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未知との別れ
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予想通り、俺が目を覚ますと礼子は居なくなっていた。会うのは三日後なんて台詞を思い浮かべたからには、翌朝に何事もなく会話をするフラグだと思っていたが、そうではないらしい。
礼子がいないからか、俺は普段通り夕方まで眠りについていた。
さて、ここで読者の皆様が気になって眠れなかった俺の毎日について話をしよう。
先にも言った通り、まず夜中から夕方まで約十五時間の睡眠を取る。別段仕事が貯まっていなければ起きてもすることはない。
そして、いつも枕の下に敷いている携帯端末スイーツフォンで死神や神からの仕事のメールをチェックする。ちなみに今日のメールは死神と神から一通ずつのみ。……なになに?
『新しい仕事無し』
毎日忙しい死神からの淡泊なメールだった。次は神から。
『今日もニート乙www。人には見せられない姿だよね? だよねwww。ニートの神ギガントワロスwww。テラワロプンテwww』
……神は暇をもて余しているみたいだな……地獄に落ちればいいのに。
このように、仕事が貯まっていなければ新たに仕事が入ることもない。
一応、バイトのようなものはしているが、これまた引きこもりの延長だ。
「さて、依頼があったネトゲのレベルあげに勤しむか」
一レベル百円のボロい仕事だ。レアアイテムを取る仕事なんかもある。
これが俺の一番の収入源だ。
これで俺の仕事を少しは理解していただけただろうか? 理解していただけた所で本編へと移行する。
時間はピンポンダッシュばりの全速力で駆け抜け、あれから三日後の夜になった。夜と言っても、まだ日が落ちて直ぐの時間帯。夕焼けの赤と夕闇の青黒い空がグラデーションを作り出すような時間。
親友の記憶を無くしてしまった少女、優子が塾から帰るにはまだ時間がかかりそうである。
しかし、俺が礼子と約束を交わした時間は、ちょうど今。場所はここ、閉ざされた公園だ。
「どんな調子だ? 本当に今日で思い出して貰えそうか?」
俺は、滑り台の上でビル風を受けながら、鉄棒で逆上がりをする礼子に話しかける。
逆上がりなんてするからパンツが丸見えだ。せめて前回りなら見えずに回れるだろうに。
「完璧よ! あたしの予想が正しければ、今日で完璧に全てを思い出してくれるはずだわ。……下調べもして来たし」
下調べをして来た。そう言った礼子は、俺から表情が見えないように顔を背けた。その下調べには何かしらの事情があるのだろう。
「そうか。なら、今日を最後に礼子は成仏できる訳だな。……成仏する前に聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「なに? 質問を聞くだけは聞いてあげるわ」
「何だよ。その願いを聞くだけ聞いてやろうって言うガッカリ神龍みたいな言い方は。……まあいい。お前、成仏せずに俺の下で働く気は無いか?」
……過去に実体を持つイレギュラーな幽霊だった俺のように。
「それって、暗に体を重ね合わせて俺を気持ち良くさせろって言ってるわけ? 久し振りにセッちゃんに会ったけど、引くぜー。超引くぜー」
なんだよ、その盛るぜー超盛るぜーみたいな言い方は。
「話をはぐらかすな。意味は分かるだろ。殺生神をやらないか? って言ってるんだよ」
俺が力押しのゴリ押しの念押しで聞くと、礼子はくるりと体を翻し、CGで作ったかのような綺麗な笑顔を作ると、こう言った。
「あたし、成仏します」
その瞬間。俺の心臓を冷たい風が通りすぎたように感じた……。
「何でだよ。悪い話じゃないと思うぞ? 現に俺も殺生神をやってて良かったし」
「あたしは成仏します。初めからそう言う約束だったじゃないですか。今さら違う選択肢を出されても困ります」
突然敬語を話し出した礼子は、俺に対して分かりやすい作り笑いを浮かべる。敬語に作り笑い……。俺の提案で、そこまで俺との間に壁を作りたくなるのかよ。
全く持って意味が分からない。
「……分かったよ。……俺が責任を持って成仏させてやるから安心しろ」
「流石セッちゃん! 物分かりが良いことで! そんな物分かりが良いセッちゃんに、今日の作戦をお知らせします。メモの準備は良いですか? お~っと、揉めじゃないですよメモですよ~」
俺の気持ちなんて完全に受け流し、礼子は話を始めた。
「今日の目的地は、山の上の廃工場。そこは昔、汚染物の垂れ流しが発覚して潰れた工場。汚染物の垂れ流しなんて、まるでセッちゃんですね。おわふ! あたしに石を投げないでください。昨日までに優子には、新しい隠れ家を紹介すると言ってあります。そしてそして! 実は、その廃工場は、過去にあたしと優子が秘密基地を作った場所なのです! これは思い出さない訳ないよね? 思い出させるなんて訳ないよね?」
下調べと言うのはこの事か。工場に行って調べたのだな。
「それで、俺は何をすれば良い?」
「セッちゃんは、優子に気付かれないように後を付いてきて。もしも何かあった時はよろしく」
何かあった時とは何だろう? まあ、おそらく何事も無く終わるだろう。
「よし! じゃあ話はここまで! そろそろ優子が来る時間よ」
俺は優子に見られないようにする為、体を完全に幽体に変えて、人間に見えないようにした。
もちろん、礼子にはバッチリ見えているはずだ。その証拠に礼子は俺の目を見て親指を立てた。
「おまたせ、礼子。新しい隠れ家って言うから、楽しみで塾が終わって急いで来ちゃった」
先日見た時と比べ、自然な笑顔が板についた優子。なんだか口調も朗らかになっているみたいだ。
「よし! 行くぞう! 野郎共! 我に続けー」
「野郎共って。私、女の子だし単数形だよ~」
吉幾三ではなく、野郎共の方に突っ込みを入れる少女を見て、俺は自身の年を自覚してしまった。
そして、元気一杯に掛け声をかけた礼子は、先陣を切って廃工場への道を進んで行った。
……なんだあの山? 幽体の濃度が濃いような……。PG粒子がチラチラと目に見える。
何故それまで気が付かなかったのか分からないが、今を持って初めて、その異変に気が付いた。
おそらく、イレギュラーな幽霊の発生地点。つまりは、礼子が死んだ場所。それが、あの山なのだろう。
……始めに死因も聞いておくべきだったのかもしれない。
廃工場のある山の麓まで辿り着くと、全身にピリピリと小さな電気的な刺激を感じるほどに霊的な空間が形成されていることが分かる。
ピカチュウにでもなった気分だ。
今なら十ボルトくらい出せそうである。
俺は、気配だけでなく姿を消した俺は、二人の後ろを歩きながらアスファルトの地面を踏みしめる。
一方の礼子と優子は、一足先に砂利道である山道に足を踏み入れたのだった。そして俺は、一瞬強ばった礼子の顔を見逃しはしなかった。
二人が山道に入った瞬間。礼子にだけ幽体であるPG粒子が集まり、一瞬光ったかと思うとまたすぐに霧散した。
……あれは夢枕現状? 普通は、死者が生者に対して想いや記憶を見せる現象だ。……死者であるはずの礼子にその現象が起こるのはおかしい。やはり、とてつもないイレギュラーと言うことか?
