婚約破棄は歓迎ですが司書解任は困ります――そう言っていた私ですが、図書館の地下で自堕落天国が完成しましたので、どうか放置してくださいませ』

しおしお

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第15話 干からびた王太子、図書館奥地にて発見される

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第15話 干からびた王太子、図書館奥地にて発見される

 

 無限魔導図書館・開館前。

 いつものように、ソラーラは受付カウンターの上に書類をきっちりと並べ、
 魔導端末の起動確認をしながら、ふと首をかしげた。

「そういえば最近、殿下のお姿が見えませんわね」

 魔力残量のグラフを確認しつつ、さらっと物騒なことを言う。

「サヴィ様、何かご存じです?」

 カウンターの反対側では、サヴィが“司書見習い用”のマニュアル冊子を前に、
 ペンをくるくる回しながら座っていた。

「え? いいえ、存じませんわ」

 サヴィは小首を傾げて、素直に答える。

「……そもそも、殿下って図書館に来るタイプでしたっけ?」

「来ましたわよ。無駄に胸を張って、騒がしく」

「まあ……そうでしたわね」

 サヴィは軽く流したが――サヴィは知らない。

 あの日。

 行方不明になった魔術師たちを探すため、
 サヴィが勢いよく蔵書室へ突入し、そのまま戻らなくなった“あの日”のことを。



 ――時間は少しだけさかのぼる。

 サヴィが無限魔導図書館の奥へ消えていった直後。

 受付フロアには、腕を組んで扉の前に立つアクトロス王太子の姿があった。

「どうせ、すぐ泣きながら戻ってくる」

 自信満々の顔である。

「“こわかったですぅ”とか言いながら、私の胸に飛び込んでくるに決まっている」

 ……と、なぜか勝手にイベントシーンを妄想していた。

 

 三分経過。

「…………」

 アクトロスは、まだ余裕の笑みを浮かべていた。

「ふむ。多少は苦戦しているようだな。
 いいだろう、試練というものは必要だからな」

 

 十分経過。

「…………おかしいな?」

 片眉がぴくりと動く。

「ははーん。さては、私を心配させるつもりだな、サヴィ」

 なぜか相手のせいにした。

 

 三十分経過。

 さすがに受付にいた魔術師たちが、互いに顔を見合わせ始める。

「……王太子殿下。
 そろそろ、捜索隊を――」

「い、いらん!」

 アクトロスは勢いよく遮った。

「私の婚約者だぞ? あれしきで迷子になるはずが――」

 言いかけて、脳裏によみがえるサヴィの姿。

(暗いのやだぁぁぁ! 本棚こわいぃぃ!)

 ――過去の名言の数々。

 アクトロス 「…………」

(……なるのでは? 普通に)

 

 一時間後。

「……遅い」

 さすがのアクトロスも顔色が悪くなっていた。

「こ、これはさすがにおかしい……!
 まさか、本当に迷子になったのか……!? 司書なのに……!」

 受付の魔術師が、気まずそうに横を向いた。

(……そもそも、司書になったのが間違いなのでは……)

 心の声は、誰も口には出さない。

 アクトロスはついに堪えきれず、拳を握りしめた。

「くそっ!! もう待っておれん!!」

 バンッとカウンターを叩き、胸を張って宣言する。

「私が助けに行く!!」

 そして、そのまま勢いよく蔵書室の扉へと消えていった。

 ――それが、彼の最後の“元気な姿”である。



 現在。

 ……そして、その後。

 サヴィも戻り、迷子たちも戻り、
 図書館の迷宮化もソラーラの復帰で収束しつつあるというのに。

 ――アクトロスだけが、なぜか戻ってきていない。

 という事実に、王宮中が気づくまでに、さらに数日を要した。

(存在感の方向性って、大事ですわね……)

 ソラーラは、報告書の束を思い出しながら、心の中だけで小さくため息をつく。



 その日の閉館後。

 来館者の数と退館者の数がきちんと一致していることを確認し、
 ソラーラは受付の明かりを少し落とした。

「では、今日は館内の損耗確認をしてまいります。
 サヴィ様は、貸し出し記録の整理をお願いできますか?」

「は、はいっ、お姉様!」

 サヴィが勢いよく返事をするのを見届けてから、
 ソラーラはランタンを片手に、ひとり静かな書架の森へと歩み出す。

 薄暗い通路。
 誰もいない館内では、書物の紙がこすれる、かすかな音がやけに大きく響く。

(……目録の更新に合わせて棚の移動が多かったせいか、
 この辺りの魔力の循環が少し乱れていますわね)

 ソラーラは書架に指先を触れ、流れる魔力の具合を確かめる。

「……後日、魔力制御陣を再調整しないと」

 などと職務熱心なことを考えながら、
 静かな通路を進んでいた、その時だった。

 

