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3-3 舞踏会の影と、元婚約者の帰還
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第3章 3-3 舞踏会の影と、元婚約者の帰還
初夏の風が屋敷を抜け、庭園の白バラが一斉に咲き誇っていた。
レティシアは温室の窓辺に立ち、指輪に映る陽光を見つめていた。
氷晶石の中央は、今は透明に輝いている。
健康の証でもあり、セドリックとの絆の証でもあった。
(あれから、もう一ヶ月……)
彼は相変わらず多忙だったが、どんなに遅くても必ず夜には顔を見せてくれる。
そのたびに短い会話を交わし、笑い合う――それが、レティシアにとって一日の終わりの幸福になっていた。
けれど、その穏やかな日々は、ある知らせによって静かに揺らぎ始める。
---
その日、王都からの使者が侯爵邸を訪れた。
封蝋には王家の紋章。
開封したセドリックは眉をひそめる。
「……“王宮主催の夏季舞踏会への出席命令”か」
レティシアは少し驚いたように顔を上げた。
「出席“命令”、ですの?」
「形式上は招待状だが、実質は強制だ。
昨年は私が辞退したが……今年は逃げられないらしい」
セドリックの声には明らかな不快が滲んでいた。
だが、レティシアは微笑みながら頷いた。
「構いませんわ。……どんな場でも、あなたの隣に立てるなら」
その一言に、セドリックの表情がわずかに和らぐ。
「……無理はするな。社交界の空気は、君に優しくない」
「いいえ、もう大丈夫です。――あなたが傍にいてくださいますから」
そう言って見せた笑顔は、まっすぐで、眩しかった。
---
舞踏会の夜。
王都の大広間には数百の燭台が灯り、宝石のような光が天井のクリスタルに反射していた。
音楽と笑い声が満ち、貴族たちが色鮮やかな衣装を身にまとって踊っている。
その中で、ひときわ注目を集めていたのは、銀灰の髪の侯爵と、その隣に立つ金髪の夫人――レティシア・アークハート。
「……あれが噂の“氷の侯爵の妻”か」
「以前、王太子に婚約破棄されたという公爵令嬢だろう?」
「まるで復讐の女神だ。あの気品を見ろ……」
ざわめきが広がる。
だが、レティシアは何事もないように微笑みを浮かべ、セドリックの腕にそっと手を添えた。
彼は小声で囁く。
「緊張しているか?」
「いいえ。むしろ、穏やかですわ」
「……強いな、君は」
「あなたが隣にいれば、怖いものなどありません」
その言葉に、彼の口元がほのかに緩む。
だが、次の瞬間――。
「……レティシア?」
背後から聞き慣れた声がした。
胸の奥が一瞬にして冷たくなる。
ゆっくりと振り返ったその先に立っていたのは――
金髪に碧眼の青年。
整った顔立ちに、あの傲慢な笑みを貼りつけた男。
――元婚約者、アルフォンス・ラグランジュ公爵令息。
---
「……久しぶりだね、レティシア」
アルフォンスは平然と微笑む。
「噂は聞いていたよ。君が“氷の侯爵”の妻になったと」
レティシアはわずかに息を吸い、完璧な貴婦人の微笑みを浮かべた。
「ええ。お久しぶりですわ、アルフォンス様。ご機嫌いかが?」
「まさか、君がまだ王都にいるとは思わなかったよ。
僕はてっきり――国外へ追放されたとばかり」
「まあ。ずいぶんご無沙汰の間に、失礼な想像をなさるようになったのね」
淡々と返すレティシアの声には、微塵の怯えもなかった。
その背後で、セドリックの瞳が冷たく光った。
「貴殿がアルフォンス・ラグランジュか」
「これはこれは……侯爵殿。ご挨拶が遅れました」
軽く会釈する彼の態度には、どこか侮蔑が滲んでいる。
「元はと言えば、私が彼女の婚約者でしてね。
いやはや、こうしてまた再会できるとは。運命というものは皮肉です」
「運命――?」
セドリックの声が低く沈む。
「運命を語る前に、まず“自らの過去の言動”を省みることだな」
空気が凍る。
周囲の貴族たちが息を呑み、音楽が一瞬止まった。
レティシアはセドリックの袖を軽く引き、静かに首を振った。
「……大丈夫です、セドリック」
その言葉に、彼は彼女を見つめ、わずかに頷く。
---
舞踏の最中、アルフォンスは何度も視線を送ってきた。
そのたびに、セドリックの表情はさらに冷たくなっていく。
「……気にするな」
「いえ、気にはしていませんわ。ただ、少し哀れに思って」
「哀れ?」
「ええ。あの方、今になって気づいたのですもの。
自分が手放したのが“名誉”ではなく、“真心”だったと」
レティシアは微笑みながらグラスを傾けた。
その横顔は、どこか達観した女神のようだった。
---
舞踏会が終わる頃。