その後、当然俺は二人に続いて山道に入る。
すると、不思議なことに俺に対しても夢枕現状が起こったのである。
――俺の頭のなかに誰かの記憶が流れ込んでくる。……礼子のものだろう。
学校から帰宅すると誰もいないリビングに五百円玉が置かれている。リビングに隣接した二つの部屋からはパソコンの音やテレビの音が別々に聞こえてくる。
しかし、帰宅を迎える声はしない。
無造作に五百円玉を手に取って家を出ると、近くのゴンビニへ……。小さな弁当とお茶を買い、またしても近くの公園でそれを口にする。……この公園は、ビルに囲まれた例の公園では無かった。
粗末な夕食を終え家に帰ると、五分足らずでシャワーを浴びてリビングに向かう。
……リビングとは生活をする部屋と言う意味だが、この記憶のなかでは不思議なものだった。
…………。
椅子に座ってテーブルに突っ伏した記憶の主は、そのまま眠りに落ちた。
自分の部屋もなけれは、布団すらない。着替えから就寝まで……。リビングと言う名の部屋で彼女は生活を強いられていた――
俺が意識をこちらの世界に戻す頃には、礼子と優子は更に山道を進んでいた。不思議なことに、礼子に何度も夢枕現状が発生している様子だった。……おそらく俺にも同様に夢枕現状が起こるのだろう。
立ち止まって考え事をしていた俺は、二人に追い付くために速足で歩く。速足のせいか、再生される記憶も早送りになっていた。
むしろ、早く歩けば歩くだけ要点だけが頭のなかに流れ込んでくる。
――公園は嫌い。仲間と楽しげに過ごす人達を見ないといけないから。
――学校は嫌い。皆が自分の普通さをアピールし合うなんて馬鹿げてる。……普通じゃない自分が嫌い。
――家が嫌い。冷たいフローリングが嫌い。冷たい机が嫌い。冷たい五百円玉が嫌い。暖かい布団で寝てみたかった。
――人が嫌い。いつもどこかに居場所を求めている人が嫌い。都合良く居場所をすり替える人が嫌い。……居場所を作れない自分が大嫌い――
俺はいつの間にか走っていた。駆け抜けていた。記憶の海を駆け抜けていた。
誰にでも存在する負の感情。当たり前の妬み僻み。
しかし、早送りされた記憶のなかで楽しい感情は一つも出てこなかった。……感情の主と目を合わせた人間は誰一人いなかった。
楽しみ無く、他者との繋がりもなく。それは精神世界で生きる現代社会の中においては、死にも等しい物なのかもしれない。
霊が悪霊になってしまう原因と同じだ。
記憶の連続再生から抜け出した俺は、いつの間にか目的の工場前まで辿り着いていた。それは、鉄筋コンクリート剥き出しで、暗く静かに建っていた。図らずしも恐怖を引き立てる。
工場と言うから、平屋のような造りを想像していたが、体育館を縦に三つ重ねたような立体的な造りだった。高さと広さを兼ね備えた工場だった。
先に到着した俺は工場の入口で二人を待った。待つと言ってもそんなに時間はかからなかった。
楽しそうに笑顔で歩く優子の隣で、額から汗を垂らしながら笑顔を作る礼子。
……嫌な記憶を思い出しながらゆっくりと歩いて来たのだ。死にたくなってもおかしくない記憶を……。
遂に目的地まで辿り着き、俺の顔を確認した礼子は些か安堵の表情を浮かべたように思えた。
俺は疲れた雰囲気を纏わせる礼子に近付き、耳元で労いの言葉をかけた。
「お疲れ様。その……」
続きの言葉が出なかった。
「良いのよ。これで目的が果たせるのだから」
そう言った礼子は、真剣な表情であった。それに、堅く冷たい表情でもあった。礼子は、その表情のまま俺の隣を通り抜けて工場に向かって行く。
何だろう……。何かが引っ掛かっている。俺の思考に何かが引っ掛かる。
順調に回っている様に見えていた歯車が、今さらになって異音を上げる。軋みを伝える。
……礼子は、自分の事を忘れてしまった親友に思い出して貰うことが目的だった。
つまりはここで思い出すような重大なものがあると言うこと。秘密基地がそんなに重大か? 一般的に考えて本当にそうか? 親友の記憶の全てを忘れたと言うのに?
いや、それ以前に目的は本当に優子に思い出して貰うことなのか? 何かを隠しているとは言っていなかったか? 優子と言う子は本当に礼子の元親友で礼子との記憶を無くしているだけなのか? もしかして記憶どころかはじめから……。
それに、さっきからずっと引っ掛かっている。成仏出来ない理由は親友である優子に忘れられたからだよな? 成仏できなくなるくらい未練があるんだよな? じゃあ何で……。
……霊が悪霊になってしまう原因と同じ様な記憶。生者を呪い殺す悪霊になってしまう原因と同じ様な記憶。つい先ほどまで見せられていた記憶。
「……じゃあ何で、その記憶の中に優子の姿が一瞬たりとも写っていないんだ」
俺はそう呟いて振り返る。今考えると、おかしな所はたくさんあった。それもこれも、礼子の変なテンションで誤魔化されて気にならなくなっていたのかもしれない。
もしかすると、それが礼子の作戦だったのか? あのキャラも嘘偽りだったのか?
その礼子は、笑顔の優子の隣に立ち、ちょうど扉を開けているところだった。
「待て礼子!!」
俺の言葉を聞いた礼子は、扉を完全に開いてから俺の方を向いた。
無表情な顔のその頬には、静かに一筋の涙が線を引いていた。
「ごめんなさい」
そう呟いた礼子は、優子の手を引いて工場の中に入っていった。
急いで追いかけた俺も、次いで工場に入る。そして工場に入って直ぐの場所は、広いエントランスになっており、二十メートルはありそうな三階まで吹き抜けになっていた。
しかし、広く静かな空間よりも目に付くものがあった。それは手を繋いで立っている優子と礼子……。
ではなく、その向こう側のものだった。
鼻をつく刺激臭。そんなものは気にならない程生々しいそれは、俺が予想していたものとは違った。違っていたからこそ、俺は理解が出来ずに頭の中が真っ白になった。
それがある場所は、何ヵ月も前に大きな血溜まりがあったことが伺える茶黒い地面になっている。そして茶黒い地面の中心にあるそれ。
それは学生服を着た女生徒の死体……。人骨と言っても差し支えないほどの劣化具合であった。生々しくただれ落ちて最早どのような顔だったのかは判別出来ない。
しかし髪の毛だけは残っており、その長さだけは分かった。血で絡み付き合った跡はあるが、誰の死体なのかは明らかだった。
……それに、着ている学生服にも見覚えがあったからだ。完全に一致していた。
「礼子……。お前、優子と違う学校だよな?」
「そうよ」
俺の質問に対して、振り向きもせずに礼子は答える。優子に俺の存在がばれないようにする必要は、もう無くなってしまったのだ。
目の前の人骨が着ている学生服は、俺の知っている制服に完全に一致。……いや、目の前に同じ制服が‘二つ’あるのだ。そう、それは、その死体は……。
「その死体は、優子のものだな?」
礼子は、沈黙を持って肯定を示した。
先ほどまで笑顔でここまで歩いてきた優子は、まるで時間がとまってしまったかのように硬直していた。微動だにせず立ち尽くしていた。視線の先にはもちろん自らの死体が横たわっている。
俺は考えていた。
なぜ死んだはずの人間がこうして目の前で普通に存在しているのか。
なぜその彼女が死体を目の前にして、無表情で硬直しているのか。
なぜ礼子は涙を流しながら……、しかし動揺するわけでもなくその場にいるのか。
それは、必然的に一つの答えを弾き出す。
そう……。
優子は幽霊だと言う答えを……。
「礼子……。お前は知っていたんだな? いや……。いつから知っていたかを尋ねた方がいいのか……」
礼子は涙に濡れた顔をそのままに、俺の方を振り返った。
「あなたに会って少ししてから気付いたの……。セッちゃんが実体を持つ幽霊が存在するって教えてくれた後」
呟くように囁きかけるように……。そう礼子は話をするとまた前を向き直る。そして、少し上を見上げた。
「それからあたし……気付いたの。誰も、あたしの事が……見えていないって事に……」
儚げに言うと髪をなびかせて、また振り返った。
「セッちゃん知らなかった? あたし、この世の物って触れないの」
笑顔で辛さを誤魔化しながら……礼子は言い切った。
俺はその言葉でこの数日を思い返した。礼子が触れた物は全て、俺が手に持っていた物だけだ……。俺が所持することは、つまり霊にも影響を与えられると言うこと……。
俺は仕事柄それが当たり前だったから気が付かなかった。
他にも、思い起こせば礼子を認識していたのは俺と優子だけではなかったか? どの店の店員も俺にしか話しかけなかったし……。
……電波塔のおっさんは、見えないからこそ察してくれていたんだな……。
思い出せば思い出すほど、自分の注意力の無さが悲しくなってくる。いや、思い出せるのだから、問題は注意力の無さではないのかもしれない。出会ったときのインパクトにやられて、考えが固まってしまったことが問題なのだろう。
「要するに、お前はごく普通の幽霊だった……そういうことか」
「変態だけどね」
そうだな。確かに普通じゃないや。
「いやーーーーーーーーーーッッ!!!!!!」
俺と礼子の会話を遮るかのように悲鳴が上がる。それはまるで拷問を受けている最中の女性のような、全てを拒絶するような叫び。
密室であるところの、この工場が無限に音を反響させる。響く音は優子が息を切らせた後もしばらく鳴り止まずに続いた……。
悲痛を叫びとして吐き出し掃き出し破棄出し切った優子は、その場でうずくまってガタガタと震え出した。
……PG粒子が嵐となる。霊的にかなり危険だ。……無理矢理今すぐにでも成仏させた方がいい…………。
俺は一歩……優子の元へと足を踏み出した。
「待って! お願い!」
しかし、その俺の手を掴んで引き留める者がいる……礼子だ。
「優子を無理矢理成仏させるつもりなら待って! 約束したよね? あたしの事を思い出させるまで付き合うって。まだ優子はあたしの事を思い出してないわ!」
「そんな事を言っている場合じゃないだろう。見てみろ。あんなに苦しんでいる……。このままだと他の霊的な物に影響を与えかねない。下手したらこの世の物まで」
「それでも待って欲しいのッ!!!!」
万が一の事とはこの事だったのか……。俺が気付かないほどのイレギュラーな幽霊が心を乱して力を暴走させる……。それを見越していたのか、こいつは。
「……俺は今日で神様を辞めることになりそうだな」
「ありがと! セッちゃん大好き!!」
そう言うや否や、礼子は震え上がる親友の元へと駆け寄った。
「優子! あたしよ! 礼子よ! 思い出して!!」
優子の前まで回り込んで肩を掴んだ優子は力強く語りかける。
「知らない!! あなたなんか知らない!! 私に話し掛けないで!! 私の前から消えて!! 私の中から出ていって!!!!」
優子が叫ぶと、目に見えない何かに掴まれて投げられたかのように礼子が吹き飛ぶ。
床を転がり、砂埃を上げながら礼子は親友との距離をあける。
反射的に助けに入ろうとした俺の事を左手を向けて拒否し、礼子は再び優子に歩み寄る。言葉を紡ぐ。
「ねぇ……。優子? 毎日遊んだ公園……。楽しかったな……あたしたち二人だけの世界って感じでさ……。どこにも誰からも……居場所なんてものを与えて貰えなかったあたしたち二人だけのさあ……」
「知らない……。あなたなんか知らない」
優子は壊れたレコーダーのように同じ言葉を繰り返す。何度も何度も繰り返す繰り返す。
「優子だけは、あたしを真っ直ぐ見てくれた……。あたしなんかと話をして笑ってくれた……。ありのままのあたしの……友達で居てくれた!!」
「私に友達なんかいない!! 私はずっとひとりぼっちなの!! 友達と幸せな時間を過ごした事なんて無い!! 私に友達なんかいない!!!! あなたは友達なんかじゃない!!!!」
友達なんかじゃない……。文字にすれば単なる否定語。論理的に考えても、経済的に考えても、理数学的に考えても、ただの否定の言語化であり、損失も計算できなければ、悪影響の考察もできない……。
しかし、人の心は理屈利益では計れない。計り知れないほど無意味なモノで簡単に崩れてしまう。弱い……弱いモノなのだ。
「そっか……。友達なんかじゃない……か……」
全てを悟ったような顔。諦めたような顔。世界の真理を掴んだような顔。この世界に絶望しかないことを知り、笑うしかない……。そうして生まれたような空っぽな笑顔……。
「ごめんねセッちゃん。ずいぶん待たせちゃったけど、あたしの勘違いだったみたい。そうだよね……。当たり前だよね。あたしみたいな変なやつ。友達にしたい人なんているわけ無いもんね。本当は分かってたんだ。……分かってたけど、信じたくなかっただけなんだ…………」
「そんなこと……」
俺は何と言って声をかけたら良いか分からなかった。
「本当は忘れたいほどあたしの事が嫌だったんだって……。気付いてたんだ。でも、もしかしたら忘れたくて忘れたわけじゃないんだって思いたくて……。しつこくこんな事までして……。もう、いいや。成仏するよ」
空っぽな笑顔のまま、礼子は空に向かって顔を上げた。……上を向いて歩いても、涙は零れるんだな。なんだよ、みくるビームしか出ないんじゃなかったのかよ。
「あたし、セッちゃんのこと騙してたの。多分あたしは悪霊ってやつ。優子に未練があって取り憑いた背後霊。本当なら、問答無用で地獄行き」
勝手にルールを決めるな。そう言いたかったが、口を開くことはできなかった。
「じゃあ、セッちゃんお願い。あたしを成仏させて」
俺は動けないでいた。
「早くしてよセッちゃん…………。あたし……早く消えたいの。早く消え去りたいの!!」
最後まで笑顔で居続けようとした少女は、もはや笑っているのか泣いているのか……はたまた怒っているのか悲しんでいるのか……。感情と言う概念を根底から崩したような、えも言えぬ表情をしていた。
声は……寂しかった……。
「すまない礼子……。力になれなくて」
礼子の頭にそっと手を置く。
「セッちゃんと過ごした日々は楽しかったから……いいや。なにも無しで成仏するよりは少しだけマシ」
「そう言ってくれるとありがたい」
俺は成仏させるために力を練った。
「早く消えてよ! 私の中から消えてよ!! もう忘れたいのよ!!!!」
またしても優子が叫ぶ。…………耳障りだ。
俺の右の掌には、いっそう強くなった震えが伝わってくる。震えの主は、固く目を閉じている。
俺は、震えを強くさせた張本人を睨み付けた。その時。優子の周りを漂っていたPG粒子が荒れ狂い、濁流のように此方に向かってきた。
夢枕現象。それに準ずる何かが俺と礼子の体に起こった。俺と礼子はタイムスリップしたみたいに、この工場の同じ場所に立っていた。実体でも幽体でも無い何かとなって……。
――俺は、辺りを見渡すと吹き抜けの三階に優子が立っているのを見つけた。
俺は礼子の手を取ると、宙に浮いて優子の目の前まで移動する。すると、優子の心の声が聞こえてきた……。
『何で礼子は死んじゃったの? 何で私を一人にするの?』
それは友の死を悼み、寂しがる普通の少女の心の声だった。……友達なんかじゃないと言う台詞を吐いた人と同一人物にはとても見えなかった。
しかし、俺の隣にいる礼子は未だに信じる様子などなく、冷めた目で優子を眺めていた。
『また私は一人に戻るの? 私に楽しい思い出だけ与えて、一人ぼっちじゃない幸せな日々を教えて……。もう前までの普通には戻れないよ。辛すぎるよ。礼子との日々を知っちゃったら……』
偽りの台詞には思えなかった。
何故なら、優子の顔中に涙の枯れた跡が残っていたからである。その言葉に礼子も心を揺るがされたのか、目に少しだけ光が戻っていた。
『こんなに辛いなら……いっそのこと記憶から無くなってしまえば良いのに……。礼子と会うまでは、一人ぼっちが辛いなんて思わなかったし。こんなに辛いなら出会うべきじゃなかった。思い出すほど辛くなるなら、いっそのこと忘れてしまいたい!!』
その後の出来事は、礼子に見せられなかった。咄嗟に礼子の目を塞いだことは正しかったと思う。
『頭を強く打てば忘れられるかな?』
――そう、心の声が響いてきた直後に優子は……。吹き抜けの三階から今いるこの場所に……。
俺と礼子は、気が付くと剥き出しな冷たいコンクリートに座るようにして夢枕現象から覚めた。
礼子を強制的に成仏させようとしていた手は、既に礼子の頭から離れていた。
俺は空を撫でるようにしてヒタリと右手を膝に落とす。
時を同じくして、礼子は涙をヒタリヒタリと膝に落とす。
肩を落とす。視線を落とす。気を落とす……。
「……れい……こ? 泣いてるの?」
先程まで奇声を上げていた優子は、礼子のそばまで寄り、優しい声で顔を上げさせた。
その様子は、明らかに礼子の事を思い出している。
大切な友人にかける、心を配った言葉だった。
「優子? 思い出してくれたの?」
「忘れるはずが無いわ。あなたほど私と本心で語り合った友達は他にないもの。親友を……忘れるはずが無いわ」
強く優しく放たれた言葉は礼子の涙の元栓を全開にしたようだ。優子を真っ直ぐに見つめながら瞬き一つしない礼子の姿が、そこにあった。礼子の視線に応えるように優子は口を開く。
「ごめんなさい。私、礼子がいない世界に一人ぼっちでいることに耐えられなくて……。気が付いたら、礼子に出会う前の自分を造り出してたの」
両手を胸に当てて話す優子。俺はその時、山を覆っていた幽体が消え去っていることに気付いた。……おそらく、この山を覆っていた幽体が優子の本来の魂だったのだろう。
そこから実体を持った幽霊が造り出されたのか……。理由は、礼子との楽しい思い出を持たない自分で人生をやり直すためだろう。
なんてわがままなのか。一瞬そう思った俺だったが、たった一人の友人が優子にとってどれだけ大切なものなのか。それを部外者の俺が推し量るには少々無粋なものだし、そこから悪評を立てるのは失礼にも程がある。
「良かった……。本当に良かった!! あたし、優子にとって忘れたいほど嫌なものだったのかと思ってた。あたしのせいで、無理をさせて気を使わせて辛い思いをさせ続けてたのかと思って怖かった」
らしくも無く、礼子はすがるようにそう言った。
「そんなわけ無いわ。礼子は、私の人生で一番大切なものをくれた大切なひとよ」
そう言って、優子は礼子の手を引いて立ち上がらせる。立ち上げる。
気持ちを掬い上げる。
そのまま手を回して抱き締めると、さらに一言こう呟いた。
「ごめん、礼子。最後に謝らないといけないことがあるの」
記憶を全て取り戻した優子。いや、語りかける為の体を取り戻したと言った方が適切かもしれない。
事の全てを知っている優子が真実を語り始めたのだ。
「私が死んでしまって幽霊になった時。まだ私はただの幽霊だったの。そう、礼子がこの世に現れるまでは。いえ、言い方が違うわね……。私があなたを造るまでは」
抱き締めていた手を放して、二人は距離を離して、優子はゆっくりと話していた。落ち着いて話す優子とはうって代わり、礼子は理解が追い付かずただただ優子を見るばかりだった。
優子は言ったのだ。礼子を‘造ったのだ’と。俺ならば、どの時点から造ったのかと質問を返す余裕もある。例えば幽霊として造ったとか。例えば思い出から造ったとか。例えば生まれた瞬間から造ったとか……。
しかし、今の礼子にそんな思考が回るはずがない。その様子を感じ取ったのか、優子は話を続けた。
「もちろん、造ったと言っても幽霊という存在としての礼子よ。あなたを忘れて一から始めようと思った私は、結局あなたを忘れられなかった。あなたを忘れられなかった私は、結局あなたとまた出会う道を望んだ」
――そして、記憶を失い。礼子との出会いから始めたのだ……。
「ごめんなさい礼子。成仏したはずのあなたを……私は無理矢理形造ってこの世に縛り付けたの。あなたはこの世に未練が無いはずなのに……。幸せに成仏したはずなのに……。本当にごめんなさい。私のわがままのせいで礼子は!」
別れを悔やみ、出会いを悔やみ、また出会いを悔やむ。謝罪の言葉を何度も口にする優子の肩は、ずっと震え続けていた。
「なんだ、そんなことか!」
優子の肩の震えがピタリと止む。先程まで俯いていた優子は顔を上げ、驚きの表情を作っていた。その見開かれた瞳には、普段の明るくウザイ礼子の姿が写る。
「最初からおかしいなーって思ってたのよ。生きてる間に優子に忘れられた訳でもないのに、なんで忘れられた事に未練があるのかってね。まあ、そう言うことなら納得っすよね。でも優子、勘違いしちゃダメよー。あたしの幸せはあたしが決める。あたしは幽霊としてもう一度優子に出会えて幸せ! これでケッテー! 優子はあたしをさらに幸せにした! それでオッケー?」
いつもの礼子はいつもの様に朗らかに言うと、力強く人指し指を立てて、力強く優子の頬に突き刺した。……痛そうな人刺し指だ。
「じゃあ……そうする……そう思う様にする! 礼子がそう言ってくれるなら……。でも私……いつも礼子に甘えてばっかり」
顔をグシャグシャにして涙を滝のように流しながら優子は言った。人刺し指は涙に濡れる。
「そんなに泣くなよ親友! 優子はあたしに甘えてなんぼの可愛い生物じゃないか」
礼子は優子の髪を乱暴に撫でると、俺の方に歩いてきた。
「さあ、あたしの未練も消えたことだし。成仏させてよセッちゃん!」
おっと。完全に空気と化していたので突然の声かけに反応が遅れるではないか。成仏させれば良いんだな? 礼子を成仏させれば良いんだよな? だが、断る!
「未練が無くなれば、俺の手を借りなくても自分の力で成仏できるはずだ。それに、俺は礼子の未練が無くなるまで付き合うって言ったはずだが?」
「セッちゃん!! 最後の最後まで御迷惑おかけします!!」
綺麗なスライディング土下座からのジャンピング土下寝を決めてくれた。後ろで優子が日常風景を見るようなリラックスした顔で礼子を見ている。
「で? 俺の力で何をして欲しいんだ?」
俺は自分で言ったことは絶対に曲げない。
「優子を生き返らせて!」
……は?
「……は?」
……ぱーどぅん??
「……ぱーどぅん??」
「実体はある。死体もある。誰にもバレてはいない。セッちゃんにすら今日まで気付かれなかったくらいだし。どうよこの優良物件! 買いでしょ! 買い! いつ生き返らせるの? 今でしょ!?」
何が今でしょ!? だよ。……確かにこれだけの条件なら生き返らせる事も可能かもしれない。しかし、他の神にバレたら俺は神から降ろされるだろう。最悪、魂ごと酷い処分を受けるかもしれない。だが!
「優子が生き返りたいって言うなら生き返らせてやる」
条件はこれだけだ。しかし……いや、やはりと言った所か。優子は顔を渋らせた。
「礼子がいないこの世界に生き返っても意味無いわ。礼子……せっかくだけど」
「あたしが生まれ変わって会いに行くとしたらどうですか?」
突然の申し出だった。……ハッタリだろう。そんなことは神にでもならないと無理だ。
「でも、生まれ変わっても私に会うまで時間がかかりすぎるよ」
「すぐ行く! 走っていく!!」
それはそれは真っ直ぐな視線で言った。そしてその目は、イエスと返事をするまで諦めない眼差しだった。
「じゃあ……」
……これにて、俺の殺生神生活が終わりを告げたのであった。
礼子がいないからか、俺は普段通り夕方まで眠りについていた。
さて、ここで読者の皆様が気になって眠れなかった俺の毎日について話をしよう。
先にも言った通り、まず夜中から夕方まで約十五時間の睡眠を取る。別段仕事が貯まっていなければ起きてもすることはない。
そして、いつも枕の下に敷いている携帯端末スイーツフォンで死神や神からの仕事のメールをチェックする。ちなみに今日のメールは死神と神から一通ずつのみ。……なになに?
『新しい仕事無し』
毎日忙しい死神からの淡泊なメールだった。次は神から。
『今日もニート乙www。人には見せられない姿だよね? だよねwww。ニートの神ギガントワロスwww。テラワロプンテwww』
……神は暇をもて余しているみたいだな……地獄に落ちればいいのに。
このように、仕事が貯まっていなければ新たに仕事が入ることもない。
一応、バイトのようなものはしているが、これまた引きこもりの延長だ。
「さて、依頼があったネトゲのレベルあげに勤しむか」
一レベル百円のボロい仕事だ。レアアイテムを取る仕事なんかもある。
これが俺の一番の収入源だ。
これで俺の仕事を少しは理解していただけただろうか? 理解していただけた所で本編へと移行する。
時間はピンポンダッシュばりの全速力で駆け抜け、あれから三日後の夜になった。夜と言っても、まだ日が落ちて直ぐの時間帯。夕焼けの赤と夕闇の青黒い空がグラデーションを作り出すような時間。
親友の記憶を無くしてしまった少女、優子が塾から帰るにはまだ時間がかかりそうである。
しかし、俺が礼子と約束を交わした時間は、ちょうど今。場所はここ、閉ざされた公園だ。
「どんな調子だ? 本当に今日で思い出して貰えそうか?」
俺は、滑り台の上でビル風を受けながら、鉄棒で逆上がりをする礼子に話しかける。
逆上がりなんてするからパンツが丸見えだ。せめて前回りなら見えずに回れるだろうに。
「完璧よ! あたしの予想が正しければ、今日で完璧に全てを思い出してくれるはずだわ。……下調べもして来たし」
下調べをして来た。そう言った礼子は、俺から表情が見えないように顔を背けた。その下調べには何かしらの事情があるのだろう。
「そうか。なら、今日を最後に礼子は成仏できる訳だな。……成仏する前に聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「なに? 質問を聞くだけは聞いてあげるわ」
「何だよ。その願いを聞くだけ聞いてやろうって言うガッカリ神龍みたいな言い方は。……まあいい。お前、成仏せずに俺の下で働く気は無いか?」
……過去に実体を持つイレギュラーな幽霊だった俺のように。
「それって、暗に体を重ね合わせて俺を気持ち良くさせろって言ってるわけ? 久し振りにセッちゃんに会ったけど、引くぜー。超引くぜー」
なんだよ、その盛るぜー超盛るぜーみたいな言い方は。
「話をはぐらかすな。意味は分かるだろ。殺生神をやらないか? って言ってるんだよ」
俺が力押しのゴリ押しの念押しで聞くと、礼子はくるりと体を翻し、CGで作ったかのような綺麗な笑顔を作ると、こう言った。
「あたし、成仏します」
その瞬間。俺の心臓を冷たい風が通りすぎたように感じた……。
「何でだよ。悪い話じゃないと思うぞ? 現に俺も殺生神をやってて良かったし」
「あたしは成仏します。初めからそう言う約束だったじゃないですか。今さら違う選択肢を出されても困ります」
突然敬語を話し出した礼子は、俺に対して分かりやすい作り笑いを浮かべる。敬語に作り笑い……。俺の提案で、そこまで俺との間に壁を作りたくなるのかよ。
全く持って意味が分からない。
「……分かったよ。……俺が責任を持って成仏させてやるから安心しろ」
「流石セッちゃん! 物分かりが良いことで! そんな物分かりが良いセッちゃんに、今日の作戦をお知らせします。メモの準備は良いですか? お~っと、揉めじゃないですよメモですよ~」
俺の気持ちなんて完全に受け流し、礼子は話を始めた。
「今日の目的地は、山の上の廃工場。そこは昔、汚染物の垂れ流しが発覚して潰れた工場。汚染物の垂れ流しなんて、まるでセッちゃんですね。おわふ! あたしに石を投げないでください。昨日までに優子には、新しい隠れ家を紹介すると言ってあります。そしてそして! 実は、その廃工場は、過去にあたしと優子が秘密基地を作った場所なのです! これは思い出さない訳ないよね? 思い出させるなんて訳ないよね?」
下調べと言うのはこの事か。工場に行って調べたのだな。
「それで、俺は何をすれば良い?」
「セッちゃんは、優子に気付かれないように後を付いてきて。もしも何かあった時はよろしく」
何かあった時とは何だろう? まあ、おそらく何事も無く終わるだろう。
「よし! じゃあ話はここまで! そろそろ優子が来る時間よ」
俺は優子に見られないようにする為、体を完全に幽体に変えて、人間に見えないようにした。
もちろん、礼子にはバッチリ見えているはずだ。その証拠に礼子は俺の目を見て親指を立てた。
「おまたせ、礼子。新しい隠れ家って言うから、楽しみで塾が終わって急いで来ちゃった」
先日見た時と比べ、自然な笑顔が板についた優子。なんだか口調も朗らかになっているみたいだ。
「よし! 行くぞう! 野郎共! 我に続けー」
「野郎共って。私、女の子だし単数形だよ~」
吉幾三ではなく、野郎共の方に突っ込みを入れる少女を見て、俺は自身の年を自覚してしまった。
そして、元気一杯に掛け声をかけた礼子は、先陣を切って廃工場への道を進んで行った。
……なんだあの山? 幽体の濃度が濃いような……。PG粒子がチラチラと目に見える。
何故それまで気が付かなかったのか分からないが、今を持って初めて、その異変に気が付いた。
おそらく、イレギュラーな幽霊の発生地点。つまりは、礼子が死んだ場所。それが、あの山なのだろう。
……始めに死因も聞いておくべきだったのかもしれない。
廃工場のある山の麓まで辿り着くと、全身にピリピリと小さな電気的な刺激を感じるほどに霊的な空間が形成されていることが分かる。
ピカチュウにでもなった気分だ。
今なら十ボルトくらい出せそうである。
俺は、気配だけでなく姿を消した俺は、二人の後ろを歩きながらアスファルトの地面を踏みしめる。
一方の礼子と優子は、一足先に砂利道である山道に足を踏み入れたのだった。そして俺は、一瞬強ばった礼子の顔を見逃しはしなかった。
二人が山道に入った瞬間。礼子にだけ幽体であるPG粒子が集まり、一瞬光ったかと思うとまたすぐに霧散した。
……あれは夢枕現状? 普通は、死者が生者に対して想いや記憶を見せる現象だ。……死者であるはずの礼子にその現象が起こるのはおかしい。やはり、とてつもないイレギュラーと言うことか?
