心理学概論

文字の大きさ
4 / 5

心理学の『歴史』

しおりを挟む
「人名だらけの講義はこれで最後だ」
 そう言って、教授は講義を始めた。
「今日覚えるのは四人。経験説を支持し、実験心理学を支持した結果は、だいぶ恐ろしいものだった」
 何かの物語を始めようかという口調だった。
「まあ、その前にフロイトの話をしなくては」
 教授は表情を崩し、ホワイトボードに、フロイト、精神分析学、と書いた。
「下手をすれば、ヴントさんよりも有名かもしれないな。今の人にとっては当たり前かもしれないが、当時は無意識に目を向けた人はいなかった。主流だった内観法では、無意識なんて探りっこなかった」
 いくら現社がひどかったとはいえ、この人の名前は知っていた。確か、ユングって人とセットで覚えていたはずだ。
「ユング、という名前とセットで覚えている人も多い。この二人は師弟関係にあり、のちに一人の女性によって別の道を歩くことになった。ユングさんは『分析心理学』を確立した。名前がややこしいから、間違って覚えないように。……ユングはテストに出すつもりはないが」
 ユング、と書きかけた手を止め、消した。
「さて、では経験説の怖さについて話そう」
 僕は小さくつばを飲み込んだ。
「ワトソン。経験説をもっと拡大した、『行動主義』という考え方を提唱した。それまでの主流は、ヴントさんの考えた内観法だった。しかし、心は行動に表れるから行動を観察すればいい、ということを考えた。ここまではよかったんだ」
 確かに、ここまではおかしいとは思わない。
「アルバート、という生後11ヵ月の男の子がいた。ワトソンは、この子が、白いネズミに対して恐怖を持つように実験を行った。その結果は、大成功だ。その子は白いネズミを怖がるようになり、果ては似たような色の毛皮、髭なんかも怖がるようになった」
 教授の表情は、寂しそうだった。
「人が恐怖を覚えるのは、小さい頃のトラウマの所為だと結論付けられたわけだ」
 再現は、当然不可能な実験だろう。皮肉にもこの非道な実験が心理学界にもたらした業績は非常に大きい。独り言のようにつぶやく教授の姿が、何かを僕に訴えていた。
「いや、暗い話はいったん終わりだ。次はこの人」
 ペンを持ち直し、ホワイトボードにまた人名が書かれる。
「ウェルトハイマー。ゲシュタルト心理学の基を創った人だ。ゲシュタルト心理学を簡単に説明しよう」
 そう言って、教授は赤のペンを取り出した。そして、ホワイトボードにいびつなリンゴの絵を描いた。
「これ、何に見える?」
 視線が僕に合った。
「りんご……です」
「そうだ。これを見て、『マーカーで描かれた赤い線の集まり』と答える人はいない」
 何のことやらさっぱりだ。
「つまり、心理学においても、心を『りんご』と見るべきだ、という考え方だ」
 わかったような、わからないような。
「ヴントさんの構成主義とは正反対の立場にある考え方だな。例えば、心の要素が恐怖と不安だけでできているとする」
 いきなり恐ろしい心の状態を提示され、僕は戸惑った。この教授はもしかして情緒不安定なのだろうか。
「この心に対して必要なアプローチは、『恐怖を解消するアプローチ』と『不安を解消するアプローチ』ではない。『恐怖と不安を持つ心へのアプローチ』だということだ」
 ヴントの構成主義に若干の共感を持っていた僕としては、少々この説は嬉しくなかった。ただ、これだけ合理的な説明をされると認めざるを得ない。
「最後に、スキナー。この人は自身の考え方を『徹底的行動主義』と呼んだ。とは言っても、やたらひどい実験をしたわけじゃない。ただ、この人の実験の応用が、社会に広く浸透している」
 隣に、スキナー箱、と加える。
「ここではレバーを押すと、エサが出てくる。このシステムを理解すると、ネズミはレバーを自ら押すようになる。オペラント条件付けといい、生物を習ってた人なら、古典的条件付けと一緒に習っただろう」
 そうだ、これは確かに習った覚えがある。何が違うのかいまいち理解できなくて苦しんだ覚えがある。
「では、レバーを押してもエサが出てこなくなったらどうするか。しばらくはレバーを押してみるが、その後は諦めてエサを探しに行く」
 人が働く理由だろうか。仕事をすれば、お金が入る。
「次に、レバーを押してエサが出てくる確率を1/2にしよう。これを部分強化という。ネズミはレバーをたくさん押すようになる。ここで、さらに確率を下げるんだ。1/3、1/4、1/5、……。最終的には、エサを探しに行った方がいいような確率にする」
 教授は、にやりと笑った。間違いない、情緒不安定だ。
「……ネズミはレバーを押し続ける。うまく調整してレバーを押し続けさせる。最終的には0にする。どうなるか。……ずーっと、押し続けるんだよ」
 僕は、わかってしまった。
「わかっただろう、ギャンブルだ。ガチャガチャでもいい。ギャンブル性があり、人を惹きつけてやまないもの。みんなスキナー箱の中にいるネズミと一緒だ。しかも、この快感は中々忘れられない。これがギャンブル依存症だ」
 僕が課金しているソシャゲガチャ。僕もまた、ネズミだったようだ。
 僕が若干の心の傷を負っていると、教授は思い出したように言った。
「そうだ、今話したのは、自発行動によって報酬が与えられたパターンだが、これは罰を与えてもいい。いじめの所為で大人になっても人と関われない、なんていうのは、アルバート坊やとスキナー箱を足して二で割ったような代物だな」
 今回の講義は、どうやら僕にはあまり嬉しくない講義だったようだ。
「では、いつものようにまとめるぞ」


・Freud.S/オーストリア/精神分析/無意識/

・Watson.J/アメリカ/行動主義/アルバート坊や

・Wertheimer.M/ドイツ/ゲシュタルト心理学/仮現運動

・Skinner.B/アメリカ/徹底的行動主義/スキナー箱/新行動派/オペラント条件付け


「そうだ少し脱線するが、ユングとフロイトについて知りたいなら『危険なメソッド』という映画があるから見てみるといい」
 僕はノートの端に、きけんなめそっど、と殴り書きした。
 今日は、全体的に字が汚いな。
「心理学は、心理学を知らない人には親近感を与え、学ぶ人には失望を与える学問だ。これから、もう少し失望してもらわねばならない」
 次回は、サボろうかな。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

処理中です...