1 / 1
雨と涙と時々笑顔
しおりを挟む
教室の戸を開けたら、そこには彼と出会った頃の風景があった。
今日は、中学二年の頃から十年間想い続けた男の子の結婚式の日。もちろん相手は私ではない。招待されていたのだけれど、当日になって気が進まなくなり、失礼を承知でキャンセルさせてもらった。
小雨の降る中、式場では今頃受付が始まっている頃だろう。
話を戻すけれど、教室の戸を開けたら、そこには彼と出会った頃の風景があった。出会った――というか、初めて話したと言った方が正しいけれど……。しかし、なぜこんなことになっているのか、私にも分からない。いや、正確に言うと教室の戸を開けたところまでは分かる。
彼に出会った頃が愛おしく感じて、休日の母校に忍び込んで、当時毎日楽しみに開けていた教室の戸を開いたのだ。彼と初めて会話をした日も雨だったから……朝起きて思い出してしまったのだと思う。まあしかし、当時は台風の影響で強い雨だったのだけど。
今の私は、教室の外に見える大雨と、窓際でひときわにぎやかな中二の彼を見ていた。教室の中はどれもこれも、誰も彼も当時のまま。夢でも見ている様で……。
「来たな! ワルプルギスの夜!!」
空に向かっていったい何を言っているんだこいつは? 私の彼に対する第一印象はその言葉に尽きる。当時は中二病なんて言葉は無かったけれど、今思えば、まさしくそれだった。
しかし、そんな意味の分からない言葉を言いつつも、クラスの中心として人気者だった彼に憧れたのは事実だった。興味を持った。だから話し掛けた。
「ワルプルギスの夜ってヨーロッパのお祭りでしょ? 何言ってんの?」
今の私も、当時の私と同じ言葉を彼に投げかける。心なしか、当時のドキドキが戻ってくる。今なら分かる。この時が恋に落ちた瞬間なんだと。
その後、彼に連れられて校庭に出て行き、大雨の中散々魔女の話や儀式なんて言う訳の分からない妄想を力説されたものだ。暴風警報は出ていなかったにしても、教室がにぎやかになる程度には天気は激しかった。当時の私は、そんな中よく黙って聞いていられたものだと感心する。――今の私にできるだろうか?
彼に導かれるまま教室の戸を開けて廊下に出る。
教室の戸を開けたら、そこにはまたしても違う時代の風景が。
今度は場所すらも違う。高校二年生の頃の学校の廊下だった。外は相変わらずの雨。それを見ただけでいつの日かが分かる。何があった日か分かる。いや、私が思う日であってほしいと願っている。多分……叶う。だって、この温度――炎天下からの突然の夕立に特徴的な立ち昇るような蒸し暑さ。間違いない。
二階の廊下から階段を使って玄関まで降りる。そこにはやはり……。
「よう。傘持ってきてる?」
待っていたかのように現れる彼。分かっていて聞いているようなセリフ。
「持ってきてないから濡れて帰るしかないわ」
またしても当時と同じセリフを吐く私。同じ中学、家もそんなに離れていない。この時の私は相合傘に憧れて、期待して、彼にこう言ったのだ。しかし――。
「ぼくの置き傘使っていいよ」
「え、でも」
「いいんだ、ぼくんち、近いから」
家の場所は知ってる。近くなんかない。彼は私に傘を押し付けて走って帰った。
当時私と彼が付き合っているという噂が流れており、気にした彼が相合傘をしたくないがために吐いた嘘だった。私は、すぐにそれを理解していた。それでも私を雨に濡らさないように気遣う彼に恋心は膨れ上がる一方だった。
観音開きの学校の玄関は彼が出て行った後に自動的に閉まる。ガラス扉越しに見える、雨の中を走っていく彼の後ろ姿は、跳ね上げるグラウンドの泥水で汚れていた。汚いはずのそれは、なぜだかそれまで見たどんなものよりも綺麗に思えた。今見ても、やっぱりこれより綺麗なものは無いと改めて思うほどに。
この時に借りた傘は、結局返す機会を逃し続け、いまだに私の家にある。私の一番の宝物だ。もしも彼から他にプレゼントでも貰っていたのなら、それが一番の宝物になっていたかもしれないけれど、残念ながら何もない。
玄関扉を開け、外に出る。すると、そこはまたしても違う景色に包まれていた。
海の家の扉を開けた私は、夕暮れの砂浜を歩く彼に駆け寄った。
無意識に――いや、とても意識していた。この時は、彼に思いを告げようと決心した日だ。忘れようがない。何度も思い返し、その時のシチュエーションが体に染みついてしまっているほどに。
この日は、大学生活最後の夏休みで、私の気持ちを知ったサークルの友人たちの計らいで二人きりにしてもらったのだ。告白するから――と。まだ付き合っていなかったのかと驚かれたことも記憶に新しい。それでも、皆私の告白が成功すると信じて疑っていなかった。
少し前を歩く彼。
斜め後ろ、照れくさくて俯いて歩く私。
今や、結果が分かってる私。それでも全く同じ緊張で、変わらない行動を取れる私は、本当に愚かなのだろう。しかし、このドキドキは無くしたくなかった。違う行動で上書きしたくなかった。そんな言い訳で良いかな? 夢から覚めた未来の私は納得してくれるかな?
