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3-2 夜の告白と、氷の指輪
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第3章 3-2 夜の告白と、氷の指輪
それは、季節が春へと移り変わる頃のことだった。
穏やかな陽射しが差し込む午前の庭で、レティシアは温室の花々に水をやっていた。
けれど、その額にはうっすらと汗が滲み、頬には紅が差していた。
「レティシア様、顔色が……」
侍女の言葉に、レティシアは微笑みながら首を振る。
「大丈夫よ。ただ少し、身体が重いだけですわ」
そう言いながらも、指先に力が入らず、手にしていたジョウロが傾いた。
冷たい水が地面に落ち、白い靴を濡らす。
――その瞬間、背後から誰かがその腕を支えた。
「無理をしているな」
低く、しかし優しい声。
振り向けば、セドリックが心配そうに見つめていた。
いつの間にか、仕事の合間に様子を見に来ていたのだ。
「旦那様……大丈夫ですわ。少し疲れただけで――」
「医師を呼ぶ」
「そ、そんな大げさな……」
「君が倒れたら、屋敷ごと止まる」
有無を言わせぬ口調に、レティシアは小さく息を呑んだ。
そのまま彼の腕に抱き上げられ、抵抗する間もなく寝室へと運ばれていく。
彼の胸越しに感じる心音が、驚くほど早い。
それが仕事の焦りではなく、純粋な“心配”からだと気づいたとき、胸がじんわりと温かくなった。
---
ベッドに横たえられたレティシアの額には、冷たい布が置かれた。
セドリックは医師の診察結果を聞くと、眉をひそめる。
「軽い発熱です。過労と、寒気の影響でしょう」
医師が退室した後も、セドリックはその場を離れようとしなかった。
部下が何度か呼びに来たが、彼はすべて断った。
「……旦那様、わたくしのせいでお手を煩わせてしまって」
「君は、いつも他人の心配ばかりだな」
セドリックは苦笑しながら、カップに薬湯を注ぐ。
湯気がふわりと立ち上り、ハーブの香りが部屋に満ちた。
「飲めるか」
「ええ、少しなら」
唇を触れさせた瞬間、苦みが舌に広がった。
顔をしかめるレティシアを見て、セドリックは思わず笑ってしまう。
「……そんな顔をするなら、蜂蜜を入れておくべきだったな」
「い、いえ……平気ですわ」
彼の笑顔を見るのは、初めてかもしれない。
氷のような彼の表情が、ほんのわずかに崩れる――それが、なぜかとても嬉しかった。
---
夜になっても熱は下がらなかった。
レティシアは夢と現の境をさまよいながら、うわごとのように呟いていた。
「……嫌です……もう、あの夜会は……」
彼女の頬に涙が伝う。
婚約破棄の夜――あの屈辱の記憶が、熱に浮かされた意識の底から蘇っているのだろう。
「……もう、やめて……」
その声に、セドリックの胸が締めつけられた。
彼は椅子を引き寄せ、ベッドのそばに座る。
そして、そっと彼女の手を握った。
「大丈夫だ、レティシア」
その声は、まるで誓いのように優しかった。
「誰も君を責めない。誰も君を傷つけたりしない。――私は、君を護る」
レティシアの手が、彼の手を握り返す。
熱に浮かされたまま、彼女はかすかに微笑んだ。
「……セドリック……わたくし、夢を見ているのですか?」
「夢なら、このまま覚めなくてもいい」
その答えに、レティシアの目尻からまた涙が落ちた。
セドリックはその涙を指で拭い、髪を撫でる。
彼女が安らかに眠るまで、彼は一晩中その手を離さなかった。
---
翌朝、陽が昇る頃。
レティシアが目を開けると、セドリックがベッドの脇でうたた寝をしていた。
頬には少し疲れの色が見えるが、その表情は穏やかだった。
自分の手が、まだ彼の手と繋がっていることに気づく。
その温もりを感じた瞬間、心の奥がじんと熱くなった。
――彼は、一晩中ここにいてくれた。
そう思っただけで、胸の奥が痛いほど嬉しくなる。
「……おはようございます、セドリック」
囁くような声に、彼の睫毛が震えた。
ゆっくりと目を開けたセドリックは、少し安堵したように微笑む。
「もう平熱だな。……よかった」
その言葉に、思わず涙が零れた。
驚いた彼が慌てて立ち上がる。
「どうした、痛むのか?」
「いいえ……嬉しいんです」
涙を拭いながら微笑む彼女の姿に、セドリックは何かを堪えるように視線を落とした。
そして、懐から小さな銀の箱を取り出す。
---
「これは……?」
「母の形見だ」
彼が箱を開けると、中には銀の指輪が一つ収められていた。
指輪の中央には、淡い水色の宝石――氷晶石。
まるで薄氷を閉じ込めたように透き通っている。
「この石は持ち主の体温に反応する。
健康なら無色のままだが、熱を帯びると青く輝く。……君に、預けたい」
「そんな、大切なものを……」
「君の無茶を防ぐための護符だと思えばいい」
彼は微笑みながら、レティシアの左手を取った。
細い指にぴたりと収まる。
すると、指輪の中の氷晶石が、じんわりと青く光った。
光は冷たいはずなのに、どこか温かい。
「……似合ってる」
セドリックの声が、低く震えていた。
レティシアは指輪を見つめ、静かに問いかける。
「これは……どういう意味で?」
その言葉に、セドリックは小さく息を吐き、彼女を見つめ返した。
「――誓いだ。
契約だからではなく、君が大切だから。
私はもう、“形式の夫”でいるつもりはない」
「……セドリック……」
「君が笑うと、私は救われる。
君が苦しむと、胸が痛む。
この感情を“愛”と呼ぶ以外に、言葉が見つからない」
沈黙が落ちた。
レティシアは両手で顔を覆い、涙を堪えた。
しかし、それは悲しみではなく、溢れるほどの幸福だった。
「……わたくしも、同じです。
あなたが笑うと、嬉しい。
あなたが傷つけば、痛い。
――ですから、きっと、これが恋なのだと思います」
そう告げると、セドリックは微かに目を細め、彼女の手を取った。
そのまま、指輪をつけた手の甲に唇を落とす。
「ありがとう、レティシア」
彼女の名を呼ぶ声が、震えていた。
その響きに胸が熱くなる。
---
その夜、レティシアの寝室には静かな灯がともっていた。
窓辺に置かれた小さな花瓶の中には、一輪の白いバラ。
その花弁の中心には、淡く青い光が宿っていた。
指輪の輝きが反射して、部屋全体を淡い光で包み込む。
彼女はその光を見つめながら、心の中で静かに呟いた。
(――ありがとう、セドリック。
あなたがいてくれるだけで、もう怖くないわ)
外では、春の雨が静かに降っている。
それはまるで、二人の“契約”を清めるような優しい雨だった。
---
> 氷のように冷たい指輪が、愛の証へと変わる夜。
それは、契約の夫婦が“真実の夫婦”へと歩み出した、最初の奇跡だった。
それは、季節が春へと移り変わる頃のことだった。
穏やかな陽射しが差し込む午前の庭で、レティシアは温室の花々に水をやっていた。
けれど、その額にはうっすらと汗が滲み、頬には紅が差していた。
「レティシア様、顔色が……」
侍女の言葉に、レティシアは微笑みながら首を振る。
「大丈夫よ。ただ少し、身体が重いだけですわ」
そう言いながらも、指先に力が入らず、手にしていたジョウロが傾いた。
冷たい水が地面に落ち、白い靴を濡らす。
――その瞬間、背後から誰かがその腕を支えた。
「無理をしているな」
低く、しかし優しい声。
振り向けば、セドリックが心配そうに見つめていた。
いつの間にか、仕事の合間に様子を見に来ていたのだ。
「旦那様……大丈夫ですわ。少し疲れただけで――」
「医師を呼ぶ」
「そ、そんな大げさな……」
「君が倒れたら、屋敷ごと止まる」
有無を言わせぬ口調に、レティシアは小さく息を呑んだ。
そのまま彼の腕に抱き上げられ、抵抗する間もなく寝室へと運ばれていく。
彼の胸越しに感じる心音が、驚くほど早い。
それが仕事の焦りではなく、純粋な“心配”からだと気づいたとき、胸がじんわりと温かくなった。
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ベッドに横たえられたレティシアの額には、冷たい布が置かれた。
セドリックは医師の診察結果を聞くと、眉をひそめる。
「軽い発熱です。過労と、寒気の影響でしょう」
医師が退室した後も、セドリックはその場を離れようとしなかった。
部下が何度か呼びに来たが、彼はすべて断った。
「……旦那様、わたくしのせいでお手を煩わせてしまって」
「君は、いつも他人の心配ばかりだな」
セドリックは苦笑しながら、カップに薬湯を注ぐ。
湯気がふわりと立ち上り、ハーブの香りが部屋に満ちた。
「飲めるか」
「ええ、少しなら」
唇を触れさせた瞬間、苦みが舌に広がった。
顔をしかめるレティシアを見て、セドリックは思わず笑ってしまう。
「……そんな顔をするなら、蜂蜜を入れておくべきだったな」
「い、いえ……平気ですわ」
彼の笑顔を見るのは、初めてかもしれない。
氷のような彼の表情が、ほんのわずかに崩れる――それが、なぜかとても嬉しかった。
---
夜になっても熱は下がらなかった。
レティシアは夢と現の境をさまよいながら、うわごとのように呟いていた。
「……嫌です……もう、あの夜会は……」
彼女の頬に涙が伝う。
婚約破棄の夜――あの屈辱の記憶が、熱に浮かされた意識の底から蘇っているのだろう。
「……もう、やめて……」
その声に、セドリックの胸が締めつけられた。
彼は椅子を引き寄せ、ベッドのそばに座る。
そして、そっと彼女の手を握った。
「大丈夫だ、レティシア」
その声は、まるで誓いのように優しかった。
「誰も君を責めない。誰も君を傷つけたりしない。――私は、君を護る」
レティシアの手が、彼の手を握り返す。
熱に浮かされたまま、彼女はかすかに微笑んだ。
「……セドリック……わたくし、夢を見ているのですか?」
「夢なら、このまま覚めなくてもいい」
その答えに、レティシアの目尻からまた涙が落ちた。
セドリックはその涙を指で拭い、髪を撫でる。
彼女が安らかに眠るまで、彼は一晩中その手を離さなかった。
---
翌朝、陽が昇る頃。
レティシアが目を開けると、セドリックがベッドの脇でうたた寝をしていた。
頬には少し疲れの色が見えるが、その表情は穏やかだった。
自分の手が、まだ彼の手と繋がっていることに気づく。
その温もりを感じた瞬間、心の奥がじんと熱くなった。
――彼は、一晩中ここにいてくれた。
そう思っただけで、胸の奥が痛いほど嬉しくなる。
「……おはようございます、セドリック」
囁くような声に、彼の睫毛が震えた。
ゆっくりと目を開けたセドリックは、少し安堵したように微笑む。
「もう平熱だな。……よかった」
その言葉に、思わず涙が零れた。
驚いた彼が慌てて立ち上がる。
「どうした、痛むのか?」
「いいえ……嬉しいんです」
涙を拭いながら微笑む彼女の姿に、セドリックは何かを堪えるように視線を落とした。
そして、懐から小さな銀の箱を取り出す。
---
「これは……?」
「母の形見だ」
彼が箱を開けると、中には銀の指輪が一つ収められていた。
指輪の中央には、淡い水色の宝石――氷晶石。
まるで薄氷を閉じ込めたように透き通っている。
「この石は持ち主の体温に反応する。
健康なら無色のままだが、熱を帯びると青く輝く。……君に、預けたい」
「そんな、大切なものを……」
「君の無茶を防ぐための護符だと思えばいい」
彼は微笑みながら、レティシアの左手を取った。
細い指にぴたりと収まる。
すると、指輪の中の氷晶石が、じんわりと青く光った。
光は冷たいはずなのに、どこか温かい。
「……似合ってる」
セドリックの声が、低く震えていた。
レティシアは指輪を見つめ、静かに問いかける。
「これは……どういう意味で?」
その言葉に、セドリックは小さく息を吐き、彼女を見つめ返した。
「――誓いだ。
契約だからではなく、君が大切だから。
私はもう、“形式の夫”でいるつもりはない」
「……セドリック……」
「君が笑うと、私は救われる。
君が苦しむと、胸が痛む。
この感情を“愛”と呼ぶ以外に、言葉が見つからない」
沈黙が落ちた。
レティシアは両手で顔を覆い、涙を堪えた。
しかし、それは悲しみではなく、溢れるほどの幸福だった。
「……わたくしも、同じです。
あなたが笑うと、嬉しい。
あなたが傷つけば、痛い。
――ですから、きっと、これが恋なのだと思います」
そう告げると、セドリックは微かに目を細め、彼女の手を取った。
そのまま、指輪をつけた手の甲に唇を落とす。
「ありがとう、レティシア」
彼女の名を呼ぶ声が、震えていた。
その響きに胸が熱くなる。
---
その夜、レティシアの寝室には静かな灯がともっていた。
窓辺に置かれた小さな花瓶の中には、一輪の白いバラ。
その花弁の中心には、淡く青い光が宿っていた。
指輪の輝きが反射して、部屋全体を淡い光で包み込む。
彼女はその光を見つめながら、心の中で静かに呟いた。
(――ありがとう、セドリック。
あなたがいてくれるだけで、もう怖くないわ)
外では、春の雨が静かに降っている。
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