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私 細川卯月
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どうにか絞り出した言葉はその一言だけだった。何の解決も何の変化も生み出さない言葉。しかし、そこで生田先生が口を開いた。
「私は卯月さんとご両親が互いの気持ちについてあまり話をしていないのではないかと思ったのですが……」
生田先生の言葉を聞いてお父さんとお母さんが顔を合わせる。そう言われてみれば私も感情的な思いを伝えたり、逆に聞いたりした記憶がほとんどない。それは最近の話だけでなく昔からのような気もする。
「人の気持ちを聞く際ですが、一方的に聞くことというのは難しいものです。一方的に話すことも同じく。聞きたいのであればある程度は話すべきですし、話したいのであればある程度は聞くべきなのです。何かを得続けることはできず、また与え続けることもできない――。これは科学に携わる人間ならば誰しもが持っている考え方です。私の専攻していた環境学でも循環型社会といって、資源やエネルギーを自然に返すことで自然から資源やエネルギーを得るときの負荷を減らすという考え方があります。人の関係でも同じなのです」
生田先生はいつものように持ち前の科学の知識を説明しつつ私たちがどうあるべきかを教えてくれた。相手の気持ちを知りたければ自分の気持ちを伝えなくてはならない――。なるほど確かにそうかもしれない。
「人の気持ちも循環するものです。もしよろしければ、まだ若くて余裕を持つことのできない卯月さんより先にご両親から卯月さんへの気持ちをお話してくださればと思います。お二人が別れるに至って旦那様に対しての気持ちと奥様に対しての気持ちはもう話されたのかもしれませんが、お母さんから卯月さんへの気持ちとお父さんから卯月さんへの気持ちは、あまり話されてはいないのかと思いますので」
生田先生は車の中で私が言ったことを覚えてくれていて、そのことを両親から聞いてくれようとしているのだろう。愛が無くなったのなら私のこともいらなくなったのでは――。とっさに出ていた言葉だったけれど、全く思ってもいなかったというわけではない。
「そう言われましても……。何を話せば良いのか……」
「離婚される理由は何かあったのだと思います。長年連れ添った夫婦ではなくなるのですから。ではこれから卯月さんはご両親のどちらかと家族として暮らし、どちらかとは家族ではなくなってしまうということですよね。そのときにもし卯月さんが自分の娘ではなくなってしまうと思うと」
「俺たちが別れても卯月は俺の娘です。それは変わりません」
生田先生の話の途中で割り込んだのは今まで黙り込んでいたお父さんだった。その言葉に私は心臓を掴まれたように驚いた。お父さんの強い言い方に驚いた。しかし少したって胸の奥から何か暖かいものが込み上げてくる。
「そうです。卯月は私たちの関係が変わってもずっと大切な娘です」
お父さんの台詞に続くようにしてお母さんも身を乗り出してそう言った。離婚の話が出てから二人は一度だって私に自分と一緒に暮らすように言ったことはない。――自分で選びなさい。その言葉を何度も何度も言われ続けていた。だからなんとなく二人にとって私は大して大事な存在じゃないんだと思っていた。大事じゃないから自分と一緒にいて欲しいと言わなかったんだと思っていた。
「お二人はこれからも卯月さんと一緒に暮らしたいと……そう思われているのですか?」
「当たり前じゃないですか」
生田先生の問いに即答するお母さん。隣でお父さんも口には出さないが分かるように首を縦に振っている。ああ、二人とも私のことを大切に思ってくれていたんだ……。今まで実感がなかったものが一気に溢れてくる。胸に込み上げてくる暖かいもの……嬉しいという感情。これから離婚するんだという状況になって初めてお父さんとお母さんの気持ちを聞くことができたような気さえする。
「昔ね……お父さんとお母さんが仲良かったときにね……」
私がそうぽつりぽつりと話し始めると三人は黙って私の声に耳を傾けてくれた。
「三人でよく一緒に寝ててね……。私に産まれてきてくれてありがとうって。それでね。私のことが愛の結晶とか言ってくれてね……。だから離婚するって聞いたとき、愛が無くなったんだって……。私が産まれてきた意味ももうないんだって……」
そう……そう思っていた。本当にそう思っていた。生田先生にも言うのとお父さんとお母さんに直接言うことは全然違う。生田先生に言ったところで優しく慰めてくれるだけ。それだけでも今の私には十分な支えになってくれるのでありがたい限りなのだけど、言ってしまえば解決も進展もしない。お父さんとお母さんに言うというのは、答えが出てしまうということ。私の存在が不要だと言われればそれが答えだし、必要と言われればそれが答えだ。グレーは存在せず、黒か白で答えが出てしまう。本当に怖い問いかけのはずだった。
