プリンセス諸国漫遊記

しおしお

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第7章 干ばつと黒い契約

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 麦の穂が、風に吹かれても揺れない――そんな、奇妙な光景だった。

 アリシア一行が次に訪れたのは、王国西部にある農業都市《ミルザン》。
 王国の穀倉地帯として知られ、豊かな土と水脈に恵まれていたはずの町が、今は沈黙した大地の上に立っていた。

 「畑に人影がありません……」
 ベアトリスが顔をこわばらせながら、干上がった灌漑水路を見つめる。

 「作物も、枯れ果てたまま放置されてる。何かがあったのは間違いねぇな」
 ガイアが地面に膝をつき、乾いた土を指でつまんだ。
 「……一滴も、水の気配がねぇ。まるで土地が、息をしてないみたいだ」

 「情報通り、“干ばつ”は起きている。けど、それだけじゃ説明がつかない」
 ユリウスが村の入口にある掲示板を見ながら言った。
 「“王家からの水の供給は、一時的に制限されます”……? これは、王都の正式な発令文とは書式が違う」

 アリシアも掲示を見て、眉をひそめた。

 「筆跡も違う……これは偽文書です。王家の名を騙って、水の配給を制限している?」

 「誰が……そんな真似を?」
 ベアトリスが声を震わせる。

 「それを、確かめましょう。王家の名が利用されているのなら、見過ごすわけにはいきません」

 アリシアは、馬車から降り、町の方へ歩き出した。

 * * *

 町の中心部、《グラン麦市場》。

 本来であれば、収穫された小麦や野菜、加工品が並ぶはずのこの市場も、今は閑散としていた。
 代わりに並んでいるのは、空になった麻袋と、高額な札をつけられた輸入穀物。

 「これ、全部……他国から買い付けたもの?」
 ベアトリスが目を丸くする。

 「そう見えるな。しかも、価格が通常の五倍から十倍に跳ね上がってる。とても庶民が買えるもんじゃねぇ」
 ガイアが札を手に取り、舌打ちした。

 「お客様。見るだけならご自由に、ですが、お買い求めでないなら退いていただけますかね」
 ねっとりとした声とともに現れたのは、赤い羽根帽子をかぶった商人風の男だった。

 「この町での食糧は、すべて《供給管理商会》が取り扱っております。売買には、当社発行の“栄養券”が必要です」

 「栄養券……? そんな制度、聞いたことがないわ」
 アリシアが静かに言う。

 「おや、旅の方でしたか。こちらでは通用しないのですよ、“旅の金”なんて。特に、王家の紋章などは――無意味です」

 その言葉に、ユリウスの眉がぴくりと動いた。

 「供給管理商会……こいつらが、この町の食糧を独占してるんだな」

 「当然です。干ばつで収穫がない以上、外部から輸入せねばならないでしょう? ならば、先に買い占めた我々が“適正価格”で売るのは当然です」

 「適正……?」
 ベアトリスの手が震える。

 「飢えた人間から金をむしり取り、“券”と称して命の値段をつける。これのどこが“適正”なのですか?」

 「情に流されていたら、商売はできませんからね」
 男は笑った。

 だがその瞬間、男の首筋にガイアの短剣の刃が当てられていた。

 「“商売”ってのはな、命を売り買いすることじゃねぇんだよ」

 「ガ、ガイア! ダメです、暴力はっ!」
 ベアトリスが慌てて止めに入る。

 「ふん……暴力反対ですか。それなら法に従って、警備団にでも訴えてくださいな」
 男が自嘲気味に笑う。

 「警備団? あの広場の兵たちのことか?」
 ユリウスが冷たく言った。
 「全員、あんたの“商会”から金をもらって動いてる連中だ。つまり、この町の“法律”は、すでに腐ってるってことだな」

 アリシアは、静かに前に出た。

 「……干ばつは確かに天災。でも、それに便乗して民を搾取するのは“人災”です。あなたたちは、人の弱さにつけこみ、この町を支配している」

 「お言葉ですが、姫君。あなたが正義の使者を気取ろうと、民は飢えて動けません。抵抗もできない者に、どんな理想を語ろうと、無力なのですよ」

 アリシアはその言葉を真っ直ぐ受け止め、こう返した。

 「……ならば、私が証明します。人は、飢えても希望を失わぬと」

 * * *

 その夜。
 町の古い礼拝堂に、住民たちが集められていた。

 配給も打ち切られ、助けを求める場もなかった人々は、アリシアの提案に半信半疑のまま、足を運んでいた。

 「私たちは、この町の畑を見ました。大地は生きていました。ただ、水が止められていただけです」

 アリシアは、地図と現地調査の記録を示しながら続ける。

 「上流の水門を、供給商会が買収して閉じていたのです。干ばつではなく、“人の手”によって作られた飢饉でした」

 人々がざわついた。

 「私たちは水門を開けます。そして、王都より食糧支援を運びます。けれど、それだけでは一時しのぎです」

 アリシアの目が、一人一人を見つめる。

 「畑に戻ってください。手を汚して、種を蒔いてください。希望を、土に託してほしいのです」

 老人が震える手で、帽子を取った。

 「……お嬢さん。本当に……水が戻るのか?」

 「ええ。必ず」

 アリシアは、迷いなく答えた。

 「王家の名にかけて、あなたがたの命と誇りを守ります」

 人々の目に、次第に光が戻っていく。

 それは、乾いた大地に落ちた一滴の雨のように――確かな希望だった。


 ミルザン北部、水源をせき止めていた大水門《アルマ・ゲート》。

 夜闇に沈むその鉄門は、異様な静けさをまとっていた。
 本来は農業用水として、一定の周期で町に水を供給する重要施設――だが、今は“供給管理商会”の私兵たちに占拠され、鍵も魔法印で封印されていた。