廊下に出たレティシアを、アルフォンスが待っていた。
薄暗い回廊、誰もいない。
彼は迷いもなく口を開く。
「レティシア、君を手放したのは間違いだった」
その言葉に、レティシアは静かに目を閉じた。
「いまさら、何をおっしゃるの?」
「僕は……あの時、若く愚かだった。
聖女に惑わされ、真に大切な人を見失っていた」
彼の声には後悔の色があった。
だが、その響きはどこか軽い。
レティシアは一歩近づき、冷ややかに微笑む。
「アルフォンス様。あなたがわたくしを捨てた夜を、覚えていらして?」
「……ああ、覚えている」
「あの夜、あなたは“君のような冷たい女は愛せない”とおっしゃいました。
――でも今は、その“冷たさ”を愛してくださる方がいるのです」
そう言って、左手の指輪を見せた。
氷晶石が月光を受け、淡く光る。
「この光は、契約の証でも、虚飾の宝でもありません。
――真実の愛の証ですわ」
アルフォンスは息を呑んだ。
「……あの氷の男が、君を愛しているとでも?」
その瞬間、背後の影が動いた。
セドリックが静かに現れた。
「愛しているとも」
その声は、低く、確信に満ちていた。
アルフォンスが振り向くより早く、彼の手がレティシアの肩を包む。
「この方は、私の妻だ。――誰にも触れさせない」
その眼差しに、アルフォンスは何も言えなかった。
侯爵の言葉には、一切の虚飾がなかった。
王都の誰もが知る“氷の男”の瞳に、確かに炎が宿っていた。
「……勝てないな」
アルフォンスはかすかに笑い、肩を落とした。
「君は、本当に変わった」
「ええ。あなたに“捨てられた”おかげで」
その答えに、彼は言葉を失い、静かに去っていった。
---
帰りの馬車の中。
レティシアは窓の外を見つめ、深く息を吐いた。
「……終わりましたわね」
「ああ。二度と、君に手を伸ばす者はいない」
その言葉に、レティシアは笑みを浮かべ、彼の肩に寄り添った。
「ありがとう、セドリック。
あなたが傍にいてくださったから、わたくしは“あの過去”に勝てました」
セドリックは小さく彼女の手を握り返す。
「過去に勝ったのは、君自身だ」
馬車が静かに走り出す。
レティシアの指輪が淡い光を放つ――氷晶石の中心に、確かに“紅”が差していた。
---
> 契約の婚姻が、真実の愛に変わった夜。
彼女の“冷たい誇り”は、誰よりも美しい強さへと変わっていた。
初夏の風が屋敷を抜け、庭園の白バラが一斉に咲き誇っていた。
レティシアは温室の窓辺に立ち、指輪に映る陽光を見つめていた。
氷晶石の中央は、今は透明に輝いている。
健康の証でもあり、セドリックとの絆の証でもあった。
(あれから、もう一ヶ月……)
彼は相変わらず多忙だったが、どんなに遅くても必ず夜には顔を見せてくれる。
そのたびに短い会話を交わし、笑い合う――それが、レティシアにとって一日の終わりの幸福になっていた。
けれど、その穏やかな日々は、ある知らせによって静かに揺らぎ始める。
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その日、王都からの使者が侯爵邸を訪れた。
封蝋には王家の紋章。
開封したセドリックは眉をひそめる。
「……“王宮主催の夏季舞踏会への出席命令”か」
レティシアは少し驚いたように顔を上げた。
「出席“命令”、ですの?」
「形式上は招待状だが、実質は強制だ。
昨年は私が辞退したが……今年は逃げられないらしい」
セドリックの声には明らかな不快が滲んでいた。
だが、レティシアは微笑みながら頷いた。
「構いませんわ。……どんな場でも、あなたの隣に立てるなら」
その一言に、セドリックの表情がわずかに和らぐ。
「……無理はするな。社交界の空気は、君に優しくない」
「いいえ、もう大丈夫です。――あなたが傍にいてくださいますから」
そう言って見せた笑顔は、まっすぐで、眩しかった。
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舞踏会の夜。
王都の大広間には数百の燭台が灯り、宝石のような光が天井のクリスタルに反射していた。
音楽と笑い声が満ち、貴族たちが色鮮やかな衣装を身にまとって踊っている。
その中で、ひときわ注目を集めていたのは、銀灰の髪の侯爵と、その隣に立つ金髪の夫人――レティシア・アークハート。
「……あれが噂の“氷の侯爵の妻”か」
「以前、王太子に婚約破棄されたという公爵令嬢だろう?」
「まるで復讐の女神だ。あの気品を見ろ……」
ざわめきが広がる。
だが、レティシアは何事もないように微笑みを浮かべ、セドリックの腕にそっと手を添えた。
彼は小声で囁く。
「緊張しているか?」
「いいえ。むしろ、穏やかですわ」