しかし、ずっと不安になっていたこの言葉を口にできたのはその前にお父さんとお母さんがしっかりと言葉に出してくれたことがあったからだ。
「卯月。ちょっとこっち来なさい」
「私は卯月さんとご両親が互いの気持ちについてあまり話をしていないのではないかと思ったのですが……」
生田先生の言葉を聞いてお父さんとお母さんが顔を合わせる。そう言われてみれば私も感情的な思いを伝えたり、逆に聞いたりした記憶がほとんどない。それは最近の話だけでなく昔からのような気もする。
「人の気持ちを聞く際ですが、一方的に聞くことというのは難しいものです。一方的に話すことも同じく。聞きたいのであればある程度は話すべきですし、話したいのであればある程度は聞くべきなのです。何かを得続けることはできず、また与え続けることもできない――。これは科学に携わる人間ならば誰しもが持っている考え方です。私の専攻していた環境学でも循環型社会といって、資源やエネルギーを自然に返すことで自然から資源やエネルギーを得るときの負荷を減らすという考え方があります。人の関係でも同じなのです」
生田先生はいつものように持ち前の科学の知識を説明しつつ私たちがどうあるべきかを教えてくれた。相手の気持ちを知りたければ自分の気持ちを伝えなくてはならない――。なるほど確かにそうかもしれない。
「人の気持ちも循環するものです。もしよろしければ、まだ若くて余裕を持つことのできない卯月さんより先にご両親から卯月さんへの気持ちをお話してくださればと思います。お二人が別れるに至って旦那様に対しての気持ちと奥様に対しての気持ちはもう話されたのかもしれませんが、お母さんから卯月さんへの気持ちとお父さんから卯月さんへの気持ちは、あまり話されてはいないのかと思いますので」
生田先生は車の中で私が言ったことを覚えてくれていて、そのことを両親から聞いてくれようとしているのだろう。愛が無くなったのなら私のこともいらなくなったのでは――。とっさに出ていた言葉だったけれど、全く思ってもいなかったというわけではない。
「そう言われましても……。何を話せば良いのか……」
「離婚される理由は何かあったのだと思います。長年連れ添った夫婦ではなくなるのですから。ではこれから卯月さんはご両親のどちらかと家族として暮らし、どちらかとは家族ではなくなってしまうということですよね。そのときにもし卯月さんが自分の娘ではなくなってしまうと思うと」
「俺たちが別れても卯月は俺の娘です。それは変わりません」
生田先生の話の途中で割り込んだのは今まで黙り込んでいたお父さんだった。その言葉に私は心臓を掴まれたように驚いた。お父さんの強い言い方に驚いた。しかし少したって胸の奥から何か暖かいものが込み上げてくる。
「そうです。卯月は私たちの関係が変わってもずっと大切な娘です」
お父さんの台詞に続くようにしてお母さんも身を乗り出してそう言った。離婚の話が出てから二人は一度だって私に自分と一緒に暮らすように言ったことはない。――自分で選びなさい。その言葉を何度も何度も言われ続けていた。だからなんとなく二人にとって私は大して大事な存在じゃないんだと思っていた。大事じゃないから自分と一緒にいて欲しいと言わなかったんだと思っていた。
「お二人はこれからも卯月さんと一緒に暮らしたいと……そう思われているのですか?」
「当たり前じゃないですか」
生田先生の問いに即答するお母さん。隣でお父さんも口には出さないが分かるように首を縦に振っている。ああ、二人とも私のことを大切に思ってくれていたんだ……。今まで実感がなかったものが一気に溢れてくる。胸に込み上げてくる暖かいもの……嬉しいという感情。これから離婚するんだという状況になって初めてお父さんとお母さんの気持ちを聞くことができたような気さえする。
「昔ね……お父さんとお母さんが仲良かったときにね……」
私がそうぽつりぽつりと話し始めると三人は黙って私の声に耳を傾けてくれた。
「三人でよく一緒に寝ててね……。私に産まれてきてくれてありがとうって。それでね。私のことが愛の結晶とか言ってくれてね……。だから離婚するって聞いたとき、愛が無くなったんだって……。私が産まれてきた意味ももうないんだって……」
そう……そう思っていた。本当にそう思っていた。生田先生にも言うのとお父さんとお母さんに直接言うことは全然違う。生田先生に言ったところで優しく慰めてくれるだけ。それだけでも今の私には十分な支えになってくれるのでありがたい限りなのだけど、言ってしまえば解決も進展もしない。お父さんとお母さんに言うというのは、答えが出てしまうということ。私の存在が不要だと言われればそれが答えだし、必要と言われればそれが答えだ。グレーは存在せず、黒か白で答えが出てしまう。本当に怖い問いかけのはずだった。
しかし、ずっと不安になっていたこの言葉を口にできたのはその前にお父さんとお母さんがしっかりと言葉に出してくれたことがあったからだ。
「卯月。ちょっとこっち来なさい」
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