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02 使い魔の契約

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 ――真っ暗闇の中にいた。

 どれくらい時間が経ったか分からない。体はつめたく冷え切っている。頭が重たい。手も足も言うことを聞かず、指先ひとつに至るまで動かせない。もういっそ、このまま闇の中に沈んでいってしまおう……。

 そう思っていたら突然、世界に光が差し込んだ。
「起きてください……起きるのです……」
 私が目を覚ますと、そこは白っぽいレンガづくりの部屋だった。

 上体を起こし周囲を確認する。赤いカーテンとカーペットがそこかしこに敷き詰められ、壁際の暖炉では黄色い炎が破裂音を立てながら小刻みに爆ぜている。音が妙に鮮明に拾えるのは部屋全体の気温が低く、空気が澄んでいる所為だろう。
 目の前に、見たこともない少女がいた。

「まだ少し寝ぼけてるようなのですね」
「現在の状況を把握しています。ここは何処でしょう。貴女は誰なのですか」

 ややタイムラグがあって、内蔵時計が衛星と同期しリセットされる。日付通りならば、最後に起動してからもう十年は経過しているらしい。けれど窓ガラスに映った私の姿は、かつてと少しも変化がない。お洒落とは縁遠い薄汚れたメイド服を身にまとい、相も変わらず無愛想な顔のみを貼りつけた、血の通わない女。

 私はロボットだ。

「ここは、わたしのお屋敷なのです!」
 少女はさも得意げに言って、控えめな胸を張ってみせる。容姿と体型だけ見れば、私よりもひと回りほど下……十代の前半も前半といったところだろう。

「わたしが、あなたを見つけてここに運んで来てあげたのです……感謝してほしいのです!」
「私のご主人に会いませんでしたか」
「あなた、ずっと誰も住んでいないボロボロの家で、倉庫に埋れていたのです。逆に訊きたいけどあなた、どのぐらい眠ってたのです?」

「推定十年三ヶ月と十六時間三分二十七秒、誤差プラスマイナス一秒です」
「……たぶん、あなたのご主人だった人はもう、帰って来ることはないと思うのです」
「そうなのですか」
 少女は目を伏せる様にしていた。何故、そんな顔をする必要があるのだろう。

「じっ、自己紹介がまだだったのですね! わたし、魔女のアナスタシア!」
 急に、ちょっと大げさなぐらいの明るい声で少女が言う。

「気軽にアナって呼んでくれて構わないのです! あなたのお名前は?」
「私は、汎用型メイドロイド型番RR2-018、シリアルナンバーSK220-12D……家事・給仕等を中心に人間への奉仕行動全般を業務範囲としています」
「は、はんよ……?」
「正式名称です」

 アナは気を取り直すように軽く咳払いすると、改めて私の方を見た。

「あなたにずばり訊きたいのです……このわたしの、使い魔になる気はないです? わたしは魔女として、あなたとの間に契約を結んであげても良いのです」
「……」
「その顔、さては信じてませんね」
「いえ、言葉の意味が理解出来ないだけです」

 私の率直な返答に、アナは僅かに不快そうな顔をする。
 私は曖昧な表現が苦手だ。

 極めて繊細というべき刺繍を施した藍色のマントに、赤い山高帽。透き通るような白い肌に膨らんだブロンドの髪、そして宝石のように輝く、丸みを帯びた青い瞳の持ち主。
 確かにアナは、一般的な魔女のイメージに近い風貌をしていた。童話からそのまま出てきたような外見と言えば伝わるだろう。

 しかし、面と向かって魔女を名乗られ、使い魔だとか契約などと言われると、たちまち人工知能の処理が追いつかなくなる。適切な回答が思いつかないのだ。

「分からないです? このわたしが、あなたの新しいご主人になってあげると言ってるのです」
「新規ユーザー登録をご希望でしょうか。十年前の最終起動時点で、私の同型機種はサポート終了まで一年を切っていました。処理能力の観点からいっても、私より、他の上位機種を選択された方が」
「仕方がないのですね……よく見ているのです」

