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第九章〈二度目の戴冠式〉編
9.16 シャルル七世の聖別式(1)聖レミの伝説
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7月10日、イングランドからの援軍がノルマンディーに上陸した。
オルレアン包囲戦で失った兵力の補充要員だ。ベッドフォード公は、シャルル七世の行軍がトロワの町で足止めされていたらすぐに援軍を送り込み、包囲戦のリベンジを挑むつもりだったのだろう。だが、もう遅い。
「ランスの市民はみな、陛下に敬愛を抱いております。安心してお越しください」
7月16日の土曜日、私はランスの10マイル(16キロ)手前にあるセットソール城に迎えられて、旅の疲れを癒していた。ランス大司教で領主でもあるルニョー・ド・シャルトルの私邸である。
伝統的に、フランス王の戴冠式は日曜日に挙行する。つまり明日だ。
「これまで大義であった。思い返すと大司教にはずいぶん世話になったね」
「陛下の方こそ、よくぞここまで辛抱されました」
ランスの町は敵方の地域に属していたが、大司教は父王シャルル六世が崩御した時に「王太子の受難」を察して、大司教みずから私がいたブールジュを訪れて戴冠式をおこなった。
地政学上は敵対していたが、大司教およびランスの市民感情は7年前からずっと私の味方で、正式な戴冠式を挙げる日を待ちかねていたのだった。
「私のこの手で、陛下の頭上に王冠をいただくことは悲願でした。生きているうちに叶うとは……。うぅ、感無量でございます……」
大司教は目元を押さえて涙をぬぐっている。
一方の私は、戴冠式の主役だというのに妙に落ち着いていた。
緊張で青ざめるか、または感激で胸が高鳴りそうなものだが、実質、二度目の戴冠式なのだ。儀式でやることを一通り知っている。
ランスに到着した安堵感とは別に、私の頭を冷え込ませる「気がかり」があった。ひとつは、前述したイングランドの援軍の動向で、もうひとつは、戴冠式に必要な道具がいくつか欠けていることだ。
フランス王国の前身、フランク王国の初代国王クロヴィスから父王シャルル六世まで受け継がれてきた「紅玉の王冠」と、ロンギヌスの槍の破片が埋め込まれた「宝剣ジョワユーズ」は、イングランドに奪われたままだった。
人々は「完璧じゃない戴冠式」を認めるだろうか。
実際、7年前のブールジュでの戴冠式は賛否両論で、フランス北部では私を国王と認めなかった。
「心配ないですよ!」
私の心を読んだのか、ジャンヌ・ラ・ピュセルが横から割り込んできた。
「天使から授かった聖油は?」
「今、サンレミ聖堂に取りに行かせているところだ」
「それなら大丈夫!」
ジャンヌは自信たっぷりに胸を張った。
聖レミとは、初代クロヴィス王をランスのノートルダム大聖堂に導いて聖別した司教レミギウスのことで、ジャンヌの故郷ドンレミ村の由来となった聖人だ。
伝説によれば、王の洗礼をするときに、白い鳩あるいは天使が空から舞い降りてきて、かぐわしい香りを放つ聖油入りの小瓶を授けた。この小瓶は聖レミの霊廟に安置されているのだが、新たな王が即位するときには、神の奇跡によって小瓶の中に聖油が満たされる。そんなわけで、建国以来、歴代フランス王が即位するときには、この聖油を体に塗って聖別する儀式をするようになった。
したがって、フランス王の戴冠式のことを、聖別式または塗油式ともいう。
「若き国王よ、汝の王国が繁栄するように、知識を学び、神に忠実に仕え、公正に裁きなさい」
唐突に、ジャンヌが聖句をそらんじた。私を国王と呼ぶのはめずらしい。
「もし、王道が正義から外れるならば、この王国は滅びの危機に瀕するでしょう。水を清めるように心を清めなさい。良心を清めすぎて悪いことなどないのですから」
いつもとは少し雰囲気が違う気がした。
何かに取り憑かれているようにも見えた。ジャンヌの「声」の主が、彼女にささやくだけでは物足りず、ついに口を借りて話し始めたのだろうか。
「すばらしい!」
ジャンヌの様子を観察する暇もなく、感動屋の大司教は「さすが聖女と呼ばれるだけある」と手を叩きながら称賛を述べ、ジャンヌははっと我に返ると「ドンレミ村の出身者ならこんなの当たり前ですよ」と謙遜してごまかした。
ジャンヌの理屈では、ランスの「ノートルダム大聖堂」と「大司教」と「聖油」が揃えば、神が認めるフランス王としての条件を満たせるという。
「王冠や宝剣は見栄えがいい。だが、神の視点から見れば、ただの飾りにすぎないというわけか」
ただの水を、儀式によって聖水にするように、俗人である王の肉体を、儀式によって聖人化する。死によって聖別解除されるまで、王は「聖なるもの」として丁重に扱われ、自らを王国に捧げて生きることを強いられる。
ある意味、聖別式とは呪術みたいなものだ。
