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第八章〈オルレアン包囲戦・終結〉編
8.16 パテーの戦い(2)
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大元帥と大侍従——。宮廷でも軍隊でも派閥闘争が起きていたが、かつてのアルマニャック派とブルゴーニュ派の時代と違って、イングランドに対峙するときは協力して戦った。
イングランド軍総司令官のジョン・タルボットが囚われると、リッシュモンの元に連れてこられた。
大元帥は国王に次ぐ身分だ。フランス軍の幹部たちはリッシュモンへの個人的・政略的な感情はさておき、序列の原則に従った。
また、すでに述べたが、リッシュモンとアランソン公とジャンヌは共に行動していたため、ジャンヌ信者たちは「イングランド軍の超大物幹部がジャンヌのもとに連れてこられた」と勘違いした。
無知な者ほど「ジャンヌがフランス軍を率いている」と都合よく解釈し、「総司令官や大元帥よりも格上」とまで考えた。信者たちは、ジャンヌとタルボットを英仏を代表するライバルと見なして、二人が対峙したときのドラマチックな会話まで想像した。
実際は、リッシュモンがタルボットと対話した。
「これほど早く決着がつくとは思わなかった」
「ええ、確かに」
「恨んでいるか?」
「別に。戦争は時の運ですから。今回は負けた……、それだけのこと」
リッシュモンはイングランドと縁が深い。
おそらく、アジャンクールの敗北と虜囚時代の苦い過去を思い出しただろう。
栄光と挫折は紙一重だ。戦争の当事者であるほど、単純な勝ち負けでは割り切れない、複雑な思いがある。
アランソン公も似たような境遇で、結婚を条件にオルレアン公(シャルル・ドルレアン)に身代金を払ってもらって解放された身の上だ。
ジャンヌはまだ挫折を知らない。信念はあれど、時代の機微にうとい。
何年も死線をくぐってきた男たちと対峙して、政略や戦略について対等に語り合えたとは思えない。
本作では、過大評価された功績や後付けの奇跡よりも、私が見てきた等身大のジャンヌ・ラ・ピュセルを描きたい。
パテーの戦いにおいて、ジャンヌは自分を慕う信者たちに略奪と虐待を禁じ、捕虜に慈悲をかけるように説いた。
「大元帥、これでいいですか?」
ジャンヌの報告を聞いて、リッシュモンは満足そうにうなずいた。
「陛下は流血を望まない。感情任せの復讐は、陛下の心を傷つける」
「優しい王太子さまらしいけど……、捕虜がたくさんいると食費だけでも大変ですよ。反乱とか起こすかもしれないし」
ジャンヌの言い分も一理ある。
多数の捕虜を抱え込むのはコストがかかるし、リスクが大きい。
それゆえに、アジャンクールでは多額の身代金を見込めない貧しい騎士たちが大勢殺された。
「心配いらない」
「大元帥が責任取って、捕虜の面倒見るんですか?」
「そうではない。オルレアン公をはじめ、10年以上イングランドに捕らわれているフランス人がまだいる」
リッシュモンは、タルボットたちイングランド軍の幹部を人質を取り返すための取引材料として献上するのだと伝えた。
オルレアン包囲戦を計画したソールズベリー伯とベッドフォード公のうち、前者はすでに戦死した。後者のベッドフォード公は、ロンドンの宮廷で責任を問われるだろう。
包囲戦と残党掃討戦で捕虜になった幹部の一族は、身内を取り戻すためにベッドフォード公を突き上げて、ロンドン塔に幽閉中の捕虜と引き換えに人質交換する交渉を求めるはずだ。
「じゃあ、あたしたちはフランスのためになる事をしたんですね!」
リッシュモンがジャンヌと共闘したのは一度きり。
評判の聖女とじかに対面し、パテーの戦いでタルボットを捕らえると、再びフランス軍から離脱しようとした。
「どうして? 王太子さまに嫌われているから? だったらそれは誤解ですよ。あなたはとてもいい人だもの! ちゃんと話せば王太子さまもわかってくれるはず!」
ジャンヌはただひとり、出て行こうとするリッシュモンを追いかけた。
他の人たちはそっけなく、リッシュモンも意に介さない。
そのことが、ジャンヌをさらに困惑させた。
「あたしからも王太子さまにお願いしますから。だから行かないで!」
「私にはやるべき仕事がある」
「どうしてよ! 王太子さまの戴冠式を見たくないの?!」
ジャンヌは、大元帥のマントの裾をつかんで無理やり引き留めた。
布地を腕に巻きつけて素早く抱え込み、むぎゅむぎゅと後方へ引っ張るので、リッシュモンはしぶしぶ振り返った。
山育ちの少女は足腰が強くて、簡単には振り払えない。
むくれたジャンヌが無垢な瞳で見上げている。
「……見たいに決まっている」
「じゃあ、一緒にランスへ行きましょう」
ジャンヌは、私とリッシュモンのこじれた関係を修復しようと躍起になっていたが、リッシュモンを思い通りに制御するのは難しい。
「ゆうべ、お嬢さんは私を『正しい人』だと言った。そうだ、私はいつも正しい行動を選んできた」
リッシュモンは肩口に手を伸ばすと、マントの留め具を外した。
いきなり体躯の締め付けから解放され、ジャンヌは両腕でマントを抱えこみながら、勢い余って数歩後ずさった。
「今は『会わない』ことが正しい選択だ」
リッシュモンはそのままマントを捨て置くと、強いまなざしを前方に向けて、再び歩みを進めた。ジャンヌもフランス軍も振り返ることなく、ブルターニュ軍を連れてどこかへ旅立った。
(※)第八章〈オルレアン包囲戦・終結〉編、完結。
イングランド軍総司令官のジョン・タルボットが囚われると、リッシュモンの元に連れてこられた。
大元帥は国王に次ぐ身分だ。フランス軍の幹部たちはリッシュモンへの個人的・政略的な感情はさておき、序列の原則に従った。
また、すでに述べたが、リッシュモンとアランソン公とジャンヌは共に行動していたため、ジャンヌ信者たちは「イングランド軍の超大物幹部がジャンヌのもとに連れてこられた」と勘違いした。
無知な者ほど「ジャンヌがフランス軍を率いている」と都合よく解釈し、「総司令官や大元帥よりも格上」とまで考えた。信者たちは、ジャンヌとタルボットを英仏を代表するライバルと見なして、二人が対峙したときのドラマチックな会話まで想像した。
実際は、リッシュモンがタルボットと対話した。
「これほど早く決着がつくとは思わなかった」
「ええ、確かに」
「恨んでいるか?」
「別に。戦争は時の運ですから。今回は負けた……、それだけのこと」
リッシュモンはイングランドと縁が深い。
おそらく、アジャンクールの敗北と虜囚時代の苦い過去を思い出しただろう。
栄光と挫折は紙一重だ。戦争の当事者であるほど、単純な勝ち負けでは割り切れない、複雑な思いがある。
アランソン公も似たような境遇で、結婚を条件にオルレアン公(シャルル・ドルレアン)に身代金を払ってもらって解放された身の上だ。
ジャンヌはまだ挫折を知らない。信念はあれど、時代の機微にうとい。
何年も死線をくぐってきた男たちと対峙して、政略や戦略について対等に語り合えたとは思えない。
本作では、過大評価された功績や後付けの奇跡よりも、私が見てきた等身大のジャンヌ・ラ・ピュセルを描きたい。
パテーの戦いにおいて、ジャンヌは自分を慕う信者たちに略奪と虐待を禁じ、捕虜に慈悲をかけるように説いた。
「大元帥、これでいいですか?」
ジャンヌの報告を聞いて、リッシュモンは満足そうにうなずいた。
「陛下は流血を望まない。感情任せの復讐は、陛下の心を傷つける」
「優しい王太子さまらしいけど……、捕虜がたくさんいると食費だけでも大変ですよ。反乱とか起こすかもしれないし」
ジャンヌの言い分も一理ある。
多数の捕虜を抱え込むのはコストがかかるし、リスクが大きい。
それゆえに、アジャンクールでは多額の身代金を見込めない貧しい騎士たちが大勢殺された。
「心配いらない」
「大元帥が責任取って、捕虜の面倒見るんですか?」
「そうではない。オルレアン公をはじめ、10年以上イングランドに捕らわれているフランス人がまだいる」
リッシュモンは、タルボットたちイングランド軍の幹部を人質を取り返すための取引材料として献上するのだと伝えた。
オルレアン包囲戦を計画したソールズベリー伯とベッドフォード公のうち、前者はすでに戦死した。後者のベッドフォード公は、ロンドンの宮廷で責任を問われるだろう。
包囲戦と残党掃討戦で捕虜になった幹部の一族は、身内を取り戻すためにベッドフォード公を突き上げて、ロンドン塔に幽閉中の捕虜と引き換えに人質交換する交渉を求めるはずだ。
「じゃあ、あたしたちはフランスのためになる事をしたんですね!」
リッシュモンがジャンヌと共闘したのは一度きり。
評判の聖女とじかに対面し、パテーの戦いでタルボットを捕らえると、再びフランス軍から離脱しようとした。
「どうして? 王太子さまに嫌われているから? だったらそれは誤解ですよ。あなたはとてもいい人だもの! ちゃんと話せば王太子さまもわかってくれるはず!」
ジャンヌはただひとり、出て行こうとするリッシュモンを追いかけた。
他の人たちはそっけなく、リッシュモンも意に介さない。
そのことが、ジャンヌをさらに困惑させた。
「あたしからも王太子さまにお願いしますから。だから行かないで!」
「私にはやるべき仕事がある」
「どうしてよ! 王太子さまの戴冠式を見たくないの?!」
ジャンヌは、大元帥のマントの裾をつかんで無理やり引き留めた。
布地を腕に巻きつけて素早く抱え込み、むぎゅむぎゅと後方へ引っ張るので、リッシュモンはしぶしぶ振り返った。
山育ちの少女は足腰が強くて、簡単には振り払えない。
むくれたジャンヌが無垢な瞳で見上げている。
「……見たいに決まっている」
「じゃあ、一緒にランスへ行きましょう」
ジャンヌは、私とリッシュモンのこじれた関係を修復しようと躍起になっていたが、リッシュモンを思い通りに制御するのは難しい。
「ゆうべ、お嬢さんは私を『正しい人』だと言った。そうだ、私はいつも正しい行動を選んできた」
リッシュモンは肩口に手を伸ばすと、マントの留め具を外した。
いきなり体躯の締め付けから解放され、ジャンヌは両腕でマントを抱えこみながら、勢い余って数歩後ずさった。
「今は『会わない』ことが正しい選択だ」
リッシュモンはそのままマントを捨て置くと、強いまなざしを前方に向けて、再び歩みを進めた。ジャンヌもフランス軍も振り返ることなく、ブルターニュ軍を連れてどこかへ旅立った。
(※)第八章〈オルレアン包囲戦・終結〉編、完結。
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