『身代わり花嫁は鍋をかぶり、すりこぎ棒で吸血鬼と向き合う』

しおしお

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第29話 約束のかたちを持たない夜

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第29話 約束のかたちを持たない夜

 その夜、私は眠れずにいた。

 窓の外では、雲に隠れた月が時折姿を見せ、庭の影をゆっくりと動かしている。静かな夜。けれど胸の奥だけが、微かにざわついていた。

(……並び立つ、か)

 第28話の言葉が、何度も思い返される。

 選ばれるのではなく、並び立つ。
 縛られず、命じられず、それでも離れない。

 それは、今まで私が知らなかった関係の形だった。

 コン、と控えめなノックが響く。

「……起きているか」

 カインの声だった。

「はい」

 答えると、扉が静かに開く。

 彼はいつものように室内に入ってきたが、今日はソファに腰掛けず、窓辺に立った。私と同じ景色を見るように。

「眠れないようだな」

「……少し、考え事を」

「奇遇だ」

 短い言葉のやりとり。それだけで、空気が落ち着く。

 しばらく沈黙が続いたあと、私が先に口を開いた。

「……約束、しないんですね」

 唐突だったけれど、ずっと聞きたかった。

「永遠とか、ずっと一緒とか……そういう」

 カインは、驚いた様子を見せなかった。

「君は、してほしいか」

 問い返されて、私は言葉に詰まる。

 してほしい、と言えば嘘になる。
 でも、してほしくないと言い切るほど、強くもない。

「……約束って、安心します」

 正直な気持ちだった。

「でも……壊れるのも、怖い」

 約束があるから、裏切られたと感じる。
 約束があるから、縛られる。

 彼は、静かに頷いた。

「約束は、形を持つ」

「はい」

「だが、形は壊れる」

 彼の視線は、月に向いていた。

「だから私は、形を作らない」

 胸の奥に、すとんと落ちる。

「……じゃあ、何を信じるんですか」

「選択だ」

 即答だった。

「毎日、隣に立つと選ぶこと。
 離れないと、選び続けること」

 それは、約束よりもずっと厳しい。

 だって、更新しなければ消えてしまう。

「……大変ですね」

 思わず、苦笑が漏れた。

「楽ではない」

 カインは、私を見た。

「だが、誠実だ」

 私は、ベッドから立ち上がり、彼の隣に行った。窓辺に並んで立つ。

 距離は、近い。
 けれど、触れない。

「……私」

 息を吸って、吐く。

「今日も、あなたの隣に立つって、選びました」

 それだけの言葉。
 でも、胸が少し震えた。

 カインは、何も言わなかった。
 ただ、わずかに頷いた。

 それで、十分だった。

 月が、雲の切れ間から顔を出す。

 淡い光が、二人の影を並べて床に落とした。

 重なりはしない。
 でも、離れてもいない。

 この夜、私は思った。

 約束がないから、不安なのではない。
 約束がないからこそ、
 今日を選ぶ意味が、はっきりとするのだと。

 そしてそれは――
 私が初めて、自分の意思で手にした関係だった。
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