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35話 出会い
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タツキ君は今どこにいるのか?
それは、私も知りたい。
「正確には分からないの……ただ、今は福岡にいるらしいって横井さんが……」
「横井さん?」
「うん、横井さんっていうのはウチの取引先、シノコウの担当さん。タツキ君、最近は長崎市内のシノコウの現場で働いてたんだけど、しばらく休ませて欲しいっていう電話を最後に連絡がとれなくなって……」
蓮が六ヶ月を迎えた梅雨のある金曜日、タツキ君と連絡が取れなくなった。
前夜、チカさんにしばらく連絡できないとメールがあったきり。
彼のスマホに電話したりメッセージを送っても既読にすらならない。
この日は朝から大雨が降っていて足場が組めないため、チカさんは事務所で伝票処理を手伝ってくれていた。
「スマホの電源が切れてるみたいだ」
「タツキ君、シノコウの現場も昨日から休んでるんだよね。どうしたんだろう?」
「確か父親が良くない筋から金を借りてるって言ってたな。何もなければいいけど……とりあえず僕はあいつの実家に行ってみるよ……いいだろ、親父?」
チカさんは雨の中、車で長崎市内のタツキ君のアパートに向かうという。
「まあ、お前は本来休みだからな……しかし宗親。気をつけて行けよ」
「ああ、大丈夫」
「なんなら、ウチの若いの何人か引き連れていくか?」
「え? 車の運転じゃなくてそっちの心配? いくらなんでも、そう物騒な事にはなってないでしょ?」
チカさんは大げさな身振りで顔の前で手を振り、私を見下ろした。
「千尋ちゃん、そんなに心配そうな顔しないで。単に風邪ひいて家で寝てるだけかも知れないし。僕があいつの様子を見てくるから千尋ちゃんはここで待ってて」
一時間ほどたったころチカさんから電話がかかってきた。
タツキ君のアパートには誰もいないらしい。
「お母さんも? 妹さんも?」
二人は仕事に行っているのだろうか?
「それが……こんなに大雨が降ってるのにベランダに洗濯物が干しっぱなしなんだ。多分昨夜も帰ってないんだと思う」
「そんな……」
私はもう一度スマホを確認する。
タツキ君へのメッセージはいまだに未読のままだ。
眞島家に何が起きているんだろう?
「チカさん……」
「まあ、まだ事件と決まったわけじゃないし……僕はこっちでもう少しあいつを探してみるよ」
「うん」
不安な気持ちを抱えたまま仕事をすすめていたら夕方、シノコウの横井さんが事務所にやって来た。
「眞島さんを探していらっしゃるそうですね。実は……眞島さんを福岡で見たという人がいるんです」
「福岡?」
「ええ……うちの営業の者が昨晩、出張先の福岡の繁華街ですれ違ったと……。ただ一瞬の事だったので確実ではない様なんですが」
今はどんな情報でも欲しい。
「福岡のっ、福岡のどのあたりですか?」
「確か小田桐さん、お姉さんが福岡に住んでいるとか?」
「はい、それに私自身も子供の頃住んでたから少しは分かるつもりです」
「そうですか。ただ……」
タツキ君が目撃されたのは福岡でもかなりの都心。
私鉄の駅の近くで、居酒屋やレストランが立ち並んでいる場所だった。
いわゆる飲み屋街だ。
「そんなところにどうして……?」
真面目なタツキ君が仕事を休むこと自体珍しいのに、どうしてそんな場所にいたんだろう。
「小田桐さん。こんな事を言うのは失礼かもしれませんが……」
横井さんは、言いにくそうに顔をしかめて切り出した。
「眞島さんは全てを……捨てて逃げているって事はありませんか?」
全てを……捨てて?
「もし、そうだとしても、彼を探すつもりですか……?」
そんなことあるわけがない。
タツキ君はそういう人じゃないよ。
そう言いたいのに言葉が出てこない。
タツキ君の事は信じている。
でも、もし、私や……蓮の事を考えて、あえて身を隠しているとしたら……?
