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第4話 ヘナヘナパンチ
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第4話 ヘナヘナパンチ
結局、アヴァンシアはその日一日、
拳のことばかり考えていた。
力は増していない。
人を傷つけることもない。
それなのに――
妖しいものにだけ、確実に効く。
「……ずいぶん、都合のいい力ですわね」
自室で一人、そう呟くと、
天井の梁のあたりから小さな気配が返事をした。
『都合がいいんじゃないわ』
声は、少し真面目だった。
『必要なだけ、与えられてるだけ』
「必要……?」
アヴァンシアは椅子に腰掛け、
改めて拳を見つめる。
細い指。
令嬢らしく、力仕事などしたことのない手。
どう見ても、
悪魔を殴り飛ばすような代物ではない。
『強すぎたら、
あなたはきっと、使いこなせなかった』
『怖くなって、
自分を嫌いになってた』
静かな言葉だった。
『だから、ヘナヘナなの』
アヴァンシアは、少し驚いた。
「……ずいぶん、私のことを分かった口ぶりですね」
『長い付き合いですもの』
『あなたが泣いた夜も、
眠れなかった夜も、
全部、見てきた』
胸の奥が、きゅっと縮む。
「……それなら」
アヴァンシアは、ゆっくりと言った。
「この力は、
私が“守れる範囲”でしか、使えないのですね」
『ええ』
『あなたが手を伸ばせる距離だけ』
『だから――
逃げ腰で殴ると、効かない』
「……なるほど」
つまり、
本当に「おかしい」と思った時しか、
この拳は応えてくれない。
恐怖でも、怒りでもなく、
覚悟がなければ、届かない。
その仕組みに、
妙な納得があった。
その時、
廊下の向こうから、義母の声が聞こえた。
「――また、あの子の部屋から、
独り言が聞こえたのよ」
声は、低く、嫌悪を含んでいる。
「誰もいないのに、
話しているの。気味が悪いわ」
アヴァンシアは、背筋を伸ばした。
『……聞かれた』
「ええ」
『どうする?』
問いかけに、
アヴァンシアはしばらく黙った。
そして、
ゆっくりと立ち上がる。
「……何もしません」
『それでいいの?』
「はい」
微笑む。
「この拳は、
殴るためにあるのではありませんもの」
――誤解を、殴っても意味はない。
怖がる人を、殴るわけにはいかない。
『……優しいのね』
「違いますわ」
首を横に振る。
「怖がられる準備が、
まだできていないだけ」
その言葉に、
見えざる者たちは、静かになった。
アヴァンシアは、カーテンを引き、
外の庭を眺める。
ここは、生まれ育った公爵家。
けれど――
この家にいていいのかどうか、
その答えは、
もうすでに決まり始めている気がした。
拳を、軽く握る。
へなへなで、
弱くて、
それでも――
嘘と悪意だけを、拒む力。
「……いつか」
誰にも聞こえないように、呟く。
「本当に殴らなければならない時が来たら――
その時は、
逃げませんわ」
天井の奥で、
見えざる家族たちが、
小さく、誇らしげに笑った。
こうして、
アヴァンシアはまだ知らない。
この“ヘナヘナパンチ”が、
やがて
教会を、家を、そして世界の嘘を
静かに崩していくことを。
――けれど、それは、
まだ少し先の話。
---
結局、アヴァンシアはその日一日、
拳のことばかり考えていた。
力は増していない。
人を傷つけることもない。
それなのに――
妖しいものにだけ、確実に効く。
「……ずいぶん、都合のいい力ですわね」
自室で一人、そう呟くと、
天井の梁のあたりから小さな気配が返事をした。
『都合がいいんじゃないわ』
声は、少し真面目だった。
『必要なだけ、与えられてるだけ』
「必要……?」
アヴァンシアは椅子に腰掛け、
改めて拳を見つめる。
細い指。
令嬢らしく、力仕事などしたことのない手。
どう見ても、
悪魔を殴り飛ばすような代物ではない。
『強すぎたら、
あなたはきっと、使いこなせなかった』
『怖くなって、
自分を嫌いになってた』
静かな言葉だった。
『だから、ヘナヘナなの』
アヴァンシアは、少し驚いた。
「……ずいぶん、私のことを分かった口ぶりですね」
『長い付き合いですもの』
『あなたが泣いた夜も、
眠れなかった夜も、
全部、見てきた』
胸の奥が、きゅっと縮む。
「……それなら」
アヴァンシアは、ゆっくりと言った。
「この力は、
私が“守れる範囲”でしか、使えないのですね」
『ええ』
『あなたが手を伸ばせる距離だけ』
『だから――
逃げ腰で殴ると、効かない』
「……なるほど」
つまり、
本当に「おかしい」と思った時しか、
この拳は応えてくれない。
恐怖でも、怒りでもなく、
覚悟がなければ、届かない。
その仕組みに、
妙な納得があった。
その時、
廊下の向こうから、義母の声が聞こえた。
「――また、あの子の部屋から、
独り言が聞こえたのよ」
声は、低く、嫌悪を含んでいる。
「誰もいないのに、
話しているの。気味が悪いわ」
アヴァンシアは、背筋を伸ばした。
『……聞かれた』
「ええ」
『どうする?』
問いかけに、
アヴァンシアはしばらく黙った。
そして、
ゆっくりと立ち上がる。
「……何もしません」
『それでいいの?』
「はい」
微笑む。
「この拳は、
殴るためにあるのではありませんもの」
――誤解を、殴っても意味はない。
怖がる人を、殴るわけにはいかない。
『……優しいのね』
「違いますわ」
首を横に振る。
「怖がられる準備が、
まだできていないだけ」
その言葉に、
見えざる者たちは、静かになった。
アヴァンシアは、カーテンを引き、
外の庭を眺める。
ここは、生まれ育った公爵家。
けれど――
この家にいていいのかどうか、
その答えは、
もうすでに決まり始めている気がした。
拳を、軽く握る。
へなへなで、
弱くて、
それでも――
嘘と悪意だけを、拒む力。
「……いつか」
誰にも聞こえないように、呟く。
「本当に殴らなければならない時が来たら――
その時は、
逃げませんわ」
天井の奥で、
見えざる家族たちが、
小さく、誇らしげに笑った。
こうして、
アヴァンシアはまだ知らない。
この“ヘナヘナパンチ”が、
やがて
教会を、家を、そして世界の嘘を
静かに崩していくことを。
――けれど、それは、
まだ少し先の話。
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