政略結婚は義務だと言ったのに、一夜明けたら溺愛とか豹変しすぎでは?

しおしお

文字の大きさ
1 / 18

政略の決定

しおりを挟む
 1-1

 灰色の雲が垂れ込める午後だった。
 首都から北へ馬で半日の距離にあるヴァルナ公爵家の居城。石畳の中庭に冬薔薇が咲き誇るその屋敷で、フェブラリーは父――公爵アレスタ・ヴァルナに呼び出されていた。

「フェブラリー。我が家と王家の協議がまとまった。おまえは来月、王太子イシュタル殿下と結婚する」

 父は淡々と言い、机上の羊皮紙を指で叩いた。古い紋章の蝋印が、赤々と光を弾く。
 フェブは背筋を伸ばし、両手をスカートの上で重ねた。

「かしこまりました。ご意向、承知いたします」

 自分でも驚くほど声が澄んでいた。けれど胸の内側では、鈍い音が何度も跳ね返る。――とうとう来た。噂だけで終わると思っていた政略結婚が、現実になった。

 父は鋭い青の瞳を細める。
「王家と縁を結ぶ以上、情など挟む余地はない。おまえも承知のはずだ」
「ええ。私はヴァルナ家の娘、駒であることを疑ったことはございません」

 言いながら、自分の唇がわずかに震えたのを感じた。父は見逃さない。
「恐れはないか」
「ありません」
「虚しくはないか」
「……お聞きになられるのですね」
「そうだ。父としてではなく、公爵として確認する」

 フェブは深呼吸した。窓の外、鉛色の空に一筋の光が差している。けれどそれは雲間にすぐ呑み込まれた。

「恐れも虚しさも――ございます」
 正直に答えた。父は眉を吊り上げたが、否定はしなかった。
「だが、それでも進めるか?」
「はい。私は家の利益を最優先に動く駒です。感情で歩みを止めることはありません」

 父の肩が少しだけ緩む。満足なのか失望なのか、フェブには分からない。

 謁見を終え、長い回廊を戻る途中、侍女のエリナが心配そうに駆け寄った。
「……お嬢様、お顔が白いです」
「気のせいよ」
「その書状、やはり――」
「王太子殿下との婚姻が決まりました」
 エリナの赤毛が揺れる。
「本当に……」
「祝ってくれる?」
「……もちろんです」

 けれど、その声は震えていた。エリナは幼いころからの遊び相手であり、今は忠実な侍女だ。フェブは微笑んだ。
「大丈夫よ。私は泣いていないでしょう?」
「お嬢様は、強い方ですから」
「強い……かもしれないわね。でも――強くあらねば、と決めているだけよ」

 夜、部屋に戻ると暖炉の炎の揺らぎが壁に影を落としていた。鏡の前に立ち、己の瞳を覗き込む。澄んだ黒曜石のような瞳――そう形容されたことがあった。その奥に、初めて見る色がある。

(これが、恐れ? それとも空虚?)

 机に置かれた白紙の書簡を開く。万年筆を取り、震えないよう意識してペン先を走らせた。

拝啓 王太子殿下
このたびの婚儀、光栄に存じます――

 形式ばかりの言葉が紙を埋める。だが最後の一行、思わず筆が止まった。

私は殿下の――

 続きが出てこない。ただの駒? 未来の妃? 王家の付属品? どの語も、胸の奥から拒否された。
 しばらくして、フェブは小さく笑った。ペンを置き、紙を折り、封をする。最後の行は空白のまま。

「答えは、まだ書けないわ」

 決意と諦観が綯い交ぜになった声が、静かな室内に吸い込まれた。

 燭台の炎が揺れ、窓の外では雪虫が舞い始める。ヴァルナ領に早めの冬が訪れる頃、王都では盛大な祝宴と、偽物の幸福が待っている。
 フェブラリー・ヴァルナは胸に空洞を抱えたまま、未来へ一歩を踏み出した。

 それが、やがて王太子殿下の「豹変」と名付けられる嵐の序章になるとは――この時、誰も知らない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された夜、最強魔導師に「番」だと告げられました

有賀冬馬
恋愛
学院の祝宴で告げられた、無慈悲な婚約破棄。 魔力が弱い私には、価値がないという現実。 泣きながら逃げた先で、私は古代の遺跡に迷い込む。 そこで目覚めた彼は、私を見て言った。 「やっと見つけた。私の番よ」 彼の前でだけ、私の魔力は輝く。 奪われた尊厳、歪められた運命。 すべてを取り戻した先にあるのは……

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

婚約破棄された侯爵令嬢、帝国最強騎士に拾われて溺愛される

夜桜
恋愛
婚約者である元老院議員ディアベルに裏切られ、夜会で婚約破棄を宣言された侯爵令嬢ルイン。 さらにバルコニーから突き落とされ、命を落としかけた彼女を救ったのは、帝国自由騎士であるジョイアだった。 目を覚ましたルインは、落下のショックで記憶を失っていた。 優しく寄り添い守ってくれるジョイアのもとで、失われた過去と本当の自分を探し始める。 一方、ルインが生きていると知ったディアベルと愛人セリエは、再び彼女を排除しようと暗躍する。 しかし、ルインの中に眠っていた錬金術師としての才能が覚醒し、ジョイアや父の助けを得て、裏切った元婚約者に立ち向かう力を取り戻していく。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―

喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。 そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。 二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。 最初は手紙も返ってきていたのに、 いつからか音信不通に。 あんなにうっとうしいほど構ってきた男が―― なぜ突然、私を無視するの? 不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、 突然ルイスが帰還した。 ボロボロの身体。 そして隣には――見知らぬ女。 勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、 私の中で何かが壊れた。 混乱、絶望、そして……再起。 すがりつく女は、みっともないだけ。 私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。 「私を簡単に捨てられるとでも? ――君が望んでも、離さない」 呪いを自ら解き放ち、 彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。 すれ違い、誤解、呪い、執着、 そして狂おしいほどの愛―― 二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。 過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。

【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る

水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。 婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。 だが―― 「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」 そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。 しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。 『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』 さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。 かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。 そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。 そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。 そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。 アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。 ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。

【完結】番としか子供が産まれない世界で

さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。 何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。 そんなニーナが番に出会うまで 4話完結 出会えたところで話は終わってます。

処理中です...