「探さない方が……いいの……?」
私の言葉に横井さんはますます眉を寄せた。
私はどうしたらいいんだろう?
結局、終業時間までチカさんは戻らず、私は保育園に蓮を迎えに行き自宅に戻った。
「あれ?」
玄関のドアの新聞受けに何かが入っている。
「何だろ?」
取り出すと分厚い茶封筒。
中には一万円の束が入っていた。
見るからに大金だ。
数えてみたら百十枚もあった。
「ひゃ、百十万円!!……これ……もしかしてタツキ君が? いったいどういう事なの!?」
こんな大金がどうして新聞受けに入ってるんだろう?
そもそも、このお金は今、タツキ君にこそ必要なんじゃ……!?
……ああ、悪い予感がしてたまらない。
気を抜くと次々と恐ろしい考えが浮かんできてしまって震えが止まらなくなる。
「タツキ君、大丈夫だよね……お願い、無事でいて」
こんな大金を私達親子に残していなくなるなんて。
やっぱり、覚悟の上で姿を消したっていうの?
タツキ君!
そうだ……とりあえず、福岡だ。
今、手掛かりと言えるものは横井さんから聞いた目撃情報しかなかった。
福岡に……行ってみよう。
やっぱり、探さずにはいられないよ。
私は手早くオムツやミルクをバッグに詰め込み、蓮を抱いて電車に飛び乗った。
とにかくタツキ君の事が心配で何も考える余裕はなかった。
「新聞受けに直接百十万円、ですか……千尋さん、これまでに眞島さんからそのような形で現金を受け取ったことはありますか?」
冬馬先生の問いに私は首を横に振る。
「ううん……だって、タツキ君も大変なのに。家に住まわせてもらってるだけでもありがたいよ。だから私、お金はいらないって伝えたの。でも、タツキ君は生活費は必要だって言って時々チカさんにお金を預けてくれて……。チカさんがそれでオムツやミルクみたいなかさばるものを買って家に届けてくれていたの」
「なるほど、現金は受け取っていない、と……それを踏まえたうえでの百十万円という金額だったのでしょう……」
ん? どういう意味?
「だいぶ読めて来ました」
先生はそう言って小さく頷いた。
うーん、私には何が何だか、さっぱり分からない……。
「そうやって向かった先の福岡で、愛美さんと学生時代にお付き合いしていた佐藤俊哉さんと再会したというわけですね」
「そう……」
あの時はとにかくタツキ君を探さないと、って後先考えずに体が動いてた。
ただ……必死だった。
JR博多駅から、地下鉄、私鉄と電車を何本か乗り継いでタツキ君が目撃された場所に行ってみたものの、彼の姿はどこにもなかった。
とりあえず目に付く店に入っては『夕べ、この男性が来ませんでしたか?』とスマホの画面に映るタツキ君の顔写真を確認してもらう。
でも、こんな大きな街での人探しは簡単にはいかない。
「寒い……」
梅雨の夜は冷える。
今、私達親子をを守ってくれるのは透明の小さなビニール傘だけ。
……また、勢いだけで飛び出してきてしまった……。
私はネオンがきらめく通りを呆然と眺めた。
こんなに人があふれているのに、私が頼れる人は一人もいない。
心細くて、たまらないよ。
小雨が降る中、蓮を抱きしめた。
キョロキョロとあたりを見回していると一組のカップルが雑居ビルから出てきた。
若い女性が私の方をじっと見ている。
あれ? あの連れの男性。
あの横顔は……。
「もしかして……俊哉さん!」
そうだ、お姉ちゃんと付き合っていた俊哉さんだ!
大学生の頃から甘いマスクのイケメン。
今はアラサーのはずなのに全然変わってない。
懐かしい……!
