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心理学の『歴史』の始まり
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教授は、長い横線の右端の方に二本の短い縦線を入れた。
「この期間が、心理学の『歴史』。そして、この横線すべてが心理学の『過去』だ」
ぽかんとする僕には目もくれず、教授は続けた。
「これは、ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスさんの言葉にのっとって作られた図だ。この人は、多くの人が聞いたことのある、有名な曲線を提唱した人だ」
ここで初めて、その教授と目が合った。わずかに白く濁った瞳だった。
「『忘却曲線』そして、『学習曲線』についても言及した人だな。要するに、先生たちが君たちに復習しなさい、復習しなさい、という根拠になる曲線だ。」
それだけ言うと、教授は再びホワイトボードに向かった。クリスティアン・ヴォルフ、経験的心理学、と走り書きした。
「心理学は、長い間哲学と一緒にされてきた。『心理学』という言葉が入った本の中で一番古いとされているのが、クリスティアン・ヴォルフの『経験的心理学(Psychologia empirica)』という本だ。まあ、どちらかというと哲学的な本だが」
教授は、心理学の『歴史』の始まりを指さした。
「ではここはいつなのかと言うと、ドイツのヴィルヘルム・ヴントという人が、心理学実験室を開いた頃。ここはライプツィヒ大学という。テストに必ず出る」
僕は赤文字でヴィルヘルム・ヴント、ライプツィヒとだけメモをした。
「同じ時期、アメリカでもウィリアム・ジェームズという人物が活躍した。この人もテストに出る。ちなみに、ジェームズさんも、ヴントさんも、もともとは生理学者だ。そして、哲学にも精通していた。この講義の関連科目に哲学が入っていただろう。生理学が入っていたかは覚えていないが……。まあ、自由にしてくれ」
教授は一瞬、顔をこちらに向けたように見えた。
「ライプツィヒの実験心理学研究所が開設されたころを心理学の『歴史』のスタートとしよう。すると、多く見ても140年。この横線のスタートは古代ギリシャ時代からだが、な」
「次は、ここで出てきた人たちの細かい話だ。細かいが、必ずテストに出る。心理師として生きるなら、絶対に必要なものばかりだ。まずはヘルマン・エビングハウスさんから」
そう言うと、横線の上に何やら円を描き始めた。左側は、真ん中の円を、一回り大きな円が囲うように6個配置され、右側は、真ん中の円を、一回り小さな円が囲うように6個配置されていた。
「見たことがある人も多いだろう。これ、真ん中の円の大きさが同じでも大きさが違って見える。これが『エビングハウス錯視』の一つだ。これ以外にもあるが、まあいいだろう」
僕は、ノートに円を計14個描いた。隣にエビングハウス錯視、とメモを残す。
「次は、ヴィルヘルム・ヴントさん。心理学はこの人なしには成立しない」
無駄に長い横線を惜しげもなく消してしまうと、そこにヴント、実験心理学、と、二段に分けて書かれた。
「哲学は実験をするというイメージ、あるか?神学には?」
教授は、初めて学生に語りかけた。僕は初めてこの講義に参加するべく、首を横に振った。教授は、眉一つ動かさないままホワイトボードに向かった。
「心理学を独立させ、初めて“実験”を行ったのがヴントさんだ。心理学を、哲学のような目に見えない学問ではなく科学の範疇と捉えたわけだ」
僕はヴントのメモの右下に、実験心理学を書き加えた。
「“心理”は、経験によって形作られるから、経験によって起きた“感覚”を完全に分析できれば、“心理”は見えるはずだと思ったんだ。さっき言った“感覚”のことを『心的要素の働き』ともいう。小難しいから、これは覚えなくていい」
そう言うと、教授は、要素主義、とだけホワイトボードに書いた。
「心理は、いろんな要素が集まったもの。要素が分かれば心理もわかる。これがヴントさんの考えだ。構成主義、と呼ぶ人もいるな」
僕は要素主義のメモの隣に、(構成主義)と書いた。教授は一瞬僕を見た。少しだけ口角が上がっているのが分かった。なぜ教授の口角が上がったのか。これを分析して、口角が上がるという結果を生み出す要素を挙げていくのが要素主義であろう。
「そして、ヴントさんの関連用語として忘れてはならないものが」
教授はヴントの文字の隣に、青く“内観法”と書いた。