また、祝福と呪いは紙一重ともいう。
フランス王とは、神と王国に捧げられる「生きた供物」なのかもしれない。
オルレアン包囲戦で失った兵力の補充要員だ。ベッドフォード公は、シャルル七世の行軍がトロワの町で足止めされていたらすぐに援軍を送り込み、包囲戦のリベンジを挑むつもりだったのだろう。だが、もう遅い。
「ランスの市民はみな、陛下に敬愛を抱いております。安心してお越しください」
7月16日の土曜日、私はランスの10マイル(16キロ)手前にあるセットソール城に迎えられて、旅の疲れを癒していた。ランス大司教で領主でもあるルニョー・ド・シャルトルの私邸である。
伝統的に、フランス王の戴冠式は日曜日に挙行する。つまり明日だ。
「これまで大義であった。思い返すと大司教にはずいぶん世話になったね」
「陛下の方こそ、よくぞここまで辛抱されました」
ランスの町は敵方の地域に属していたが、大司教は父王シャルル六世が崩御した時に「王太子の受難」を察して、大司教みずから私がいたブールジュを訪れて戴冠式をおこなった。
地政学上は敵対していたが、大司教およびランスの市民感情は7年前からずっと私の味方で、正式な戴冠式を挙げる日を待ちかねていたのだった。
「私のこの手で、陛下の頭上に王冠をいただくことは悲願でした。生きているうちに叶うとは……。うぅ、感無量でございます……」
大司教は目元を押さえて涙をぬぐっている。
一方の私は、戴冠式の主役だというのに妙に落ち着いていた。
緊張で青ざめるか、または感激で胸が高鳴りそうなものだが、実質、二度目の戴冠式なのだ。儀式でやることを一通り知っている。
ランスに到着した安堵感とは別に、私の頭を冷え込ませる「気がかり」があった。ひとつは、前述したイングランドの援軍の動向で、もうひとつは、戴冠式に必要な道具がいくつか欠けていることだ。
フランス王国の前身、フランク王国の初代国王クロヴィスから父王シャルル六世まで受け継がれてきた「紅玉の王冠」と、ロンギヌスの槍の破片が埋め込まれた「宝剣ジョワユーズ」は、イングランドに奪われたままだった。
人々は「完璧じゃない戴冠式」を認めるだろうか。
実際、7年前のブールジュでの戴冠式は賛否両論で、フランス北部では私を国王と認めなかった。
「心配ないですよ!」
私の心を読んだのか、ジャンヌ・ラ・ピュセルが横から割り込んできた。
「天使から授かった聖油は?」
「今、サンレミ聖堂に取りに行かせているところだ」
「それなら大丈夫!」
ジャンヌは自信たっぷりに胸を張った。
聖レミとは、初代クロヴィス王をランスのノートルダム大聖堂に導いて聖別した司教レミギウスのことで、ジャンヌの故郷ドンレミ村の由来となった聖人だ。
伝説によれば、王の洗礼をするときに、白い鳩あるいは天使が空から舞い降りてきて、かぐわしい香りを放つ聖油入りの小瓶を授けた。この小瓶は聖レミの霊廟に安置されているのだが、新たな王が即位するときには、神の奇跡によって小瓶の中に聖油が満たされる。そんなわけで、建国以来、歴代フランス王が即位するときには、この聖油を体に塗って聖別する儀式をするようになった。
したがって、フランス王の戴冠式のことを、聖別式または塗油式ともいう。
「若き国王よ、汝の王国が繁栄するように、知識を学び、神に忠実に仕え、公正に裁きなさい」
唐突に、ジャンヌが聖句をそらんじた。私を国王と呼ぶのはめずらしい。
「もし、王道が正義から外れるならば、この王国は滅びの危機に瀕するでしょう。水を清めるように心を清めなさい。良心を清めすぎて悪いことなどないのですから」
いつもとは少し雰囲気が違う気がした。
何かに取り憑かれているようにも見えた。ジャンヌの「声」の主が、彼女にささやくだけでは物足りず、ついに口を借りて話し始めたのだろうか。
「すばらしい!」
ジャンヌの様子を観察する暇もなく、感動屋の大司教は「さすが聖女と呼ばれるだけある」と手を叩きながら称賛を述べ、ジャンヌははっと我に返ると「ドンレミ村の出身者ならこんなの当たり前ですよ」と謙遜してごまかした。
ジャンヌの理屈では、ランスの「ノートルダム大聖堂」と「大司教」と「聖油」が揃えば、神が認めるフランス王としての条件を満たせるという。
「王冠や宝剣は見栄えがいい。だが、神の視点から見れば、ただの飾りにすぎないというわけか」
ただの水を、儀式によって聖水にするように、俗人である王の肉体を、儀式によって聖人化する。死によって聖別解除されるまで、王は「聖なるもの」として丁重に扱われ、自らを王国に捧げて生きることを強いられる。
ある意味、聖別式とは呪術みたいなものだ。
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フランス王とは、神と王国に捧げられる「生きた供物」なのかもしれない。
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