「……強いな、君は」
「あなたが隣にいれば、怖いものなどありません」
その言葉に、彼の口元がほのかに緩む。
だが、次の瞬間――。
「……レティシア?」
背後から聞き慣れた声がした。
胸の奥が一瞬にして冷たくなる。
ゆっくりと振り返ったその先に立っていたのは――
金髪に碧眼の青年。
整った顔立ちに、あの傲慢な笑みを貼りつけた男。
――元婚約者、アルフォンス・ラグランジュ公爵令息。
---
「……久しぶりだね、レティシア」
アルフォンスは平然と微笑む。
「噂は聞いていたよ。君が“氷の侯爵”の妻になったと」
レティシアはわずかに息を吸い、完璧な貴婦人の微笑みを浮かべた。
「ええ。お久しぶりですわ、アルフォンス様。ご機嫌いかが?」
「まさか、君がまだ王都にいるとは思わなかったよ。
僕はてっきり――国外へ追放されたとばかり」
「まあ。ずいぶんご無沙汰の間に、失礼な想像をなさるようになったのね」
淡々と返すレティシアの声には、微塵の怯えもなかった。
その背後で、セドリックの瞳が冷たく光った。
「貴殿がアルフォンス・ラグランジュか」
「これはこれは……侯爵殿。ご挨拶が遅れました」
軽く会釈する彼の態度には、どこか侮蔑が滲んでいる。
「元はと言えば、私が彼女の婚約者でしてね。
いやはや、こうしてまた再会できるとは。運命というものは皮肉です」
「運命――?」
セドリックの声が低く沈む。
「運命を語る前に、まず“自らの過去の言動”を省みることだな」
空気が凍る。
周囲の貴族たちが息を呑み、音楽が一瞬止まった。
レティシアはセドリックの袖を軽く引き、静かに首を振った。
「……大丈夫です、セドリック」
その言葉に、彼は彼女を見つめ、わずかに頷く。
---
舞踏の最中、アルフォンスは何度も視線を送ってきた。
そのたびに、セドリックの表情はさらに冷たくなっていく。
「……気にするな」
「いえ、気にはしていませんわ。ただ、少し哀れに思って」
「哀れ?」
「ええ。あの方、今になって気づいたのですもの。
自分が手放したのが“名誉”ではなく、“真心”だったと」
レティシアは微笑みながらグラスを傾けた。
その横顔は、どこか達観した女神のようだった。
---
舞踏会が終わる頃。
廊下に出たレティシアを、アルフォンスが待っていた。
薄暗い回廊、誰もいない。
彼は迷いもなく口を開く。
「レティシア、君を手放したのは間違いだった」
その言葉に、レティシアは静かに目を閉じた。
「いまさら、何をおっしゃるの?」
「僕は……あの時、若く愚かだった。
聖女に惑わされ、真に大切な人を見失っていた」
彼の声には後悔の色があった。
だが、その響きはどこか軽い。
レティシアは一歩近づき、冷ややかに微笑む。
「アルフォンス様。あなたがわたくしを捨てた夜を、覚えていらして?」
「……ああ、覚えている」
「あの夜、あなたは“君のような冷たい女は愛せない”とおっしゃいました。
――でも今は、その“冷たさ”を愛してくださる方がいるのです」
そう言って、左手の指輪を見せた。
氷晶石が月光を受け、淡く光る。
「この光は、契約の証でも、虚飾の宝でもありません。
――真実の愛の証ですわ」
アルフォンスは息を呑んだ。
「……あの氷の男が、君を愛しているとでも?」
その瞬間、背後の影が動いた。
セドリックが静かに現れた。
「愛しているとも」
その声は、低く、確信に満ちていた。
アルフォンスが振り向くより早く、彼の手がレティシアの肩を包む。
「この方は、私の妻だ。――誰にも触れさせない」
その眼差しに、アルフォンスは何も言えなかった。
侯爵の言葉には、一切の虚飾がなかった。
王都の誰もが知る“氷の男”の瞳に、確かに炎が宿っていた。
「……勝てないな」
アルフォンスはかすかに笑い、肩を落とした。
「君は、本当に変わった」
「ええ。あなたに“捨てられた”おかげで」
その答えに、彼は言葉を失い、静かに去っていった。
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帰りの馬車の中。
レティシアは窓の外を見つめ、深く息を吐いた。
「……終わりましたわね」
「ああ。二度と、君に手を伸ばす者はいない」
その言葉に、レティシアは笑みを浮かべ、彼の肩に寄り添った。
「ありがとう、セドリック。
あなたが傍にいてくださったから、わたくしは“あの過去”に勝てました」
セドリックは小さく彼女の手を握り返す。
「過去に勝ったのは、君自身だ」
馬車が静かに走り出す。
レティシアの指輪が淡い光を放つ――氷晶石の中心に、確かに“紅”が差していた。
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