 アナはそう言ってちょっとため息まじりに、木の枝の様なスティック状の物体をマントから取り出した。何かを小声で呟いたかと思うと、手にしたスティックで空中をなぞってみせる。楽団の指揮者を思わせる動きである。

 すると次の瞬間、ヘビの唸り声の様な甲高い音がして、スティック先端部から火花か閃光のようなものが勢いよく吹き出した。それらは天井付近で赤、青、緑、黄色と目まぐるしく色を変転させながら炸裂を繰り返し、部屋全体を鮮やかに染め上げる。

 それは花火だった。

 頭上で咲き誇る花火の数々を目の当たりにし、私は反射的に視覚センサーの感度を最大値にする。固まって動けないでいる私を見て、またもやアナは得意顔。一瞬遅れて私が無言で手を伸ばすと、アナは咄嗟に逃げる様に身を仰け反らせた。

「なっ、何するのです!?」
「ススキ花火を屋内で振り回す行為は、衣類や家具に燃え移る可能性があり大変危険で……」
「その辺に袋詰めされて売ってるようなのと、一緒にしないでほしいのですっ!」
 頬を膨らませ今度こそ怒り出すアナ。表情がよく変化する娘だな、と私は思った。

「これはわたしの魔法の杖、今のはれっきとした『花火の魔法』なのです!」
「花火とは、主にアルカリ金属元素の炎色反応と、火薬の炸裂によって表現される……」
「そんなに疑うなら調べてみるのです! 『花火の魔法』は人間はもちろんのこと、服や物に燃え移ったりしないよう出来ているのです!」

 言われた通りにアナの帽子やマント、床のカーペットは勿論、私自身の全身各所にもズームアップを繰り返してみる。焦げ跡はおろか、燃えカスひとつ付着していない……この近距離で化学反応による燃焼が起こったとすれば、なるほど確かに説明できない。

「……不可解な現象ですね」
「だから言ってるのです。今のは魔法で、わたしは魔女なのです!」
「ではアナ、貴女が魔女であると仮定して」
 アナは言い方に引っかかりを覚えたような顔をしていたが、私は構わずに続ける。

「何故、ロボットの私を使い魔にしようと?」
「……不満なのです?」
「魔女の使い魔といえば一般的にはネズミ、ネコ、フクロウ等の小動物が連想されます」
 ほんの僅かにだが、アナの表情が翳りを帯びた様に見えた。

「……確かに、そういう使い魔の方が沢山いるのは本当なのです。けど……だけど、そういう子たちはワガママな上に、とっても扱いづらいのです」
「と、言いますと」
「『使い魔の魔法』は、契約した相手の主人になる代わり、その対価として相手の望みをひとつ叶えなければいけないのです」
 アナは言った。

「これはもう、絶対なのです。対価を怠ると契約はたちまち解除されてしまうのです。それに所詮はみんな動物なのです。対価をあげても仕事をサボったり、要求がどんどん大きくなっていったり、もう面倒だらけなのです。それで最後はいっつも……」

 アナの声が消え入るように段々と小さくなっていく。
「……アナ?」
「とっ、とにかく! あなたはいわば、心のない機械人形なのです。元々人間に役立つように作られてるなら、他の使い魔みたく面倒は起きないハズなのです。それが理由なのです!」

「なるほど、納得が出来ました」
 実に合理的な判断だな、と私は素直に称賛を覚えた。

「もちろん契約する以上、あなたにもちゃんと対価はあげるのです。それがご主人の務めなのです。一体何が望みです?」
「たとえば、どのような」
「お互いの合意があれば、本当に何でも構わないのです。前に契約してたカラスの使い魔は、朝昼晩とアメ玉を欲しがったのです。自分の家族を一緒に探してほしいネコの使い魔、週一回道端でコンサートが開きたいカエルの使い魔もいたのです」

