未来からの小説、過去からの恋

色部耀

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KAZU:四日目②

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 俺は心春からの連絡があって、急いで学校に戻った。図書室に駆け込むと、中では松岡先輩が一人で読書をしていた。

「すみません。遅れました」

「誰も来てないから大丈夫よ」

 本から一度視線を上げた松岡先輩はそれだけ言ってすぐに本の世界へと戻って行った。俺は息を整えながら定位置である貸し出しカウンターの内側に座る。いつもなら読書に浸っている松岡先輩を尻目に一人黙々と小説を書いていたりするのだが、今日はHARUからのメッセージを読み直していた。
 まるで夢のような話。自分の小説でもこんな設定でストーリーが進んだことは無い。だからこそ、これからHARUといつまで関係が続くかも予想が付かないし、どんな関係になるのかも分からない。それでも分からないからこそのワクワクがある。

「どうしたのかしら瀬尾くん。一昨日と打って変わって上機嫌ね」

 カウンターから振り返って松岡先輩を見ると、本を閉じて俺の傍に立っていた。近付いてきていることに気付かないほど集中していたのか。携帯を覗き込むことはしていなかったようなので気にする必要はないけれど、松岡先輩の目の輝きは気になった。そう、一昨日俺に詰め寄って来た時の目だ。

「面白い物語だって言うなら聞かせてくれないかしら?」

 気になったことを気になったままにしておくことができない――。たしかそのようなことを言っていたように思う。つまり、松岡先輩が気になる程俺の様子は一昨日と比べておかしいということなのだろう。

「まあ、一昨日と比べたら憑物が落ちたような感じはありますね」

「例の心春ちゃんと仲直りできたってことかしら?」

「まあ、そんなところです」

 嘘ではない。一昨日の悩みの種は正しく心春とのすれ違いによるものだったのだから。しかし、俺の返答を聞いて松岡先輩はニヤリと口元を曲げた。

「心春ちゃん。凄く可愛い子だったわね。さっき田中さんと一緒にここに来て、和樹がちょっと遅れるみたいです。すみません。って謝ってきたわ」

「え? 心春が? なんであいつが謝ってるんですか」

「私はてっきり、瀬尾くんと交際し始めたからそんなことを言ってくれたのかと思ったのだけれど?」

 松岡先輩は俺の顔色を覗き込むように腰を屈めるとそんなことを言い放つ。全く予想だにしない言葉に俺は一瞬思考が止まった。今までも散々付き合っているだとか言われてきたから慣れているはずなのに、今日は何だか反応に困ってしまった。ここ数日、心春のことを考えている時間が長かったせいか、嫌でも意識してしまうことが多かった。だからだろう。心春と付き合うということが少しだけリアルに感じてしまったのは。しかし――

「違いますよ。今はそんなんじゃないです」

「今は?」

「言葉の綾です!」

「ふーん。そっか。なんだか普通の恋愛みたいに進んでる感じね。ちょっと残念だわ」

 松岡先輩はそう言うと興味を失ったようで、元居た椅子に戻って本を開いた。いったい何を期待していたのだか。俺は溜息を吐くしかなかったが、まさかこんなところで心春のことを意識する羽目になるとは思っていなかった。夢のような嘘のようなHARUとの関係にワクワクしていたはずなのに、ふとした拍子に心春のことを考えてしまう。心春とは特にドラマチックで非現実的な物語があるというわけでもないのに。それなのに心春のことを考えてしまうのは――。いや、これ以上は考えないでおこう。

