『婚約破棄された私、偽装結婚の果てに真実の結婚にたどり着きました。――もうBL王子には興味ありません!』

しおしお

文字の大きさ
12 / 17

3-3 舞踏会の影と、元婚約者の帰還

しおりを挟む
第3章 3-3 舞踏会の影と、元婚約者の帰還

 初夏の風が屋敷を抜け、庭園の白バラが一斉に咲き誇っていた。
 レティシアは温室の窓辺に立ち、指輪に映る陽光を見つめていた。
 氷晶石の中央は、今は透明に輝いている。
 健康の証でもあり、セドリックとの絆の証でもあった。

(あれから、もう一ヶ月……)

 彼は相変わらず多忙だったが、どんなに遅くても必ず夜には顔を見せてくれる。
 そのたびに短い会話を交わし、笑い合う――それが、レティシアにとって一日の終わりの幸福になっていた。

 けれど、その穏やかな日々は、ある知らせによって静かに揺らぎ始める。


---

 その日、王都からの使者が侯爵邸を訪れた。
 封蝋には王家の紋章。
 開封したセドリックは眉をひそめる。

「……“王宮主催の夏季舞踏会への出席命令”か」

 レティシアは少し驚いたように顔を上げた。
「出席“命令”、ですの?」

「形式上は招待状だが、実質は強制だ。
 昨年は私が辞退したが……今年は逃げられないらしい」

 セドリックの声には明らかな不快が滲んでいた。
 だが、レティシアは微笑みながら頷いた。

「構いませんわ。……どんな場でも、あなたの隣に立てるなら」

 その一言に、セドリックの表情がわずかに和らぐ。
「……無理はするな。社交界の空気は、君に優しくない」

「いいえ、もう大丈夫です。――あなたが傍にいてくださいますから」

 そう言って見せた笑顔は、まっすぐで、眩しかった。


---

 舞踏会の夜。
 王都の大広間には数百の燭台が灯り、宝石のような光が天井のクリスタルに反射していた。
 音楽と笑い声が満ち、貴族たちが色鮮やかな衣装を身にまとって踊っている。

 その中で、ひときわ注目を集めていたのは、銀灰の髪の侯爵と、その隣に立つ金髪の夫人――レティシア・アークハート。

「……あれが噂の“氷の侯爵の妻”か」
「以前、王太子に婚約破棄されたという公爵令嬢だろう?」
「まるで復讐の女神だ。あの気品を見ろ……」

 ざわめきが広がる。
 だが、レティシアは何事もないように微笑みを浮かべ、セドリックの腕にそっと手を添えた。

 彼は小声で囁く。
「緊張しているか?」
「いいえ。むしろ、穏やかですわ」
「……強いな、君は」
「あなたが隣にいれば、怖いものなどありません」

 その言葉に、彼の口元がほのかに緩む。

 だが、次の瞬間――。

「……レティシア?」

 背後から聞き慣れた声がした。
 胸の奥が一瞬にして冷たくなる。

 ゆっくりと振り返ったその先に立っていたのは――
 金髪に碧眼の青年。
 整った顔立ちに、あの傲慢な笑みを貼りつけた男。

 ――元婚約者、アルフォンス・ラグランジュ公爵令息。


---

「……久しぶりだね、レティシア」
 アルフォンスは平然と微笑む。
「噂は聞いていたよ。君が“氷の侯爵”の妻になったと」

 レティシアはわずかに息を吸い、完璧な貴婦人の微笑みを浮かべた。
「ええ。お久しぶりですわ、アルフォンス様。ご機嫌いかが?」

「まさか、君がまだ王都にいるとは思わなかったよ。
 僕はてっきり――国外へ追放されたとばかり」

「まあ。ずいぶんご無沙汰の間に、失礼な想像をなさるようになったのね」
 淡々と返すレティシアの声には、微塵の怯えもなかった。

 その背後で、セドリックの瞳が冷たく光った。
「貴殿がアルフォンス・ラグランジュか」

「これはこれは……侯爵殿。ご挨拶が遅れました」
 軽く会釈する彼の態度には、どこか侮蔑が滲んでいる。
「元はと言えば、私が彼女の婚約者でしてね。
 いやはや、こうしてまた再会できるとは。運命というものは皮肉です」

