2 / 8
序章 深淵の底で
ep1
しおりを挟む
「結婚の申し込みがあったぞ、ドブネズミ」
そう声を掛けられた彼女が深々と頭を下げた。
「光栄でございます」
ドブネズミ。それは家族共通の呼び名。
正妻が呼び始めた名前ではあるが、いつの間にか家族からそう呼ばれるようになっていた。愛着こそないが、悲しいかな。
彼女はこう呼ばれるだけで反応してしまうようにしつけられてしまった。
「ドブネズミにふさわしい平民の家だ」
ヘラリと笑う主と、嘲笑うように声をあげて笑う家族たち。その様子を見ながら彼女は静かに頭を下げ直し、部屋を辞することにした。
「仕事に戻らせていただいてもよろしいでしょうか?」
そう問いかけると、主はなれなれしく彼女の肩を抱いて楽しそうに笑った。
「もうメイドの真似事はいいぞ。明後日には挙式だからな。化粧方法の手ほどきやらドレスの着方やら、そういうことを勉強しておけよ」
「はい、かしこまりました」
淡々と返した彼女は踵を返して自室に戻ると嬉しそうなリアラを見て尋ねた。
「何かリアラがしてくれたの?」
「そんなことはしていませんよ、スー様」
満面の笑みを浮かべたリアラはそう言うと、ベッドに腰掛けた彼女の傍に膝立ちになって器用に髪の毛を結い、ふにゃりと笑った。
「でも、私もご一緒することになりました。この家ともおさらばです」
「そう…。でも、実家に帰った方がいいんじゃあ…?」
「いいえ、スー様。私めはスー様の敬遠なる徒です、――なんて」
スーことスーヴィエラという名を持つ彼女はリアラにだけ見せる笑顔をふにゃりと力なく浮かべ、リアラの頭を撫でた。
「ありがとう」
「えへへ♪」
☆
スーヴィエラの結婚の相手は最近、一山あてたらしく地主としても有名になってきたというお家イシュカ家。そのイシュカ家の次男坊であり龍騎士をしているという同い年の青年ヴィンセント。
なかなかのハンサムな青年で、ロマンスグレーの髪の毛にヨモギ色の瞳を持っていた。そして、リアラにはわからなかったらしいが、なんとなく別の龍(っぽい)匂いがして龍騎士なのだなと彼女も実感していた。
龍にも一応、特有のにおいのようなものがあり、個体(種族)は判別できないものの何となく存在を龍人も感じることはできるのだった。
龍が龍人を判別できるのか、それは彼女にもわからないのだが、龍と触れ合った人間には必ず匂いが残る。
龍人は人間なので龍の気配はしないため、龍人同士の判別方法と言うと、派手な髪色や瞳の色だったりするのだが。
そして、龍人でもないのに匂いがするのは龍と触れ合うことの多い龍騎士ということになる。
最低限の人数しかいない略式のこじんまりとした挙式だったが、それでもスーヴィエラにとってはようやく家から逃げ出せることに感謝していた。それも、もはや親友であるリアラと一緒に、だ。
ただ、向かい合ったヴィンセントは終始不機嫌な顔をしており、苛立ちも伝わってくる。
(政略結婚、だものね)
結婚を申し込まれたと伝え聞いていたが、実際は政略結婚以外の何物でもないことを知っている。
スーヴィエラの過ごしてきたルクフォード家は結納金目当てで、そして嫁ぎ先のイシュカ家はパルでの経営基盤を欲していた。
スーヴィエラにとっても渡りに船という状態であり、半ばすべての思惑に心を無視して利用されるだけのヴィンセントは犠牲者ともいえる。
(不機嫌になっても仕方ないよね)
スーヴィエラはヴィンセントの理由はどうあれ、協力してくれたことに感謝をしようと思っていたが、その瞳の奥にある暗い色を見た時、背筋が凍るような悪寒が走った。
スーヴィエラにだけではなくルクフォード家全員に向ける殺意にも似た冷ややかな視線を見ながら、彼女はヴィンセントにも一時、抱いてしまったその光をそっとかき消した。
ここでも幸せにはなれないのだ、と。
そんなことを考えて。
そう声を掛けられた彼女が深々と頭を下げた。
「光栄でございます」
ドブネズミ。それは家族共通の呼び名。
正妻が呼び始めた名前ではあるが、いつの間にか家族からそう呼ばれるようになっていた。愛着こそないが、悲しいかな。
彼女はこう呼ばれるだけで反応してしまうようにしつけられてしまった。
「ドブネズミにふさわしい平民の家だ」
ヘラリと笑う主と、嘲笑うように声をあげて笑う家族たち。その様子を見ながら彼女は静かに頭を下げ直し、部屋を辞することにした。
「仕事に戻らせていただいてもよろしいでしょうか?」
そう問いかけると、主はなれなれしく彼女の肩を抱いて楽しそうに笑った。
「もうメイドの真似事はいいぞ。明後日には挙式だからな。化粧方法の手ほどきやらドレスの着方やら、そういうことを勉強しておけよ」
「はい、かしこまりました」
淡々と返した彼女は踵を返して自室に戻ると嬉しそうなリアラを見て尋ねた。
「何かリアラがしてくれたの?」
「そんなことはしていませんよ、スー様」
満面の笑みを浮かべたリアラはそう言うと、ベッドに腰掛けた彼女の傍に膝立ちになって器用に髪の毛を結い、ふにゃりと笑った。
「でも、私もご一緒することになりました。この家ともおさらばです」
「そう…。でも、実家に帰った方がいいんじゃあ…?」
「いいえ、スー様。私めはスー様の敬遠なる徒です、――なんて」
スーことスーヴィエラという名を持つ彼女はリアラにだけ見せる笑顔をふにゃりと力なく浮かべ、リアラの頭を撫でた。
「ありがとう」
「えへへ♪」
☆
スーヴィエラの結婚の相手は最近、一山あてたらしく地主としても有名になってきたというお家イシュカ家。そのイシュカ家の次男坊であり龍騎士をしているという同い年の青年ヴィンセント。
なかなかのハンサムな青年で、ロマンスグレーの髪の毛にヨモギ色の瞳を持っていた。そして、リアラにはわからなかったらしいが、なんとなく別の龍(っぽい)匂いがして龍騎士なのだなと彼女も実感していた。
龍にも一応、特有のにおいのようなものがあり、個体(種族)は判別できないものの何となく存在を龍人も感じることはできるのだった。
龍が龍人を判別できるのか、それは彼女にもわからないのだが、龍と触れ合った人間には必ず匂いが残る。
龍人は人間なので龍の気配はしないため、龍人同士の判別方法と言うと、派手な髪色や瞳の色だったりするのだが。
そして、龍人でもないのに匂いがするのは龍と触れ合うことの多い龍騎士ということになる。
最低限の人数しかいない略式のこじんまりとした挙式だったが、それでもスーヴィエラにとってはようやく家から逃げ出せることに感謝していた。それも、もはや親友であるリアラと一緒に、だ。
ただ、向かい合ったヴィンセントは終始不機嫌な顔をしており、苛立ちも伝わってくる。
(政略結婚、だものね)
結婚を申し込まれたと伝え聞いていたが、実際は政略結婚以外の何物でもないことを知っている。
スーヴィエラの過ごしてきたルクフォード家は結納金目当てで、そして嫁ぎ先のイシュカ家はパルでの経営基盤を欲していた。
スーヴィエラにとっても渡りに船という状態であり、半ばすべての思惑に心を無視して利用されるだけのヴィンセントは犠牲者ともいえる。
(不機嫌になっても仕方ないよね)
スーヴィエラはヴィンセントの理由はどうあれ、協力してくれたことに感謝をしようと思っていたが、その瞳の奥にある暗い色を見た時、背筋が凍るような悪寒が走った。
スーヴィエラにだけではなくルクフォード家全員に向ける殺意にも似た冷ややかな視線を見ながら、彼女はヴィンセントにも一時、抱いてしまったその光をそっとかき消した。
ここでも幸せにはなれないのだ、と。
そんなことを考えて。
0
あなたにおすすめの小説
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる