね。ごめんなさい。……答えたくないと思いますので、その、やっぱり、答えなくても大丈夫です」


 フィオナが前を見ると、エルは自分よりもほんの数歩進んだところで、申し訳なさそうに謝っていた。


「まあ、純粋な興味――に近いものですので。ちょっと、無遠慮過ぎましたね。ごめんなさい」


 ……そうか、そうなんだよな。フィオナはエルの様子を見て、考え直した。

 この人はいつも、『誰か』を思って行動している。きっとこの質問も、悩みに悩んでした物なんだ。
 おそらくそれは、私に必要なことだから。フィオナは一度、胸の前で強く拳を握り。


「――あんまり、良いっては言えない生活だったと思います」


 意を決して、口を開いた。


「まあ、ご存知の通り私は落ちこぼれでしたし。勉強はできても成績は悪かったです。陰口とか、嘲笑とか、たくさんされてきました。たった1年の間でしたが、私にとってあの1年は――きっと、自分の中の何かを大きく変えちゃうくらいには、辛いものだったと思います」


 言葉は止まらない。自分の暗い感情とは対照的に、一言一言を話す度、自嘲的な、まるで「こんなことはなんでもないことだ」とでも言うかのような笑みを浮かべてしまう。しかし目の前にいる男は、そんな自分の内面に共感してくれるかのように、哀しそうな表情をしていた。


「――まあ、でも」


 だけど。辛い気持ちばかり味わったけど、私にとって、この気持ちも、本物の気持ちなんだ。フィオナはそう心の中で唱えると。


「悪いことばかり、ではなかったです」


 フィオナはオレンジ色の空を見上げた。


「あの学校生活の中で、私は――師匠マスター、ラザリアさんに出逢いました。そして、私の親友のリネアにも。2人とも、本当に私に良くしてくれたんですよ。……あの学校生活の中で、私が周りからバカにされながらも、殴られたりとか、変にいじめられたりとか、そんなことが起こらなかったのは――間違いなく、師匠マスターとリネアがいたからです」


 エルがこちらを強く見据える。フィオナはさらに続けた。


「本当に感謝してるんですよ、私。2人には。師匠マスターはそう言った動きがあったら強く睨みを効かしていましたし、リネアもいざとなったら私のために戦ってくれたりしましたし。守られていたんだな、って思います」

「……リネアさんと言うのは、その、あの時あなたに真っ先に話しかけてきた人ですよね」

「はい。もう本当、自慢の親友です。入学当初は私と同じで落ちこぼれやってたのですが、すっごい頑張って、頑張って、今じゃ成績最優ですよ。アイツ、本当に凄いんです。私なんかよりも何倍も高いところにいて――正直、嫉妬しちゃいます」


 フィオナは憂いを含んだ微笑を浮かべる。リネアという人間に対して抱いている、わずかな「負の感情」が、自身の罪悪感となり胸の中で燻る。


「あ、でも、でもいつか絶対、私はアイツと同じ所に立つんです! アイツは私の親友で――何よりも、目標なんですよ!」

「……素晴らしいご友人なんですね」

「はい! いつかの夜、私とリネアは約束したんです! いつか絶対、2人で聖騎士になってやろうって! その為に2人で頑張ろうって! ……まあ、私は今、こんなところで二の足を踏んでいる状態ですけど……でもだからこそ、まずはアイツと並んでやるんです! そうじゃなかったら、聖騎士なんて夢のまた夢、星を掴むような話です!
 まあ、けれども私は不可能を可能にする女です。いつか絶対、星だって手にしてやります! 私の目標は、星を掴むための大きな壁なんです。だから絶対に超えてやります。その先の、未来を掴む為に!」


 フィオナはオレンジ色の空に手をかざし、そして、強く拳を握った。
 星は未だ見えない。この明るい空の向こう側に、雲の向こう側に、それらは輝くのだろう。
 見えていないことは、「無い」ことではない。フィオナの意志は、彼方への挑戦へと強く向いていた。


「――強い心を、お持ちなのですね」


 エルがしみじみと言う。フィオナは途端に恥ずかしさを感じ、顔を赤くして顔を俯かせた。


「あ、あはは。ちょっと、クサかったですね」

「いいじゃないですか。僕はそういうのも好きですよ。……星、ですか」


 と。エルは空を見上げ、流れていく雲の向こう側を指差した。


「――そうですね。僕も、星は大好きです。夜に輝く大恒星を見ると、なんというか……強くなれる気がするのです」


 エルはそして。ほんの少しだけ間を空けると、何かを思い出すかのように呟いた。


「『この空の向こう側……どんな場所でも、どんな時でも、それは存在する』……か」


 フィオナは首を傾げた。それはエルの言葉ではあったが、エルの言葉には思えなかったからだ。


「――ああ、ごめんなさい。僕もちょっと盛り上がっちゃいましたね。
 さて。今日はもう帰りましょう。……ああ、そうでした。流石に疲れも残っているでしょうから、明日はゆっくりと休んでください。間違っても徹夜とか、頑張りすぎたりはしないように。
 それと、明後日のことですが――」


 フィオナはそうして、エルから今後の予定を聞きながら帰路へとついた。
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