2 / 48
第2話 話せるという事実
しおりを挟む
第2話 話せるという事実
翌朝。
アヴァンシアは、ほとんど眠れないまま目を覚ました。
――夢では、なかった。
それは、目を開けた瞬間に分かった。
窓辺、昨日と同じ場所に、昨日と同じ“気配”がある。
『おはよう』
「……おはよう」
反射的に返事をしてから、
アヴァンシアははっとして口を押さえた。
今、私は――
誰もいない部屋に向かって挨拶をした?
『大丈夫よ。今は誰も来てない』
昨日“家を守っている者”と名乗った存在は、
くるりと宙で回ってみせた。
『それにしても、驚いたわ。
やっと話せる人間が出てくるなんて』
「……やっと?」
『ええ。この家、代々ね。
たまに“見える子”は生まれるけど……』
言葉を切り、こちらを見る。
『ここまではっきり見えて、
はっきり話せて、
しかも殴れるのは、あなたが初めて』
「殴る話は、できれば忘れていただきたいのですが……」
アヴァンシアがそう言うと、
相手は楽しそうに笑った。
『無理ね。あれは衝撃的だったもの』
笑われるほどのことをした自覚はない。
けれど、確かに――
拳を振った感触は、まだ手に残っていた。
「あなたのような存在は……
他にも、この家に?」
『いるわよ』
その瞬間。
――ぞわり。
部屋の空気が、一気に“増えた”。
視線を巡らせると、
壁際、天井の隅、カーテンの影。
昨日までは“何もなかった場所”に、
曖昧な輪郭がいくつも浮かんでいる。
「……っ」
思わず息を詰める。
『心配しないで。
みんな、害はないわ』
『むしろ、あなたを見て喜んでる』
「……喜ぶ?」
『だって』
少し誇らしげに言われた。
『やっと、この家の主が
こちらを“ちゃんと見てくれた”んですもの』
その言葉に、
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
主。
家を継ぐ者。
そう呼ばれる立場にいながら、
自分はこの家の“何か”を、
一つも知らなかったのだ。
「……これを、誰かに話したら」
アヴァンシアは、慎重に言葉を選んだ。
「普通は、信じてもらえませんよね」
『ええ』
即答だった。
『信じないか、
怖がるか、
都合のいいように利用しようとするか』
三択です、とでも言いたげな口調。
『だから今まで、黙っていた』
『あなたが見えるようになるまでは』
その言葉が、
妙に重く響いた。
――誰にも言えない。
この力を知られれば、
どう扱われるかは、想像がつく。
「……分かりました」
アヴァンシアは、小さく息を吐いた。
「では、これは――
私と、あなたたちだけの秘密、ということで」
『賢明ね』
満足そうな気配。
その直後、
廊下から足音が聞こえた。
「アヴァンシア様?
もうお起きですか?」
侍女の声。
アヴァンシアは背筋を正す。
「ええ、今行きます」
振り返ると、
さっきまで部屋にあふれていた気配は、
すっと薄れていた。
誰もいない部屋。
いつもの光景。
けれど――
確かに、何かは“いる”。
扉を開ける直前、
小さな声が聞こえた。
『大丈夫。
あなたが殴るのは、
本当に悪いものだけでいいから』
「……善処します」
そう答えてから、
アヴァンシアは思った。
この力は、
祝福でも、呪いでもない。
――ただ、
知ってしまった、というだけなのだ。
そしてその“知識”は、
きっと、彼女を
普通の公爵令嬢ではいさせなくする。
それが、
静かに始まった孤立の合図だと、
まだ彼女は知らなかった。
翌朝。
アヴァンシアは、ほとんど眠れないまま目を覚ました。
――夢では、なかった。
それは、目を開けた瞬間に分かった。
窓辺、昨日と同じ場所に、昨日と同じ“気配”がある。
『おはよう』
「……おはよう」
反射的に返事をしてから、
アヴァンシアははっとして口を押さえた。
今、私は――
誰もいない部屋に向かって挨拶をした?
