私の愛した彼はもう誰かのもの

2話 惹かれ合う

夜の帰宅後、美咲は鞄から取り出した名刺を手に取り、じっと眺めていた。黒地に白く際立つシンプルなデザイン。その中央には「中村涼介」と名前が書かれている。肩書は「美術コンサルタント」。その職業についてはまだ詳しく知らないが、涼介の話し方や立ち振る舞いから、どこか信頼できる雰囲気を感じていた。

「どうしようかな……連絡なんて取るべきじゃないよね、きっと」  
名刺を机に置いて、美咲は深く息をついた。自分から動くべきではないと頭ではわかっているのに、涼介の声や笑顔が何度も頭をよぎる。


数日後、美咲は取材先のギャラリーで再び涼介と偶然顔を合わせた。  

「またお会いしましたね。」  
柔らかな笑顔でそう言う涼介の表情を見た瞬間、美咲の心臓が一瞬止まるような気がした。  
「奇遇ですね。こんなに早く再会できるなんて。」  
美咲は自分でも驚くほど自然な声を出していた。

短い会話を交わすうちに、涼介は言った。  
「もしお時間があれば、これから少しお話しませんか？」  
躊躇しつつも、美咲は頷いていた。

二人は近くのカフェに入り、少し遅いランチを楽しんだ。涼介の話は美術の知識にとどまらず、人生観や趣味の話にまで及んだ。特に「物事を深く考えすぎない方が人生は楽しいですよ」という彼の言葉に、美咲は自分とは異なる価値観を感じた。

「中村さんって、本当に落ち着いていますよね。忙しい生活の中で、どうやってそんな余裕を持てるんですか？」  
美咲がそう尋ねると、涼介は少し困ったように笑った。  
「そう見えるだけかもしれませんよ。でも……たとえば、家庭の中ではいろいろありますしね。」  

その言葉に美咲は少し引っかかりを覚えたが、深くは聞き返さなかった。

夜、帰宅した美咲は再び涼介との時間を思い返していた。彼の言葉や仕草の一つひとつが、自分の中で鮮明に残っていることに気づく。そして、心の中で呟く。  
「もっと彼を知りたい……でも、それって正しいことなの？」