政略結婚は義務だと言ったのに、一夜明けたら溺愛とか豹変しすぎでは?

しおしお

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虚飾の婚礼

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1-2 

 大聖堂の尖塔を包む鐘の音が、冬の空を震わせた。
 王都の中心にそびえる聖グラティナ大聖堂――代々の王侯が婚礼を挙げる場に、フェブラリーは純白のドレスに身を包んで立っていた。ドレスには銀糸で王家の百合紋が刺繍され、腰にあしらわれた水晶のビーズは歩くたび淡い虹彩を散らす。その輝きが床一面に敷かれた赤絨毯に零れ落ち、光と影が複雑に交わった。

 祭壇までの長い回廊の両脇には、国内外の要人が着席している。領主達のローブは極彩色のドラゴンの鱗のように華やかで、伯爵令嬢たちのドレスは咲き競う花園のようだった。
 礼拝堂の壁面には彩色ガラスがはめ込まれ、冬の日差しを透かした七色の光が参列者の髪を照らす。司祭が朗々と式次第を読み上げる声が、高い天井に反響し、荘厳な雰囲気を作り上げる。

 ――完璧。誰もがそう思うだろう。まるで絵画の中に入り込んだ錯覚さえ覚えるほど、欠けた欠片が一つもない。
 けれどフェブの胸の内側には、冷たい湖のような静寂が広がっていた。

(美しいわ……本当に。けれど、私はいったい何を祝福されているのかしら)

 父公爵アレスタが先導し、フェブを祭壇へと送り出す。父の腕に手を添えながら、フェブは純白のベール越しに周囲の視線を感じ取った。羨望、憧憬、嫉妬――あらゆる感情が花粉のように漂う。しかし自分には届かない。舞い上がる花弁の中心で、自分だけが無彩色に凍りついている気がした。

 視線の先、祭壇の脇では王太子イシュタルが待っていた。漆黒の軍衣に金糸の飾緒を掛け、鋼のような背筋を伸ばして佇む姿は、王家の威光そのものだった。
 その横顔は端整で、神々しいほど完璧だと誰もが称える。だがその視線は一度たりともフェブに向かず、遠くの虚空を射抜いている。

(初めてお会いした時と同じ……氷の瞳)

 やがて司祭が合図を送り、父が娘の手を王太子へ渡す。イシュタルの指は冷たかった。けれどそれは、冬の気温のせいではなく、彼自身が纏う結氷の気配のせいに思えた。
 誓詞を唱えるイシュタルの声は澄み渡っていて、まるで機械仕掛けの楽器のように正確だ。情感はなくとも歌のように美しい。

(この声で甘い言葉を囁かれたら、きっと誰でも恋に堕ちるでしょうね)

 そう思った瞬間、ふと笑いそうになった。恋に堕ちる? 王太子殿下は私に興味すら抱いていない。ならばこの婚礼は――。

「――フェブラリー・ヴァルナよ。汝は王太子イシュタル・ルーセントを夫とすることを誓うか」

 司祭の問いに、フェブはゆるやかに頷いた。
「誓います」
 声は震えなかった。胸の内の冷たい湖面が一瞬だけ波立ったが、すぐに凪いだ。

 続いてイシュタルが同じ問いに答える。
「誓う」
 内容は同じはずなのに、その返事は綴りの違う別の言語のように遠かった。

 指輪の交換。王家秘宝の白金の指輪がフェブの左薬指に収まる。直後、祝福の鐘が大聖堂の塔を震わせ、楽団が凱歌を奏でた。
 ヴァルナと王家の紋章が刻まれた花びら型の紙吹雪が天井から降り注ぎ、参列者たちの喝采が轟く。誰もが口々に「おめでとう」と微笑む。

(本当に、絵のように完璧……)

 花弁を受けながらベールの奥で呟く。
(けれど……)

「――すべてが、偽物のようだわ」

 そのつぶやきは歓声に掻き消えた。誰の耳にも届かない。届いたとしても、誰も理解しない。
 次の瞬間、イシュタルがフェブの手を軽く引き寄せた。無機質だが乱暴ではない。そして初めて視線が交差する。
 氷の瞳。冷たく澄み切った青。その奥に映るのは女神像のように微動だにしない自分。温度を帯びた感情は――ない。

 笑顔を作らねばならなかった。公爵家の令嬢として、王太子妃として、完璧に振る舞う。それが今日という舞台の脚本だから。
 唇を柔らかく弧にしてみせる。けれど、頬の筋肉が石のように硬い。
 イシュタルは微かに眉をひそめたが、何も言わない。

 退場の行進が始まる。赤絨毯の上を二人で歩くあいだ、頭上を舞う鳩型の小型魔法灯が白い光を散らした。拍手と歓呼の渦。幾つもの瞳が羨望を宿し、祝福を放ち、嫉妬を忍ばせる。
 それでもフェブの心には、深い深い霧が立ち込めていた。あの日、父の書斎で感じた恐れでもなく、涙がこぼれ落ちるような哀しみでもない。――ただの虚無。中空に浮かぶ薄い氷膜のような不確かな自我。

 大聖堂を出ると、冬空の雲間からわずかな陽光が差し込んでいた。金色の光は王太子夫妻を照らし、侍従たちが控える馬車へ導く。
 正面の階段を降りる途中、遠くで歓声を上げる民衆の姿が見えた。王族の婚礼に沸き立つ人波。波頭のように揺れる旗と花束。誰かが「新しい王妃陛下万歳!」と叫ぶ。

 フェブは思った。
(この人たちは、私ではなく“王太子の花嫁”を祝っているのよね)

 白金の指輪が指先で冷たく重い。
 婚礼行列を引き連れて馬車に乗り込む瞬間、イシュタルが低く言った。
「このあと宴がある。長い一日になる」
「承知しております」
 その返事に感情は混じらなかった。イシュタルもまた、それ以上言葉を継がず窓の外を見つめる。

 馬車が走り出し、大聖堂の鐘が遠ざかる。祝福と歓喜の中心で、フェブラリー・ヴァルナの心だけが、ひどく静かだった――。

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