「あ、そうそう。その心春ちゃんからの伝言」

「何ですか?」

 松岡先輩は思い出したかのように本から視線を上げて言う。

「委員会が終わったらちゃんと待っておくように伝えておいてください。だそうよ」

「大丈夫です。ちゃんと覚えてます」

 図書室から外を眺めると、やけに通る心春の楽しそうな声が響いてきた。……何をやっているんだか。

「松岡先輩」

 俺は思い立ったかのように松岡先輩に話しかけた。肩の荷がおりた気持ちで言うことができた。

「先日は色々と話を聞いてくれてありがとうございました。おかげで頭の整理がついたってのもありました」

「そう……」

 静かに答えた松岡先輩は開いていた本を閉じてそっとカウンターに置くと俺の方を真っ直ぐに見た。

「はあ……。そうやってお礼言われると、私だけが聞いてばかりなのもフェアじゃないかしらね」

「松岡先輩も何か困ったことがあるってことですか?」

 フェアじゃない。そう聞いて、俺だけが悩みを解決してしまって松岡先輩にメリットが少ないという意味だと感じた。しかし、よく聞いてみるとそうではないようだった。

「そういうことじゃないわ。私だけが物語を聞かせてもらって、更にお礼まで言われたんじゃこっちからも何かしないといけないってことよ」

 つまり松岡先輩が負い目を感じているということ。

「私ね。本の虫だった祖父に耳にタコができるほど言われていたことがあるの。その時の言葉を思い出して瀬尾くんに一つ約束をするわ」

「約束……ですか?」

 首を傾げる俺に松岡先輩は声のトーンを落として続けた。

「お前が読んだ物語はいつか誰かを助けるために大切に頭の引き出しの中にしまっておきなさい。必ずそれを必要とする人が現れるから」

 松岡先輩は祖父の言い方を真似して言ったのだろう。何度も繰り返し口にしてきたかのような自然さがあった。

「だから瀬尾くん。もしあなたが本当に困った時。必ず私の中の物語で手助けするわ。それが瀬尾くんから貰った物語の対価よ」

「ははは。ありがとうございます。その時は頼らせてもらいます。亡くなった松岡先輩のおじいさんにも感謝ですね」

「あら、私の祖父はまだまだ元気よ」

 そう言って座った松岡先輩は言うことは言い終えたといった感じで本の世界へと戻っていた。少しだけしんみりしてしまった気持ちを返して欲しいと思いつつ、俺もカウンターにもたれかかったのだった。
 それから結局誰一人として本を借りに来る人はおらず、図書室が閉まる十八時まで静かに時間が流れた。俺は新しい小説のプロットを、松岡先輩はいつもどおり読書をしながら。今日は松岡先輩を迎えに友達がやって来ることは無く、図書室の鍵は俺が職員室に持って行くことになった。

「後輩とはいえ、いつも助かるわ」

「どうせ待ってる時間が暇ですし。大丈夫ですよ」

 出入り口のカギを閉めてしっかりと鍵がかかっていることを確かめ、もう一つある普段使わない扉も念のため確かめて職員室へ向かう。職員室に行く途中に下駄箱の前を通るが、まだ心春はいないようだった。

「じゃあ、気を付けて帰るのよ」

「松岡先輩も。お疲れさまでした」

「お疲れさまー」

 下駄箱で松岡先輩と別れて職員室へ向かう。とはいえそんなに距離も離れていないのですぐだ。職員室の扉を少し開けて中の様子を伺いながら足を踏み入れる。職員室の中は事務仕事が山積みなのか、いつも重い空気が流れている。

「失礼しまーす。図書室の鍵を返しに来ましたー」

 普段なら入り口付近の先生が返事をしてくれる。今日も普段どおりといえば普段どおりだったのだけれど、運の悪いことに六時間目に授業を担当してくれた国語の先生が鍵置き場の近くに立っていた。別段俺のことを待っていたというわけではなく偶々といった感じ。垂れ目に笑い皺が深く刻まれた中年の男性教諭。怒っているところは見たことがないけれど、流石に説教くらいされるのかと覚悟していたら、意外な笑顔で話し掛けてきた。

「お、瀬尾か。六時間目はサボりか? 出席日数も成績も問題ないから自分の好きなように時間を使えばいい。ノートは誰かに見せてもらえ。プリントは武智に渡してあるからな」

