白い結婚は終わりました。――崩れない家を築くまで

しおしお

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第七話 揺らぐ視線

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第七話 揺らぐ視線

 社交界の夜会は、いつもと変わらぬ華やかさで幕を開けました。

 侯爵家の名は、まだ揺らいではいない。少なくとも外から見れば、整えられた笑顔と整然とした礼がすべてを覆い隠しています。

 私は淡い銀色のドレスをまとい、アレクシスの隣に立っておりました。

 夫婦として、体裁を整える。

 契約通りです。

「奥様、本日はお美しい」

 他家の貴族が、礼儀正しく頭を下げます。

「ありがとうございます」

 私は微笑みました。

 視線が集まる。

 冷遇されている妻。愛されていない花嫁。そう噂されているはずの私が、まるで動じない様子で立っているのですもの。

 人は、期待を裏切られると戸惑うのです。

 ダンスの時間になりました。

 音楽が流れ、男女が円を描きます。

 アレクシスが私に手を差し出しました。

「義務だ」

「承知しております」

 私はその手を取ります。

 彼の掌は、思ったよりも温かい。

 視線は正面を向いたまま。私を見ない。

 それでも、わずかに力が強い。

 何に対する力でしょう。

 音楽に合わせて、軽やかに歩みます。

 私はふと、会場の端にリリアの姿を見つけました。

 彼女は慎ましく壁際に立ち、視線を落としています。

 社交界の空気は、平民の女性には重すぎるのでしょう。

 私は彼女に微笑みかけました。

 その瞬間、隣のアレクシスの動きがわずかに乱れました。

「……なぜ、彼女に笑う」

「友人ですもの」

 彼は一瞬、足を止めかけました。

「君は、本当に理解しているのか」

「何をでしょう」

 音楽は続く。

 私は軽やかに回りながら、彼を見上げました。

「干渉しない契約です」

 彼の眉がわずかに寄ります。

「だが、君が彼女と親しくなれば、余計な噂が立つ」

「噂は、立てたい方が立てますわ」

 私は穏やかに答えました。

「私が怒らないことの方が、よほど噂になりますもの」

 彼は黙りました。

 踊り終えると、私は別の紳士に誘われました。

 若い伯爵子息。

 笑顔が爽やかで、どこか野心が見える。

「奥様は、思ったよりも楽しそうですね」

「楽しんでおりますわ」

「お噂とは違う」

「噂は当てになりません」

 私は視線を流しました。

 遠くで、アレクシスがこちらを見ている。

 無意識なのでしょう。

 視線が、離れない。

 ダンスが終わると、彼が近づいてきました。

「……あまり目立つな」

「体裁は整えております」

「それ以上だ」

 私は首をかしげます。

「目立つことは契約違反で?」

 彼は言葉を失いました。

 契約。

 その言葉が、彼の足元を揺らす。

 夜会の終盤、義母が近づいてきました。

「あなた、少しは控えなさい」

「何をでしょう」

「楽しそうに見えるのは良くないわ」

 私は小さく笑いました。

「不幸そうに振る舞うのが正しいのですか?」

 義母は唇を噛みます。

 答えられない。

 不幸な妻でいてほしい。

 けれどそれを口にすれば、侯爵家の名に傷がつく。

 帰路の馬車の中、アレクシスは珍しく沈黙していました。

 揺れるランプの光が、彼の横顔を照らします。

「……君は、平気なのか」

「何がでしょう」

「今日の視線」

「慣れております」

 彼はしばらく黙り、やがて低く言いました。

「君は強い」

「契約を守っているだけです」

 馬車が屋敷に到着します。

 降り際、彼がふと呟きました。

「……それが、いつまで続く」

 私は足を止めました。

「契約がある限り」

 それが答え。

 屋敷の扉が閉まる。

 その音が、やけに重く響きました。

 視線は揺らぎ始めている。

 義母の焦り。義弟の油断。夫の戸惑い。

 干渉しない契約は、彼らに安心を与えたはずでした。

 けれど今、その安心が、少しずつ形を変えています。

 私は鏡の前で首飾りを外しました。

 冷たい光が消える。

 揺らぐのは、屋敷だけではない。

 彼の視線も、少しずつ変わり始めている。

 それでも私は、約束を守ります。

 干渉しない。

 助けない。

 求めない。

 見ているだけの妻。

 その立場が、誰を一番苦しめるのか。

 まだ、誰も気づいていないのです。
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