その後、当然俺は二人に続いて山道に入る。
すると、不思議なことに俺に対しても夢枕現状が起こったのである。
――俺の頭のなかに誰かの記憶が流れ込んでくる。……礼子のものだろう。
学校から帰宅すると誰もいないリビングに五百円玉が置かれている。リビングに隣接した二つの部屋からはパソコンの音やテレビの音が別々に聞こえてくる。
しかし、帰宅を迎える声はしない。
無造作に五百円玉を手に取って家を出ると、近くのゴンビニへ……。小さな弁当とお茶を買い、またしても近くの公園でそれを口にする。……この公園は、ビルに囲まれた例の公園では無かった。
粗末な夕食を終え家に帰ると、五分足らずでシャワーを浴びてリビングに向かう。
……リビングとは生活をする部屋と言う意味だが、この記憶のなかでは不思議なものだった。
…………。
椅子に座ってテーブルに突っ伏した記憶の主は、そのまま眠りに落ちた。
自分の部屋もなけれは、布団すらない。着替えから就寝まで……。リビングと言う名の部屋で彼女は生活を強いられていた――
俺が意識をこちらの世界に戻す頃には、礼子と優子は更に山道を進んでいた。不思議なことに、礼子に何度も夢枕現状が発生している様子だった。……おそらく俺にも同様に夢枕現状が起こるのだろう。
立ち止まって考え事をしていた俺は、二人に追い付くために速足で歩く。速足のせいか、再生される記憶も早送りになっていた。
むしろ、早く歩けば歩くだけ要点だけが頭のなかに流れ込んでくる。
――公園は嫌い。仲間と楽しげに過ごす人達を見ないといけないから。
――学校は嫌い。皆が自分の普通さをアピールし合うなんて馬鹿げてる。……普通じゃない自分が嫌い。
――家が嫌い。冷たいフローリングが嫌い。冷たい机が嫌い。冷たい五百円玉が嫌い。暖かい布団で寝てみたかった。
――人が嫌い。いつもどこかに居場所を求めている人が嫌い。都合良く居場所をすり替える人が嫌い。……居場所を作れない自分が大嫌い――
俺はいつの間にか走っていた。駆け抜けていた。記憶の海を駆け抜けていた。
誰にでも存在する負の感情。当たり前の妬み僻み。
しかし、早送りされた記憶のなかで楽しい感情は一つも出てこなかった。……感情の主と目を合わせた人間は誰一人いなかった。
楽しみ無く、他者との繋がりもなく。それは精神世界で生きる現代社会の中においては、死にも等しい物なのかもしれない。
霊が悪霊になってしまう原因と同じだ。
記憶の連続再生から抜け出した俺は、いつの間にか目的の工場前まで辿り着いていた。それは、鉄筋コンクリート剥き出しで、暗く静かに建っていた。図らずしも恐怖を引き立てる。
工場と言うから、平屋のような造りを想像していたが、体育館を縦に三つ重ねたような立体的な造りだった。高さと広さを兼ね備えた工場だった。
先に到着した俺は工場の入口で二人を待った。待つと言ってもそんなに時間はかからなかった。
楽しそうに笑顔で歩く優子の隣で、額から汗を垂らしながら笑顔を作る礼子。
……嫌な記憶を思い出しながらゆっくりと歩いて来たのだ。死にたくなってもおかしくない記憶を……。
遂に目的地まで辿り着き、俺の顔を確認した礼子は些か安堵の表情を浮かべたように思えた。
俺は疲れた雰囲気を纏わせる礼子に近付き、耳元で労いの言葉をかけた。
「お疲れ様。その……」
続きの言葉が出なかった。
「良いのよ。これで目的が果たせるのだから」
そう言った礼子は、真剣な表情であった。それに、堅く冷たい表情でもあった。礼子は、その表情のまま俺の隣を通り抜けて工場に向かって行く。
何だろう……。何かが引っ掛かっている。俺の思考に何かが引っ掛かる。
順調に回っている様に見えていた歯車が、今さらになって異音を上げる。軋みを伝える。
……礼子は、自分の事を忘れてしまった親友に思い出して貰うことが目的だった。
つまりはここで思い出すような重大なものがあると言うこと。秘密基地がそんなに重大か? 一般的に考えて本当にそうか? 親友の記憶の全てを忘れたと言うのに?
いや、それ以前に目的は本当に優子に思い出して貰うことなのか? 何かを隠しているとは言っていなかったか? 優子と言う子は本当に礼子の元親友で礼子との記憶を無くしているだけなのか? もしかして記憶どころかはじめから……。
それに、さっきからずっと引っ掛かっている。成仏出来ない理由は親友である優子に忘れられたからだよな? 成仏できなくなるくらい未練があるんだよな? じゃあ何で……。
……霊が悪霊になってしまう原因と同じ様な記憶。生者を呪い殺す悪霊になってしまう原因と同じ様な記憶。つい先ほどまで見せられていた記憶。
「……じゃあ何で、その記憶の中に優子の姿が一瞬たりとも写っていないんだ」
俺はそう呟いて振り返る。今考えると、おかしな所はたくさんあった。それもこれも、礼子の変なテンションで誤魔化されて気にならなくなっていたのかもしれない。
もしかすると、それが礼子の作戦だったのか? あのキャラも嘘偽りだったのか?
その礼子は、笑顔の優子の隣に立ち、ちょうど扉を開けているところだった。
「待て礼子!!」
俺の言葉を聞いた礼子は、扉を完全に開いてから俺の方を向いた。
無表情な顔のその頬には、静かに一筋の涙が線を引いていた。
「ごめんなさい」
そう呟いた礼子は、優子の手を引いて工場の中に入っていった。
急いで追いかけた俺も、次いで工場に入る。そして工場に入って直ぐの場所は、広いエントランスになっており、二十メートルはありそうな三階まで吹き抜けになっていた。
しかし、広く静かな空間よりも目に付くものがあった。それは手を繋いで立っている優子と礼子……。
ではなく、その向こう側のものだった。
鼻をつく刺激臭。そんなものは気にならない程生々しいそれは、俺が予想していたものとは違った。違っていたからこそ、俺は理解が出来ずに頭の中が真っ白になった。
それがある場所は、何ヵ月も前に大きな血溜まりがあったことが伺える茶黒い地面になっている。そして茶黒い地面の中心にあるそれ。
それは学生服を着た女生徒の死体……。人骨と言っても差し支えないほどの劣化具合であった。生々しくただれ落ちて最早どのような顔だったのかは判別出来ない。
しかし髪の毛だけは残っており、その長さだけは分かった。血で絡み付き合った跡はあるが、誰の死体なのかは明らかだった。
……それに、着ている学生服にも見覚えがあったからだ。完全に一致していた。
「礼子……。お前、優子と違う学校だよな?」
「そうよ」
俺の質問に対して、振り向きもせずに礼子は答える。優子に俺の存在がばれないようにする必要は、もう無くなってしまったのだ。
目の前の人骨が着ている学生服は、俺の知っている制服に完全に一致。……いや、目の前に同じ制服が‘二つ’あるのだ。そう、それは、その死体は……。
「その死体は、優子のものだな?」
礼子は、沈黙を持って肯定を示した。
先ほどまで笑顔でここまで歩いてきた優子は、まるで時間がとまってしまったかのように硬直していた。微動だにせず立ち尽くしていた。視線の先にはもちろん自らの死体が横たわっている。
俺は考えていた。
なぜ死んだはずの人間がこうして目の前で普通に存在しているのか。
なぜその彼女が死体を目の前にして、無表情で硬直しているのか。
なぜ礼子は涙を流しながら……、しかし動揺するわけでもなくその場にいるのか。
それは、必然的に一つの答えを弾き出す。
そう……。
優子は幽霊だと言う答えを……。
「礼子……。お前は知っていたんだな? いや……。いつから知っていたかを尋ねた方がいいのか……」
礼子は涙に濡れた顔をそのままに、俺の方を振り返った。
「あなたに会って少ししてから気付いたの……。セッちゃんが実体を持つ幽霊が存在するって教えてくれた後」
