『身代わり花嫁は鍋をかぶり、すりこぎ棒で吸血鬼と向き合う』

しおしお

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第30話 それでも、隣にいる理由

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第30話 それでも、隣にいる理由

 朝の光が、ゆっくりとカーテンの隙間から差し込んでいた。

 私はベッドの上で目を覚まし、しばらく天井を見つめたまま動かなかった。昨夜の月明かりと静かな会話が、まだ胸の奥に残っている。

(約束のない関係……)

 不安が消えたわけじゃない。
 でも、不思議と心は落ち着いていた。

 着替えを済ませ、廊下に出ると、館はいつも通り静かだった。朝の支度をする使用人たちの足音と、遠くから漂ってくる紅茶の香り。

 その日常が、今はとても大切に思えた。

 中庭に出ると、カインがいた。

 いつものように、庭木の様子を見ている。近づいても、振り返らない。私がそこに来ることを、当然のように知っている。

「おはようございます」

「おはよう、リネア」

 名前を呼ばれる。
 それだけで、胸の奥が少し温かくなる。

 私たちは並んで歩き始めた。目的もなく、ただ庭を一周するだけの散歩。

「……昨日の夜の話」

 私が切り出すと、カインは小さく頷いた。

「考えさせてしまったか」

「はい。でも……嫌じゃなかったです」

 足元の小道に視線を落としながら、続ける。

「約束がないのは、正直怖いです。
 でも……約束がなくても、ここにいるって選んでいる自分は、嫌いじゃない」

 カインは、歩みを止めた。

 私も、止まる。

「……それを、理由と呼んでいいのか」

 彼の声は、静かだった。

「わかりません。でも」

 私は、彼を見る。

「“いなきゃいけないから”じゃなくて、“いたいから”って思えるのは……初めてです」

 少し、恥ずかしかった。
 でも、目は逸らさなかった。

 カインは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、それから言った。

「それが、私が隣にいる理由だ」

「え?」

「君が“いたい”と思っている間、私はここにいる」

 それは、契約でも誓いでもなかった。

 けれど、曖昧だからこそ、重みがあった。

「……私が、いなくなりたくなったら?」

「止めない」

 即答だった。

「だが……その日が来るまで、私は何度でも選ぶ」

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 こんなに誠実で、残酷で、優しい言葉を、私は他に知らない。

「……ずるいですね」

「よく言われる」

 小さな笑み。

 私も、つられて笑った。

 再び歩き出す。朝露に濡れた葉が、陽を受けて輝いている。

 この場所で、
 この人の隣で、
 私はもう“身代わり”ではない。

 守られているだけの存在でもない。

 選び、選ばれ続ける場所。

 それが怖くても、
 それでもここにいる理由は、もうはっきりしていた。

 この朝、私は思った。

 約束がなくても、
 未来が確定していなくても――

 それでも、隣にいたい。

 それだけで、今は十分なのだと。
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