こんなところで古い知り合いに会えるなんて。
良かった。なんだかホッとする。
私は二人に駆け寄った。
首をかしげる俊哉さんの隣にいた女性が慌てた様子で大きな傘をさして私達親子をおおってくれた。
「俊哉さん、私です」
そういって俊哉さんの顔をのぞき込むけど、私が誰だか分からないみたい。
そうだよね。
学生時代の恋人の妹の事なんて覚えてなくてもおかしくないよね。
俊哉さんと初めて会った時、私はまだ小学生だったんだし……。
その時、若い女性が小声で呟いた。
「先生、ひどいよ。こんなに若い女の子が雨の中赤ちゃん連れで名前を呼んでいるんだよ。早く思い出しなよ」
俊哉さんは困ったように彼女を見た。
多分、私よりいくつか年上だと思う。
この人俊哉さんの彼女なのかな?
黒い髪はちょうど肩に着くぐらい、かわいらしい雰囲気の女性だ。
お姉ちゃんとは全然タイプが違うけど、うん、優しい俊哉さんにはぴったりだと思う。
でも。
「先生、私お先に失礼しましょうか?」
そう言って彼女はそーっと後ろに下がった。
俊哉さんはその腕をガシッと掴んで言った。
「ちょっと待って、葵先生、置いていかないで」
俊哉さんはまるで捨てられた子犬のような顔で追いすがる。
ん?
「葵先生? あの、先生なんですか?」
「はい……佐藤先生と同じ小学校で教師をしている中山葵です」
佐藤先生!? ってことは。
「良かった……俊哉さん、先生になれたんですね」
俊哉さんが教員を目指している時にお姉ちゃんとごたごたしちゃって結局二人は別れてしまったから、ちゃんと教員になれたのかな? って私、心配してたんだ。
良かった、今は小学校の先生をしてるんだ……!
私は俊哉さんに微笑んだ。
「あ、もしかして……ちいちゃん?」
ふいに、俊哉さんが私にそう声をかけた。
ちいちゃん。
懐かしいその響き。
ホントのお兄ちゃんの様に慕っていた幼い日の感情が一気によみがえる。
俊哉さん、俊哉さん。私……どうしたらいいの?
助けてっ!
俊哉さんが名前を呼ぶのと同時に私はその広い胸に飛び込んだ。
涙があふれて止まらない。
「え、ど、どうしたの? ちいちゃん、長崎に帰ったんじゃなかったの?……その子は?」
「先生! 聞きたいことは後にして、まずは抱きしめてヨシヨシしてあげなさいよ」
「どうして僕が……」
そういいつつも俊哉さんは私の背中をトントンと優しくたたいてくれた。
「落ち着いた?」
「はい……ごめんなさい」
私の腕の中で眠っている蓮がもぞもぞと動いた。
私は俊哉さんから離れて軽く体をゆする。
「お子さん、何ヶ月なんですか? お名前は?」
葵先生は無邪気な笑顔でそう尋ねた。
「この子は蓮です。今、六ヶ月です……」
「蓮君……いいお名前ですね。あの佐藤先生、ここは寒いです。どこかに移動しませんか?」
「そうだね……。でもどうしよう? こんな時間に赤ちゃん連れで入れるお店はないよ……?」
確かに、かなり夜も更けてきた。
深く考えず、ただここに来ればタツキ君に会えると思って出て来ちゃったけど、これからどうしよう……。
「じゃあ、私の家に来ませんか? ここからすぐなので」
葵先生はそう言ってほほ笑んだ。
「いいんですか?……もうすぐこの子のミルクの時間で……どうしようかと思っていたから助かります」
この申し出は、ホントにありがたい。
初対面の私を自宅に誘ってくれるとは、なんていい人なんだろう。
こんな時間に申し訳ないけど、素直に甘えさせてもらおう。
葵先生が、
「じゃ、こっちです」
と歩き出したので私も着いて行く。
「あ、ちいちゃん、荷物持つよ」
俊哉さんがそう言って私のママバッグを持ってくれる。
「うわ、想像以上に重い!」
蓮の荷物をパンパンに詰め込んできたからバッグはいつも以上に膨らんでいる。
オマケに蓮を抱っこしているから私の肩も腰ももう限界に近い。