呟くように囁きかけるように……。そう礼子は話をするとまた前を向き直る。そして、少し上を見上げた。
「それからあたし……気付いたの。誰も、あたしの事が……見えていないって事に……」
儚げに言うと髪をなびかせて、また振り返った。
「セッちゃん知らなかった? あたし、この世の物って触れないの」
笑顔で辛さを誤魔化しながら……礼子は言い切った。
俺はその言葉でこの数日を思い返した。礼子が触れた物は全て、俺が手に持っていた物だけだ……。俺が所持することは、つまり霊にも影響を与えられると言うこと……。
俺は仕事柄それが当たり前だったから気が付かなかった。
他にも、思い起こせば礼子を認識していたのは俺と優子だけではなかったか? どの店の店員も俺にしか話しかけなかったし……。
……電波塔のおっさんは、見えないからこそ察してくれていたんだな……。
思い出せば思い出すほど、自分の注意力の無さが悲しくなってくる。いや、思い出せるのだから、問題は注意力の無さではないのかもしれない。出会ったときのインパクトにやられて、考えが固まってしまったことが問題なのだろう。
「要するに、お前はごく普通の幽霊だった……そういうことか」
「変態だけどね」
そうだな。確かに普通じゃないや。
「いやーーーーーーーーーーッッ!!!!!!」
俺と礼子の会話を遮るかのように悲鳴が上がる。それはまるで拷問を受けている最中の女性のような、全てを拒絶するような叫び。
密室であるところの、この工場が無限に音を反響させる。響く音は優子が息を切らせた後もしばらく鳴り止まずに続いた……。
悲痛を叫びとして吐き出し掃き出し破棄出し切った優子は、その場でうずくまってガタガタと震え出した。
……PG粒子が嵐となる。霊的にかなり危険だ。……無理矢理今すぐにでも成仏させた方がいい…………。
俺は一歩……優子の元へと足を踏み出した。
「待って! お願い!」
しかし、その俺の手を掴んで引き留める者がいる……礼子だ。
「優子を無理矢理成仏させるつもりなら待って! 約束したよね? あたしの事を思い出させるまで付き合うって。まだ優子はあたしの事を思い出してないわ!」
「そんな事を言っている場合じゃないだろう。見てみろ。あんなに苦しんでいる……。このままだと他の霊的な物に影響を与えかねない。下手したらこの世の物まで」
「それでも待って欲しいのッ!!!!」
万が一の事とはこの事だったのか……。俺が気付かないほどのイレギュラーな幽霊が心を乱して力を暴走させる……。それを見越していたのか、こいつは。
「……俺は今日で神様を辞めることになりそうだな」
「ありがと! セッちゃん大好き!!」
そう言うや否や、礼子は震え上がる親友の元へと駆け寄った。
「優子! あたしよ! 礼子よ! 思い出して!!」
優子の前まで回り込んで肩を掴んだ優子は力強く語りかける。
「知らない!! あなたなんか知らない!! 私に話し掛けないで!! 私の前から消えて!! 私の中から出ていって!!!!」
優子が叫ぶと、目に見えない何かに掴まれて投げられたかのように礼子が吹き飛ぶ。
床を転がり、砂埃を上げながら礼子は親友との距離をあける。
反射的に助けに入ろうとした俺の事を左手を向けて拒否し、礼子は再び優子に歩み寄る。言葉を紡ぐ。
「ねぇ……。優子? 毎日遊んだ公園……。楽しかったな……あたしたち二人だけの世界って感じでさ……。どこにも誰からも……居場所なんてものを与えて貰えなかったあたしたち二人だけのさあ……」
「知らない……。あなたなんか知らない」
優子は壊れたレコーダーのように同じ言葉を繰り返す。何度も何度も繰り返す繰り返す。
「優子だけは、あたしを真っ直ぐ見てくれた……。あたしなんかと話をして笑ってくれた……。ありのままのあたしの……友達で居てくれた!!」
「私に友達なんかいない!! 私はずっとひとりぼっちなの!! 友達と幸せな時間を過ごした事なんて無い!! 私に友達なんかいない!!!! あなたは友達なんかじゃない!!!!」
友達なんかじゃない……。文字にすれば単なる否定語。論理的に考えても、経済的に考えても、理数学的に考えても、ただの否定の言語化であり、損失も計算できなければ、悪影響の考察もできない……。
しかし、人の心は理屈利益では計れない。計り知れないほど無意味なモノで簡単に崩れてしまう。弱い……弱いモノなのだ。
「そっか……。友達なんかじゃない……か……」
全てを悟ったような顔。諦めたような顔。世界の真理を掴んだような顔。この世界に絶望しかないことを知り、笑うしかない……。そうして生まれたような空っぽな笑顔……。
「ごめんねセッちゃん。ずいぶん待たせちゃったけど、あたしの勘違いだったみたい。そうだよね……。当たり前だよね。あたしみたいな変なやつ。友達にしたい人なんているわけ無いもんね。本当は分かってたんだ。……分かってたけど、信じたくなかっただけなんだ…………」
「そんなこと……」
俺は何と言って声をかけたら良いか分からなかった。
「本当は忘れたいほどあたしの事が嫌だったんだって……。気付いてたんだ。でも、もしかしたら忘れたくて忘れたわけじゃないんだって思いたくて……。しつこくこんな事までして……。もう、いいや。成仏するよ」
空っぽな笑顔のまま、礼子は空に向かって顔を上げた。……上を向いて歩いても、涙は零れるんだな。なんだよ、みくるビームしか出ないんじゃなかったのかよ。
「あたし、セッちゃんのこと騙してたの。多分あたしは悪霊ってやつ。優子に未練があって取り憑いた背後霊。本当なら、問答無用で地獄行き」
勝手にルールを決めるな。そう言いたかったが、口を開くことはできなかった。
「じゃあ、セッちゃんお願い。あたしを成仏させて」
俺は動けないでいた。
「早くしてよセッちゃん…………。あたし……早く消えたいの。早く消え去りたいの!!」
最後まで笑顔で居続けようとした少女は、もはや笑っているのか泣いているのか……はたまた怒っているのか悲しんでいるのか……。感情と言う概念を根底から崩したような、えも言えぬ表情をしていた。
声は……寂しかった……。
「すまない礼子……。力になれなくて」
礼子の頭にそっと手を置く。
「セッちゃんと過ごした日々は楽しかったから……いいや。なにも無しで成仏するよりは少しだけマシ」
「そう言ってくれるとありがたい」
俺は成仏させるために力を練った。
「早く消えてよ! 私の中から消えてよ!! もう忘れたいのよ!!!!」
またしても優子が叫ぶ。…………耳障りだ。
俺の右の掌には、いっそう強くなった震えが伝わってくる。震えの主は、固く目を閉じている。
俺は、震えを強くさせた張本人を睨み付けた。その時。優子の周りを漂っていたPG粒子が荒れ狂い、濁流のように此方に向かってきた。
夢枕現象。それに準ずる何かが俺と礼子の体に起こった。俺と礼子はタイムスリップしたみたいに、この工場の同じ場所に立っていた。実体でも幽体でも無い何かとなって……。
――俺は、辺りを見渡すと吹き抜けの三階に優子が立っているのを見つけた。
俺は礼子の手を取ると、宙に浮いて優子の目の前まで移動する。すると、優子の心の声が聞こえてきた……。
『何で礼子は死んじゃったの? 何で私を一人にするの?』
それは友の死を悼み、寂しがる普通の少女の心の声だった。……友達なんかじゃないと言う台詞を吐いた人と同一人物にはとても見えなかった。
しかし、俺の隣にいる礼子は未だに信じる様子などなく、冷めた目で優子を眺めていた。
『また私は一人に戻るの? 私に楽しい思い出だけ与えて、一人ぼっちじゃない幸せな日々を教えて……。もう前までの普通には戻れないよ。辛すぎるよ。礼子との日々を知っちゃったら……』
偽りの台詞には思えなかった。
何故なら、優子の顔中に涙の枯れた跡が残っていたからである。その言葉に礼子も心を揺るがされたのか、目に少しだけ光が戻っていた。
『こんなに辛いなら……いっそのこと記憶から無くなってしまえば良いのに……。礼子と会うまでは、一人ぼっちが辛いなんて思わなかったし。こんなに辛いなら出会うべきじゃなかった。思い出すほど辛くなるなら、いっそのこと忘れてしまいたい!!』
その後の出来事は、礼子に見せられなかった。咄嗟に礼子の目を塞いだことは正しかったと思う。
『頭を強く打てば忘れられるかな?』
――そう、心の声が響いてきた直後に優子は……。吹き抜けの三階から今いるこの場所に……。
俺と礼子は、気が付くと剥き出しな冷たいコンクリートに座るようにして夢枕現象から覚めた。
礼子を強制的に成仏させようとしていた手は、既に礼子の頭から離れていた。
俺は空を撫でるようにしてヒタリと右手を膝に落とす。
時を同じくして、礼子は涙をヒタリヒタリと膝に落とす。
肩を落とす。視線を落とす。気を落とす……。
「……れい……こ? 泣いてるの?」
先程まで奇声を上げていた優子は、礼子のそばまで寄り、優しい声で顔を上げさせた。
その様子は、明らかに礼子の事を思い出している。
大切な友人にかける、心を配った言葉だった。
「優子? 思い出してくれたの?」
「忘れるはずが無いわ。あなたほど私と本心で語り合った友達は他にないもの。親友を……忘れるはずが無いわ」
強く優しく放たれた言葉は礼子の涙の元栓を全開にしたようだ。優子を真っ直ぐに見つめながら瞬き一つしない礼子の姿が、そこにあった。礼子の視線に応えるように優子は口を開く。
「ごめんなさい。私、礼子がいない世界に一人ぼっちでいることに耐えられなくて……。気が付いたら、礼子に出会う前の自分を造り出してたの」
両手を胸に当てて話す優子。俺はその時、山を覆っていた幽体が消え去っていることに気付いた。……おそらく、この山を覆っていた幽体が優子の本来の魂だったのだろう。
そこから実体を持った幽霊が造り出されたのか……。理由は、礼子との楽しい思い出を持たない自分で人生をやり直すためだろう。
なんてわがままなのか。一瞬そう思った俺だったが、たった一人の友人が優子にとってどれだけ大切なものなのか。それを部外者の俺が推し量るには少々無粋なものだし、そこから悪評を立てるのは失礼にも程がある。
「良かった……。本当に良かった!! あたし、優子にとって忘れたいほど嫌なものだったのかと思ってた。あたしのせいで、無理をさせて気を使わせて辛い思いをさせ続けてたのかと思って怖かった」
らしくも無く、礼子はすがるようにそう言った。
「そんなわけ無いわ。礼子は、私の人生で一番大切なものをくれた大切なひとよ」
そう言って、優子は礼子の手を引いて立ち上がらせる。立ち上げる。
気持ちを掬い上げる。
そのまま手を回して抱き締めると、さらに一言こう呟いた。
「ごめん、礼子。最後に謝らないといけないことがあるの」
記憶を全て取り戻した優子。いや、語りかける為の体を取り戻したと言った方が適切かもしれない。
事の全てを知っている優子が真実を語り始めたのだ。
「私が死んでしまって幽霊になった時。まだ私はただの幽霊だったの。そう、礼子がこの世に現れるまでは。いえ、言い方が違うわね……。私があなたを造るまでは」
抱き締めていた手を放して、二人は距離を離して、優子はゆっくりと話していた。落ち着いて話す優子とはうって代わり、礼子は理解が追い付かずただただ優子を見るばかりだった。
優子は言ったのだ。礼子を‘造ったのだ’と。俺ならば、どの時点から造ったのかと質問を返す余裕もある。例えば幽霊として造ったとか。例えば思い出から造ったとか。例えば生まれた瞬間から造ったとか……。
しかし、今の礼子にそんな思考が回るはずがない。その様子を感じ取ったのか、優子は話を続けた。
「もちろん、造ったと言っても幽霊という存在としての礼子よ。あなたを忘れて一から始めようと思った私は、結局あなたを忘れられなかった。あなたを忘れられなかった私は、結局あなたとまた出会う道を望んだ」
――そして、記憶を失い。礼子との出会いから始めたのだ……。
「ごめんなさい礼子。成仏したはずのあなたを……私は無理矢理形造ってこの世に縛り付けたの。あなたはこの世に未練が無いはずなのに……。幸せに成仏したはずなのに……。本当にごめんなさい。私のわがままのせいで礼子は!」
別れを悔やみ、出会いを悔やみ、また出会いを悔やむ。謝罪の言葉を何度も口にする優子の肩は、ずっと震え続けていた。
「なんだ、そんなことか!」
優子の肩の震えがピタリと止む。先程まで俯いていた優子は顔を上げ、驚きの表情を作っていた。その見開かれた瞳には、普段の明るくウザイ礼子の姿が写る。
「最初からおかしいなーって思ってたのよ。生きてる間に優子に忘れられた訳でもないのに、なんで忘れられた事に未練があるのかってね。まあ、そう言うことなら納得っすよね。でも優子、勘違いしちゃダメよー。あたしの幸せはあたしが決める。あたしは幽霊としてもう一度優子に出会えて幸せ! これでケッテー! 優子はあたしをさらに幸せにした! それでオッケー?」
いつもの礼子はいつもの様に朗らかに言うと、力強く人指し指を立てて、力強く優子の頬に突き刺した。……痛そうな人刺し指だ。
「じゃあ……そうする……そう思う様にする! 礼子がそう言ってくれるなら……。でも私……いつも礼子に甘えてばっかり」
顔をグシャグシャにして涙を滝のように流しながら優子は言った。人刺し指は涙に濡れる。
「そんなに泣くなよ親友! 優子はあたしに甘えてなんぼの可愛い生物じゃないか」
礼子は優子の髪を乱暴に撫でると、俺の方に歩いてきた。
「さあ、あたしの未練も消えたことだし。成仏させてよセッちゃん!」
おっと。完全に空気と化していたので突然の声かけに反応が遅れるではないか。成仏させれば良いんだな? 礼子を成仏させれば良いんだよな? だが、断る!
「未練が無くなれば、俺の手を借りなくても自分の力で成仏できるはずだ。それに、俺は礼子の未練が無くなるまで付き合うって言ったはずだが?」
「セッちゃん!! 最後の最後まで御迷惑おかけします!!」
綺麗なスライディング土下座からのジャンピング土下寝を決めてくれた。後ろで優子が日常風景を見るようなリラックスした顔で礼子を見ている。
「で? 俺の力で何をして欲しいんだ?」
俺は自分で言ったことは絶対に曲げない。
「優子を生き返らせて!」
……は?
「……は?」
……ぱーどぅん??
「……ぱーどぅん??」
「実体はある。死体もある。誰にもバレてはいない。セッちゃんにすら今日まで気付かれなかったくらいだし。どうよこの優良物件! 買いでしょ! 買い! いつ生き返らせるの? 今でしょ!?」
何が今でしょ!? だよ。……確かにこれだけの条件なら生き返らせる事も可能かもしれない。しかし、他の神にバレたら俺は神から降ろされるだろう。最悪、魂ごと酷い処分を受けるかもしれない。だが!
「優子が生き返りたいって言うなら生き返らせてやる」
条件はこれだけだ。しかし……いや、やはりと言った所か。優子は顔を渋らせた。
「礼子がいないこの世界に生き返っても意味無いわ。礼子……せっかくだけど」
「あたしが生まれ変わって会いに行くとしたらどうですか?」
突然の申し出だった。……ハッタリだろう。そんなことは神にでもならないと無理だ。
「でも、生まれ変わっても私に会うまで時間がかかりすぎるよ」
「すぐ行く! 走っていく!!」
それはそれは真っ直ぐな視線で言った。そしてその目は、イエスと返事をするまで諦めない眼差しだった。
「じゃあ……」
……これにて、俺の殺生神生活が終わりを告げたのであった。
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