 ふ、と視界の端で“何か”が横たわっているのが見えた。

(……また迷子ですの? でも今日は入館者数と退館者数、
 ぴったり一致したはずですが)

 首をかしげながら近づき、ランタンの光を向ける。

 そこには――

「…………?」

 床に倒れている、細く痩せた人影。

 豪奢だったはずのシャツはシワだらけ、
 上着はどこかで引っかけたのか破れ、
 髪はぼさぼさ。

 顔色は土のようで、唇はひび割れている。

(……誰ですの、この砂漠から帰還できなかった旅人のような方は)

 ソラーラはランタンをさらに近づけ、その顔を照らした。

 光が額、頬、唇を順に照らし――

「…………殿下?」

 声が、ひときわ低く落ちた。

 王太子アクトロス。

 紛れもなく、彼だった。

「……本当に、殿下?」

 ソラーラは思わず二度目をこする。
 しかしどう見ても本人である。

(……同姓同名のそっくりさん、という可能性も……)

 と、一瞬だけ現実逃避をしかけたが、
 この状況でそんな可能性を考えるのはむしろ現実逃避だった。

 ソラーラは、震える指先で彼の肩を軽く揺らす。

「殿下!? 殿下、お分かりになりますか?
 こんなところで何をなさって……」

 と、言いかけて、冷静に状況を見つめ直す。

「いえ、その前に――干からびてますわよ!!」

 ほとんどつっこみに近い悲鳴になった。

 

 アクトロスのまぶたが、かすかにぴくりと動く。

「……み、水……」

 かすれた声。

(……まだ生きてたの?)

 心の声が、危うくそのまま口から出そうになり、
 ソラーラは慌てて咳払いでごまかした。

「しっかりなさってくださいませ。
 ここは無限魔導図書館の――どの辺りでしょうね、ここ」

「……通路が……動く……」

 アクトロスは虚ろな目で、天井を見つめたまま呟く。

「出口が……ない……。
 ずっと……回って……元の場所に……戻れん……」

「殿下、それは図書館です。昔からそういう仕様です」

 ソラーラは即答した。

「動くと知って入られたのでは?」

「知るかぁ……!」

 魂だけが元気なのか、気力だけで怒鳴ってみせるが――

「……ぐふッ」

 すぐに力尽きて、また床にぺたりと沈み込んだ。

 ソラーラは肩をすくめる。

「……サヴィ様より迷子スキルが高いのではなくて?」

 呟きは、書架に吸い込まれていった。

 とはいえ、このまま放置すれば本当に“伝説のミイラ王太子”になってしまう。

「仕方ありませんわね……」

 ソラーラはランタンの魔力調整リングをひねった。
 灯りの色がわずかに変わり、通信陣が浮かび上がる。

「――こちら、無限魔導図書館。
 王宮医療班に連絡を。
 行方不明となっていた王太子殿下を発見しました。
 ……はい。場所は第七層と第八層の境界付近、歴史書区画です。

 状態は――そうですね……簡潔に申し上げますと、餓死寸前です」

 その一言で、王宮は再び大騒ぎとなった。



 ほどなくして、図書館の奥まで救護班が駆けつけ、
 アクトロスは担架に乗せられて搬送された。

「脈、ぎりぎりです!」
「水分と魔力の両方が枯渇しています!」
「よくこれで一週間も……」

「一週間!?」

 現場にいた魔術師たちが一斉にどよめく。

「そんなにさまよっていたのか、殿下は……」

「図書館ナメて入ってはならぬという、最高の見本では……」

「いや、教訓というか、戒めというか……」

 アクトロスは治療魔法と点滴のおかげで、どうにか一命を取り留めた。

 ――結局。

 王太子の行方不明が正式に確認されてから一週間後。
 餓死寸前の状態でソラーラに発見される、という
 前代未聞の結末を迎えたのである。



 数日後。

 ソラーラが休憩時間に、サヴィへ状況を説明すると――

「……そんな……本当に迷ってたんですの?」

 サヴィはカップを持ったまま固まった。

「ええ。いろいろと……驚異的でしたわ」

「驚異的?」

「飢えと渇きと恐怖にさらされながらも、
 なお“自分は王太子だぞ”というプライドだけは、
 最後までぎりぎり残っていたところが、ですわね……」

「……方向感覚は残ってませんでしたわね?」

「皆無でしたわ」

 ふたりは同時に、遠い目になった。

 

「迷子の才能だけは……天才的ですわね、殿下」

 サヴィがぽつりとこぼす。

「否定できませんわね……」

 ソラーラは微笑みながら紅茶を一口。

 

 こうして、またひとつ――

 無限魔導図書館の恐ろしさと、
 **王太子の脆弱さ(主に方向感覚と図書館耐性)**が、
 王国中に広く知れ渡ることになったのだった。
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