 「このままでは、どれだけ支援物資を持ち込んでも無意味です。水がなければ、畑は死んだまま」
 ユリウスが地形図を見ながら呟く。

 「いくぞ。連中が“法律”を盾にするなら、こっちは“行動”で示してやる」
 ガイアが片手斧を肩に担ぎ、もう一方の手で煙玉を確認する。

 「侵入と同時に、私が魔法封印を解除します」
 ベアトリスは真剣な顔で魔導具を取り出し、アリシアに向かって深く頷いた。

 「でも……本当にいいのですか、姫様。これは、“法”を逸脱する行為です」

 アリシアは小さく微笑んだ。

 「ええ。けれど……これは、“正義”のための越境。ならば――私は構いません」

 その瞬間、背後の木陰から影が舞い降りた。

 「結構なご決断だね、姫君」
 姿を現したのは、シグレ。
 その顔にはいつものように仮面がなく、夜風に長髪がなびいていた。

 「裏門の見張りを三人、眠らせておいた。通路は開いたよ」

 「……ありがとう、シグレ」
 アリシアは軽く頷き、マントを翻す。

 「行きましょう。大地の命を取り戻すために!」

 * * *

 水門内部は、数人の兵士と技術者が交代で詰めていたが、油断していた。

 突入から数秒。煙玉と閃光石の連携で視界を封じ、ユリウスとガイアが正面を制圧。

 「無駄な抵抗はやめろ。お前たちはすでに包囲されている」
 ユリウスの冷静な声に、兵士たちは震え、武器を落とす。

 その隙に、ベアトリスが水門中央にある封印台座へと走る。

 「王家印の偽造だと……こんな粗雑な術式で……!」

 怒りを噛み殺しつつ、彼女は刻印を剥がして魔導印を上書きする。

 「――《解呪・水門解放》!」

 魔法陣が軋む音と共に、巨大な鉄の歯車が回転を始めた。

 ゴゴゴゴ……ギギギギィィィン……

 轟音を響かせながら、数ヶ月もの間閉ざされていた水門が、ゆっくりと開かれていく。

 「……来るよ」
 シグレが屋根の上から呟く。

 その言葉と同時に、馬の蹄の音が闇を裂いた。

 「そこまでだぁああああッ!!」
 現れたのは、供給管理商会の統括責任者、デュラン。
 金と黒の羽織をまとい、背後に私兵を従えている。

 「この水門は、我が商会が合法に管理している施設だ! 無断で操作すれば、国家への反逆と見なすぞ!」

 「あなたたちは王家の名を騙り、偽文書を貼り、民の命を人質にしていた。その罪のほうが遥かに重い」
 アリシアが前に出る。

 「あなたがたが搾取していた証拠は、すでに王都へ送っています。明日には騎士団が動くでしょう」

 「ふざけるな! お前ら、女一人に何が――」

 その瞬間、デュランの言葉を遮るように、頭上から何かが落ちた。

 ――バサッ

 それは、ひと束の紙だった。
 偽造契約書、王家への偽通達の写し、買収リスト――

 「シグレが集めてくれたの。あなたたちが“やってきたこと”の証明」

 アリシアの瞳が、怒りと悲しみで揺れていた。

 「町を“干ばつ”と嘘で包み、命の価値に値段をつけた。その罪、あなた自身の口で言い訳してみせなさい」

 「……っ!」

 デュランが剣を抜こうとしたとき――

 「……やめなさい」

 その声は、民の集団から上がった。

 広場の入り口に、鍬や鎌を手にした町人たちが立っていた。

 「もう、だまされねぇ……」
 「水が、戻ってきた……!」
 「姫様が本当に、私たちを助けてくれた!」

 アリシアは振り返る。
 そこには、土にまみれた手を握りしめる老人、若い母親、少年たち……命をつなぐ者たちの瞳があった。

 「今こそ立ち上がる時です。この町の未来は、あなたたちの手にあります」

 その声に応えるように、誰かが叫ぶ。

 「干ばつに負けない! この土地を取り戻すんだ!」

 「姫様と一緒に、畑を耕そう!」

 怒号も剣も、やがて意味を失っていった。

 デュランは、手にした剣をポトリと落とした。
 膝をつき、静かにうなだれる。

 「……わたしは……負けたのか……」

 アリシアは近づき、静かに言った。

 「あなたが負けたのは、武力ではありません。“人の心”に、です」

 * * *

 数日後、再び潤った灌漑水路が畑を潤し、町の人々は土を掘り返して新たな種をまいていた。

 「……みなさん、本当に変わりましたね」
 ベアトリスがほっとしたように笑う。

 「“自分たちで耕して食う”って当たり前のことを、忘れちまってたんだな」
 ガイアも肩を回しながら、農民と一緒に手伝っていた。

 「姫様、王都から使者が参りました。ミルザンの復興に関して、正式な支援が開始されるようです」
 ユリウスが報告し、アリシアは頷く。

 「これからが本番ですわね。町の未来を、どう守るか――」

 その時、遠くの丘で、黒いマントの男が馬上からその姿を見ていた。

 「……また、間に合わなかったか」
 セラフィムはぽつりと呟く。

 「けれど……あの方はまた、自らの力で誰かを救った。次こそ、私は――」

 風が吹き抜け、草原が揺れた。
 旅はまだ、続いていく。


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