7 / 38
第七話 揺らぐ視線
しおりを挟む
第七話 揺らぐ視線
社交界の夜会は、いつもと変わらぬ華やかさで幕を開けました。
侯爵家の名は、まだ揺らいではいない。少なくとも外から見れば、整えられた笑顔と整然とした礼がすべてを覆い隠しています。
私は淡い銀色のドレスをまとい、アレクシスの隣に立っておりました。
夫婦として、体裁を整える。
契約通りです。
「奥様、本日はお美しい」
他家の貴族が、礼儀正しく頭を下げます。
「ありがとうございます」
私は微笑みました。
視線が集まる。
冷遇されている妻。愛されていない花嫁。そう噂されているはずの私が、まるで動じない様子で立っているのですもの。
人は、期待を裏切られると戸惑うのです。
ダンスの時間になりました。
音楽が流れ、男女が円を描きます。
アレクシスが私に手を差し出しました。
「義務だ」
「承知しております」
私はその手を取ります。
彼の掌は、思ったよりも温かい。
視線は正面を向いたまま。私を見ない。
それでも、わずかに力が強い。
何に対する力でしょう。
音楽に合わせて、軽やかに歩みます。
私はふと、会場の端にリリアの姿を見つけました。
彼女は慎ましく壁際に立ち、視線を落としています。
社交界の空気は、平民の女性には重すぎるのでしょう。
私は彼女に微笑みかけました。
その瞬間、隣のアレクシスの動きがわずかに乱れました。
「……なぜ、彼女に笑う」
「友人ですもの」
彼は一瞬、足を止めかけました。
「君は、本当に理解しているのか」
「何をでしょう」
音楽は続く。
私は軽やかに回りながら、彼を見上げました。
「干渉しない契約です」
彼の眉がわずかに寄ります。
「だが、君が彼女と親しくなれば、余計な噂が立つ」
「噂は、立てたい方が立てますわ」
私は穏やかに答えました。
「私が怒らないことの方が、よほど噂になりますもの」
彼は黙りました。
踊り終えると、私は別の紳士に誘われました。
若い伯爵子息。
笑顔が爽やかで、どこか野心が見える。
「奥様は、思ったよりも楽しそうですね」
「楽しんでおりますわ」
「お噂とは違う」
「噂は当てになりません」
私は視線を流しました。
遠くで、アレクシスがこちらを見ている。
無意識なのでしょう。
視線が、離れない。
ダンスが終わると、彼が近づいてきました。
「……あまり目立つな」
「体裁は整えております」
「それ以上だ」
私は首をかしげます。
「目立つことは契約違反で?」
彼は言葉を失いました。
契約。
その言葉が、彼の足元を揺らす。
夜会の終盤、義母が近づいてきました。
「あなた、少しは控えなさい」
「何をでしょう」
「楽しそうに見えるのは良くないわ」
私は小さく笑いました。
「不幸そうに振る舞うのが正しいのですか?」
義母は唇を噛みます。
答えられない。
不幸な妻でいてほしい。
けれどそれを口にすれば、侯爵家の名に傷がつく。
帰路の馬車の中、アレクシスは珍しく沈黙していました。
揺れるランプの光が、彼の横顔を照らします。
「……君は、平気なのか」
「何がでしょう」
「今日の視線」
「慣れております」
彼はしばらく黙り、やがて低く言いました。
「君は強い」
「契約を守っているだけです」
馬車が屋敷に到着します。
降り際、彼がふと呟きました。
「……それが、いつまで続く」
私は足を止めました。
「契約がある限り」
それが答え。
屋敷の扉が閉まる。
その音が、やけに重く響きました。
視線は揺らぎ始めている。
義母の焦り。義弟の油断。夫の戸惑い。
干渉しない契約は、彼らに安心を与えたはずでした。
けれど今、その安心が、少しずつ形を変えています。
私は鏡の前で首飾りを外しました。
冷たい光が消える。
揺らぐのは、屋敷だけではない。
彼の視線も、少しずつ変わり始めている。
それでも私は、約束を守ります。
干渉しない。
助けない。
求めない。
見ているだけの妻。
その立場が、誰を一番苦しめるのか。
まだ、誰も気づいていないのです。
社交界の夜会は、いつもと変わらぬ華やかさで幕を開けました。
侯爵家の名は、まだ揺らいではいない。少なくとも外から見れば、整えられた笑顔と整然とした礼がすべてを覆い隠しています。
私は淡い銀色のドレスをまとい、アレクシスの隣に立っておりました。
夫婦として、体裁を整える。
契約通りです。
「奥様、本日はお美しい」
他家の貴族が、礼儀正しく頭を下げます。
「ありがとうございます」
私は微笑みました。
視線が集まる。
冷遇されている妻。愛されていない花嫁。そう噂されているはずの私が、まるで動じない様子で立っているのですもの。
人は、期待を裏切られると戸惑うのです。
ダンスの時間になりました。
音楽が流れ、男女が円を描きます。
アレクシスが私に手を差し出しました。
「義務だ」
「承知しております」
私はその手を取ります。
彼の掌は、思ったよりも温かい。
視線は正面を向いたまま。私を見ない。
それでも、わずかに力が強い。
何に対する力でしょう。
音楽に合わせて、軽やかに歩みます。
私はふと、会場の端にリリアの姿を見つけました。
彼女は慎ましく壁際に立ち、視線を落としています。
社交界の空気は、平民の女性には重すぎるのでしょう。
私は彼女に微笑みかけました。
その瞬間、隣のアレクシスの動きがわずかに乱れました。
「……なぜ、彼女に笑う」
