春風のインドール

色部耀

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私 細川卯月

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「二人とも帰ってくるのが遅い」

 学校に戻った私たちにそう言ったのは真紀だった。教職員用の駐車場の隅でアスファルトに直接座って待っていた真紀は私たちが車から降りると駆け寄ってきて頬を膨らませる。腕を組んで仁王立ちする姿からして相当に不満が溜まったのだろう。

「帰宅して構わないと言ったはずですが……」

「卯月が心配で帰れるわけないじゃないですか! 当たり前のこと言わせないでください」

「そうですよね。失礼しました」

 生田先生はたじたじといった感じで愛想笑いを浮かべている。あれだけ涙を流していたのに今は全くその面影もない。私なんて冷やしても冷やしても目が腫れたままだというのに……

「卯月大丈夫? 目むっちゃ腫れてるよ?」

「やっぱり分かるよね……」

 悲しいかな真紀はすぐに気が付いたようでさらに心配をかけてしまった。覗き込むように見てくる真紀から私は手で覆うようにして顔を背ける。すると真紀は心配そうにしていた様子から一転して意地悪な笑みを浮かべて私の顔を見ようと何度も何度も回り込む。

「ちょっとやめてよー。見なくて良いじゃない」

「えー。気になるー。卯月のそんな顔見られる機会なんて無いしー」

 そうしている内にそれまでのごちゃごちゃした感情もスッキリしてしまったあたり、やはり気を遣ってこない友人というのも良いものなのかもしれない。あと一か月もせずに転校してしまうけれど、もう少し積極的に友達作りをしておけばよかったと思ってしまう。引っ越すことが分かっているから友達を作るつもりもなかったのに、いざ友達と呼べる存在ができたらもっと友達がいたらよかったと思ってしまう。不思議なものだ。

「ねえ真紀。私一学期が終わったら引っ越すことになるの」

「え、寂しい。嫌だ」

「ぷっ……」

「なんで笑うの!」

 私が引っ越すと伝えた瞬間に間髪入れずに嫌だと言った真紀がおかしくて、つい吹き出してしまった。私もこのくらいすぐお父さんとお母さんに自分が嫌かどうかを口にできていたらもっと違った関係が築けていたかもしれない。真紀ほど素直に表現できなくても少しは自分の気持ちを口にできるようにした方が良いのだろう。なぜならほんの少しだけだけれど。

「また遊びに来るから」

「そんなに遠くないの?」

「うーん。東京か茨城」

「遠いじゃん! ここ宮城だよ?」

「ぷっ……」

「だからなんで笑うの!」

 逐一リアクションの大きい真紀は話していて楽しい。いつも以上にこうして笑ってしまうのはやはり今までと違って一つ自分の中で区切りがついたからかもしれない。感情の区切りと言えば良いのか、今は学校を出る前と比べて気が抜けてしまっているかのようにも感じる。何だか空気が柔らかくなっているようにも感じる。

「ずっと友達だよね? 引っ越しても連絡して良いよね?」

 真紀はいつもの距離で私に密着するほど近づいてきてそう言った。真紀にとっていつもの距離はゼロ距離だ。何かにつけてべたべたしてくるのが真紀だ。それがこれからは顔を合わせることもほとんどなくなってしまうのだろう。真紀は寂しいと言ってくれたけれど、私だって寂しい。

「毎日はちょっとめんどくさいけど、たまにならね」

「酷い! でも毎日は連絡しないと思う。私はこっちにも友達多いし」

 真紀とのこういう言葉での小突き合いのようなものも楽しいけれど、それもあと一か月でおしまい。

「年賀メールくらいはちゃんと送るよ」

「今どきメール?」

「年賀状が良かった?」

「逆にそれは面白そう!」

 いつの間にか別れを惜しむような話ではなくこれからの関係についての話に変わっていた。そんな軽い感じの話ができるのも真紀との関係の良いところだ。

「さて二人とも。完全下校時間は八時ですのでそろそろ帰宅の準備をしましょう」

 私と真紀が盛り上がっていると、生田先生がぱんぱんと手を叩いてそう言った。校舎に付いている時計を見ると七時半を過ぎたところだった。日も落ちて街灯と職員室の明かりやグラウンドの照明が駐車場を照らす。

「引っ越すと言ってもあと一か月近くあります。その間にできる限りここで思い出を作っておきましょう。もちろん、日の登っている時間に健全な思い出をですけどね」

「はーい先生! 不健全な思い出って具体的に何ですかー?」

「真紀さん。先生をからかわないでください。しかし、それにお答えするとすれば法律に触れるようなことはしないように……といったところでしょうか」

 生田先生もいつもの営業スマイル。変わらない二人といると日常に戻ったような気持ちになる。

「思い出作り、先生も付き合ってくれますよね?」

 確信を持って問いかける言葉。答えは分かっている。なぜなら先生の口癖は――

「困っている生徒に手を差し伸べるのは教師の務め――ですもんね」

 私の念押しに生田先生はいつもと少し違った苦笑いを浮かべたのだった。
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