今夜、ここで俊哉さんと葵先生に出会えて良かった……。
それは、私も知りたい。
「正確には分からないの……ただ、今は福岡にいるらしいって横井さんが……」
「横井さん?」
「うん、横井さんっていうのはウチの取引先、シノコウの担当さん。タツキ君、最近は長崎市内のシノコウの現場で働いてたんだけど、しばらく休ませて欲しいっていう電話を最後に連絡がとれなくなって……」
蓮が六ヶ月を迎えた梅雨のある金曜日、タツキ君と連絡が取れなくなった。
前夜、チカさんにしばらく連絡できないとメールがあったきり。
彼のスマホに電話したりメッセージを送っても既読にすらならない。
この日は朝から大雨が降っていて足場が組めないため、チカさんは事務所で伝票処理を手伝ってくれていた。
「スマホの電源が切れてるみたいだ」
「タツキ君、シノコウの現場も昨日から休んでるんだよね。どうしたんだろう?」
「確か父親が良くない筋から金を借りてるって言ってたな。何もなければいいけど……とりあえず僕はあいつの実家に行ってみるよ……いいだろ、親父?」
チカさんは雨の中、車で長崎市内のタツキ君のアパートに向かうという。
「まあ、お前は本来休みだからな……しかし宗親。気をつけて行けよ」
「ああ、大丈夫」
「なんなら、ウチの若いの何人か引き連れていくか?」
「え? 車の運転じゃなくてそっちの心配? いくらなんでも、そう物騒な事にはなってないでしょ?」
チカさんは大げさな身振りで顔の前で手を振り、私を見下ろした。
「千尋ちゃん、そんなに心配そうな顔しないで。単に風邪ひいて家で寝てるだけかも知れないし。僕があいつの様子を見てくるから千尋ちゃんはここで待ってて」
一時間ほどたったころチカさんから電話がかかってきた。
タツキ君のアパートには誰もいないらしい。
「お母さんも? 妹さんも?」
二人は仕事に行っているのだろうか?
「それが……こんなに大雨が降ってるのにベランダに洗濯物が干しっぱなしなんだ。多分昨夜も帰ってないんだと思う」
「そんな……」
私はもう一度スマホを確認する。
タツキ君へのメッセージはいまだに未読のままだ。
眞島家に何が起きているんだろう?
「チカさん……」
「まあ、まだ事件と決まったわけじゃないし……僕はこっちでもう少しあいつを探してみるよ」
「うん」
不安な気持ちを抱えたまま仕事をすすめていたら夕方、シノコウの横井さんが事務所にやって来た。
「眞島さんを探していらっしゃるそうですね。実は……眞島さんを福岡で見たという人がいるんです」
「福岡?」
「ええ……うちの営業の者が昨晩、出張先の福岡の繁華街ですれ違ったと……。ただ一瞬の事だったので確実ではない様なんですが」
今はどんな情報でも欲しい。
「福岡のっ、福岡のどのあたりですか?」
「確か小田桐さん、お姉さんが福岡に住んでいるとか?」
「はい、それに私自身も子供の頃住んでたから少しは分かるつもりです」
「そうですか。ただ……」
タツキ君が目撃されたのは福岡でもかなりの都心。
私鉄の駅の近くで、居酒屋やレストランが立ち並んでいる場所だった。
いわゆる飲み屋街だ。
「そんなところにどうして……?」
真面目なタツキ君が仕事を休むこと自体珍しいのに、どうしてそんな場所にいたんだろう。
「小田桐さん。こんな事を言うのは失礼かもしれませんが……」
横井さんは、言いにくそうに顔をしかめて切り出した。
「眞島さんは全てを……捨てて逃げているって事はありませんか?」
全てを……捨てて?
「もし、そうだとしても、彼を探すつもりですか……?」
そんなことあるわけがない。
タツキ君はそういう人じゃないよ。
そう言いたいのに言葉が出てこない。
タツキ君の事は信じている。
でも、もし、私や……蓮の事を考えて、あえて身を隠しているとしたら……?
