追放された令嬢ですが、今さら戻れと言われてもお断りです!

しおしお

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第4章:再会とざまあの始まり

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 ベイル村の疫病は、アルテミスとカイルの懸命な治療・調査の甲斐もあり、徐々に沈静化の兆しを見せ始めていた。村人たちの協力を得て、原因と見られる怪しげな薬草の廃棄や、衛生環境の改善を急いだことが功を奏したのだ。全員が完全に回復したわけではないが、最悪の事態はどうにか回避できそうだという安心感が、少しずつ村全体に広がっている。
 アルテミスは一人、集会所の片隅で患者の経過を見守っていた。今、目の前に眠るのは高熱を出していた少女だ。解熱剤と水分補給、睡眠をしっかり取らせた結果、ようやく意識が回復しつつある。彼女の顔色も初日に比べるとだいぶ良くなった。
「……よかった」
 アルテミスはそっと微笑み、少女の額に手を当てる。まだほのかに熱は感じられるものの、峠は越えたようだ。苦しげだった呼吸が、いまは穏やかな寝息に変わっている。
 その姿に、アルテミスは安堵のため息をつく。これでまた、一人の命が救われるかもしれない。以前なら宮廷での小さな医療知識と、限られた環境での治療しか知らなかった自分が、いまこうして多くの人の命に関わる立場になっているのだ。追放されてからの日々は決して平坦ではなかったが、努力を重ねてきた甲斐を感じられる瞬間でもある。
 そこに、静かに足音を忍ばせてカイルが現れた。
「アルテミスさん、休憩はちゃんと取れているのか? ここ数日、ずっと寝ずに患者の世話をしているんだろう」
 彼はそう言うと、手に持っていた水筒を差し出す。中には、隣国から伝わったという果実を煮出した甘酸っぱいジュースが入っているのだとか。飲むと疲労回復に効くらしい。
「ありがとう。心配してくれて……でも、もう少しだけ。まだ回復しきっていない人が多いから」
 アルテミスは水筒を受け取り、一口含む。ほんのり甘酸っぱい風味が口の中に広がり、乾いた喉を潤してくれる。カイルはそんな彼女を見て、少しだけ笑みを浮かべる。
「いつも思うけど……君は本当に、自分のことは後回しにして、人を救うことばかり考えているんだな」
 その言葉にアルテミスは照れくさそうに目を伏せる。
「私も余裕があるわけじゃないの。患者のためと言いつつ、実はこうやって人の役に立てることが何より嬉しいのかもしれない。……私には、もう帰るべき場所がないと思っていたから。ここで役に立つことが、自分の存在意義を確かめているようなものなの」
 この辺境に来るまでの経緯――侯爵家の追放と、王太子の婚約破棄。それはアルテミスにとって、いまだに忘れられない苦い思い出だ。しかし、この地で薬師として生き始めた今は、かつての貴族令嬢だった自分とは違う人生を切り開いている実感がある。
 カイルはゆっくりと目を閉じ、何か思案している様子だったが、やがて穏やかな瞳を向けた。
「君は立派だ。自分の過去を言い訳にせず、前を向いて努力している。俺は……そんな君を、いつも応援したいと思うんだ」
 それは、どこか告白めいた響きを含んだ言葉だった。アルテミスはその真摯な眼差しに、一瞬胸が高鳴るのを感じる。
「ありがとう。カイルさんがそばにいてくれるから、私も頑張れているんだと思う」
 そう言いかけたとき、奥のほうで患者が咳き込む音がした。アルテミスはハッと我に返り、急いでそちらへ向かう。ロマンチックな雰囲気など一瞬で吹き飛び、今はとにもかくにも患者が第一だ。カイルは小さく笑うと、「また後でゆっくり話そう」とだけ告げて、アルテミスを見送った。

疫病の沈静と王都からの客人

 それからさらに数日が過ぎた頃、ベイル村の疫病はようやく落ち着きを取り戻した。死者も出たが、アルテミスとカイルの奮闘により多くの命が救われたのも事実だ。村長や住民たちは深い感謝を示し、一部の人々は二人を「村の恩人」として崇めさえする。
 そんな中、アルテミスとカイルは村人たちに見送られながら、ロダニアの町へ戻る準備を進めていた。長く滞在していたため、そろそろレオルトの店にも顔を出して状況を報告しなくてはならない。だが、その出発の直前になって、予期せぬ一行が村に到着した。
 遠目に見えてきたのは、立派な装いの数名の男たち。前後を騎士らしき人物が護衛している。村の門のような簡易的な柵を越えるとき、彼らは堂々と馬を進めてきた。
 カイルがいちはやく異変を察知し、アルテミスに「下がっていてくれ」と警戒の目を向ける。だが、近づいてきた人物を見て、アルテミスはその姿を見間違うはずもなかった。
 ――王太子アレクト。
 アルテミスにとって、忘れがたい存在であり、同時に今は忌まわしい過去の象徴とも言える男だった。彼は馬を降り、周囲を見回してから、アルテミスの姿を認めると驚いたように声を上げる。
「アルテミス……! お前はやはりここにいたのか!」
 かつては高圧的に婚約破棄を言い渡したその口が、今はまるで懐かしい家族を見つけたかのように震えている。アルテミスは一瞬言葉を失ったが、次の瞬間には冷静に自制心を取り戻し、静かな目でアレクトを見返した。
「……殿下、どうしてここに?」
 問いかける声には、かつてのような敬愛の情は微塵も含まれていない。むしろ、ひどく冷ややかな響きさえ感じられる。
 アレクトは周囲をはばかるように視線を巡らせながら、絞り出すように言う。
「その……私の話を聞いてほしいんだ。久しくお前の姿を見なかったから、捜していたのだ。いろいろとあって、王都は混迷している。そこで、お前の力が必要になった……」
 その言葉に、アルテミスの心はざわつくが、同時に冷たい怒りが込み上げてくる。追放したのは彼らだ。婚約破棄を宣言し、実父までもが「役立たず」と罵って捨てたくせに。今さらどの口で「力が必要」などと言うのか。
 しかし、今のアルテミスはかつてのようにアレクトの顔色をうかがう娘ではない。静かに息を整え、毅然とした態度で口を開く。
「私の力、ですか。あの日、殿下は私を『要らない』と言って、婚約破棄しましたよね。父も私を捨てた。私はもうヴァルター家の令嬢でもなければ、王太子の婚約者でもありません。今はロダニアの町で薬師見習いとして、人々に慕われながら暮らしています。……今さら、何の用でしょう?」
 遠慮のない言葉に、アレクトの顔は青ざめる。彼の後ろに控える護衛らしき人物も、「殿下、ここは……」と焦った声を上げている。
「す、すまなかった! あれは、私の一時の気の迷い……違う、聖女カトレアの力に惑わされていただけなのだ。お前を追放してから気づいたが、王都の混乱はお前の支えがなくなったせいでもある……。だから、戻ってきてほしいんだ。王妃も、侯爵家も、みなそう望んでいる」
 まるで子どものような言い訳に、アルテミスは呆れを通り越して哀れささえ感じた。王都の混乱が続いているというのは、ここ辺境にも噂が届いている。聖女カトレアが失態を重ね、疫病や政治トラブルに対処できていないという話だ。しかし、それは彼ら自身の選んだ道ではなかったのか。
「戻ってこい、などと……勝手な言い草ですね。それを言うならば、私を追放したときに考えておけばよかったのでは? 殿下が私を追い出した結果、今の私があります。けれど、私はもうあの場所には帰らない。私には私の居場所がありますから」
 きっぱりと突き放す言葉に、アレクトは目を見開く。かつてのアルテミスなら、王太子の要求に逆らうなどあり得ないことだったろう。だが今の彼女は、堂々とその選択肢を拒否している。
「お、お前……本当に戻らないと?」
「ええ、何があっても戻りません。殿下の行為によって私は自分の道を見つけました。追放しておいて今さら『戻れ』とは、あまりに身勝手ですよ」
 さらにアルテミスは続ける。
「……それに、王太子にはすでに『聖女』と呼ばれる方が傍らにいるのでしょう? 私なんかの力より、よほど素晴らしい奇跡をお持ちなのでは?」
 皮肉とも取れる言葉に、アレクトの顔は苦悶に歪む。思わず周りを見回すと、数人の護衛たちも居心地悪そうに視線をそらした。王都での騒動がどれほど深刻かは、アレクト自身が一番知っているに違いない。カトレアは確かに不思議な力を持っているかもしれないが、それが国政や疫病を救う決定打にはなっていない。
 今になって失ったものの大きさを痛感する。アルテミスの聡明さと、家門としての安定感。それらをすべて手放した代償はあまりに大きかった。
「わ、私は……本当はお前のことを大切に思っていた。だが、周囲の声やカトレアの力に惑わされて……」
 アレクトは未練がましく言い募るが、アルテミスの表情は冷めたままだ。それもそうだろう。あれだけ多くの人の前で侮辱し、父までが追放を宣言したのだ。今の言葉を真に受けるほど、アルテミスはもう甘くない。
 そのやり取りを遠巻きに見ていたカイルは、しかしながらすぐに口を挟もうとはしなかった。アルテミスが自身の意思で決着をつけるべき問題だと思ったからだ。だが、あまりにアレクトが食い下がるようであれば、守りに入る必要がある。
 案の定、アレクトはさらに一歩進み、アルテミスの手を取ろうとする。しかし、アルテミスはすっと身を引き、拒絶の意思を明確に示す。
「やめてください。……それ以上、私に触れないで」
 その言葉の冷たさは、まるで氷の刃のようだった。アレクトは取り返しのつかない過去の過ちを、今さらに突きつけられた形だ。
「……どうか、戻ってきてくれ。お前が戻らなければ、王都は……」
 必死の呼びかけも、アルテミスの心を動かすことはなかった。彼女はくるりと背を向け、カイルのほうに視線を向ける。
「殿下、何度も言いますが、私には私の居場所があります。もう王太子の許へ戻る気はないので、どうかお引き取りを」
 言い切ったアルテミスの横顔は、追放された令嬢とは思えないほど凛として美しかった。