「運命――?」
 セドリックの声が低く沈む。
「運命を語る前に、まず“自らの過去の言動”を省みることだな」

 空気が凍る。
 周囲の貴族たちが息を呑み、音楽が一瞬止まった。

 レティシアはセドリックの袖を軽く引き、静かに首を振った。
「……大丈夫です、セドリック」

 その言葉に、彼は彼女を見つめ、わずかに頷く。


---

 舞踏の最中、アルフォンスは何度も視線を送ってきた。
 そのたびに、セドリックの表情はさらに冷たくなっていく。

「……気にするな」
「いえ、気にはしていませんわ。ただ、少し哀れに思って」
「哀れ?」
「ええ。あの方、今になって気づいたのですもの。
 自分が手放したのが“名誉”ではなく、“真心”だったと」

 レティシアは微笑みながらグラスを傾けた。
 その横顔は、どこか達観した女神のようだった。


---

 舞踏会が終わる頃。
 廊下に出たレティシアを、アルフォンスが待っていた。
 薄暗い回廊、誰もいない。
 彼は迷いもなく口を開く。

「レティシア、君を手放したのは間違いだった」

 その言葉に、レティシアは静かに目を閉じた。

「いまさら、何をおっしゃるの?」
「僕は……あの時、若く愚かだった。
 聖女に惑わされ、真に大切な人を見失っていた」

 彼の声には後悔の色があった。
 だが、その響きはどこか軽い。

 レティシアは一歩近づき、冷ややかに微笑む。
「アルフォンス様。あなたがわたくしを捨てた夜を、覚えていらして?」

「……ああ、覚えている」
「あの夜、あなたは“君のような冷たい女は愛せない”とおっしゃいました。
 ――でも今は、その“冷たさ”を愛してくださる方がいるのです」

 そう言って、左手の指輪を見せた。
 氷晶石が月光を受け、淡く光る。

「この光は、契約の証でも、虚飾の宝でもありません。
 ――真実の愛の証ですわ」

 アルフォンスは息を呑んだ。
「……あの氷の男が、君を愛しているとでも?」

 その瞬間、背後の影が動いた。
 セドリックが静かに現れた。

「愛しているとも」

 その声は、低く、確信に満ちていた。
 アルフォンスが振り向くより早く、彼の手がレティシアの肩を包む。

「この方は、私の妻だ。――誰にも触れさせない」

 その眼差しに、アルフォンスは何も言えなかった。
 侯爵の言葉には、一切の虚飾がなかった。
 王都の誰もが知る“氷の男”の瞳に、確かに炎が宿っていた。

「……勝てないな」
 アルフォンスはかすかに笑い、肩を落とした。
「君は、本当に変わった」

「ええ。あなたに“捨てられた”おかげで」

 その答えに、彼は言葉を失い、静かに去っていった。


---

 帰りの馬車の中。
 レティシアは窓の外を見つめ、深く息を吐いた。

「……終わりましたわね」

「ああ。二度と、君に手を伸ばす者はいない」

 その言葉に、レティシアは笑みを浮かべ、彼の肩に寄り添った。

「ありがとう、セドリック。
 あなたが傍にいてくださったから、わたくしは“あの過去”に勝てました」

 セドリックは小さく彼女の手を握り返す。
「過去に勝ったのは、君自身だ」

 馬車が静かに走り出す。
 レティシアの指輪が淡い光を放つ――氷晶石の中心に、確かに“紅”が差していた。


---

> 契約の婚姻が、真実の愛に変わった夜。
彼女の“冷たい誇り”は、誰よりも美しい強さへと変わっていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

見捨ててくれてありがとうございます。あとはご勝手に。

有賀冬馬
恋愛
「君のような女は俺の格を下げる」――そう言って、侯爵家嫡男の婚約者は、わたしを社交界で公然と捨てた。 選んだのは、華やかで高慢な伯爵令嬢。 涙に暮れるわたしを慰めてくれたのは、王国最強の騎士団副団長だった。 彼に守られ、真実の愛を知ったとき、地味で陰気だったわたしは、もういなかった。 やがて、彼は新妻の悪行によって失脚。復縁を求めて縋りつく元婚約者に、わたしは冷たく告げる。

で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?

Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。 簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。 一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。 ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。 そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。 オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。 オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。 「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」 「はい?」 ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。 *--*--* 覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾ ★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。 ★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓ このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。 第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」 第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」 第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」 どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ もしよかったら宜しくお願いしますね!