「探さない方が……いいの……?」
私の言葉に横井さんはますます眉を寄せた。
私はどうしたらいいんだろう?
結局、終業時間までチカさんは戻らず、私は保育園に蓮を迎えに行き自宅に戻った。
「あれ?」
玄関のドアの新聞受けに何かが入っている。
「何だろ?」
取り出すと分厚い茶封筒。
中には一万円の束が入っていた。
見るからに大金だ。
数えてみたら百十枚もあった。
「ひゃ、百十万円!!……これ……もしかしてタツキ君が? いったいどういう事なの!?」
こんな大金がどうして新聞受けに入ってるんだろう?
そもそも、このお金は今、タツキ君にこそ必要なんじゃ……!?
……ああ、悪い予感がしてたまらない。
気を抜くと次々と恐ろしい考えが浮かんできてしまって震えが止まらなくなる。
「タツキ君、大丈夫だよね……お願い、無事でいて」
こんな大金を私達親子に残していなくなるなんて。
やっぱり、覚悟の上で姿を消したっていうの?
タツキ君!
そうだ……とりあえず、福岡だ。
今、手掛かりと言えるものは横井さんから聞いた目撃情報しかなかった。
福岡に……行ってみよう。
やっぱり、探さずにはいられないよ。
私は手早くオムツやミルクをバッグに詰め込み、蓮を抱いて電車に飛び乗った。
とにかくタツキ君の事が心配で何も考える余裕はなかった。
「新聞受けに直接百十万円、ですか……千尋さん、これまでに眞島さんからそのような形で現金を受け取ったことはありますか?」
冬馬先生の問いに私は首を横に振る。
「ううん……だって、タツキ君も大変なのに。家に住まわせてもらってるだけでもありがたいよ。だから私、お金はいらないって伝えたの。でも、タツキ君は生活費は必要だって言って時々チカさんにお金を預けてくれて……。チカさんがそれでオムツやミルクみたいなかさばるものを買って家に届けてくれていたの」
「なるほど、現金は受け取っていない、と……それを踏まえたうえでの百十万円という金額だったのでしょう……」
ん? どういう意味?
「だいぶ読めて来ました」
先生はそう言って小さく頷いた。
うーん、私には何が何だか、さっぱり分からない……。
「そうやって向かった先の福岡で、愛美さんと学生時代にお付き合いしていた佐藤俊哉さんと再会したというわけですね」
「そう……」
あの時はとにかくタツキ君を探さないと、って後先考えずに体が動いてた。
ただ……必死だった。
JR博多駅から、地下鉄、私鉄と電車を何本か乗り継いでタツキ君が目撃された場所に行ってみたものの、彼の姿はどこにもなかった。
とりあえず目に付く店に入っては『夕べ、この男性が来ませんでしたか?』とスマホの画面に映るタツキ君の顔写真を確認してもらう。
でも、こんな大きな街での人探しは簡単にはいかない。
「寒い……」
梅雨の夜は冷える。
今、私達親子をを守ってくれるのは透明の小さなビニール傘だけ。
……また、勢いだけで飛び出してきてしまった……。
私はネオンがきらめく通りを呆然と眺めた。
こんなに人があふれているのに、私が頼れる人は一人もいない。
心細くて、たまらないよ。
小雨が降る中、蓮を抱きしめた。
キョロキョロとあたりを見回していると一組のカップルが雑居ビルから出てきた。
若い女性が私の方をじっと見ている。
あれ? あの連れの男性。
あの横顔は……。
「もしかして……俊哉さん!」
そうだ、お姉ちゃんと付き合っていた俊哉さんだ!
大学生の頃から甘いマスクのイケメン。
今はアラサーのはずなのに全然変わってない。
懐かしい……!
