春風のインドール

色部耀

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同級生 上野真紀

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 残り少なくなった麦茶を口に含んでゆっくりと喉に通す。そのまま私は入部のことと真紀のことを考えるのをやめてぼんやりと先生たちの会話に耳を傾けた。今は生田先生の話を始めたところのようで、せっかくなのでと麦茶を注ぎ足すついでに生田先生の背後へと近寄った。

「高木先生にはそのままでいてほしいと思っています。私は挫けてしまった人間ですので」

 生田先生は私が傍にいることに気付いていないのか、そのまま高木先生と話し続けていた。生田先生が挫けた? やっと自分のしたいことができるようになったと語っていた生田先生が?

「私は根っからの理系人間でして。現象の裏には原因があり、物事の解決には原因をどうにかすれば良いだけだ……。そう思っていたのです。しかし現実はそうではありませんでした」

「何があったんですか?」

 高木先生が相槌を打つように生田先生に問いかける。私が静かにその場に留まっていると生田先生は続けて言った。

「困っている生徒に手を差し伸べるのは教師の務め……。そう言って悩んでいる生徒に頻繁に声掛けをしていた時期がありました。悩みを聞いて原因をつき止め解決に導く――確かに何度か上手くいったと言えるときもありましたが、人の心とは、人の行動とはそう簡単なものではなかったのです。アドバイスのせいでより悪い方向へ行き、恨まれたことも少なからずあります。そんな中で一つ、取り返しのつかない大きな失敗をしてしまったことがあるのです」

 生田先生がそう言ったとき、高木先生も私も息を飲んで耳を傾けた。

「彼氏から顔にあざが残るほど暴力を振われ、彼氏が遊ぶお金のためにバイトをし、心身ともに疲れてしまっていた女生徒がいたのです。高木先生ならその子から相談を受けてどのような答えを出しますか?」

「そりゃ、すぐにでもその彼氏と別れた方が良いって言いますよ」

「私もそう判断し、別れ話をする場所に立ち会って穏便に二人は別れることができました」

「なら解決じゃないですか」

「その数日後。彼女は自殺しました。学校の四階から飛び降り、花壇の手入れをしている私の目の前で亡くなりました」

 その話を聞いた瞬間、私と高木先生は言葉を失った。しかし生田先生は淡々と話し続ける。

「遺書にはこう書かれていたそうです。『もう私はこの世界に必要じゃない。誰も私を必要としてくれない』と。彼女は彼氏に尽くすことでこの世界に存在していいと自分に言い聞かせていたのかもしれません。生きる理由にしていたのかもしれません。私はそんな彼女から生きる理由を奪う選択をさせてしまったのです……。私のせいで彼女は死んでしまったのです……。それ以来、困っている生徒に手を差し伸べるのは教師の務めなどと言って積極的に声をかけることができなくなってしまいました」

「生田先生のせいじゃありません」

 私は気が付くと咄嗟にそう言って生田先生の隣に立っていた。

「細川さん。聞いていたのですか。すみません湿っぽい話をしてしまっていて」

「生田先生のせいじゃありません。だからそんなに自分を責めないでください。私は生田先生に手を差し伸べてもらえてよかったと思ってます」

 私が初めに相談を持ち掛けたときに苦しそうに悩んでいたのは事情があったのか……。目の前で生徒が死んでしまう。そんなことがあれば一生消えない心の傷になってもおかしくないだろう。私なら教師という職業自体を辞めてしまうかもしれない。それなのに生田先生は教師を続け、無理矢理とはいえ私からの相談を聞いてくれている。自分が相談を受けたせいで自殺が起きたと思っているというのに無理をして私の相談に乗ってくれている。だからそんな生田先生が自分を責めていると思うと私は辛かった。自分の辛いという気持ちを消すために生田先生に自分を責めるなと言っているだけかもしれない。私のエゴでしかないその台詞に、生田先生は優しく微笑むと答えてくれた。

「ありがとうございます。細川さん」

 私は生田先生の顔を見てそれ以上言葉が出なかった。作り笑顔のような微笑み。それがなんとなく自分との距離に感じてしまったからだ。しかし生田先生は高木先生の方に顔を向けるとその微笑みのまま話した。

「上手くいかないことがあっても、こうして報われる瞬間というのもあります。ですので高木先生は私のように挫けずに生徒と向き合い続ける教師でいてくれればと思います」

「ありがとうございます。こんな貴重な話を聞かせていただけで、とても勉強になります」

 そう答えた高木先生は涙こそ流していないが目を潤ませて鼻を啜っていた。本当に高木先生は他人に共感しやすい人なのだろう。それとは対照的に生田先生は感情がないかのような貼り付けた微笑みを見せたまま。もしかすると今話してくれたことが原因であまり心を開かないようにしているのだろうか。しかしそんな滅多に起こらないような生田先生の責任ではない事故で心を閉ざしてしまうのはやはり辛い。私が辛い。これもまた私のエゴだけど、生田先生に心を開いて欲しい。

「ただいまー。卯月ー答え出たー?」

 ちょうどそこへ現れたのは真紀だった。そこで私は思い出す。生田先生が本心から笑っていた瞬間を。私は金網に乗っているジャガイモを箸で掴んで口に入れる。幸い炭の火はほとんど消えておりジャガイモは暖かい程度の温度になっている。急いで飲み込んだ私は駆け寄って来た真紀の腕を掴んで引き寄せると生田先生に言い放った。

「私たち、園芸部に入部することにしましたので」

「そういうことです! 生田先生よろしくです! ってあれ? 高木先生どうしたんですか? 泣いてるんですか?」

 真紀は隣で目を赤くしている高木先生が気になったようですぐに高木先生に縋り寄って行った。生田先生はというと、私たちの入部宣言を聞いて嬉しそうに笑ってくれていた。営業スマイルのような貼り付けた笑いではない、本心から喜んでくれているような笑い方だった。

「よろしくお願いしますね」

 そう言ってくれた生田先生に応えるように私も返事をした。

「こちらこそ、よろしくお願いします」
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