捨てられた悪役はきっと幸せになる

ariya
恋愛
ヴィヴィア・ゴーヴァン公爵夫人は少女小説に登場する悪役だった。 強欲で傲慢で嫌われ者、夫に捨てられて惨めな最期を迎えた悪役。 その悪役に転生していたことに気づいたヴィヴィアは、夫がヒロインと結ばれたら潔く退場することを考えていた。 それまでお世話になった為、貴族夫人としての仕事の一部だけでもがんばろう。 「ヴィヴィア、あなたを愛してます」 ヒロインに惹かれつつあるはずの夫・クリスは愛をヴィヴィアに捧げると言ってきて。 そもそもクリスがヴィヴィアを娶ったのは、王位継承を狙っている疑惑から逃れる為の契約結婚だったはずでは? 愛などなかったと思っていた夫婦生活に変化が訪れる。 ※この作品は、人によっては元鞘話にみえて地雷の方がいるかもしれません。また、ヒーローがヤンデレ寄りですので苦手な方はご注意ください。

戦う聖女さま

有栖多于佳
恋愛
エニウェア大陸にある聖教国で、千年ぶりに行われた聖女召喚。 聖女として呼ばれた魂の佐藤愛(さとうめぐみ)は、魂の器として選ばれた孤児の少女タビタと混じり、聖教国を聖教皇から乗っ取り理想の国作りをしながら、周辺国も巻き込んだ改革を行っていく。 佐藤愛は、生前ある地方都市の最年少市長として改革を進めていたが、志半ばで病に倒れて死んでしまった。 やり残した後悔を、今度は異世界でタビタと一緒に解決していこうと張り切っている。悩んだら走る、困ったらスクワットという筋肉は裏切らない主義だが、そこそこインテリでもある。 タビタは、修道院の門前に捨てられていた孤児で、微力ながら光の属性があったため、聖女の器として育てられてきた。自己犠牲を生まれた時から叩き込まれてきたので、自己肯定感低めで、現実的でシニカルな物の見方もする。 東西南北の神官服の女たち、それぞれ聖教国の周辺国から選ばれて送り込まれた光の属性の巫女で、それぞれ国と個人が問題を抱えている。 小説家になろうにも掲載してます。

悪役令嬢としての役目を果たしたので、スローライフを楽しんでもよろしいでしょうか

月原 裕
恋愛
黒の令嬢という称号を持つアリシア・アシュリー。 それは黒曜石の髪と瞳を揶揄したもの。 王立魔法学園、ティアードに通っていたが、断罪イベントが始まり。 王宮と巫女姫という役割、第一王子の婚約者としての立ち位置も失う。

天才魔術師の仮面令嬢は王弟に執着されてます

白羽 雪乃
恋愛
姉の悪意で顔半分に大火傷をしてしまった主人公、大火傷をしてから顔が隠れる仮面をするようになった。 たけど仮面の下には大きい秘密があり、それを知ってるのは主人公が信頼してる人だけ 仮面の下の秘密とは?

わたしたちの庭

犬飼ハルノ
恋愛
「おい、ウェスト伯。いくらなんでもこんなみすぼらしい子どもに金を払えと?」 「まあまあ、ブルーノ伯爵。この子の母親もこんな感じでしたが、年ごろになると見違えるように成熟しましたよ。後妻のアリスは元妻の従妹です。あの一族の女は容姿も良いし、ぽんぽんと子どもを産みますよ」 「ふうん。そうか」 「直系の跡継ぎをお望みでしょう」 「まあな」 「しかも伯爵以上の正妻の子で年ごろの娘に婚約者がいないのは、この国ではこの子くらいしかもう残っていませんよ」 「ふ……。口が上手いなウェスト伯。なら、買い取ってやろうか、その子を」  目の前で醜悪な会話が繰り広げられる中、フィリスは思った。  まるで山羊の売買のようだと。  かくして。  フィリスの嫁ぎ先が決まった。 ------------------------------------------  安定の見切り発車ですが、二月中に一日一回更新と完結に挑みます。  ヒロインのフィリスが自らの力と人々に支えられて幸せをつかむ話ですが、  序盤は暗く重い展開です。  タグを途中から追加します。   他サイトでも公開中。

「やはり鍛えることは、大切だな」

イチイ アキラ
恋愛
「こんなブスと結婚なんていやだ!」  その日、一つのお見合いがあった。  ヤロール伯爵家の三男、ライアンと。  クラレンス辺境伯家の跡取り娘、リューゼットの。  そして互いに挨拶を交わすその場にて。  ライアンが開幕早々、ぶちかましたのであった。  けれども……――。 「そうか。私も貴様のような生っ白くてか弱そうな、女みたいな顔の屑はごめんだ。気が合うな」

処理中です...