ざまあの余韻と王太子の後悔

 その場にいた村の人々は、言葉も出せない様子だった。王家の人間にここまで堂々と“No”を突きつけるなど、普通では考えられない。しかし、アルテミスがこの地でどれほど人々に信頼され、慕われているかを知る者たちは、心の奥底で「よく言った」という気持ちも抱いているのだ。
 一方、アレクトは顔を真っ赤にして取り乱しそうになりながら、何とか理性を保とうとしていた。しかし、態度だけでなく、言葉も裏目に出てしまう。何を言っても、いまのアルテミスには届かないのだ。
「くっ……そんな、私はただ……」
 王太子としてのプライドと、痛烈な後悔の念がないまぜになり、彼はうまく言葉を紡げない。かつては自分が婚約破棄を言い渡したとき、アルテミスは取り乱すどころか、涙をこらえながら静かに去っていった。あの光景を見たときは「所詮、貴族の令嬢などその程度」と高をくくっていたのだ。
 だが今、まさに自分が拒絶され、置き去りにされる側になっている。しかも、多くの人の前で。あの日、アルテミスが味わった屈辱を、今の彼は否が応でも思い知らされていた。
 ――ざまあ。
 その言葉が聞こえてくるような錯覚さえ感じる。誰も口にしないが、アルテミスの冷たい眼差しが物語っているのだ。
 結局、アレクトは何もできず、しばしその場に立ち尽くした。そんな彼に助け船を出したのは、護衛の騎士だった。
「殿下、このような所で長居は無用かと……一度王都へお戻りになられませぬか」
「で、でも……」
「殿下は今、この村で何をして差し上げられるのです? ここは既に疫病の危機を脱しつつあります。アルテミス殿が尽力した結果かと。どうかお察しください」
 その言葉に、アレクトは悔しさに唇を噛みながら、やむを得ず馬に乗り込んだ。最後にもう一度、アルテミスを振り返る。けれども、彼女は背中を向けたままだ。
 アレクトの一行が去っていったあと、村には重苦しい沈黙が訪れた。しかし、アルテミスはふうと息を吐き、静かに微笑む。
「……終わったわ」
 その言葉に、隣にいたカイルがほっとしたように顔を緩めた。
「本当に大丈夫か? 今のような対立になって、王都側から何か報復があるとは考えないのか?」
「……あの人は、そこまで強引ではないと思います。もし私を連れ戻すために力ずくに出るなら、とっくにやっているでしょう。それに、これ以上彼らが何かすれば、王太子の評判はさらに落ちるだけ。いずれにせよ、私はもう自由です」
 そう言いながらも、アルテミスの瞳には一抹の寂しさが滲んでいた。かつては婚約者だったのだ。こんな形で決別することになろうとは思っていなかったが、彼女自身、憂いも後悔もないと言えば嘘になる。
 だが、今の彼女にはもっと大切なものがある。この土地で得た自立、薬師としての誇り、そして自分を尊重し、支えてくれる人々――。
 カイルはそんなアルテミスの複雑な思いを察したのか、そっと手を伸ばし、彼女の肩に優しく触れた。
「本当によかったのか? もし、王都に戻れば、もっと安定した生活が手に入るかもしれない。それでも……」
 アルテミスは振り返り、穏やかに首を横に振る。
「ええ。私は、もうあそこには何も求めていません。戻ったところで、過去が帳消しになるわけでもありませんし、また同じことを繰り返すだけでしょう。それに……」
 そう言いかけて、彼女はカイルの瞳を見つめる。
「私は私の道を歩みたい。あなたたちと一緒に。私が救える人たちを守れるように――それが、今の私の生き方です」
 カイルはまっすぐにアルテミスを見返した。優しく微笑みながら、小さくうなずく。
「よし、じゃあこれからも一緒に進もう。俺も隣国から派遣されている立場ではあるが、君の助けになれる限り、ずっとそばにいるから」
 それは、ほぼ“告白”に近い言葉だった。アルテミスの心に、温かな感情が広がっていく。かつてアレクトと交わした誓いは捨て去り、今は新しい愛を探し始めている。――否、その芽はもうすでに胸の奥で小さく咲き始めているのかもしれない。

ロダニアへの帰還と新たな愛の行方

 ベイル村を後にしたアルテミスとカイルは、しばらく歩を進めたあと、人気の少ない森の道で小休止を取ることにした。日差しは徐々に強くなり、初夏の風が木々を揺らしている。
 アルテミスは馬車を使わずに徒歩で村に入り、そのまま滞在していたため、帰りもその足でロダニアを目指す。もっとも、無闇に急ぐ必要はなく、道中の村々で疫病の兆候がないか確認しながら帰る予定だ。
 木陰に腰を下ろし、アルテミスは水筒の水を飲む。疲れのせいか、さすがに眠気が襲ってくる。カイルはそんな彼女の横顔を見つめながら、言いにくそうに口を開いた。
「アルテミスさん、少し話があるんだ。……この先、俺は隣国に報告を上げなければならない。ベイル村での疫病のこと、そして王都の混乱ぶり。それから……君の活躍もだ」
「私の活躍?」
「そう。報告書に書かずにはいられないほど、君の働きは大きいし、今回の疫病を鎮めた功績は隣国にも大きな意味を持つ。もしこの国が混乱に陥り、疫病が国境を越えて流行すれば、うちの国も無傷ではいられないからね」
 カイルはそう言って肩をすくめる。
「でも、報告を上げたら、いずれ上層部は『アルテミスという有能な薬師を、どうにか隣国に引き入れられないか』と考えるかもしれない。そのときは、俺が全力で断るつもりだ。君の意思に反してまで、隣国に連れていくなんて、俺はしたくないし、君にも選択権があるべきだと思うから」
「カイルさん……」
 アルテミスは胸がじんと熱くなるのを感じた。追放された彼女に、かつては居場所もなかった。しかし今、ここには彼女を尊重してくれる人がいる。
「ありがとう。あなたはいつも私の気持ちを一番に考えてくれるのね。……もし、本当に隣国からそういう話が出ても、私は自分で考えて決めるわ。ロダニアを離れることになるかもしれないけど、まだ何も分からない。ただ、今の私にとって一番大切なのは、薬師として、人を救う力を磨き続けること。それができるなら、場所はどこでも構わないと思ってる」
 そう言いながら、アルテミスはふとカイルの顔を覗き込む。
「ただし、もし私が隣国に行くことになったとしたら……あなたは一緒にいてくれるの?」
 その問いかけに、カイルははっと息を呑んだ。まるで自分の胸の内を見透かされたように、わずかに頬を染める。
「もちろん……俺は君が望むなら、どこにでもついていくさ」
 真摯な答えに、アルテミスの唇から、小さく笑みがこぼれる。これまで、王太子アレクトとの関係でさえ、こんなにも素直なやりとりはなかった。
 二人はしばし見つめ合うが、そこに特別な言葉は必要ない。それぞれの心のうちに、確かな温もりが生まれ始めているのを感じるだけで、じゅうぶんだ。