『大丈夫よ。今は誰も来てない』
昨日“家を守っている者”と名乗った存在は、
くるりと宙で回ってみせた。
『それにしても、驚いたわ。
やっと話せる人間が出てくるなんて』
「……やっと?」
『ええ。この家、代々ね。
たまに“見える子”は生まれるけど……』
言葉を切り、こちらを見る。
『ここまではっきり見えて、
はっきり話せて、
しかも殴れるのは、あなたが初めて』
「殴る話は、できれば忘れていただきたいのですが……」
アヴァンシアがそう言うと、
相手は楽しそうに笑った。
『無理ね。あれは衝撃的だったもの』
笑われるほどのことをした自覚はない。
けれど、確かに――
拳を振った感触は、まだ手に残っていた。
「あなたのような存在は……
他にも、この家に?」
『いるわよ』
その瞬間。
――ぞわり。
部屋の空気が、一気に“増えた”。
視線を巡らせると、
壁際、天井の隅、カーテンの影。
昨日までは“何もなかった場所”に、
曖昧な輪郭がいくつも浮かんでいる。
「……っ」
思わず息を詰める。
『心配しないで。
みんな、害はないわ』
『むしろ、あなたを見て喜んでる』
「……喜ぶ?」
『だって』
少し誇らしげに言われた。
『やっと、この家の主が
こちらを“ちゃんと見てくれた”んですもの』
その言葉に、
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
主。
家を継ぐ者。
そう呼ばれる立場にいながら、
自分はこの家の“何か”を、
一つも知らなかったのだ。
「……これを、誰かに話したら」
アヴァンシアは、慎重に言葉を選んだ。
「普通は、信じてもらえませんよね」
『ええ』
即答だった。
『信じないか、
怖がるか、
都合のいいように利用しようとするか』
三択です、とでも言いたげな口調。
『だから今まで、黙っていた』
『あなたが見えるようになるまでは』
その言葉が、
妙に重く響いた。
――誰にも言えない。
この力を知られれば、
どう扱われるかは、想像がつく。
「……分かりました」
アヴァンシアは、小さく息を吐いた。
「では、これは――
私と、あなたたちだけの秘密、ということで」
『賢明ね』
満足そうな気配。
その直後、
廊下から足音が聞こえた。
「アヴァンシア様?
もうお起きですか?」
侍女の声。
アヴァンシアは背筋を正す。
「ええ、今行きます」
振り返ると、
さっきまで部屋にあふれていた気配は、
すっと薄れていた。
誰もいない部屋。
いつもの光景。
けれど――
確かに、何かは“いる”。
扉を開ける直前、
小さな声が聞こえた。
『大丈夫。
あなたが殴るのは、
本当に悪いものだけでいいから』
「……善処します」
そう答えてから、
アヴァンシアは思った。
この力は、
祝福でも、呪いでもない。
――ただ、
知ってしまった、というだけなのだ。
そしてその“知識”は、
きっと、彼女を
普通の公爵令嬢ではいさせなくする。
それが、
静かに始まった孤立の合図だと、
まだ彼女は知らなかった。
10
あなたにおすすめの小説
皇太女の暇つぶし
Ruhuna
恋愛
ウスタリ王国の学園に留学しているルミリア・ターセンは1年間の留学が終わる卒園パーティーの場で見に覚えのない罪でウスタリ王国第2王子のマルク・ウスタリに婚約破棄を言いつけられた。
「貴方とは婚約した覚えはありませんが?」
*よくある婚約破棄ものです
*初投稿なので寛容な気持ちで見ていただけると嬉しいです
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
彼のいない夏
月樹《つき》
恋愛
幼い頃からの婚約者に婚約破棄を告げられたのは、沈丁花の花の咲く頃。
卒業パーティーの席で同じ年の義妹と婚約を結びなおすことを告げられた。
沈丁花の花の香りが好きだった彼。
沈丁花の花言葉のようにずっと一緒にいられると思っていた。
母が生まれた隣国に帰るように言われたけれど、例え一緒にいられなくても、私はあなたの国にいたかった。
だから王都から遠く離れた、海の見える教会に入ることに決めた。
あなたがいなくても、いつも一緒に海辺を散歩した夏はやって来る。
私の婚約者は誰?
しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢ライラは、2歳年上の伯爵令息ケントと婚約していた。
ところが、ケントが失踪(駆け落ち)してしまう。
その情報を聞き、ライラは意識を失ってしまった。
翌日ライラが目覚めるとケントのことはすっかり忘れており、自分の婚約者がケントの父、伯爵だと思っていた。
婚約者との結婚に向けて突き進むライラと、勘違いを正したい両親&伯爵のお話です。
愛する義兄に憎まれています
ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。
義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。
許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。
2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。
ふわっと設定でサクっと終わります。
他サイトにも投稿。
完結 婚約破棄は都合が良すぎる戯言
音爽(ネソウ)
恋愛
王太子の心が離れたと気づいたのはいつだったか。
婚姻直前にも拘わらず、すっかり冷えた関係。いまでは王太子は堂々と愛人を侍らせていた。
愛人を側妃として置きたいと切望する、だがそれは継承権に抵触する事だと王に叱責され叶わない。
絶望した彼は「いっそのこと市井に下ってしまおうか」と思い悩む……
婚約者とその幼なじみがいい雰囲気すぎることに不安を覚えていましたが、誤解が解けたあとで、その立ち位置にいたのは私でした
珠宮さくら
恋愛
クレメンティアは、婚約者とその幼なじみの雰囲気が良すぎることに不安を覚えていた。
そんな時に幼なじみから、婚約破棄したがっていると聞かされてしまい……。
※全4話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる