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13話 ずっと恋してる
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蓮が本格的にぐずり出したので、
「ちょっと寝かしつけてきますね」
冬馬先生にそう断ってリビングの隣の客間に移動する。
和室の中央にはお昼寝用の小さなベビー布団が敷かれている。
蓮は毎晩二階の私の部屋で寝ているんだけど、日中はこの部屋で母が面倒を見てくれているのだ。
トン、トン、トン。
私はゆらゆらと揺れながら蓮の背中を軽く叩く。
まだ布団にはおろせない。
ちゃんと眠ってからじゃないと泣いちゃうからね。
トン、トン、トン。
次第に瞳がトロンとしてた。
『ふああ』と大きなあくびをする。
うん、眠いね。
ふふ、やっぱりかわいいなー。
そうやってしばらく寝かしつけていると、母と冬馬先生の会話が聞こえてきた。
「蓮さんのお世話で、奥様もお疲れでしょう」
「あら、私は大丈夫よ。でも、まさかこんなに早く孫の世話をすることになるなんて思いもしなかったわ。さ、何もないけど、どうぞ」
「はい、いただきます」
冬馬先生はソファーからダイニングテーブルに移ったようだ。
声が遠くに聞こえる。
良かった、お母さん冬馬先生にも夕飯を用意してくれていたんだ。
今夜は煮魚かな?
甘辛い醤油のいい香りが漂ってくる。
ううっ、なんだか私もお腹が空いてきた。
煮魚なんて久しぶりだ。
駆け落ち前は夜ごはんのおかずが魚だった日にはテンションがだだ下がりだったな。
でも今は、昼間仕事に行っている私の代わりに蓮の面倒を見ながら、素早く手の込んだ料理を作ってくれる母ってホントにすごいって思う。
昨日、母にそう言ったら、
『主婦歴何年だと思ってるの?』
って笑われちゃったけどね。
それにしてもお腹すいたー!
そういえばフォレストで三時のおやつにクッキーを食べて以降、何も口にしていない。
お腹がグーッて鳴りそうだよ。
「最近は、この広い家に主人と二人っきりだったでしょ。今はにぎやかで楽しいわ。……千尋が小さな赤ん坊を連れて帰った時はどうしようかと思ったけど……あの子が一人で頑張っていたことを考えたら今は何も言えないわね」
母の声がかすかに聞こえる。
お母さん……。
まさか娘が成人式なんていう晴れの日に駆け落ちするなんて、思ってもみなかったに違いない。
だって、当の私自身も思ってもみなかった事をしちゃったんだもん、当然だよね。
とっても親不孝なことをしてしまった。
……本当にごめんなさい。
きっとすごく心配しただろうと思う。
おまけに帰って来たと思ったら赤ちゃん連れなんて。
自分も母親になってやっと自分がどれだけ愛情を注いで貰っていたのか気が付くとは。
私はホントに大バカだ。
「千尋さんはこの一年半についてはなんと?」
「……まだ何も話してくれないの。何があったのか、どう暮らしていたのか? 蓮の……父親は誰なのか?」
「そうですか……」
「愛美が俊哉さんから聞いた話だと『駆け落ち相手の男はどうしようもない人だっだから一緒には暮らせない』って話してたみたいなんだけど……」
「俊哉さん……?」
「そうほら、愛美が学生時代に交際していた……」
「ああ……あの方ですね。覚えています。一度お会いしましたから」
俊哉さんっていうのはね、お姉ちゃんの学生時代の元カレで甘いマスクのかなりのイケメン。
私が小学生の頃には二人はもう付き合っていた。
美男美女でとってもお似合いだったんだよね。
でも、大学入学のために長崎から福岡に出て来た冬馬先生とお姉ちゃんがデートして帰宅したところを俊哉さんと当時中学生だった私が偶然見ちゃって……。
あの時は気まずかったし、本当にショックだった。
あの後、俊哉さんはかなり落ち込んじゃって見ていられなかったな……。
結局、二人は大学を卒業する前に別れちゃった。
私は俊哉さんの事、ホントのお兄ちゃんみたいに思っていたからもう会えないと思うと悲しくてたまらなかった。
で、その俊哉さんと先週福岡で久しぶり――八、九年ぶり!?――に再会した時に蓮の事とか色々聞かれて、つい『駆け落ち相手の男はどうしようもない人だっだ』って話したんだった。
タツキ君とは『偽装駆け落ち』だったこともあって説明できない事ばかりだったんだもん。
自分の中でもまだ上手く消化できていない部分があってどうしても話せなかった。
俊哉さんに真実を告げなかったことは申し訳ないけど、結果的にタツキ君の事がお姉ちゃん経由で両親にばれずに済んだからそれはそれで良かったのかも知れない。
ああ、でもタツキ君の名誉を著しく傷つけてしまったのは申し訳ないなぁ……。
「でもね、四宮先生……あの千尋がそんなだらしない人に惹かれるかしら? そもそも、あの頃付き合っている人がいるなんてそぶりも見せなかったのに……」
ふと聞こえてきた母のその言葉に私はギクッとする。
お、お母さん、やっぱり私の事をよく分かってる。
案外するどいところがあるんだよね。
子供の頃、友達とケンカして落ち込んでいる時なんかもすぐに見抜かれていたし……。
私ね、駆け落ち相手については話さないって決めている。
だから、日曜日に家に戻ってからこの週末までずっと秘密にしてきた。
でも……実は冬馬先生はタツキ君のことを萌ちゃんからすでに聞いていたという。
お父さんも知っているって……!
二人は、一体どこまで知っているんだろう?
タツキ君のことを『眞島』ではなく『大野』って言っていたことを考えたらそう深くは探られていないのかも知れないけれど……。
うーん……。
さっきの母の鋭い疑問に冬馬先生が何か答えているようだったけどふすま越しで良く聞こえなかった。
あ、蓮、寝てる……。
いつの間にか私の腕の中で蓮がぐっすり眠っていた。
スース―と穏やかな寝息が聞こえる。
うん、ここまで熟睡してたら布団に降ろしても大丈夫だね。
蓮をそっとベビー布団に寝かせて私はリビングに戻った。
「いっただっきまーっす! ああ、お腹空いたー」
私は冬馬先生の隣に座ると、両手を素早く合わせて早速煮魚を食べ始めた。
私の勘は大当たりでおかずはカレイの煮付けだった。
うーん、美味しい! たまんない!
和食、最高!
お味噌汁も我が家の味だ。
お母さん! ホントに美味しいよ!
私はしばらく夢中で食べていた。
今でも、私の好物はハンバーグとドリアだけどこれからは和食も覚えたい。
お母さんに教えて貰おうかな?
ん?
「え? あの……トーマ先生、何でしょう?」
強い視線を感じて隣を見る。
すでに食事を終えた冬馬先生が満面の笑みを浮かべて私を見ていた。
「いや……美味しそうに食べるなあ、そういう千尋さんもかわいいなぁ、と思いまして」
「ヴッ、ちょっ、ゴホッ」
「だ、大丈夫ですか? 千尋さん」
私、冬馬先生の思いがけない言葉に盛大にむせてしまった。
先生が私の背中を優しくさすってくれる。
ちょ、ちょっと!!
「せ、せせせ、先生!? お母さんの前で何を言うんですか!? か、かかか、かわいいだなんて。そ、そんな甘いセリフ……」
焦る私をよそに向かいに座ってお茶を飲んでいた母は平然とした様子でほほ笑んでいる。
「あら? 私は驚かないわよ。だって四宮先生って昔からこうだったじゃない?」
「え? こうって? 私の記憶ではトーマ先生はもっとクールなお兄さんの印象だったけど」
「そうかしら? 千尋にはずっと甘かったわよ。ね、四宮先生」
「ええ……でもそれは千尋さんには伝わっていなかったみたいですね」
冬馬先生はちょっぴり悲しげに眉をひそめた。
うううっ、そんな顔をされると罪悪感におそわれそう。
昔からこうだってお母さんは言うけど、トーマ先生ってこんな感じの人だったっけ?
冬馬先生に初めて会ったのは私が中学一年生の時の夏休みで先生は高校三年生だった。
冬馬先生は私の祖父の友人のお孫さんだ。
なんでも、福岡の国立大学の法学部合格を目指していて、高校が夏休みの間我が家に下宿して業界大手の予備校の夏期講習に通いたいという事だった。
当時思春期真っ盛りの私としてはひと月以上も知らない高校生の男子と一緒に暮らすなんて嫌で仕方がなかったんだけど夏休みの初日、あまりにも綺麗なお兄さんが長崎からやってきたもんだからめちゃくちゃ驚いたことを覚えている。
私、アイドルがテレビから抜け出てきたのかと思ったもん。
それ位冬馬先生はかっこよかった。
この夏、私の胸はドキドキしっぱなしだった。
まあ、冬馬先生にとっては目の前の受験勉強で手いっぱいで中学生の私の事なんて眼中になかったと思うけど。
でも、冬馬先生が来てくれて、私の生活は一変した。
先生は祖父の知り合いだから普段は暴君の父も先生にはかなり気をつかっていたように思う。
私が父に頭ごなしに叱られてうつむく事しかできなかった時も、先生が上手くフォローして父の怒りをおさめてくれた。
このころの私にとって先生はまさに救世主だった。
たまには息抜きも必要だからと私達家族を誘ってくれた大濠の花火大会の事は今でも覚えている。父と花火を見に行くなんてこの日が初めての事だ。
花火大会の会場の大濠公園は物凄い人込みで驚いたけど、先生が、あんまりイケメンだから通り過ぎる女の人が皆振り返って見ていて私はそのことにもっと驚いたんだよね。
私も花火なんかより先生の顔ばっかり見ていた気がする。
本人は慣れているのか視線に鈍感なのか全く周りの事は気にしていないようだった。
まあ、実はすごく視力が悪かっただけらしいって後で分かったんだけど。
冬休みに再び会った先生は黒縁の眼鏡をかけていてこれがまた似合っていてかっこよかった。
ゴメン、私さっきから先生の事かっこよかった、かっこよかった、ってしつこいくらいに言っているよね。
でもね、ホントにかっこよかったの。
もちろん今も……かっこいいけど。
だから先生が見事に難関大学に合格して春休みに私の家の近くに引っ越してきた時はもう、天にも昇る心地だった。おまけに私の家庭教師として勉強をみてくれるって聞いた時には、もう舞い上がってしまって先生の顔なんてまともに見られないくらいだったの。
そう……私は五歳も年上の冬馬先生の事を本気で好きになってしまったのだ。
このころからずっと、ずっと……先生の事が好き。
この春休みにお姉ちゃんとデートをしていたのを目撃してショックを受けたあともこの気持ちは消えなかった。
不毛な想いだっていう事は分かっている。
先生にとっては私なんて妹みたいなもんなんだから。
でもね、気持ちは、変わらない。
……変えられない。
私はずっと、ずっと、トーマ先生に恋してる。
「ちょっと寝かしつけてきますね」
冬馬先生にそう断ってリビングの隣の客間に移動する。
和室の中央にはお昼寝用の小さなベビー布団が敷かれている。
蓮は毎晩二階の私の部屋で寝ているんだけど、日中はこの部屋で母が面倒を見てくれているのだ。
トン、トン、トン。
私はゆらゆらと揺れながら蓮の背中を軽く叩く。
まだ布団にはおろせない。
ちゃんと眠ってからじゃないと泣いちゃうからね。
トン、トン、トン。
次第に瞳がトロンとしてた。
『ふああ』と大きなあくびをする。
うん、眠いね。
ふふ、やっぱりかわいいなー。
そうやってしばらく寝かしつけていると、母と冬馬先生の会話が聞こえてきた。
「蓮さんのお世話で、奥様もお疲れでしょう」
「あら、私は大丈夫よ。でも、まさかこんなに早く孫の世話をすることになるなんて思いもしなかったわ。さ、何もないけど、どうぞ」
「はい、いただきます」
冬馬先生はソファーからダイニングテーブルに移ったようだ。
声が遠くに聞こえる。
良かった、お母さん冬馬先生にも夕飯を用意してくれていたんだ。
今夜は煮魚かな?
甘辛い醤油のいい香りが漂ってくる。
ううっ、なんだか私もお腹が空いてきた。
煮魚なんて久しぶりだ。
駆け落ち前は夜ごはんのおかずが魚だった日にはテンションがだだ下がりだったな。
でも今は、昼間仕事に行っている私の代わりに蓮の面倒を見ながら、素早く手の込んだ料理を作ってくれる母ってホントにすごいって思う。
昨日、母にそう言ったら、
『主婦歴何年だと思ってるの?』
って笑われちゃったけどね。
それにしてもお腹すいたー!
そういえばフォレストで三時のおやつにクッキーを食べて以降、何も口にしていない。
お腹がグーッて鳴りそうだよ。
「最近は、この広い家に主人と二人っきりだったでしょ。今はにぎやかで楽しいわ。……千尋が小さな赤ん坊を連れて帰った時はどうしようかと思ったけど……あの子が一人で頑張っていたことを考えたら今は何も言えないわね」
母の声がかすかに聞こえる。
お母さん……。
まさか娘が成人式なんていう晴れの日に駆け落ちするなんて、思ってもみなかったに違いない。
だって、当の私自身も思ってもみなかった事をしちゃったんだもん、当然だよね。
とっても親不孝なことをしてしまった。
……本当にごめんなさい。
きっとすごく心配しただろうと思う。
おまけに帰って来たと思ったら赤ちゃん連れなんて。
自分も母親になってやっと自分がどれだけ愛情を注いで貰っていたのか気が付くとは。
私はホントに大バカだ。
「千尋さんはこの一年半についてはなんと?」
「……まだ何も話してくれないの。何があったのか、どう暮らしていたのか? 蓮の……父親は誰なのか?」
「そうですか……」
「愛美が俊哉さんから聞いた話だと『駆け落ち相手の男はどうしようもない人だっだから一緒には暮らせない』って話してたみたいなんだけど……」
「俊哉さん……?」
「そうほら、愛美が学生時代に交際していた……」
「ああ……あの方ですね。覚えています。一度お会いしましたから」
俊哉さんっていうのはね、お姉ちゃんの学生時代の元カレで甘いマスクのかなりのイケメン。
私が小学生の頃には二人はもう付き合っていた。
美男美女でとってもお似合いだったんだよね。
でも、大学入学のために長崎から福岡に出て来た冬馬先生とお姉ちゃんがデートして帰宅したところを俊哉さんと当時中学生だった私が偶然見ちゃって……。
あの時は気まずかったし、本当にショックだった。
あの後、俊哉さんはかなり落ち込んじゃって見ていられなかったな……。
結局、二人は大学を卒業する前に別れちゃった。
私は俊哉さんの事、ホントのお兄ちゃんみたいに思っていたからもう会えないと思うと悲しくてたまらなかった。
で、その俊哉さんと先週福岡で久しぶり――八、九年ぶり!?――に再会した時に蓮の事とか色々聞かれて、つい『駆け落ち相手の男はどうしようもない人だっだ』って話したんだった。
タツキ君とは『偽装駆け落ち』だったこともあって説明できない事ばかりだったんだもん。
自分の中でもまだ上手く消化できていない部分があってどうしても話せなかった。
俊哉さんに真実を告げなかったことは申し訳ないけど、結果的にタツキ君の事がお姉ちゃん経由で両親にばれずに済んだからそれはそれで良かったのかも知れない。
ああ、でもタツキ君の名誉を著しく傷つけてしまったのは申し訳ないなぁ……。
「でもね、四宮先生……あの千尋がそんなだらしない人に惹かれるかしら? そもそも、あの頃付き合っている人がいるなんてそぶりも見せなかったのに……」
ふと聞こえてきた母のその言葉に私はギクッとする。
お、お母さん、やっぱり私の事をよく分かってる。
案外するどいところがあるんだよね。
子供の頃、友達とケンカして落ち込んでいる時なんかもすぐに見抜かれていたし……。
私ね、駆け落ち相手については話さないって決めている。
だから、日曜日に家に戻ってからこの週末までずっと秘密にしてきた。
でも……実は冬馬先生はタツキ君のことを萌ちゃんからすでに聞いていたという。
お父さんも知っているって……!
二人は、一体どこまで知っているんだろう?
タツキ君のことを『眞島』ではなく『大野』って言っていたことを考えたらそう深くは探られていないのかも知れないけれど……。
うーん……。
さっきの母の鋭い疑問に冬馬先生が何か答えているようだったけどふすま越しで良く聞こえなかった。
あ、蓮、寝てる……。
いつの間にか私の腕の中で蓮がぐっすり眠っていた。
スース―と穏やかな寝息が聞こえる。
うん、ここまで熟睡してたら布団に降ろしても大丈夫だね。
蓮をそっとベビー布団に寝かせて私はリビングに戻った。
「いっただっきまーっす! ああ、お腹空いたー」
私は冬馬先生の隣に座ると、両手を素早く合わせて早速煮魚を食べ始めた。
私の勘は大当たりでおかずはカレイの煮付けだった。
うーん、美味しい! たまんない!
和食、最高!
お味噌汁も我が家の味だ。
お母さん! ホントに美味しいよ!
私はしばらく夢中で食べていた。
今でも、私の好物はハンバーグとドリアだけどこれからは和食も覚えたい。
お母さんに教えて貰おうかな?