「こうやって二人で歩いてると、ぼくたち恋人みたいだよね」
「え、ああ、うん。そうだね」
「女の子って、恋人になったら何がしたいって思うものなのかな?」
当時の私は、この質問の真意なんて分かっていなかった。だからかもしれない。突拍子の無い事を口走ってしまったのは。
「君と手をつないで散歩とかしたいんです」
彼の裾を摘まんで引き止めながら言い放った。結果は分かっている。でもドキドキしている。彼はしばらく私の言葉の意味が分からなかったらしく、振り向いたまま静止していた。この台詞が告白だと理解するのに時間がかかったみたいだった。そりゃ、脈絡もなく突然こんなことを言ったら困るだろう。
しかし、私の表情を見て察してくれた。そして――。
「ごめん。ぼく、昨日からバイトの子と付き合い始めたんだ」
うん。――知ってた。
そこから、二人は一言も話さずにレンタカーを停めている駐車場まで歩いた。言っておくが、もちろん当時の私は彼がバイトの子と付き合い始めたなんて知らなかった。それはそれはショックだった。一日でも早く告白していれば可能性があったのかと後悔もした。
だって、今日彼が結婚する相手は、その時に付き合い始めた子なのだから。
無言の二人は、海浜公園の出入口アーチをくぐる。すると、またしても景色が変わる。
「おそーい! 大遅刻だよー!」
突然声をかけてきたのは、大学時代の友人だった。実に二年ぶりだ。
「服は……良いけど。何で髪の毛なにもしてないの? 化粧もしてないし。結婚式なんだから、ちゃんとしなきゃー」
私の知らない風景。結婚式場。
雨なのに、バージンロードを退席する際に外へと出られるアーケードが設置されている。私は、今まさしくそこに現れたのだ。皆フラワーシャワーの準備をしている。
「ほらほら、あんたも早く並んで」
強引に列に加えられた私は、花びらを受け取る。
「それでは、参列された皆様より、祝福のフラワーシャワーです」
ブライダルスタッフの一言により、新郎新婦がチャペルより姿を現す。
彼は幸せそうな笑顔で。また、新婦も人生の喜びを全て得たかのような姿で。
おめでとうおめでとうと皆が皆、口をそろえて言う。参列者も全員笑顔だ。友人、親族が幸せになっているのだ。嬉しいに決まっている。
私だって彼が幸せになるのは嬉しい。でも、そこには私が立ちたかった。隣は私が歩きたかった。腕を組みたかった。
さっきまで経験していた不思議な体験。それはやっぱり後悔であり、私の人生の全てのようなものだった。汚したくない思い出だから同じ行動も取った。もしかしたら、あの不思議な空間で違う行動を取っていれば、違った現実に変わっていたかもしれない。有り得ないけれど、そんな妄想もしてしまう。
小雨は振り続ける。
本当に好きだった。いや、今でも好き。なら――
今だけは笑っておこう。
彼の幸せを願うなら、今だけは笑っておこう。辛くても笑顔でいることは、社会に出てから身に付けた。
笑顔とフラワーシャワーを振りまく。目の前に来た彼も笑顔で、来てくれたんだ、と言ってくれる。私も笑顔で送った後、一人アーケードの外に出て、小雨のなか空を見上げる。化粧をしていなくて良かった。雨で流れることは無い。
私は、形だけ張り付いたこの笑顔が流れるまで、薄い雨雲を見つめ続けた。
「今の私……汚いなぁ……」
顔がくしゃくしゃになる。多分、まだ笑顔が流れ落ちていないんだ。
「もうあんた帰んな。よく頑張ったよ」
友人が私に言った。
「後は、私がなんとか言っとくからさ。傘は……持ってるじゃん」
「ごめん。先帰るね」
それを最後に私は結婚式場を後にした。
小雨のなか差す傘は、懐かしい香りがした。
私は、七年近く寄り添ったこの傘を強く強く両手で握った。
「また、返せなかったよ」
今日は、中学二年の頃から十年間想い続けた男の子の結婚式の日。もちろん相手は私ではない。招待されていたのだけれど、当日になって気が進まなくなり、失礼を承知でキャンセルさせてもらった。
小雨の降る中、式場では今頃受付が始まっている頃だろう。
話を戻すけれど、教室の戸を開けたら、そこには彼と出会った頃の風景があった。出会った――というか、初めて話したと言った方が正しいけれど……。しかし、なぜこんなことになっているのか、私にも分からない。いや、正確に言うと教室の戸を開けたところまでは分かる。
彼に出会った頃が愛おしく感じて、休日の母校に忍び込んで、当時毎日楽しみに開けていた教室の戸を開いたのだ。彼と初めて会話をした日も雨だったから……朝起きて思い出してしまったのだと思う。まあしかし、当時は台風の影響で強い雨だったのだけど。
今の私は、教室の外に見える大雨と、窓際でひときわにぎやかな中二の彼を見ていた。教室の中はどれもこれも、誰も彼も当時のまま。夢でも見ている様で……。
「来たな! ワルプルギスの夜!!」
空に向かっていったい何を言っているんだこいつは? 私の彼に対する第一印象はその言葉に尽きる。当時は中二病なんて言葉は無かったけれど、今思えば、まさしくそれだった。
しかし、そんな意味の分からない言葉を言いつつも、クラスの中心として人気者だった彼に憧れたのは事実だった。興味を持った。だから話し掛けた。
「ワルプルギスの夜ってヨーロッパのお祭りでしょ? 何言ってんの?」
今の私も、当時の私と同じ言葉を彼に投げかける。心なしか、当時のドキドキが戻ってくる。今なら分かる。この時が恋に落ちた瞬間なんだと。
その後、彼に連れられて校庭に出て行き、大雨の中散々魔女の話や儀式なんて言う訳の分からない妄想を力説されたものだ。暴風警報は出ていなかったにしても、教室がにぎやかになる程度には天気は激しかった。当時の私は、そんな中よく黙って聞いていられたものだと感心する。――今の私にできるだろうか?
彼に導かれるまま教室の戸を開けて廊下に出る。
教室の戸を開けたら、そこにはまたしても違う時代の風景が。
今度は場所すらも違う。高校二年生の頃の学校の廊下だった。外は相変わらずの雨。それを見ただけでいつの日かが分かる。何があった日か分かる。いや、私が思う日であってほしいと願っている。多分……叶う。だって、この温度――炎天下からの突然の夕立に特徴的な立ち昇るような蒸し暑さ。間違いない。
二階の廊下から階段を使って玄関まで降りる。そこにはやはり……。
「よう。傘持ってきてる?」
待っていたかのように現れる彼。分かっていて聞いているようなセリフ。
「持ってきてないから濡れて帰るしかないわ」
またしても当時と同じセリフを吐く私。同じ中学、家もそんなに離れていない。この時の私は相合傘に憧れて、期待して、彼にこう言ったのだ。しかし――。
「ぼくの置き傘使っていいよ」
「え、でも」
「いいんだ、ぼくんち、近いから」
家の場所は知ってる。近くなんかない。彼は私に傘を押し付けて走って帰った。
当時私と彼が付き合っているという噂が流れており、気にした彼が相合傘をしたくないがために吐いた嘘だった。私は、すぐにそれを理解していた。それでも私を雨に濡らさないように気遣う彼に恋心は膨れ上がる一方だった。
観音開きの学校の玄関は彼が出て行った後に自動的に閉まる。ガラス扉越しに見える、雨の中を走っていく彼の後ろ姿は、跳ね上げるグラウンドの泥水で汚れていた。汚いはずのそれは、なぜだかそれまで見たどんなものよりも綺麗に思えた。今見ても、やっぱりこれより綺麗なものは無いと改めて思うほどに。
この時に借りた傘は、結局返す機会を逃し続け、いまだに私の家にある。私の一番の宝物だ。もしも彼から他にプレゼントでも貰っていたのなら、それが一番の宝物になっていたかもしれないけれど、残念ながら何もない。
玄関扉を開け、外に出る。すると、そこはまたしても違う景色に包まれていた。
海の家の扉を開けた私は、夕暮れの砂浜を歩く彼に駆け寄った。
無意識に――いや、とても意識していた。この時は、彼に思いを告げようと決心した日だ。忘れようがない。何度も思い返し、その時のシチュエーションが体に染みついてしまっているほどに。
この日は、大学生活最後の夏休みで、私の気持ちを知ったサークルの友人たちの計らいで二人きりにしてもらったのだ。告白するから――と。まだ付き合っていなかったのかと驚かれたことも記憶に新しい。それでも、皆私の告白が成功すると信じて疑っていなかった。
少し前を歩く彼。
斜め後ろ、照れくさくて俯いて歩く私。
今や、結果が分かってる私。それでも全く同じ緊張で、変わらない行動を取れる私は、本当に愚かなのだろう。しかし、このドキドキは無くしたくなかった。違う行動で上書きしたくなかった。そんな言い訳で良いかな? 夢から覚めた未来の私は納得してくれるかな?
