短編集:食べ物は人生の交差点

ゆらゆた

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パンの耳の重み

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昼休みのチャイムが鳴った瞬間、まるで身体が電池切れでもしたように、俺は椅子から腰を上げる。
昼食なんて楽しみでも何でもない。ただ、時間が過ぎるのを待つための儀式のようなものだ。

ロッカーの中には、昨日の夜に買った食パンの袋がある。
六枚切り。100円。
何日連続だろう。たぶん今週は毎日これだ。
封を開けるたびに鼻に抜ける、あの独特な酵母の匂いにも、もう慣れてしまった。
最初の頃は、少しはジャムを塗っていた。でも、それもなくなってからは、ただの白くて無味なパンを、何もつけずに口に運ぶ。

噛むたびに、口の中にパサパサとした感触が広がり、喉に詰まる。水を飲み込まないと通らない。
昼休みが終わるころには、胃の奥に重く沈んでいる。味なんてほとんどしない。でも、空腹は一応、これでごまかせる。

パンの耳は最後に残す。
あの部分だけは、どうしても美味しいと感じられない。白い部分がわずかに持つ甘みも、柔らかさも、そこにはない。
固くて、繊維が口の中に残って、味も薄い。噛めば噛むほど、何か苦味のようなものさえ感じる。
本当なら、捨ててしまいたい。でも、そういうわけにもいかない。
「もったいない」なんて言葉は、もう頭の中にはない。
それ以前に、“捨てる自由”がないのだ。食べ物を捨てるなんて、俺には贅沢すぎる行為だった。

だけど、今日はなぜか、食べなかった。
パンの耳を数枚分、袋に残したまま、俺は立ち上がる。窓の外を眺めて、ふと、思い出す。


職場の裏に、使われなくなった池がある。
誰も近づかない。地面はぬかるんでいて、湿った雑草と苔の匂いが漂う、沈んだ空間。
けれど、俺はそこが嫌いじゃなかった。誰もいないってだけで、今の俺には十分すぎる理由だった。

パンの耳をポケットに入れ、ゆっくりと池の縁へ歩いていく。
空はどんよりと曇っていた。風は吹かない。まるで世界が一時停止したみたいに、音もない。

水面を覗くと、小さな影がいくつか泳いでいた。
ブルーギル。
小さな丸い体をふるわせながら、群れになって動いている。
俺は指でちぎったパンの耳を投げてみた。
ぽちゃん――と、音がして、小さな波紋が広がる。
その瞬間、影たちが一斉に動いた。
一匹、二匹……いや、もっと。
小さなブルーギルたちが、我先にと水面へ駆け上がり、争うようにパンの耳にかぶりつく。

あるやつは横取りされ、あるやつは沈んだかけらを追いかけて、必死に体をくねらせる。
餌なんてろくにないのだろう。
こんな乾いたパンの耳に、命を賭けるような動きをしていた。

「お前らには、こんなありがたいものなんだな……パンの耳って」

自分でも驚くくらい静かな声だった。
誰もいない池のほとりに、声は吸い込まれていった。

俺はしゃがみ込んで、パンの耳をまたちぎって投げる。
ブルーギルたちは、それをまた奪い合う。とても静かに、けれど激しく。
その姿が、まるで鏡を見ているようだった。
俺も同じだ。
何かを取りこぼしたくなくて、価値のないものにしがみついて、みじめな姿を晒して。
だけど、誰にも気づかれない。誰も見ていない。

「生きてるだけで、見苦しいな……」

パンの耳の最後の一切れを、手に取る。
食べる気にはなれない。
指でぎゅっと潰す。ふにゃりと形が変わり、掌の中で湿っていく。
それを、そっと池に落とした。

ブルーギルたちは、迷いもなく群がった。
潰れたパンのかけらに、希望のようなものを見出して。
その姿を見て、なぜか涙がこみ上げてきた。

パンの耳。
誰にも見向きされない、固くて、味のない部分。
けれど、それすらも命をつなぐものとして、奪い合う世界がある。
俺もその中にいる。ただ、それだけのことなのに、どうしようもなく虚しかった。

昼休みの終わりを告げるチャイムが、遠くで鳴った。
俺は何も言わず、立ち上がり、ポケットのくずを払った。

来週も、たぶん同じパンを食べているだろう。
そして、またパンの耳をちぎって、あの池へ向かうだろう。
それが救いなのか、逃避なのか、自分でももう分からない。

ただ一つ、確かに感じた。
パンの耳は重い。
誰かの空腹を満たすだけの重さが、確かにある。
そして、それを見つめる俺の心もまた、同じように、重く沈んでいくのだった。
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