ん?
「え? あの……トーマ先生、何でしょう?」
強い視線を感じて隣を見る。
すでに食事を終えた冬馬先生が満面の笑みを浮かべて私を見ていた。
「いや……美味しそうに食べるなあ、そういう千尋さんもかわいいなぁ、と思いまして」
「ヴッ、ちょっ、ゴホッ」
「だ、大丈夫ですか? 千尋さん」
私、冬馬先生の思いがけない言葉に盛大にむせてしまった。
先生が私の背中を優しくさすってくれる。
ちょ、ちょっと!!
「せ、せせせ、先生!? お母さんの前で何を言うんですか!? か、かかか、かわいいだなんて。そ、そんな甘いセリフ……」
焦る私をよそに向かいに座ってお茶を飲んでいた母は平然とした様子でほほ笑んでいる。
「あら? 私は驚かないわよ。だって四宮先生って昔からこうだったじゃない?」
「え? こうって? 私の記憶ではトーマ先生はもっとクールなお兄さんの印象だったけど」
「そうかしら? 千尋にはずっと甘かったわよ。ね、四宮先生」
「ええ……でもそれは千尋さんには伝わっていなかったみたいですね」
冬馬先生はちょっぴり悲しげに眉をひそめた。
うううっ、そんな顔をされると罪悪感におそわれそう。
昔からこうだってお母さんは言うけど、トーマ先生ってこんな感じの人だったっけ?
冬馬先生に初めて会ったのは私が中学一年生の時の夏休みで先生は高校三年生だった。
冬馬先生は私の祖父の友人のお孫さんだ。
なんでも、福岡の国立大学の法学部合格を目指していて、高校が夏休みの間我が家に下宿して業界大手の予備校の夏期講習に通いたいという事だった。
当時思春期真っ盛りの私としてはひと月以上も知らない高校生の男子と一緒に暮らすなんて嫌で仕方がなかったんだけど夏休みの初日、あまりにも綺麗なお兄さんが長崎からやってきたもんだからめちゃくちゃ驚いたことを覚えている。
私、アイドルがテレビから抜け出てきたのかと思ったもん。
それ位冬馬先生はかっこよかった。
この夏、私の胸はドキドキしっぱなしだった。
まあ、冬馬先生にとっては目の前の受験勉強で手いっぱいで中学生の私の事なんて眼中になかったと思うけど。
でも、冬馬先生が来てくれて、私の生活は一変した。
先生は祖父の知り合いだから普段は暴君の父も先生にはかなり気をつかっていたように思う。
私が父に頭ごなしに叱られてうつむく事しかできなかった時も、先生が上手くフォローして父の怒りをおさめてくれた。
このころの私にとって先生はまさに救世主だった。
たまには息抜きも必要だからと私達家族を誘ってくれた大濠の花火大会の事は今でも覚えている。父と花火を見に行くなんてこの日が初めての事だ。
花火大会の会場の大濠公園は物凄い人込みで驚いたけど、先生が、あんまりイケメンだから通り過ぎる女の人が皆振り返って見ていて私はそのことにもっと驚いたんだよね。
私も花火なんかより先生の顔ばっかり見ていた気がする。
本人は慣れているのか視線に鈍感なのか全く周りの事は気にしていないようだった。
まあ、実はすごく視力が悪かっただけらしいって後で分かったんだけど。
冬休みに再び会った先生は黒縁の眼鏡をかけていてこれがまた似合っていてかっこよかった。
ゴメン、私さっきから先生の事かっこよかった、かっこよかった、ってしつこいくらいに言っているよね。
でもね、ホントにかっこよかったの。
もちろん今も……かっこいいけど。
だから先生が見事に難関大学に合格して春休みに私の家の近くに引っ越してきた時はもう、天にも昇る心地だった。おまけに私の家庭教師として勉強をみてくれるって聞いた時には、もう舞い上がってしまって先生の顔なんてまともに見られないくらいだったの。
そう……私は五歳も年上の冬馬先生の事を本気で好きになってしまったのだ。
このころからずっと、ずっと……先生の事が好き。
この春休みにお姉ちゃんとデートをしていたのを目撃してショックを受けたあともこの気持ちは消えなかった。
不毛な想いだっていう事は分かっている。
先生にとっては私なんて妹みたいなもんなんだから。
でもね、気持ちは、変わらない。
……変えられない。
私はずっと、ずっと、トーマ先生に恋してる。
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