『身代わり花嫁は鍋をかぶり、すりこぎ棒で吸血鬼と向き合う』

しおしお

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第32話 それでも、私はここにいる

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第32話 それでも、私はここにいる

 朝が来た。

 特別な鐘が鳴るわけでもなく、劇的な出来事が起こるわけでもない。いつも通りの朝。柔らかな光がカーテン越しに差し込み、館は静かに目を覚ましていた。

 私はベッドから起き上がり、深く息を吸う。

(……終わり、なのかな)

 そんな言葉が、ふと頭をよぎった。

 けれど、すぐに打ち消す。

 終わりじゃない。
 これは「答え」でも「結論」でもない。

 ただの、今。

 身支度を整え、廊下を歩く。足取りは軽くも重くもない。迷いはあるけれど、後悔はなかった。

 中庭に出ると、カインがいた。

 朝の光の中に立つその姿は、初めて出会った日の“恐ろしい吸血鬼”とは、もう重ならない。ただ、長い時間を生きてきた一人の存在として、そこにいた。

「おはようございます」

「おはよう、リネア」

 自然に交わされる言葉。

 それだけで、十分だった。

 私は、彼の隣に立つ。

 選ばれたからでも、守られているからでもない。
 自分で、ここに立つと決めたから。

「……ここに来たばかりの頃」

 私は、庭を見つめながら言った。

「生き延びることだけで、必死でした」

 鍋をかぶり、すりこぎ棒を握り、震えながら夜を越えた日々。

「でも今は……生きていたい、って思ってます」

 カインは、静かに頷いた。

「それが、最も難しい選択だ」

「はい。でも……逃げないって、決めました」

 未来がどうなるかは、わからない。

 人と吸血鬼。
 時間の流れも、寿命も違う。

 それでも。

「約束は、できません」

 私は、はっきり言った。

「永遠とか、変わらないとか……言えないです」

 カインは、微笑んだ。

「それでいい」

「でも」

 私は、彼を見る。

「今日、ここにいることは……選べます」

 その言葉に、彼は何も返さなかった。

 ただ、私の隣に立ったまま、同じ景色を見る。

 それが、答えだった。

 風が吹き、庭の木々が揺れる。
 新しい一日が、静かに始まっていく。

 身代わりだった私。
 怯えていた私。
 選べなかった私。

 すべてを抱えたまま、今の私はここにいる。

 誰かの代わりではない。
 誰かに選ばれた存在でもない。

 ――自分で選び続ける者として。

 そして、この先も。

 答えが変わっても、迷っても、立ち止まっても。

 それでも、私はここにいる。

 そう思えたこと自体が、
 この物語の、ひとつの終わりであり――
 同時に、終わらない始まりだった。
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