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第二篇 魔界山怪の章
第18話 ホーベン先生
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「そこでなにをしているのですか?」
振り向くと、そこにいたのはカロニャックさんでした。
顔をしかめ厳しい視線をわたしに向けています。
「いえ、タイプライターの音が聞こえたものですから……」
「タイプライターの音?」
カロニャックさんは不審そうに首を傾げます。
「とにかく、今日はあなたの初診の日です。わたくしと一緒に診察室まできてください」
忘れていました。わたしは『美人病』の療養のため、このトマス・サナトリアムにきたのです。もっとも『美人病』なる病気がどんなものなのか、未だに不明ですが……。
わたしはカロニャックさんに先導されて1階へと降り、西棟の診察室に入りました。
白衣を着た初老の男性がにこやかな顔で回転椅子に座っています。
「こちらは当療養所医師長のライアット・ホーベン先生。ホーベン先生のいうことをよく聞くように」
なにか気に入らないことでもあったのでしょうか? 突き放すようにいってカロニャックさんは事務室へ引き返していきました。
「やれやれ、今日は一段とプリプリしておるな。カロニャック女史は」
ホーベン先生がため息交じりに苦笑を浮かべます。
「まあ、医師長といっても、医者はわししかおらん。あと、ここに勤務しとるのは助手兼薬剤師のロビンくんだけじゃ」
つまり、たったの二名。こんな山奥の療養所とはいえ、人手が少ないにもほどがあります。そんな状態でちゃんとした治療ができるものか不安を覚えます。
わたしの表情の変化を読み取ってホーベン先生がいいました。
「ここでやれることといったら症状の進行を遅らせる対症療法だけじゃよ。そもそも『美人病』なるものは医学的にも数%程度しか解明されておらぬ謎の病じゃ」
「はあ……」
わたしは思わず生返事をしてしまいました。
「だがひとつだけ、一か八かの療法がある」
「それは……?」
「おまえさんはデレブイア氏にお会いしたかな?」
わたしは黙ってうなずきました。あの横柄で騒がしい肥満漢には二度と会いたくありません。そんな感情が態度にでたのでしょう、ホーベン先生がまたもや苦い笑みを浮かべます。
「まあ、だれからも愛される御仁とはいえぬが、あの方は薬学の権威でな。自分の体を人体実験して『美人病』から脱する薬を開発したのじゃ。いやまだ被験薬の段階じゃが、彼の容姿容貌をみたまえ。『美男』とはお世辞にもいえぬ変わりようとなった。
いざとなれば、デレブイア氏の薬を試してみるもいいかもしれぬ」
変わりよう……と、おっしゃられても以前のデレブイアさんを知らないので、あの方の薬がどれだけ効果を発揮したのかわかりません。
それにいくら効果があろうとも、あんなふうに醜く太るのなら、ちょっとためらってしまいます。性格が歪んでいるのも薬の副作用のせいでしょうか?
診察がはじまりました。簡単な問診と血圧測定、ペンライトで瞳孔の動きをみて先生がカルテになにやら書き込みます。
診断書をもとにいただいた処方箋を持って隣室の調剤薬局へ入ります。
(あら?)
先客がいました。黒猫を抱いた淑女レーヴァンタインさんです。
薬の説明をしているのはホーベン先生がおっしゃったロビンさんでしょう。フルネームはロビン・マクガイアというそうです。
薬剤師ロビンさんの説明が無駄に長く要領を得ません。心なしか顔がにやけ、鼻の下が伸びてる気がします。
ロビンさんは明らかにレーヴァンタインさんの気をひこうとしているのです。
わたしはいい加減焦れて、
「こほん!」
咳払いをしました。
「あ、これは失礼」
ロビンさんがわたしの存在にいま気がついたといわんばかりに説明を切りあげます。
ようやく薬を受け取ったレーヴァンタインさんが去り際、わたしに笑顔を向けてくれました。彼女がかかえている黒猫もぺこりと頭を下げた気がします。
わたしはカウンターへゆき、ロビンさんに処方箋を渡していいました。
「説明は簡潔にお願いします」
中庭に出てみました。中庭の広場では療養患者さんたちが思い思いのお昼を過ごしています。
バドミントンのラケットで白いシャトルを打ち合っている男女。
ギターを弾くひと。
絵を描くひと。
カードゲームに興じるひとたちの姿もチラホラみえます。そのなかにデレブイアさんの姿をみつけてわたしは眉をひそめます。
おカネでも賭けているのでしょう、はしゃいだり嘆いたり怒ったりと騒がしいことこの上もありません。
不快な騒音から離れて花壇へと足を運びます。
植込み近くのベンチに少女が座って文庫本を読んでいます。
わたしは少女に声をかけました。
「こんにちは。ヨアンナ」
第19話につづく
振り向くと、そこにいたのはカロニャックさんでした。
顔をしかめ厳しい視線をわたしに向けています。
「いえ、タイプライターの音が聞こえたものですから……」
「タイプライターの音?」
カロニャックさんは不審そうに首を傾げます。
「とにかく、今日はあなたの初診の日です。わたくしと一緒に診察室まできてください」
忘れていました。わたしは『美人病』の療養のため、このトマス・サナトリアムにきたのです。もっとも『美人病』なる病気がどんなものなのか、未だに不明ですが……。
わたしはカロニャックさんに先導されて1階へと降り、西棟の診察室に入りました。
白衣を着た初老の男性がにこやかな顔で回転椅子に座っています。
「こちらは当療養所医師長のライアット・ホーベン先生。ホーベン先生のいうことをよく聞くように」
なにか気に入らないことでもあったのでしょうか? 突き放すようにいってカロニャックさんは事務室へ引き返していきました。
「やれやれ、今日は一段とプリプリしておるな。カロニャック女史は」
ホーベン先生がため息交じりに苦笑を浮かべます。
「まあ、医師長といっても、医者はわししかおらん。あと、ここに勤務しとるのは助手兼薬剤師のロビンくんだけじゃ」
つまり、たったの二名。こんな山奥の療養所とはいえ、人手が少ないにもほどがあります。そんな状態でちゃんとした治療ができるものか不安を覚えます。
わたしの表情の変化を読み取ってホーベン先生がいいました。
「ここでやれることといったら症状の進行を遅らせる対症療法だけじゃよ。そもそも『美人病』なるものは医学的にも数%程度しか解明されておらぬ謎の病じゃ」
「はあ……」
わたしは思わず生返事をしてしまいました。
「だがひとつだけ、一か八かの療法がある」
「それは……?」
「おまえさんはデレブイア氏にお会いしたかな?」
わたしは黙ってうなずきました。あの横柄で騒がしい肥満漢には二度と会いたくありません。そんな感情が態度にでたのでしょう、ホーベン先生がまたもや苦い笑みを浮かべます。
「まあ、だれからも愛される御仁とはいえぬが、あの方は薬学の権威でな。自分の体を人体実験して『美人病』から脱する薬を開発したのじゃ。いやまだ被験薬の段階じゃが、彼の容姿容貌をみたまえ。『美男』とはお世辞にもいえぬ変わりようとなった。
いざとなれば、デレブイア氏の薬を試してみるもいいかもしれぬ」
変わりよう……と、おっしゃられても以前のデレブイアさんを知らないので、あの方の薬がどれだけ効果を発揮したのかわかりません。
それにいくら効果があろうとも、あんなふうに醜く太るのなら、ちょっとためらってしまいます。性格が歪んでいるのも薬の副作用のせいでしょうか?
診察がはじまりました。簡単な問診と血圧測定、ペンライトで瞳孔の動きをみて先生がカルテになにやら書き込みます。
診断書をもとにいただいた処方箋を持って隣室の調剤薬局へ入ります。
(あら?)
先客がいました。黒猫を抱いた淑女レーヴァンタインさんです。
薬の説明をしているのはホーベン先生がおっしゃったロビンさんでしょう。フルネームはロビン・マクガイアというそうです。
薬剤師ロビンさんの説明が無駄に長く要領を得ません。心なしか顔がにやけ、鼻の下が伸びてる気がします。
ロビンさんは明らかにレーヴァンタインさんの気をひこうとしているのです。
わたしはいい加減焦れて、
「こほん!」
咳払いをしました。
「あ、これは失礼」
ロビンさんがわたしの存在にいま気がついたといわんばかりに説明を切りあげます。
ようやく薬を受け取ったレーヴァンタインさんが去り際、わたしに笑顔を向けてくれました。彼女がかかえている黒猫もぺこりと頭を下げた気がします。
わたしはカウンターへゆき、ロビンさんに処方箋を渡していいました。
「説明は簡潔にお願いします」
中庭に出てみました。中庭の広場では療養患者さんたちが思い思いのお昼を過ごしています。
バドミントンのラケットで白いシャトルを打ち合っている男女。
ギターを弾くひと。
絵を描くひと。
カードゲームに興じるひとたちの姿もチラホラみえます。そのなかにデレブイアさんの姿をみつけてわたしは眉をひそめます。
おカネでも賭けているのでしょう、はしゃいだり嘆いたり怒ったりと騒がしいことこの上もありません。
不快な騒音から離れて花壇へと足を運びます。
植込み近くのベンチに少女が座って文庫本を読んでいます。
わたしは少女に声をかけました。
「こんにちは。ヨアンナ」
第19話につづく
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