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第18話 冷たい料理の日
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第18話 冷たい料理の日
焼きたてパンの大成功から三日後、王宮の食堂には妙な空気が流れていた。
原因は、料理長である。
彼は朝からずっと難しい顔をしていた。いつもなら火加減や搬送動線に目を光らせているのに、今日は食堂の一角で腕を組み、じっと冷たい銀盆を見つめている。
それを見て、リリアーヌはなんとなく察した。
この人、何か言いたいのだ。
そしてたぶん、その“何か”は面倒な方向の話である。
昼餐の席に着くと、案の定、料理長が前に進み出た。
「殿下、陛下。本日は、ひとつ申し上げたいことがございます」
その声音は静かだったが、内容が穏やかでないことはよく分かる。
国王がパンを待つ子どもみたいな顔で答える。
「なんだ」
「ここ数日、王宮では“熱々こそ至高”という空気が強くなっております」
食堂が静まる。
たしかに、そうだ。
温かい料理がほしい、から始まって、熱々がうれしい、焼きたてパンが最高、となった結果、今や王宮では“火が入っていてなんぼ”みたいな空気が漂っている。
厨房でも、最近はやたらと「もっと熱く」「もっと近くで仕上げろ」という声が飛ぶらしい。
料理長は続けた。
「ですが、申し上げておきます。冷たい料理にも価値はございます」
その瞬間、国王が少し眉をひそめた。
「冷たい料理?」
「はい」
「今さらか」
やめて、お父様。
言い方が完全に異端者を見る目だから。
料理長は一歩も引かなかった。
「冷たいことが欠点である料理もございます。しかし逆に、冷たいからこそ完成する料理もございます」
リリアーヌは、少しだけ目を輝かせた。
たしかに前世でもそうだった。冷やしトマト、冷製スープ、ゼリー寄せ、サラダ、冷やしたプリン。冷たいことそのものが、おいしさの条件になる料理はたくさんある。
温かいものが好きだ。
でも、冷たいものまで否定したいわけではない。
料理長は、今日は少し誇らしげだった。
「ゆえに、本日は“冷たいからこそ美味い料理”をお出しいたします」
給仕長が合図を送り、冷たい前菜が運ばれてくる。
透明なゼリーで閉じ込められた魚介、よく冷えたハーブのソース、薄く切られた野菜。見た目は涼やかで美しい。王宮らしい繊細さもある。
だが、食堂の空気はひどくぎこちなかった。
搬送係たちはどこか手持ち無沙汰そうで、アンナにいたっては「今日は急がなくてよろしいのですか」と半ば本気で困惑している。
リーゼも、いつもの“扉一枚で料理は死にます”顔ではなく、少しだけ拍子抜けしたように立っていた。
バド団長など、「今日は上げる瞬間も止める瞬間も命をかけなくてよいのですか」と聞いて、料理長に「今日はかけなくて結構です」と真顔で返されていた。
かわいそうである。
リリアーヌは思わず笑いそうになるのをこらえながら、冷たい前菜へ手を伸ばした。
口に入れる。
……おいしい。
ちゃんとおいしい。
冷たいゼリーの中に、魚介の旨みと香草の香りが閉じ込められていて、口の中でほどける。温かい料理みたいに“ほっとする”感じではないけれど、すっと涼しくて気持ちいい。
「いかがでございますか、殿下」
料理長が、少しだけ挑むような目で聞いてくる。
たぶん今、この人は名誉をかけている。熱々派一色に染まりつつある王宮に対して、“冷たい料理も誇り高い”と証明したいのだ。
だからリリアーヌは、正直に答えた。
「おいしいですわ」
料理長の背筋がぴんと伸びる。
「冷たいのに、ちゃんとおいしいです」
「冷たいからこそ、でございます」
「はい。そう思いますわ」
その一言で、料理長は明らかに安堵した。
国王はまだ少し納得しきれない顔だったが、自分でもひと口食べて、む、と黙り込む。
「……たしかに悪くない」
だいぶ上からだが、これは国王なりの賛辞である。
けれど、問題はそこからだった。
熱々こそ正義、の空気に慣れきっていた王宮の面々は、冷たい料理を前にすると、妙に哲学的になるのだ。
「温かくしなくて本当によろしいのですか」
新人給仕が真剣な顔で聞く。
「よいのです」
料理長も真剣だ。
「しかし、少しでも温かいほうが――」
「よくありません!」
今日は料理長のほうが熱い。
アンナまで困ったように言う。
「搬送速度を落としてよろしいのなら、フォームも少し調整を……」
「不要です」
「不要」
「今日は冷たさを守る日です」
リーゼが静かに口を開く。
「では、扉の開閉も冷気流入を防ぐのではなく、外気温との均衡を優先すべきでしょうか」
なんでそんなに扉の仕事を増やすの。
料理長は少し考え込み、本気でうなずいた。
「……それは一理ございます」
やめて。
冷製料理回まで、みんな本気で最適化しないで。
(温かいご飯が欲しかっただけなのに……王宮が冷たい料理の守り方まで真剣に考え始めたんだけど)
リリアーヌは内心で額を押さえた。
だが、嫌ではない。
むしろ少しだけ嬉しいのだ。
温かいものが好きだと口にしたことで、王宮は温かさに気づいた。
でも、その先で冷たい料理までちゃんと見直されるなら、それはいい変化なのかもしれない。
食べ物は、温かければなんでもいいわけじゃない。
冷たいこと、熱いこと、その料理にとって“いちばんおいしい状態”が大事なのだ。
それを、みんなが少しずつ理解し始めている。
「料理長」
「はい」
「今日は、冷たくてよかったですわ」
その言葉に、料理長は深々と頭を下げた。
「恐悦至極にございます」
国王は腕を組みながら、まだ少し悔しそうに言う。
「まあよい。だが次はまた熱々でもよいぞ」
「承知しております、陛下」
料理長は即答した。
この人も、別に熱々を嫌っているわけではないのだ。むしろ好きだろう。ただ、冷たい料理まで追いやられるのが我慢ならなかっただけで。
リリアーヌは、そんな料理長の気持ちが少しだけわかった。
温かいものは、ホッとさせてくれる。
でも冷たいものには、冷たいものの嬉しさがある。
大事なのはたぶん、温度それ自体ではなく、その料理がいちばん幸せな状態で目の前にあることなのだ。
そのことに気づけたのは、なんだか少し、よかった気がした。
食後、侍女が冷たい果実水を持ってきてくれた。リリアーヌはそれをひと口飲んで、ふっと息をつく。
冷たくて、気持ちいい。
そしてやっぱり思う。
(温かいご飯が欲しかっただけなのに……どうして王宮って、こうすぐ全方向に本気になるんだろう)
たぶんその答えは、まだ誰にもわからない。
焼きたてパンの大成功から三日後、王宮の食堂には妙な空気が流れていた。
原因は、料理長である。
彼は朝からずっと難しい顔をしていた。いつもなら火加減や搬送動線に目を光らせているのに、今日は食堂の一角で腕を組み、じっと冷たい銀盆を見つめている。
それを見て、リリアーヌはなんとなく察した。
この人、何か言いたいのだ。
そしてたぶん、その“何か”は面倒な方向の話である。
昼餐の席に着くと、案の定、料理長が前に進み出た。
「殿下、陛下。本日は、ひとつ申し上げたいことがございます」
その声音は静かだったが、内容が穏やかでないことはよく分かる。
国王がパンを待つ子どもみたいな顔で答える。
「なんだ」
「ここ数日、王宮では“熱々こそ至高”という空気が強くなっております」
食堂が静まる。
たしかに、そうだ。
温かい料理がほしい、から始まって、熱々がうれしい、焼きたてパンが最高、となった結果、今や王宮では“火が入っていてなんぼ”みたいな空気が漂っている。
厨房でも、最近はやたらと「もっと熱く」「もっと近くで仕上げろ」という声が飛ぶらしい。
料理長は続けた。
「ですが、申し上げておきます。冷たい料理にも価値はございます」
その瞬間、国王が少し眉をひそめた。
「冷たい料理?」
「はい」
「今さらか」
やめて、お父様。
言い方が完全に異端者を見る目だから。
料理長は一歩も引かなかった。
「冷たいことが欠点である料理もございます。しかし逆に、冷たいからこそ完成する料理もございます」
リリアーヌは、少しだけ目を輝かせた。
たしかに前世でもそうだった。冷やしトマト、冷製スープ、ゼリー寄せ、サラダ、冷やしたプリン。冷たいことそのものが、おいしさの条件になる料理はたくさんある。
温かいものが好きだ。
でも、冷たいものまで否定したいわけではない。
料理長は、今日は少し誇らしげだった。
「ゆえに、本日は“冷たいからこそ美味い料理”をお出しいたします」
給仕長が合図を送り、冷たい前菜が運ばれてくる。
透明なゼリーで閉じ込められた魚介、よく冷えたハーブのソース、薄く切られた野菜。見た目は涼やかで美しい。王宮らしい繊細さもある。
だが、食堂の空気はひどくぎこちなかった。
搬送係たちはどこか手持ち無沙汰そうで、アンナにいたっては「今日は急がなくてよろしいのですか」と半ば本気で困惑している。
リーゼも、いつもの“扉一枚で料理は死にます”顔ではなく、少しだけ拍子抜けしたように立っていた。
バド団長など、「今日は上げる瞬間も止める瞬間も命をかけなくてよいのですか」と聞いて、料理長に「今日はかけなくて結構です」と真顔で返されていた。
かわいそうである。
リリアーヌは思わず笑いそうになるのをこらえながら、冷たい前菜へ手を伸ばした。
口に入れる。
……おいしい。
ちゃんとおいしい。
冷たいゼリーの中に、魚介の旨みと香草の香りが閉じ込められていて、口の中でほどける。温かい料理みたいに“ほっとする”感じではないけれど、すっと涼しくて気持ちいい。
「いかがでございますか、殿下」
料理長が、少しだけ挑むような目で聞いてくる。
たぶん今、この人は名誉をかけている。熱々派一色に染まりつつある王宮に対して、“冷たい料理も誇り高い”と証明したいのだ。
だからリリアーヌは、正直に答えた。
「おいしいですわ」
料理長の背筋がぴんと伸びる。
「冷たいのに、ちゃんとおいしいです」
「冷たいからこそ、でございます」
「はい。そう思いますわ」
その一言で、料理長は明らかに安堵した。
国王はまだ少し納得しきれない顔だったが、自分でもひと口食べて、む、と黙り込む。
「……たしかに悪くない」
だいぶ上からだが、これは国王なりの賛辞である。
けれど、問題はそこからだった。
熱々こそ正義、の空気に慣れきっていた王宮の面々は、冷たい料理を前にすると、妙に哲学的になるのだ。
「温かくしなくて本当によろしいのですか」
新人給仕が真剣な顔で聞く。
「よいのです」
料理長も真剣だ。
「しかし、少しでも温かいほうが――」
「よくありません!」
今日は料理長のほうが熱い。
アンナまで困ったように言う。
「搬送速度を落としてよろしいのなら、フォームも少し調整を……」
「不要です」
「不要」
「今日は冷たさを守る日です」
リーゼが静かに口を開く。
「では、扉の開閉も冷気流入を防ぐのではなく、外気温との均衡を優先すべきでしょうか」
なんでそんなに扉の仕事を増やすの。
料理長は少し考え込み、本気でうなずいた。
「……それは一理ございます」
やめて。
冷製料理回まで、みんな本気で最適化しないで。
(温かいご飯が欲しかっただけなのに……王宮が冷たい料理の守り方まで真剣に考え始めたんだけど)
リリアーヌは内心で額を押さえた。
だが、嫌ではない。
むしろ少しだけ嬉しいのだ。
温かいものが好きだと口にしたことで、王宮は温かさに気づいた。
でも、その先で冷たい料理までちゃんと見直されるなら、それはいい変化なのかもしれない。
食べ物は、温かければなんでもいいわけじゃない。
冷たいこと、熱いこと、その料理にとって“いちばんおいしい状態”が大事なのだ。
それを、みんなが少しずつ理解し始めている。
「料理長」
「はい」
「今日は、冷たくてよかったですわ」
その言葉に、料理長は深々と頭を下げた。
「恐悦至極にございます」
国王は腕を組みながら、まだ少し悔しそうに言う。
「まあよい。だが次はまた熱々でもよいぞ」
「承知しております、陛下」
料理長は即答した。
この人も、別に熱々を嫌っているわけではないのだ。むしろ好きだろう。ただ、冷たい料理まで追いやられるのが我慢ならなかっただけで。
リリアーヌは、そんな料理長の気持ちが少しだけわかった。
温かいものは、ホッとさせてくれる。
でも冷たいものには、冷たいものの嬉しさがある。
大事なのはたぶん、温度それ自体ではなく、その料理がいちばん幸せな状態で目の前にあることなのだ。
そのことに気づけたのは、なんだか少し、よかった気がした。
食後、侍女が冷たい果実水を持ってきてくれた。リリアーヌはそれをひと口飲んで、ふっと息をつく。
冷たくて、気持ちいい。
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