こんなところで古い知り合いに会えるなんて。
良かった。なんだかホッとする。
私は二人に駆け寄った。
首をかしげる俊哉さんの隣にいた女性が慌てた様子で大きな傘をさして私達親子をおおってくれた。
「俊哉さん、私です」
そういって俊哉さんの顔をのぞき込むけど、私が誰だか分からないみたい。
そうだよね。
学生時代の恋人の妹の事なんて覚えてなくてもおかしくないよね。
俊哉さんと初めて会った時、私はまだ小学生だったんだし……。
その時、若い女性が小声で呟いた。
「先生、ひどいよ。こんなに若い女の子が雨の中赤ちゃん連れで名前を呼んでいるんだよ。早く思い出しなよ」
俊哉さんは困ったように彼女を見た。
多分、私よりいくつか年上だと思う。
この人俊哉さんの彼女なのかな?
黒い髪はちょうど肩に着くぐらい、かわいらしい雰囲気の女性だ。
お姉ちゃんとは全然タイプが違うけど、うん、優しい俊哉さんにはぴったりだと思う。
でも。
「先生、私お先に失礼しましょうか?」
そう言って彼女はそーっと後ろに下がった。
俊哉さんはその腕をガシッと掴んで言った。
「ちょっと待って、葵先生、置いていかないで」
俊哉さんはまるで捨てられた子犬のような顔で追いすがる。
ん?
「葵先生? あの、先生なんですか?」
「はい……佐藤先生と同じ小学校で教師をしている中山葵です」
佐藤先生!? ってことは。
「良かった……俊哉さん、先生になれたんですね」
俊哉さんが教員を目指している時にお姉ちゃんとごたごたしちゃって結局二人は別れてしまったから、ちゃんと教員になれたのかな? って私、心配してたんだ。
良かった、今は小学校の先生をしてるんだ……!
私は俊哉さんに微笑んだ。
「あ、もしかして……ちいちゃん?」
ふいに、俊哉さんが私にそう声をかけた。
ちいちゃん。
懐かしいその響き。
ホントのお兄ちゃんの様に慕っていた幼い日の感情が一気によみがえる。
俊哉さん、俊哉さん。私……どうしたらいいの?
助けてっ!
俊哉さんが名前を呼ぶのと同時に私はその広い胸に飛び込んだ。
涙があふれて止まらない。
「え、ど、どうしたの? ちいちゃん、長崎に帰ったんじゃなかったの?……その子は?」
「先生! 聞きたいことは後にして、まずは抱きしめてヨシヨシしてあげなさいよ」
「どうして僕が……」
そういいつつも俊哉さんは私の背中をトントンと優しくたたいてくれた。
「落ち着いた?」
「はい……ごめんなさい」
私の腕の中で眠っている蓮がもぞもぞと動いた。
私は俊哉さんから離れて軽く体をゆする。
「お子さん、何ヶ月なんですか? お名前は?」
葵先生は無邪気な笑顔でそう尋ねた。
「この子は蓮です。今、六ヶ月です……」
「蓮君……いいお名前ですね。あの佐藤先生、ここは寒いです。どこかに移動しませんか?」
「そうだね……。でもどうしよう? こんな時間に赤ちゃん連れで入れるお店はないよ……?」
確かに、かなり夜も更けてきた。
深く考えず、ただここに来ればタツキ君に会えると思って出て来ちゃったけど、これからどうしよう……。
「じゃあ、私の家に来ませんか? ここからすぐなので」
葵先生はそう言ってほほ笑んだ。
「いいんですか?……もうすぐこの子のミルクの時間で……どうしようかと思っていたから助かります」
この申し出は、ホントにありがたい。
初対面の私を自宅に誘ってくれるとは、なんていい人なんだろう。
こんな時間に申し訳ないけど、素直に甘えさせてもらおう。
葵先生が、
「じゃ、こっちです」
と歩き出したので私も着いて行く。
「あ、ちいちゃん、荷物持つよ」
俊哉さんがそう言って私のママバッグを持ってくれる。
「うわ、想像以上に重い!」
蓮の荷物をパンパンに詰め込んできたからバッグはいつも以上に膨らんでいる。
オマケに蓮を抱っこしているから私の肩も腰ももう限界に近い。
今夜、ここで俊哉さんと葵先生に出会えて良かった……。
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