「ようするに、クライアントに自分の『こころ』を観察してもらって、それを話してもらうという方法だ。ざっくりしている上、クライアントの感覚に頼り切ってしまう。問題だらけの方法にも見えるが、そもそもそれまでは『こころ』の観察に目を向けられていなかったというのを考えれば大きな実績だ」
そして、さらに隣に、意識心理学、と付け加えた。
「内観法の大事なポイントであり、問題点でもあるのが、この『意識心理学』。これは、こころの要素に、無意識を反映しない心理学だ。内観法はクライアントの感覚に頼り切りだ。ということは、必然的に無意識は無視されてしまう。問題点は……言わなくても何となく予想がつくだろう。次だ」
教授は、ヴント関連の用語から、一つスペースを開け、ジェームズ、アメリカ心理学の父、と書いた。
「先ほど、ヴントが心理学研究所を開いたのが、心理学の『歴史』の始まりだと言った。しかし、ジェームズは、その4年前に研究所を開いていた。哲学寄りの人で、実験らしいものをしていたかはわからないが」
そして、ジェームズの文字の、やはり右下。機能主義、と書かれた。
「ヴントは、意識の『要素』に注目していたが、ジェームズは少し違う。意識が持つ『機能やはたらき』に注目した」
僕は、ジェームズの右下に、機能主義、と加えた。
「次は、心理学の『過去』についての講義をやる。今日のまとめを一度入れよう」
僕のノートは、もう少し埋まった。
・Ebbinghaus.H./ドイツ/学習曲線/忘却曲線/エビングハウス錯視/“Psychology has a long past, but a short history.”/『記憶について』
・Wundt.W.M/ドイツ/ライプツィヒ/実験心理学研究所/内観法/民族心理学/意識心理学/直接経験/要素主義(構成主義)/心身二元論
・James.W./アメリカ/プラグマティズム/純粋経験/機能主義/記憶の二分類/意識の流れの手法/ジェームズ-ランゲ説/自己論/アメリカ心理学の父
・Wollf.C/ドイツ/『経験的心理学(Psychologia empirica)』
「今書きだした語句のうち、今日話していないものに線を引いて」
僕は言われた通り、いくつかの語句に線を引いた。引き終えると同時に、教授は続けた。
「これらの語句について調べてくること。ウィキペディアでもなんでもいい。資料は、コピーしても、自分でまとめてもいい。授業終わりに名前を書いて提出すること。来週までの宿題とする」
僕は、ノートの左上に、調宿アリ、と書き、カバンに突っ込んだ。
「この期間が、心理学の『歴史』。そして、この横線すべてが心理学の『過去』だ」
ぽかんとする僕には目もくれず、教授は続けた。
「これは、ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスさんの言葉にのっとって作られた図だ。この人は、多くの人が聞いたことのある、有名な曲線を提唱した人だ」
ここで初めて、その教授と目が合った。わずかに白く濁った瞳だった。
「『忘却曲線』そして、『学習曲線』についても言及した人だな。要するに、先生たちが君たちに復習しなさい、復習しなさい、という根拠になる曲線だ。」
それだけ言うと、教授は再びホワイトボードに向かった。クリスティアン・ヴォルフ、経験的心理学、と走り書きした。
「心理学は、長い間哲学と一緒にされてきた。『心理学』という言葉が入った本の中で一番古いとされているのが、クリスティアン・ヴォルフの『経験的心理学(Psychologia empirica)』という本だ。まあ、どちらかというと哲学的な本だが」
教授は、心理学の『歴史』の始まりを指さした。
「ではここはいつなのかと言うと、ドイツのヴィルヘルム・ヴントという人が、心理学実験室を開いた頃。ここはライプツィヒ大学という。テストに必ず出る」
僕は赤文字でヴィルヘルム・ヴント、ライプツィヒとだけメモをした。
「同じ時期、アメリカでもウィリアム・ジェームズという人物が活躍した。この人もテストに出る。ちなみに、ジェームズさんも、ヴントさんも、もともとは生理学者だ。そして、哲学にも精通していた。この講義の関連科目に哲学が入っていただろう。生理学が入っていたかは覚えていないが……。まあ、自由にしてくれ」
教授は一瞬、顔をこちらに向けたように見えた。
「ライプツィヒの実験心理学研究所が開設されたころを心理学の『歴史』のスタートとしよう。すると、多く見ても140年。この横線のスタートは古代ギリシャ時代からだが、な」
「次は、ここで出てきた人たちの細かい話だ。細かいが、必ずテストに出る。心理師として生きるなら、絶対に必要なものばかりだ。まずはヘルマン・エビングハウスさんから」
そう言うと、横線の上に何やら円を描き始めた。左側は、真ん中の円を、一回り大きな円が囲うように6個配置され、右側は、真ん中の円を、一回り小さな円が囲うように6個配置されていた。
「見たことがある人も多いだろう。これ、真ん中の円の大きさが同じでも大きさが違って見える。これが『エビングハウス錯視』の一つだ。これ以外にもあるが、まあいいだろう」
僕は、ノートに円を計14個描いた。隣にエビングハウス錯視、とメモを残す。
「次は、ヴィルヘルム・ヴントさん。心理学はこの人なしには成立しない」
無駄に長い横線を惜しげもなく消してしまうと、そこにヴント、実験心理学、と、二段に分けて書かれた。
「哲学は実験をするというイメージ、あるか?神学には?」
教授は、初めて学生に語りかけた。僕は初めてこの講義に参加するべく、首を横に振った。教授は、眉一つ動かさないままホワイトボードに向かった。
「心理学を独立させ、初めて“実験”を行ったのがヴントさんだ。心理学を、哲学のような目に見えない学問ではなく科学の範疇と捉えたわけだ」
僕はヴントのメモの右下に、実験心理学を書き加えた。
「“心理”は、経験によって形作られるから、経験によって起きた“感覚”を完全に分析できれば、“心理”は見えるはずだと思ったんだ。さっき言った“感覚”のことを『心的要素の働き』ともいう。小難しいから、これは覚えなくていい」
そう言うと、教授は、要素主義、とだけホワイトボードに書いた。
「心理は、いろんな要素が集まったもの。要素が分かれば心理もわかる。これがヴントさんの考えだ。構成主義、と呼ぶ人もいるな」
僕は要素主義のメモの隣に、(構成主義)と書いた。教授は一瞬僕を見た。少しだけ口角が上がっているのが分かった。なぜ教授の口角が上がったのか。これを分析して、口角が上がるという結果を生み出す要素を挙げていくのが要素主義であろう。
「そして、ヴントさんの関連用語として忘れてはならないものが」
教授はヴントの文字の隣に、青く“内観法”と書いた。
「ようするに、クライアントに自分の『こころ』を観察してもらって、それを話してもらうという方法だ。ざっくりしている上、クライアントの感覚に頼り切ってしまう。問題だらけの方法にも見えるが、そもそもそれまでは『こころ』の観察に目を向けられていなかったというのを考えれば大きな実績だ」
そして、さらに隣に、意識心理学、と付け加えた。
「内観法の大事なポイントであり、問題点でもあるのが、この『意識心理学』。これは、こころの要素に、無意識を反映しない心理学だ。内観法はクライアントの感覚に頼り切りだ。ということは、必然的に無意識は無視されてしまう。問題点は……言わなくても何となく予想がつくだろう。次だ」
教授は、ヴント関連の用語から、一つスペースを開け、ジェームズ、アメリカ心理学の父、と書いた。
「先ほど、ヴントが心理学研究所を開いたのが、心理学の『歴史』の始まりだと言った。しかし、ジェームズは、その4年前に研究所を開いていた。哲学寄りの人で、実験らしいものをしていたかはわからないが」
そして、ジェームズの文字の、やはり右下。機能主義、と書かれた。
「ヴントは、意識の『要素』に注目していたが、ジェームズは少し違う。意識が持つ『機能やはたらき』に注目した」
僕は、ジェームズの右下に、機能主義、と加えた。
「次は、心理学の『過去』についての講義をやる。今日のまとめを一度入れよう」
僕のノートは、もう少し埋まった。
・Ebbinghaus.H./ドイツ/学習曲線/忘却曲線/エビングハウス錯視/“Psychology has a long past, but a short history.”/『記憶について』
・Wundt.W.M/ドイツ/ライプツィヒ/実験心理学研究所/内観法/民族心理学/意識心理学/直接経験/要素主義(構成主義)/心身二元論
・James.W./アメリカ/プラグマティズム/純粋経験/機能主義/記憶の二分類/意識の流れの手法/ジェームズ-ランゲ説/自己論/アメリカ心理学の父
・Wollf.C/ドイツ/『経験的心理学(Psychologia empirica)』
「今書きだした語句のうち、今日話していないものに線を引いて」
僕は言われた通り、いくつかの語句に線を引いた。引き終えると同時に、教授は続けた。
「これらの語句について調べてくること。ウィキペディアでもなんでもいい。資料は、コピーしても、自分でまとめてもいい。授業終わりに名前を書いて提出すること。来週までの宿題とする」
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