「こうやって二人で歩いてると、ぼくたち恋人みたいだよね」
「え、ああ、うん。そうだね」
「女の子って、恋人になったら何がしたいって思うものなのかな?」
当時の私は、この質問の真意なんて分かっていなかった。だからかもしれない。突拍子の無い事を口走ってしまったのは。
「君と手をつないで散歩とかしたいんです」
彼の裾を摘まんで引き止めながら言い放った。結果は分かっている。でもドキドキしている。彼はしばらく私の言葉の意味が分からなかったらしく、振り向いたまま静止していた。この台詞が告白だと理解するのに時間がかかったみたいだった。そりゃ、脈絡もなく突然こんなことを言ったら困るだろう。
しかし、私の表情を見て察してくれた。そして――。
「ごめん。ぼく、昨日からバイトの子と付き合い始めたんだ」
うん。――知ってた。
そこから、二人は一言も話さずにレンタカーを停めている駐車場まで歩いた。言っておくが、もちろん当時の私は彼がバイトの子と付き合い始めたなんて知らなかった。それはそれはショックだった。一日でも早く告白していれば可能性があったのかと後悔もした。
だって、今日彼が結婚する相手は、その時に付き合い始めた子なのだから。
無言の二人は、海浜公園の出入口アーチをくぐる。すると、またしても景色が変わる。
「おそーい! 大遅刻だよー!」
突然声をかけてきたのは、大学時代の友人だった。実に二年ぶりだ。
「服は……良いけど。何で髪の毛なにもしてないの? 化粧もしてないし。結婚式なんだから、ちゃんとしなきゃー」
私の知らない風景。結婚式場。
雨なのに、バージンロードを退席する際に外へと出られるアーケードが設置されている。私は、今まさしくそこに現れたのだ。皆フラワーシャワーの準備をしている。
「ほらほら、あんたも早く並んで」
強引に列に加えられた私は、花びらを受け取る。
「それでは、参列された皆様より、祝福のフラワーシャワーです」
ブライダルスタッフの一言により、新郎新婦がチャペルより姿を現す。
彼は幸せそうな笑顔で。また、新婦も人生の喜びを全て得たかのような姿で。
おめでとうおめでとうと皆が皆、口をそろえて言う。参列者も全員笑顔だ。友人、親族が幸せになっているのだ。嬉しいに決まっている。
私だって彼が幸せになるのは嬉しい。でも、そこには私が立ちたかった。隣は私が歩きたかった。腕を組みたかった。
さっきまで経験していた不思議な体験。それはやっぱり後悔であり、私の人生の全てのようなものだった。汚したくない思い出だから同じ行動も取った。もしかしたら、あの不思議な空間で違う行動を取っていれば、違った現実に変わっていたかもしれない。有り得ないけれど、そんな妄想もしてしまう。
小雨は振り続ける。
本当に好きだった。いや、今でも好き。なら――
今だけは笑っておこう。
彼の幸せを願うなら、今だけは笑っておこう。辛くても笑顔でいることは、社会に出てから身に付けた。
笑顔とフラワーシャワーを振りまく。目の前に来た彼も笑顔で、来てくれたんだ、と言ってくれる。私も笑顔で送った後、一人アーケードの外に出て、小雨のなか空を見上げる。化粧をしていなくて良かった。雨で流れることは無い。
私は、形だけ張り付いたこの笑顔が流れるまで、薄い雨雲を見つめ続けた。
「今の私……汚いなぁ……」
顔がくしゃくしゃになる。多分、まだ笑顔が流れ落ちていないんだ。
「もうあんた帰んな。よく頑張ったよ」
友人が私に言った。
「後は、私がなんとか言っとくからさ。傘は……持ってるじゃん」
「ごめん。先帰るね」
それを最後に私は結婚式場を後にした。
小雨のなか差す傘は、懐かしい香りがした。
私は、七年近く寄り添ったこの傘を強く強く両手で握った。
「また、返せなかったよ」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
この作品の感想を投稿する
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる