白い結婚は終わりました。――崩れない家を築くまで

しおしお

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第一話 白い結婚の提案

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第一話 白い結婚の提案

 結婚式の夜というものは、もっと甘やかで、もっと気まずく、そして多少なりとも感情が揺れるものだと思っておりました。

 けれど、現実はずいぶんと静かなものでした。

 侯爵家の新しい寝室は、広く、整えられ、完璧でした。重厚な天蓋付きの寝台、暖炉の穏やかな火、磨き上げられた床。どこにも瑕疵はありません。まるでこの部屋そのものが、感情など不要だと告げているかのようでした。

 私はその中央に立ち、ゆっくりと手袋を外しました。

 目の前には、夫となったアレクシス・フォン・グランディス侯爵。軍務派の名門に生まれ、若くして武功を立て、冷徹と名高い方です。

 そして彼は、私をまっすぐ見て、ためらいなく言いました。

「先に伝えておく。私には、想っている女性がいる」

 ずいぶんと潔い告白ですこと。

 私は瞬きを一つだけして、微笑みました。

「まあ」

 驚くべき場面なのでしょう。泣き崩れるか、怒るか、あるいは詰るか。そういう反応を期待されたのかもしれません。

 けれど、私は首をかしげただけでした。

「正直にお話しくださるのですね」

「……怒らないのか?」

 低い声に、ほんのわずかに警戒が混じる。

 怒る理由が、どこにありましょう。

「政略結婚でございますもの。お互いに事情があるのは当然ですわ」

 私たちは今日、家と家の利害によって結ばれました。愛を誓い合ったわけではありません。式典は華やかでしたが、それは社交界への宣言に過ぎません。

 彼が誰を想っていようと、契約内容に変更はないのです。

「では、提案がございます」

 私はドレスの裾を整え、静かに言いました。

「白い結婚にいたしましょう」

 彼の眉が、わずかに動きました。

「……どういう意味だ」

「夫婦としての義務を、互いに求めないということですわ。干渉もいたしません。もちろん、体裁は整えます。社交の場では仲睦まじい夫婦を演じましょう」

 私は穏やかに続けました。

「その代わり、私の生活に干渉なさらないでくださいませ」

 暖炉の火が、ぱちりと音を立てました。

 沈黙が落ちます。

 彼は私を観察しているようでした。虚勢かどうかを測るように。

「君は……それでいいのか」

「ええ。理想的ですわ」

 本心です。

 夫が愛を求めないなら、私は自由を得られる。なんと素晴らしい契約でしょう。

 私は公爵家の娘。実家の後ろ盾も、資産も、知識も持っております。ここで無理に感情を消耗する必要はありません。

 静かな生活。読書。庭園の改修。慈善事業の運営。やりたいことは山ほどあります。

 彼はまだ、信じられないという顔をしていました。

「嫉妬は」

「ございません」

「……恨みは」

「契約に含まれておりませんわ」

 思わず、彼の口元がわずかに緩みました。初めて見る表情です。

「変わった女だな」

「よく言われます」

 実際のところ、泣き喚く方が理解しやすいのでしょう。けれど私は、泣いても現実が変わらないことを知っております。

 結婚とは、家同士の合意。そこに幻想を持ち込めば、傷つくのは自分です。

「……分かった」

 彼は短く言いました。

「干渉はしない」

「ありがとうございます」

「だが」

 低い声が続きます。

「この屋敷は私の家だ。規律は守ってもらう」

「もちろんですわ。奥方としての責務は果たします」

 体裁は守る。それが契約。

 私は一歩下がり、優雅に一礼しました。

「では、本日はお休みになられますか?」

 彼は一瞬、言葉を失ったようでした。

「……同じ部屋で眠る必要はない」

「そうですわね」

 私はあっさりとうなずきます。

「隣室を使わせていただきます」

 そうしてその夜、私たちは別々の部屋で眠りました。

 侯爵家の新しい奥方として迎えられた初夜は、驚くほど静かに終わったのです。

 翌朝。

 使用人たちの視線が、わずかに揺れていました。

 察したのでしょう。

 新婚の空気が、存在しないことを。

 義母の視線は、さらに露骨でした。

「昨夜は、よく眠れましたか?」

「ええ、とても」

 私は微笑みます。

 干渉しない契約は、すでに始まっているのです。

 この家の誰も、まだ理解しておりません。

 干渉しないということは――

 助けない、ということでもあるのだと。

 私は朝の紅茶を口に含みながら、穏やかに思いました。

 理想的な結婚生活が、ここから始まりますわ。

 干渉なさらないのでしょう?

 でしたら私も、見ているだけにいたします。

 崩れる時も、きっと静かですもの。
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