「では、私を破壊することは可能ですか」
「……えっ」

 アナの口から素っ頓狂な声が漏れる。
 聞き取れなかった可能性があるため、私はもう一度繰り返す。

「私の破壊を、契約の対価にお願いすることは可能でしょうか」
「それは……出来なくはないのです。だけど、」
「では、その条件で契約を」
「ちょっと! ちょっと待つのです! いくら契約が出来るといっても、あなたを破壊したら使い魔になって貰う意味がないのです!」

「…………言われてみればそうですね」
「いま気付いたのです!?」
「……困ってしまいますね。どうすれば良いでしょうか」
「訊かれたって、わたしの方こそ困るのです……そもそも自分を破壊しようなんて、どうして思うのです。何でもいいから他に望みはないのです?」
「いえ、特には」
「ぐぬぬぬ……」

 アナは苦渋の顔を浮かべていた。気の毒だとは思う。とはいえ実際、私には現状それ以外に思い浮かぶことが無いのだ。

「……分かったのです、ではこうするのです。ひとまず一週間だけ、お試し契約するのです。わたしの使い魔になってみて、それでも考えが変わらない時は、言う通りの望みを叶えるのです……」
「試用期間ということですか。なるほど、それで一向に構いません」
「もうひとつ、大事なことを忘れてたのです」
 アナが慌てたようにつけ加える。

「あなたのこと、何て呼べば良いです?」
「……私は汎用型メイドロイド型番RR2-018、シリアルナンバー……」
「それはさっき聞いたのです! しかも呼びづらいのです! もっと短くて呼びやすい、人間みたいな名前があっても良いハズなのですっ!」
 どうやら、思った以上に要求が多い娘だった。

「……普段はメイと呼ばれていました」
「メイ! なかなか良いお名前なのです!」
「そうでしょうか」

 私のセンサーの不調でなければ、アナの瞳が先程より輝きを増しているように見えた。何がそんなに違うのか、私にはよく分からない。

「そのメイド服、メイにとってもよく似合っているのです。だけど埃っぽいから、後で綺麗にすると良いのです……いくら機械人形でも、メイみたいに可愛らしい女の子が埃まみれは勿体ないのです」
「可愛らしい女の子……お世辞であっても大変光栄です」
「主人の前でも、謙遜する必要はないのですっ!」

 私の言葉にアナはやや怒ったような口ぶりをするが、謙遜したつもりはない。そう言われた経験が、私の人工知能には過去ただ一度も記録されていないというだけのことだ。

「ではメイ、使い魔の契約を結ぶから手を前に出すのです」
 私はすぐ言われた通りにする。
「片手だけで大丈夫なのですっ」
「右ですか、左ですか」
「……出来れば左手にしてほしいのです」
 私は右手を下げ、左手を差し出したままにした。

 アナが同じく自分の左手を差し出すと、その細くて今にも折れそうな小指を私の小指に絡みつかせる。右手で杖を掲げて静かに目を瞑り、花火を出した時同様、杖の先端で空中をなぞり私たちの絡み合う小指に優しく着地させた。ほのかな光が小指の周りを包む。

 その瞬間、原因不明の熱が私の内部に発生した。

 センサーは何も捉えていない。が、確かに胸の内側が、急激に熱くなったのを感じた。かと思えばすぐにまた消える。私が正体不明の感覚に困惑を覚えていると、アナが上目遣いに私のことを見てきた。

「……これで、契約完了なのです」
「あっけないのですね」
「それでもメイは、今日からわたしの使い魔なのです」

 アナが私を見つめて微笑んだ。原因不明の内部熱が、まだ少し続いているようだ。
「よろしくなのです、メイ」

 私が無言で頷いたその時、窓の向こうの暗闇を白くて薄っすらとしたものが、音もなく舞い落ちていくのが目にとまった。
 雪だ。自分がいたのは北国で、現在の季節が真冬だったことを、私は今ようやく認識した。

 こうして、私と彼女の日々が唐突に始まった。
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