それぞれの道へ

 ロダニアの町に戻ったアルテミスとカイルは、レオルトの店で疫病の顛末を詳しく報告した。レオルトは老人らしく深くうなずきながら、アルテミスの成長ぶりに感心を隠せないようだった。
「お前さん、本当に立派になったなあ。ベイル村での功績は、町でも評判だぞ。最近は、わざわざお前を頼って来る患者も出始めている。レオルトの弟子だと知って、みんな大いに期待しているさ」
「そんな……私、まだまだ未熟です。先生の足元にも及びません」
「へっへっ、謙遜することはない。だが気を抜くなよ。今回の疫病は終息しかけているとはいえ、またいつどこで似たような病が広がるか分からん。お前の知識と腕がさらに必要になるときが来るかもしれんからな」
 レオルトがそう釘を刺すと、アルテミスは引き締まった表情でうなずく。確かに、この国の状況は決して安定してはいない。王都やほかの地方で再び疫病や混乱が起こる可能性は十分にある。
 そして、同じ頃、王都からの新たな報せがロダニアにも届き始めていた。聖女カトレアが相変わらず失態を重ね、王太子アレクトの評判はさらに地に落ちているという。加えて、聖女の奇跡を利用しようとした一部の貴族が、裏で怪しげな商人と取引していたのではないか、などと物騒な噂まで飛び交っている。
 アルテミスはその噂を聞くたびに、追放された自分へと矛先が戻ってこないか警戒しつつも、どこか他人事のように感じていた。王都に未練はもうない。彼女にとっては、すでに「戻らない」と決めた場所なのだ。
 それでも、かつての婚約者アレクトの苦境を知るたび、複雑な思いが芽生える。もし、あのときアレクトがカトレアに盲信せず、アルテミスを信じていたなら、こんなことにはならなかったかもしれない。
 けれど、もう遅い。ざまあ――そう言われても仕方ない報いだと、アルテミスは冷静に割り切る。自分を踏みにじった者がどれだけ苦しもうと、もはや同情する義理はない。それよりも、今は自分が守るべき存在や場所をしっかり見据えることのほうが大切だった。

新しい愛の夜明け

 ある夕暮れ時、アルテミスは薬草の調達を終えて帰路についた。ロダニアの町外れに広がる小さな草原を歩いていると、ふと見覚えのある人影が前方に立っているのが見えた。
 カイルだ。彼は夕日に染まる空を眺めながら、何やら深く考え込んでいる様子だった。近づいていくと、彼は気配を察したのか、振り返ってアルテミスに微笑む。
「お疲れさま、アルテミスさん。薬草の採取をしていたんだろう? 随分遅かったな」
「ええ、少し遠くのほうまで行っていたから。どうしてここに?」
「町の見回りを終えた後、なんとなくここに寄ってみた。夕日がきれいだからな。……それに、君が通るかもしれないと期待していたのかもしれない」
 その言葉に、アルテミスはどこか胸がくすぐったくなる。カイルがこんなに素直に自分の気持ちを言葉にしてくれるのは、まだ珍しいことだった。
「ふふ……私を待っていてくれたの?」
「ああ。実は、ちゃんと伝えたいことがあるんだ。ベイル村での疫病が落ち着いて、君が王太子アレクトを拒絶して……今こそ、言わなきゃと思ってな」
 カイルはそう言って、アルテミスの目をまっすぐに見つめる。金色の夕日が二人のシルエットを伸ばし、静かな風が草原を撫でていく。
「アルテミスさん、俺は君のことが好きだ。尊敬しているし、女性としての想いもある。君は、自分自身をしっかり持っていて、誰かに捨てられても怯まずに前を向ける強さがある。……そんな君とこれからも一緒にいたいんだ」
 一気に紡がれる言葉に、アルテミスは一瞬呼吸を忘れた。かつてアレクトから「婚約を破棄する」と告げられた時の衝撃とは、まるで違う種類の衝撃。今は胸が熱くなるばかりで、言葉が出てこない。
 しかし、次の瞬間には嬉しさで頬が緩むのを感じる。こういう告白を受けるのは生まれて初めてだと言ってもいい。なぜなら、王太子との婚約は家の事情が大きく左右したもので、自分自身の意思はあまり尊重されなかったからだ。
「……私も、あなたを大切に思ってる。あなたがいるから、私はここで頑張れている。隣国の騎士団長という立場や、将来の不確定要素はいろいろあるでしょうけど、それでもあなたが私と一緒にいたいと言ってくれるなら……」
 言いかけて言葉が詰まる。けれど、それは不思議と心地よい戸惑いだった。彼女は軽く首を振り、はっきりと伝える。
「私も、あなたが好き。私の新しい人生に、あなたは必要な存在だわ」
 カイルはその答えに、息を詰めるように喜びを噛みしめ、そっとアルテミスの手を取る。すると、まるでそれが合図であったかのように、地平線に溶け込んでいた太陽が夕日の色を深めていく。
 二人は、ただ静かに見つめ合った。そこには甘やかな空気が流れ、かつてアルテミスが感じたことのない安心感と幸福感が広がっている。追放された娘が、ここでこうして新しい愛を見つけられるとは――人生とは分からないものだ、とアルテミスは思った。
 夜のとばりが降り始める草原。遠くでは鳥たちがねぐらへ帰る声が聞こえる。アルテミスの視線はカイルの瞳を捉え、離さない。
「……ありがとう。あなたに出会えて、本当に良かった」
 思わず漏れたその言葉に、カイルは微笑み返し、そのままアルテミスを静かに抱きしめる。温もりに包まれながら、アルテミスは心の中で確信した。もう二度と、王都になど振り回されない。自分の意思で、新しい道を歩むのだ、と。

冷たく拒絶したその先に

 こうして、王太子アレクトの必死の懇願を冷たく拒否したアルテミスは、辺境の地で確固たる居場所を得ていた。薬師としてさらに成長し、多くの人々を救い続ける――そんな目標に向かって邁進する彼女の隣には、今やカイルという新しい愛が存在する。
 追放された令嬢だからといって、その人生がすべて終わるわけではない。むしろ、捨てられた先で彼女は新しい幸せを見つけ、かつての婚約者は深い後悔に苛まれている。
 どれほど後悔しても、もう戻れない道がある。アレクトの悲嘆と無念は、アルテミスにとっては“ざまあ”な結果に他ならない。しかし、そのざまあをただ嘲笑うだけでは終わらないのがアルテミスの強さでもある。彼女は過去を憎むより、新しい未来を築くことを選んだのだから。
 

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