「あ、はい。ありがとうございます」

 面食らった俺を笑いながら、先生は後ろから俺の肩を揉む。優しい先生だとは思っていたけれど、思っていた以上で驚きだ。高校とはそういうものなのだろうか。

「単位を落とすのも留年するのも退学するのも、自分で決めたことなら必ず将来のためになる。まあ、先生としては授業に出て欲しいけどな」

「怖いこと言いますね」

「わははは! 瀬尾は大丈夫そうだ! ほら、完全下校の時間だし気を付けて帰れよ」

「はい。さようなら」

「さようなら」

 身構えてしまったが、先生は怒ることも無かった。それでも俺のためを思って言うべきことは言ってくれるあたり、流石は先生だと少し感動させられた。自分で決めたことなら必ず将来のためになる――。まだ自分の意志で何かを決めたことなんてあまり無いけれど、これからは少しくらい意識してみても良いかもしれない。
 少し立ち話をしていたせいもあってか、下駄箱まで戻るとそこに心春の姿があった。他の部活動生もほとんど帰っているところで、校舎内でもある下駄箱付近には心春以外に誰もいない。

「ごめん。待たせちゃった?」

「ううん。今来たとこ」

 あまり長い時間待っていたわけではないとは分かっている。しかし、お互いに俺の方が先に下駄箱に着くと思ってので、不安にさせたかもしれないと思い謝罪の言葉を口にした。心春も携帯を手に持っているところを見るに、もう少し俺の到着が遅れていたら連絡を入れるつもりだったのだろう。

「今日もマロの散歩?」

「別にマロの散歩が無いと一緒に帰っちゃダメなんてこともないでしょ?」

 何故か少しふくれっ面をした心春。何か悪いことでも言ってしまったのだろうか。

「今日はただ和樹と一緒に帰りたかっただけ。それだけ」

「そ、そっか」

 急に満面の笑みを浮かべて俺の顔を見てくると照れ臭くなって視線を外してしまう。松岡先輩のせいで意識してしまっているのもあるかもしれない。本当にあの先輩は変なタイミングで変なことを言ってくれたものだ。

「じゃ、帰ろっ!」

 そう言って心春は俺の袖を引っ張る。いつも明るく楽しそうにしている心春なのだが、今日は一段と楽しそうに見える。俺は袖を引く心春に抵抗するでもなくそのまま横に並んで歩いた。遠くから見ると手を繋いでいるように見えるのではないかと少し心配になる。心春は珍しく部活の時に着ているジャージから着替えて制服姿だった。何かあったのだろうか。

「珍しく着替えてるけど何かあった?」

「和樹ってそういう細かいこと気にするよね」

「別に細かくないと思うけど」

 毎日ジャージだったのが突然制服に着替えるようになったら誰だって気になるだろう。

「なんて言うか、汗臭いのって嫌でしょ? 乙女はそういうとこ気にするのよ」

「で、本当のところは?」

「最近雨降ってなかったから、調子のってコートに水撒いてびしょ濡れになりました」

「明日風邪ひいても知らないぞ」

「ちゃんと着替えたから大丈夫だもん!」

 心春はそう言って乾いていることをアピールするように制服のお腹部分をパンパンと叩いた。

「そんなことよりさ。会えたの?」

「会えたってなんのこと?」

「六時間目抜け出して山内さんに会いに行ったんじゃないの?」

 先生に適当に誤魔化しておいてとだけ伝えて教室を飛び出したので、心春にも智也にも細かい事情は説明していなかった。だから心春は勘違いしていたのか。

「会いに行ってないよ。ただ、会えないってことを確認しに行っただけみたいな感じ」

「そっか。そっか……。和樹は会えないって分かって寂しい?」

 俺の袖を摘まむ力が強くなるのが分かる。心春は何か言いたいことがあるけど我慢している時に身体に力が入る癖がある。本当はもっと聞きたいこと、言いたいことがあるんだろう。

「寂しいかって言われたら……少しは寂しい気持ちもあるかな。でも、昨日智也に言われたからって訳じゃないけど心春も智也もいるし。あの人とはネット上だけの関係で良いと思ってるよ」

 強がっているわけじゃない。HARUとはネット上でメッセージのやり取りをしているだけで十分心を通わせることができている。それに二十一年前の……二十二歳年上の彼女の現実に俺が介入するのは無責任にも思えた。彼女には彼女の高校生活があって、彼女の未来があるはずなのだ。だから、メッセージでだけでも繋がっていようとする今でも贅沢な我儘だとも思うのだ。

「そっか。あのさ……」

「ん? なに?」

 言葉に詰まった心春は俺の袖から手を離して数歩前に足を進める。そして一度大きく深呼吸をすると俺に背を向けたまま話す。

「和樹が小説書いてるって教えてくれた時、私に何て言ったか覚えてる?」

「突然なんだよ」

「いいから! 覚えてる?」

 相変わらず俺に顔を見せずに話し続ける心春。忘れるはずがない。あの時は俺なりにかなりの覚悟と勇気を持って話したのだから。

「覚えてる……よ」

「辛いことばっかりだとかさ、これから先楽しいと思えることなんて無いとかさ。私ネガティブなことばっかり言ってたじゃない」

「あの時は……しかたないと思うよ」

 心春のお母さんが事故で亡くなった直後だ。毎日のようにふさぎ込んでいた心春の隣に座っていた頃。ほとんど一日中黙っていた心春が時たま漏らす言葉はそんなネガティブなものばかりだった。しかしそれも当たり前だ。この歳になっても二人で遊びに出かけたりもするような仲の良い親子。そんな関係を突然の事故が奪ってしまったのだから。

「でも和樹が言ってくれたこと――約束のおかげで元気になれたんだよ?」

 思い出すとなかなか恥ずかしいことを言った気がする。

「俺が心春の毎日を楽しくしてやる――って約束」

 言葉にされるとより一層恥ずかしい。

「だから今でもちゃんと小説書いてるでしょ」

 毎日楽しんで、毎日楽しみにしてくれる物語を――。そう思って過去に投げ出した小説を心春のためだけに再開したのだ。

「ううん。もちろん和樹の小説は面白いよ。でもそれだけじゃないの。和樹が毎日一緒にいてくれることが私にとって一番楽しい。元気をくれるの」

 心春が話せば話すほど俺は恥ずかしくなっていく。

「ねえ和樹。これからも私の毎日を楽しくしてくれる?」

 俺に顔を見せるのが恥ずかしいのか、俺に背中を向けたままの心春。それが俺にとってもありがたかった。俺も恥ずかしくてたまらない。

「そう……だな……。頑張るよ」

「約束?」

「約束……。うん約束するよ」

 俺の言葉を聞いた心春は大きく深呼吸をした後に元気に話し始めた。

「ごめん! 今日言おうと思ってたけど、これ以上は恥ずかしすぎる。明日! 明日の朝に絶対言うから! だから待ってて! 私の口からちゃんと言うから! ……誰の彼氏にもならないで待ってて!」

 心春は勢いに任せるようにしてそう言うと、そのまま走り出した。家も近かったため追いかけることもできなかった俺は、ただ心春が自分の家に入って行くのを見ていた。一人残された俺はその奇妙な心春の行動に、つい声を出して笑ってしまう。そしてその後すぐに俺の携帯に着信があった。

『明日の朝。七時半に家の前で待ってて』

 一体俺に待っててなんて言うのは何回目だろうか。マロに似て待てって言ったらちゃんと待ってるなんて言われたことを思い出す。そりゃ待つさ。好きな女の子に待っててなんて言われたらさ。でも……。
 明日の朝は俺から言わせてもらうことになるだろうけど――


 家に帰ると父さんはまだ帰宅していなかったが、母さんが夕飯の支度をしていた。炒め物だろうか。玄関をくぐった瞬間から油が跳ねる音がする。

「ただいま」

「おかえり。今日も委員会?」

「うん」

 制服から部屋着に着替えてリビングに向かう。ちょうど料理が終わったところのようで、テーブルに皿が置かれていた。母さんはエプロンを台所のハンガーにかけて先に椅子に座る。

「今日は久しぶりにハンバーグよ」

 用意されていたのは俺と母さんの分だけ。父さんの分はまだ焼かれていないタネの状態でラップに巻かれていた。夜遅くに帰って来てから焼くつもりなのだろう。父さん一人で食べさせるのが可愛そうと言いながら、いつも母さんはつまみを片手に缶ビールを飲みながら食卓についている。

「父さんのためにまた後でハンバーグ焼くくらいなら、俺の夕飯の時間遅くしてくれてもいいのに。そっちの方が楽じゃない?」

「お母さんが我慢できないの。そんなこと気にしてないで温かいうちに食べましょ。いただきまーす」

 母さんにとってはそんなことと言って切り捨てても良い程度の手間なのだろうか。もしくは、それはそれで楽しんでいるのか。我先にとハンバーグに箸をつけた母さんに釣られるように俺も箸を持つと、タイミング悪く携帯が通知音を鳴らす。これは小説サイトにメッセージが届いた時の通知音だ。箸を片手に携帯を取り出すと母さんが口を開いた。

「最近の子って言うと自分が老けたみたいで嫌だけど、若い時から携帯があるのって良いわよね。お母さんなんてみんなが携帯を持ち始めたのが大学の頃だったからね。高校まで自宅の電話に誰々さんいますかーって言って代わってもらってたものよ」

「なんかそれってめんどくさいね」

「そうそう。それに大学で携帯持ち始めたって言っても大体メールだったし、今と違って前に何て送ったかとか一々見るの大変でね。まあ、それが楽しいっちゃ楽しかったんだけど」

「なんかそれちょっと分かる気がする」

 小説サイトのメッセージ機能もLINEとかスマホのメール機能みたいに過去の内容を見るのに一覧から開き直さないといけないから、同じようなものだったのだろう。それから舌がまわり始めた母さんの話を聞きながらメッセージを確認する。

『ねえKAZU。私達実際に会ったりできないかな?』

 突然の話に俺は硬直した。驚いたと言う方が正しいかもしれない。

『どうしたの? いきなりそんなこと』

「なになに? 心春ちゃん?」

「違うよ」

「あら、他にもお友達がいてお母さん安心」

 ニヤニヤと笑う母さんを尻目にメッセージを待つ。しかし、すぐに返信が来る様子もなかった。返信が来てもそれから話が長くなりそうな気がする。根掘り葉掘り聞きたそうな顔をしている母さんの前でメッセージのやり取りをしたくはない。そう思って俺は急いで夕飯をかき込んだ。

「ご馳走様」

 食器を流し台に運ぶと、俺は早々に自室へと向かう。

「お風呂は?」

「後で入る!」

 そう言って部屋に入ったところで丁度HARUから返信が届いた。

『ごめん。やっぱり迷惑かな?』

 その短いメッセージだけで不安にさせてしまったことが手に取る様に分かった。HARUが俺に会いたくなるような何かがこの数時間の間にあったのだろうか。考えても分かるはずがない。聞いてみるしかない。

『迷惑とか会いたくないとかじゃなくて、どうして突然会いたいなんて思ったのかなって』

『会いたいって思ってたのは突然じゃないよ。前だって会いたいと思ってテニスコートにいるって言ったんだし。……確かにさっきちょっと変わったことがあったけど、それとは関係なくKAZUと会って面と向かってお話がしたいなって』

 ちょっと変わったことがあった……。それは俺に会うことで直接的に解決することなのか。それとも、ふと思い出すための単なるきっかけなのか。

『そのちょっと変わったことってどんなこと? 今の俺が話を聞いて助けになるなら何でも言ってよ』

『やっぱり会いたくないの?』

 今の俺で解決できるなら会う必要がないといった意味に捉えられたのか。とても不安げな返信が来た。

『そういうことじゃないよ。ただ単に今解決できるなら早い方が良いと思っただけで。もちろん言いにくいことだったら無理に言わなくても良いよ。でも俺にできることなら頼って欲しい。まだ短い関係だけど、HARUとは心から言葉を交わしてきたつもりだし』

『じゃあ、やっぱり私と会って欲しい。会って話をして欲しい。明日、私にとっては二十一年後の明日。待ち合わせできないかな?』

 HARUが抱えているであろう悩みではなく、頑なに俺と会うことを望む彼女。そこまで何度も何度も言うのなら……ただ会って話をするだけなら……そう思って俺はHARUの提案を承諾した。