「友人ですもの」
彼は一瞬、足を止めかけました。
「君は、本当に理解しているのか」
「何をでしょう」
音楽は続く。
私は軽やかに回りながら、彼を見上げました。
「干渉しない契約です」
彼の眉がわずかに寄ります。
「だが、君が彼女と親しくなれば、余計な噂が立つ」
「噂は、立てたい方が立てますわ」
私は穏やかに答えました。
「私が怒らないことの方が、よほど噂になりますもの」
彼は黙りました。
踊り終えると、私は別の紳士に誘われました。
若い伯爵子息。
笑顔が爽やかで、どこか野心が見える。
「奥様は、思ったよりも楽しそうですね」
「楽しんでおりますわ」
「お噂とは違う」
「噂は当てになりません」
私は視線を流しました。
遠くで、アレクシスがこちらを見ている。
無意識なのでしょう。
視線が、離れない。
ダンスが終わると、彼が近づいてきました。
「……あまり目立つな」
「体裁は整えております」
「それ以上だ」
私は首をかしげます。
「目立つことは契約違反で?」
彼は言葉を失いました。
契約。
その言葉が、彼の足元を揺らす。
夜会の終盤、義母が近づいてきました。
「あなた、少しは控えなさい」
「何をでしょう」
「楽しそうに見えるのは良くないわ」
私は小さく笑いました。
「不幸そうに振る舞うのが正しいのですか?」
義母は唇を噛みます。
答えられない。
不幸な妻でいてほしい。
けれどそれを口にすれば、侯爵家の名に傷がつく。
帰路の馬車の中、アレクシスは珍しく沈黙していました。
揺れるランプの光が、彼の横顔を照らします。
「……君は、平気なのか」
「何がでしょう」
「今日の視線」
「慣れております」
彼はしばらく黙り、やがて低く言いました。
「君は強い」
「契約を守っているだけです」
馬車が屋敷に到着します。
降り際、彼がふと呟きました。
「……それが、いつまで続く」
私は足を止めました。
「契約がある限り」
それが答え。
屋敷の扉が閉まる。
その音が、やけに重く響きました。
視線は揺らぎ始めている。
義母の焦り。義弟の油断。夫の戸惑い。
干渉しない契約は、彼らに安心を与えたはずでした。
けれど今、その安心が、少しずつ形を変えています。
私は鏡の前で首飾りを外しました。
冷たい光が消える。
揺らぐのは、屋敷だけではない。
彼の視線も、少しずつ変わり始めている。
それでも私は、約束を守ります。
干渉しない。
助けない。
求めない。
見ているだけの妻。
その立場が、誰を一番苦しめるのか。
まだ、誰も気づいていないのです。
10
あなたにおすすめの小説
白い結婚なので無効にします。持参金は全額回収いたします
鷹 綾
恋愛
「白い結婚」であることを理由に、夫から離縁を突きつけられた公爵夫人エリシア。
だが彼女は泣かなかった。
なぜなら――その結婚は、最初から“成立していなかった”から。
教会法に基づき婚姻無効を申請。持参金を全額回収し、彼女が選んだ新たな居場所は修道院だった。
それは逃避ではない。
男の支配から離れ、国家の外側に立つという戦略的選択。
やがて彼女は修道院長として、教育制度の整備、女性領主の育成、商業と医療の再編に関わり、王と王妃を外から支える存在となる。
王冠を欲さず、しかし王冠に影響を与える――白の領域。
一方、かつての夫は地位を失い、制度の中で静かに贖罪の道を歩む。
これは、愛を巡る物語ではない。
「選ばなかった未来」を守り続けた一人の女性の物語。
白は弱さではない。
白は、均衡を保つ力。
白い結婚から始まる、静かなリーガル・リベンジと国家再編の物語。
出て行けと言ったものの、本当に出て行かれるとは思っていなかった旦那様
睡蓮
恋愛
ジーク伯爵は、溺愛する自身の妹レイアと共謀する形で、婚約者であるユフィーナの事を追放することを決めた。ただその理由は、ユフィーナが婚約破棄を素直に受け入れることはないであろうと油断していたためだった。しかしユフィーナは二人の予想を裏切り、婚約破棄を受け入れるそぶりを見せる。予想外の行動をとられたことで焦りの色を隠せない二人は、ユフィーナを呼び戻すべく様々な手段を講じるのであったが…。
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました
よどら文鳥
恋愛
ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。
ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。
ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。
更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。
再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。
ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。
後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。
ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる