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4話 駆け落ち相手の正体
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冬馬先生が車で家に送ってくれるというから、オフィスの地下の駐車場で先生の車に乗り込んだ。
深い青色が素敵な先生の車は2シーターのスポーツカーだった。
上品なキャメル色のシートや内装はすべて本革みたいだ……。
車に詳しくない私でも分かる……この車、間違いなく高級車だよね……。
す、凄い……けど、荷物は全然、乗らなさそう……。
なんて、生活感にあふれたことを考えながらキョロキョロと車内を見回していたら運転席からじっと私を見つめている冬馬先生と目があった。
うわ! どうしよう……。
運転席と助手席ってこんなに近いの!?
私は慌ててうつむく。
私、助手席に座るのなんて初めての事で嫌でも緊張してしまうよ。
おまけに、考えないようにしていたけど、私と冬馬先生はさっき……キ、キスしてしまったのだ。
……まだ、私の唇には冬馬先生の感触が残っている。
先生の荒い息づかいや私のすべてを奪い去るような激しい……。
ダ、ダメ。
ダメダメ、私。
これ以上思い出すのはやめよう。
でないと、一生先生の顔を直視できない……。
私が無言でうつむいていると、
「千尋さん、ベルトを……」
冬馬先生が私に覆いかぶさるようにしてシートベルトを締めてくれた。
一瞬フワッと香ったコロンにまで心が反応してしまう。
あ、この香り……。
嗅ぎ慣れたシトラスの香り。
トーマ先生、まだこの香水を使っているんだ。
久しぶりに会う先生が私が知っている人と別人のように思えて、どうにも緊張してしまっていたんだけど、以前と変わらない香りに少しだけ心がほどけていくのを感じる。
「では、車を出しますよ」
冬馬先生はそう言うとエンジンをかけた。
ブォオンッと低いエンジン音が地下の駐車場にこだまする。
車はスーッと地面を滑るように走り出した。
「混んでますね……」
「ええ……まあ、いつもの事です」
夕方の長崎の街はいつも渋滞している。
仕事帰りの車でごった返す時間帯だからしょうがないけど……。
「千尋さん……」
運転中の冬馬先生は前を見据えたまま話し出した。
「千尋さん、本当に久しぶりですね……お会いするのはあの日、お宅の門の前で別れて以来……一年半ぶり、ですか?」
そう、一年半ぶりの再会だ。
成人式のあの日二十歳だった私は、二十一歳になった。
もしあのまま大学に通っていれば今頃は四年生になっていたはずだ。
「まさかあのころの千尋さんに駆け落ちしたいほど愛している人がいるとは思いもしませんでしたよ」
「…………」
冬馬先生の声は静かで、何の感情も読み取れない。
……あの頃の私が、駆け落ちしたいほど誰を愛していたって?
「たしか相手の方のお名前は……」
一年半前、思いがけず駆け落ちした相手、大野君の事はまだ誰にも話せずにいた。
どんなにお父さんに問いただされてもその名は言っていない。
車は完全に渋滞にはまっている。
私が冬馬先生を見ていることに気が付いたのか、先生も私を見返した。
「大野さん……大野、樹さんでしたね」
「……トーマ先生……!!」
ど、どうしてトーマ先生がその名前を知っているの!?
……先生の口から大野君の名前が出るとは夢にも思わなかった。
どうしよう。
一生、彼の事は秘めておきたかったのに。
私があまりの衝撃で何も言えずにいると、先生は口元をゆがめてニヤリと笑った。
「ああ、そうそう、千尋さんの大学のご友人の佐々木萌さんが随分心配していましたよ……連絡して差し上げたらどうですか?」
萌ちゃん……?
トーマ先生はなんで急に萌ちゃんの事を言ったりするんだろう……?
……そうだ!
私はハッとした。
……そうだ……萌ちゃんはあの日、大野君に会っている!
先生は萌ちゃんから大野君の名前を聞き出していたんだ……。
「佐々木さん、千尋さんの事を心配して私に色々話してくださいましたよ。なんでも千尋さんには中学生の頃から想いを寄せている人がいたそうで……」
萌ちゃん、まさかトーマ先生にそんな話まで……。
そ、そりゃ、ホントの事だけど……。
は、恥ずかしい……。
……でも、萌ちゃんにも悪いことしちゃったな。
思い起こせば二十歳のあの冬、大学の友人達の中で最後に会ったのが萌ちゃんだ。
私が急に姿を消してしまって、すごく驚いたに違いない。
ましてや、その理由が思ってもみない『駆け落ち』で、お父さんの部下の冬馬先生が話を聞きにくるなんて……。
萌ちゃん、本当にごめん。
今夜にでも、電話してみよう……。
「大野さんの事……驚かれましたか……?」
「うん……お父さんも知っていたの?」
「……ええ」
私がどこの誰と駆け落ちしたのか、お父さんは絶対に探っているとは思っていた。
ただ、どこにも大野君の痕跡はないはずだから、安心だと思っていたのに……。
家に戻ってからしつこく相手の事を聞いてきたのは私の口からその名を言わせようと思ったのだろう。
でもね、トーマ先生。
その情報は正確じゃないよ。
私があの夜駆け落ちした相手は……『大野』君じゃなかったんだから……。
『私、今夜、駆け落ちします』
たった今、自分で便箋に書いた文字を見て、私は一瞬の絶句ののち発狂した。
「お、おおおお大野君!……ち、ちょっと、か、かけおちって……駆け落ちってどういう事ぉおお……!?」
な、なんで再会したばかりの大野君と私が駆け落ちなんてすることになるの!?
パニックにおちいる私をよそに大野君は私が落としたペンを拾いながら冷静に言う。
「いくら成人しているとは言え生活力のない若い女の子の家出なんて親が心配するに決まってるだろ。小田桐の家出を確実に成功させようと思ったら男と駆け落ちって事にした方がいいかと思って。……実際は、しばらく俺のところに身を寄せて、生活の基盤が整ったら一人暮らしをすればいいよ」
じゃ、じゃあ、駆け落ちっていうのは……。
「うーん……『偽装……駆け落ち』とでもいうのかな? 略して……『ギソカケ』?」
『ギソカケ』……?
そんな言葉聞いたことがない。
大野君は相変わらず面白い人だ。
「まあ、あくまで偽装だから、ほら、手紙の続き書いて」
大野君はそう言って私にペンを渡すと続きを書くよう促した。
結局、手紙には『勝手なことをしてごめんなさい。駆け落ちの相手は社会人だから生活は大丈夫、心配しないで。私の事は探さないで欲しい。』というような事をつらつらと書いた。
「じゃあ、次は荷物を用意しないとな……小田桐、その小さなバッグには何が入ってんの?」
「え? これ……?」
私はすぐそばに置いていたバッグを持ち上げると中身を確認する。
お財布とハンカチとティッシュだけ……。
「あ、スマホがない……」
小さな着物用のバッグにはいつも必ず持ち歩いているスマホが入っていなかった。
そうだ、写真を撮るからって、お姉ちゃんに渡したんだった……。
「スマホがないのは逆に都合がいいよ。どうせ解約した方がいいと思っていたから」
そ、そうか……。
GPSとかで居場所を特定されたらたまんないもんね。
「でも……スマホがないのは落ち着かない」
「……新しく契約すればいいさ」
「うん……」
私はバッグから財布を取り出すと中身を床に全部出した。
現金は……一万七千五百五十八円……。
家出……じゃない『駆け落ち』するには心もとない額だ。
でも、運がいいことに銀行のキャッシュカードが入っていた。
これで、将来の一人暮らし用に長年貯めておいた貯金がおろせる!
「コンビニに行くからそこで引き出せばいい」
大野君に言われて私はうなずいた。
それから、免許証に保険証、学生証、通学定期、近所の病院の診察券、たくさんのポイントカード……。
「小田桐、免許持ってるのか?」
「うん………一年の夏休みにとったけど……完全にペーパーだよ」
「いや、でもこれから働こうと思ったら免許はあった方が有利だよ」
大野君はニコッと笑った。
働く……?
そうか! 私……働くんだ。
そうだよ、働かないと生活していけないもんね。
私、仕事するんだ……。
仕事か……私に出来るのかな?
私に……何ができるんだろう。
私の顔がよほど不安そうに見えたんだろう。
「俺も一緒に探してやるから……心配すんな」
大野君にそう励まされてしまった。
「あとは……」
大野君はそう独り言をいうとおもむろに電話をかけた。
「ああ、俺……、うん、そう今夜戻るよ、それでさ、お前にお願いがあって……ああ、分かってるって……」
話しながら立ち上がって歩き出した大野君に廊下から手招きされて私も一緒に部屋を出る。
「いや、違うって……! ちょっと訳ありで……助けたい奴がいる」
誰と話しているんだろう?
そう思っていたら電話の相手は妹さんだった。
「サイズアウトした服は全部持って行っていいってさ」
大野君はそう言って妹さんの部屋に入った。
妹さんの部屋は大野君の部屋より少し狭い和室だ。
ところどころに荷物を詰め込んだ紙袋や大きなビニール袋がまとめて置かれている。
「え? そんな、いいのかな……?」
「いいって。処分するつもりでまとめてたらしいから。あと、サイズ的に中学の頃の服が多いだろうからデザインが若干子供っぽいかもって言ってたけど……それでもいいか?」
それは全然かまわないけど……。
「あいつ、俺が出て行くからフローリングの広い部屋に移れるって張り切ってて、今部屋の片付け中なんだよ」
大野君はビニール袋の縛られた口をほどきながら言った。
ああ、それで不用品をまとめていたのか……。
妹さんは大野君が今まで使っていたさっきの部屋に移るんだね。
「他にも、不用品の中でいるものがあれば持って行っていいそうだ」
大野君がこれも貰おう、あれも貰っとけって言うので、ジーンズやスカート、Tシャツなどの服のほかに、キャンバス地の大きなトートバッグなど妹さんがすでに卒業したものを余っていた引っ越し用の段ボールに詰めていった。
正直、本当に助かる。
これだけのものを用意しようと思ったらいくらかかるか分からない。
「大野君……ホントに、ホントに助かるよ……ありがとうって妹さんに伝えて……」
「小田桐……妹のお下がりなんてTシャツは色あせて首元なんてよれてるし、バッグは少しほつれてる……それでもいいのか? もう、今までみたいな綺麗なカッコはできないぞ」
「うん、それでも……嬉しい」
例え綺麗な格好で贅沢な暮らしができたとしても、行きたくもない大学に通ったり、したくもない結婚をするのはイヤなんだ。
私はもうお父さんの言いなりにはならないって決めたから。
深い青色が素敵な先生の車は2シーターのスポーツカーだった。
上品なキャメル色のシートや内装はすべて本革みたいだ……。
車に詳しくない私でも分かる……この車、間違いなく高級車だよね……。
す、凄い……けど、荷物は全然、乗らなさそう……。
なんて、生活感にあふれたことを考えながらキョロキョロと車内を見回していたら運転席からじっと私を見つめている冬馬先生と目があった。
うわ! どうしよう……。
運転席と助手席ってこんなに近いの!?
私は慌ててうつむく。
私、助手席に座るのなんて初めての事で嫌でも緊張してしまうよ。
おまけに、考えないようにしていたけど、私と冬馬先生はさっき……キ、キスしてしまったのだ。
……まだ、私の唇には冬馬先生の感触が残っている。
先生の荒い息づかいや私のすべてを奪い去るような激しい……。
ダ、ダメ。
ダメダメ、私。
これ以上思い出すのはやめよう。
でないと、一生先生の顔を直視できない……。
私が無言でうつむいていると、
「千尋さん、ベルトを……」
冬馬先生が私に覆いかぶさるようにしてシートベルトを締めてくれた。
一瞬フワッと香ったコロンにまで心が反応してしまう。
あ、この香り……。
嗅ぎ慣れたシトラスの香り。
トーマ先生、まだこの香水を使っているんだ。
久しぶりに会う先生が私が知っている人と別人のように思えて、どうにも緊張してしまっていたんだけど、以前と変わらない香りに少しだけ心がほどけていくのを感じる。
「では、車を出しますよ」
冬馬先生はそう言うとエンジンをかけた。
ブォオンッと低いエンジン音が地下の駐車場にこだまする。
車はスーッと地面を滑るように走り出した。
「混んでますね……」
「ええ……まあ、いつもの事です」
夕方の長崎の街はいつも渋滞している。
仕事帰りの車でごった返す時間帯だからしょうがないけど……。
「千尋さん……」
運転中の冬馬先生は前を見据えたまま話し出した。
「千尋さん、本当に久しぶりですね……お会いするのはあの日、お宅の門の前で別れて以来……一年半ぶり、ですか?」
そう、一年半ぶりの再会だ。
成人式のあの日二十歳だった私は、二十一歳になった。
もしあのまま大学に通っていれば今頃は四年生になっていたはずだ。
「まさかあのころの千尋さんに駆け落ちしたいほど愛している人がいるとは思いもしませんでしたよ」
「…………」
冬馬先生の声は静かで、何の感情も読み取れない。
……あの頃の私が、駆け落ちしたいほど誰を愛していたって?
「たしか相手の方のお名前は……」
一年半前、思いがけず駆け落ちした相手、大野君の事はまだ誰にも話せずにいた。
どんなにお父さんに問いただされてもその名は言っていない。
車は完全に渋滞にはまっている。
私が冬馬先生を見ていることに気が付いたのか、先生も私を見返した。
「大野さん……大野、樹さんでしたね」
「……トーマ先生……!!」
ど、どうしてトーマ先生がその名前を知っているの!?
……先生の口から大野君の名前が出るとは夢にも思わなかった。
どうしよう。
一生、彼の事は秘めておきたかったのに。
私があまりの衝撃で何も言えずにいると、先生は口元をゆがめてニヤリと笑った。
「ああ、そうそう、千尋さんの大学のご友人の佐々木萌さんが随分心配していましたよ……連絡して差し上げたらどうですか?」
萌ちゃん……?
トーマ先生はなんで急に萌ちゃんの事を言ったりするんだろう……?
……そうだ!
私はハッとした。
……そうだ……萌ちゃんはあの日、大野君に会っている!
先生は萌ちゃんから大野君の名前を聞き出していたんだ……。
「佐々木さん、千尋さんの事を心配して私に色々話してくださいましたよ。なんでも千尋さんには中学生の頃から想いを寄せている人がいたそうで……」
萌ちゃん、まさかトーマ先生にそんな話まで……。
そ、そりゃ、ホントの事だけど……。
は、恥ずかしい……。
……でも、萌ちゃんにも悪いことしちゃったな。
思い起こせば二十歳のあの冬、大学の友人達の中で最後に会ったのが萌ちゃんだ。
私が急に姿を消してしまって、すごく驚いたに違いない。
ましてや、その理由が思ってもみない『駆け落ち』で、お父さんの部下の冬馬先生が話を聞きにくるなんて……。
萌ちゃん、本当にごめん。
今夜にでも、電話してみよう……。
「大野さんの事……驚かれましたか……?」
「うん……お父さんも知っていたの?」
「……ええ」
私がどこの誰と駆け落ちしたのか、お父さんは絶対に探っているとは思っていた。
ただ、どこにも大野君の痕跡はないはずだから、安心だと思っていたのに……。
家に戻ってからしつこく相手の事を聞いてきたのは私の口からその名を言わせようと思ったのだろう。
でもね、トーマ先生。
その情報は正確じゃないよ。
私があの夜駆け落ちした相手は……『大野』君じゃなかったんだから……。
『私、今夜、駆け落ちします』
たった今、自分で便箋に書いた文字を見て、私は一瞬の絶句ののち発狂した。
「お、おおおお大野君!……ち、ちょっと、か、かけおちって……駆け落ちってどういう事ぉおお……!?」
な、なんで再会したばかりの大野君と私が駆け落ちなんてすることになるの!?
パニックにおちいる私をよそに大野君は私が落としたペンを拾いながら冷静に言う。
「いくら成人しているとは言え生活力のない若い女の子の家出なんて親が心配するに決まってるだろ。小田桐の家出を確実に成功させようと思ったら男と駆け落ちって事にした方がいいかと思って。……実際は、しばらく俺のところに身を寄せて、生活の基盤が整ったら一人暮らしをすればいいよ」
じゃ、じゃあ、駆け落ちっていうのは……。
「うーん……『偽装……駆け落ち』とでもいうのかな? 略して……『ギソカケ』?」
『ギソカケ』……?
そんな言葉聞いたことがない。
大野君は相変わらず面白い人だ。
「まあ、あくまで偽装だから、ほら、手紙の続き書いて」
大野君はそう言って私にペンを渡すと続きを書くよう促した。
結局、手紙には『勝手なことをしてごめんなさい。駆け落ちの相手は社会人だから生活は大丈夫、心配しないで。私の事は探さないで欲しい。』というような事をつらつらと書いた。
「じゃあ、次は荷物を用意しないとな……小田桐、その小さなバッグには何が入ってんの?」
「え? これ……?」
私はすぐそばに置いていたバッグを持ち上げると中身を確認する。
お財布とハンカチとティッシュだけ……。
「あ、スマホがない……」
小さな着物用のバッグにはいつも必ず持ち歩いているスマホが入っていなかった。
そうだ、写真を撮るからって、お姉ちゃんに渡したんだった……。
「スマホがないのは逆に都合がいいよ。どうせ解約した方がいいと思っていたから」
そ、そうか……。
GPSとかで居場所を特定されたらたまんないもんね。
「でも……スマホがないのは落ち着かない」
「……新しく契約すればいいさ」
「うん……」
私はバッグから財布を取り出すと中身を床に全部出した。
現金は……一万七千五百五十八円……。
家出……じゃない『駆け落ち』するには心もとない額だ。
でも、運がいいことに銀行のキャッシュカードが入っていた。
これで、将来の一人暮らし用に長年貯めておいた貯金がおろせる!
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大野君に言われて私はうなずいた。
それから、免許証に保険証、学生証、通学定期、近所の病院の診察券、たくさんのポイントカード……。
「小田桐、免許持ってるのか?」
「うん………一年の夏休みにとったけど……完全にペーパーだよ」
「いや、でもこれから働こうと思ったら免許はあった方が有利だよ」
大野君はニコッと笑った。
働く……?
そうか! 私……働くんだ。
そうだよ、働かないと生活していけないもんね。
私、仕事するんだ……。
仕事か……私に出来るのかな?
私に……何ができるんだろう。
私の顔がよほど不安そうに見えたんだろう。
「俺も一緒に探してやるから……心配すんな」
大野君にそう励まされてしまった。
「あとは……」
大野君はそう独り言をいうとおもむろに電話をかけた。
「ああ、俺……、うん、そう今夜戻るよ、それでさ、お前にお願いがあって……ああ、分かってるって……」
話しながら立ち上がって歩き出した大野君に廊下から手招きされて私も一緒に部屋を出る。
「いや、違うって……! ちょっと訳ありで……助けたい奴がいる」
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そう思っていたら電話の相手は妹さんだった。
「サイズアウトした服は全部持って行っていいってさ」
大野君はそう言って妹さんの部屋に入った。
妹さんの部屋は大野君の部屋より少し狭い和室だ。
ところどころに荷物を詰め込んだ紙袋や大きなビニール袋がまとめて置かれている。
「え? そんな、いいのかな……?」
「いいって。処分するつもりでまとめてたらしいから。あと、サイズ的に中学の頃の服が多いだろうからデザインが若干子供っぽいかもって言ってたけど……それでもいいか?」
それは全然かまわないけど……。
「あいつ、俺が出て行くからフローリングの広い部屋に移れるって張り切ってて、今部屋の片付け中なんだよ」
大野君はビニール袋の縛られた口をほどきながら言った。
ああ、それで不用品をまとめていたのか……。
妹さんは大野君が今まで使っていたさっきの部屋に移るんだね。
「他にも、不用品の中でいるものがあれば持って行っていいそうだ」
大野君がこれも貰おう、あれも貰っとけって言うので、ジーンズやスカート、Tシャツなどの服のほかに、キャンバス地の大きなトートバッグなど妹さんがすでに卒業したものを余っていた引っ越し用の段ボールに詰めていった。
正直、本当に助かる。
これだけのものを用意しようと思ったらいくらかかるか分からない。
「大野君……ホントに、ホントに助かるよ……ありがとうって妹さんに伝えて……」
「小田桐……妹のお下がりなんてTシャツは色あせて首元なんてよれてるし、バッグは少しほつれてる……それでもいいのか? もう、今までみたいな綺麗なカッコはできないぞ」
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