『分かった。会おう。明日、西暦二〇二六年五月十五日金曜日。十七時に今日と同じ里見公園の噴水広場で』

『分かった! ありがとう! 楽しみにしてる!』

 送信した直後に返信が来たというくらいに早いメッセージ。そして、立て続けにメッセージが届く。

『二十一年も経ったら結構な歳になってるかもしれないけど、おばさんなんて言ったら承知しないからね!』

 高校二年生から二十一年経ったら大体三十七歳くらいか。おばさんと言われればそうかもしれないけれど、俺の好きな歌手はもう少し年上だし。それに別に恋人になるわけでもないのだから年齢を気にする必要もないだろう。

『そんなこと言うはずないよ。そっちこそ子ども扱いしたら怒るから』

『それは会ってみないと分からないかも』

 いつもの調子に戻ったよう。この他愛のないやり取りがとても落ち着く。気持ちに嘘を吐くことなく自分のことを語り合ったりするのも良いが、HARUとは何の気ない言葉の投げ合いにも自然体でいられる。やはりHARUとのメッセージは心地良い。そんなことを考えていると、更にもう一通メッセージが届いた。

『絶対……絶対に明日来てよね』

『必ず行くよ。約束する』

 HARUから何度も念押しされた固い約束。俺にとっては翌日の約束だが、HARUにとっては二十一年後の約束。むしろHARUの都合で反故にされたり忘れられている可能性の方があるくらいだ。もちろんそうなったとしても責められるようなことではないし、明日会うことができなかったとしても今までどおり接するようにしようとも思う。
 明日は朝一に心春に想いを伝えようと考えていたところに、更にイベントが追加されてしまった。一日精神力が持つかどうかが不安になる程濃密な一日になりそうだ。

『よし! KAZUから約束を取り付けたことだし、お風呂行ってきます! また後でね』

 時計を見ると八時半になっていた。そろそろ父さんが帰って来る時間になる。父さんと風呂の時間が被らないように俺もそろそろ風呂に入っておいた方が良いだろう。

『俺も風呂行ってくるよ。また後でね』

 風呂に向かう途中、リビングからテレビの音が聞こえてくる。今は母さんが楽しみにしているドラマの放送時間だっただろうか。

「先に風呂入るから」

「お父さんもそろそろ帰ってくるはずだし、お風呂洗ってお湯溜めといてねー」

「はーい」

 ドラマに夢中なのを分かっているからそんなことだろうと思っていた。うちでは一番風呂を入る人間が風呂掃除をするようになっている。父さんは返って来るのが遅いので、俺か母さんのどちらかだ。服を脱いで風呂場に入り、湯船を洗うとお湯を溜め始める。その間に身体を洗っていると、外から父さんが帰ってくる声が聞こえてきた。この年になっても小まめに連絡を取り合って帰ってくる時間を把握している母さんは流石だ。倦怠期なんて言葉は二人の辞書に存在しないのだろう。
 風呂から出ると、父さんと母さんは夕飯兼晩酌のテーブルを囲っていた。

「おかえり」

「ただいま」

 仕事で疲れた様子があるものの、父さんはほろ酔い状態の母さんが楽しそうに話しているのをうんうんと聞いていた。俺は、そこに混ざる気は無いのでそのまま自室へ向かう。充電器に繋がってベッドに転がる携帯を手に取り着信が無いかを確認した。すると、LINEでの着信が一件。それは心春からのものだった。

『絶対明日待っててよね』

 本当にこいつらは念押しするのが好きだな。よく似ている。そう思いながらも俺も同じように返事をするのだった。

『必ず待ってるよ。約束する』

 すると、よろしくお願いしますと丁寧な様子のスタンプが返って来た。その返事の仕方だけは時代が違うのだなと思いながら、俺は新しい小説を書くためにパソコンの電源を入れるのだった。
 それからHARUからもメッセージがあり、何事も無かったかのように他愛のない話で眠るまで盛り上がった。メッセージだけのやり取りだけでこんなに話が続くものかと不思議に思う。俺はメッセージとメッセージの合間に次回作の小説の作成に取り掛かり、明日にでも一つ作品が仕上がりそうだった。深夜十二時を跨ぐ瞬間またしてもパソコンがビープ音と共にブルースクリーン状態になる現象が起きたが、またか……と思うだけであまり気に留めなくなっていた。HARUが眠りに就いたのはその少し後。俺はそれから少し小説の作業を進めて布団に入った。明日の約束を楽しみにしながら。
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