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第4章 沈む船と浮かぶ女
セクション2:パワハラの証拠
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セクション2:パワハラの証拠
---
「――本当に、ここまで酷かったのか。」
社長室の机に置かれた分厚いファイル。
その表紙には、《第二営業部 職場環境調査報告書》の文字が刻まれていた。
神宮寺が静かに差し出したその資料を、社長は重たい手つきで開く。
ページをめくるたびに、
彼の眉間には深い皺が刻まれていった。
---
> 『ノロマ子!またお前のせいで取引先からクレームが来たぞ!』
『お前の遅さは病気か? いや、性格か!』
『他人の足を引っ張るのが趣味なのか!』
録音書き起こしの文字が並ぶ。
読み進めるうちに、社長の顔色がみるみる険しくなっていった。
「……田所、ここまで露骨な暴言を……」
神宮寺は沈黙を守ったまま、
もう一冊、別の封筒を差し出した。
中には社員たちの匿名証言が綴られている。
どれもが、恐怖と後悔の入り混じった文字だった。
> 「野呂さんがいなくなって初めて気づきました。
あの人がいなければ、この部署はとっくに崩壊していたと。」
> 「部長はいつも怒鳴っていました。
でも野呂さんは一度も言い返さず、ただ静かに頭を下げていた。
それが、余計に胸に刺さりました。」
> 「みんな見て見ぬふりをしていました。
でも今は、あの時止められなかった自分を恥じています。」
---
社長は書類を閉じ、深く息を吐いた。
「……沈黙というのは、時に雄弁だな。」
神宮寺が小さく頷く。
「彼女は“反抗”しなかった。
それは、諦めていたからではありません。
――自分がやるべきことを、ただ淡々とやり続ける覚悟があったからです。」
社長は少し目を細める。
「覚悟、か。」
「はい。彼女は“自分の正しさを証明する方法”を知っていました。
怒鳴り返すことでも、言い訳することでもない。
数字で証明する。それが彼女の信念です。」
神宮寺の言葉には、淡い敬意が滲んでいた。
---
その頃――第二営業部の片隅では、
人事部の調査担当が静かにインタビューを行っていた。
「田所部長の態度について、何か覚えていることは?」
「え、ええ……正直、毎日のように怒鳴られていました。」
「特に野呂さんに対しては?」
「はい。あの人だけは、異常なほど当たりが強かったです。」
「理由は?」
「さぁ……。たぶん、“何を言っても反論しないから”じゃないでしょうか。」
「……反論しない?」
「ええ。あの人、言い訳を一切しないんです。
“はい”って言って、全部やってしまう。
だから逆に、部長のイライラのはけ口になっていたような。」
調査担当は黙ってメモを取り、
横に座るもう一人の社員へと視線を向けた。
「あなたも同じように感じていましたか?」
「ええ。野呂さんは……正直、部の空気を保つために犠牲になっていたと思います。」
「犠牲?」
「はい。みんなが怒鳴られないように、自分が全部引き受けていたんです。
“私がやっておきます”って、いつもそう言ってました。」
その言葉に、調査員は手を止めた。
(……やはり、彼女が支えていたのか。)
---
神宮寺の指揮で集められた録音データ、メールの履歴、
社内チャットの記録、提出時刻のログ――
どれもが、真子が“人の仕事を代行していた”証拠になっていた。
彼女が処理したファイルは、同僚たちの名義になっていた。
だが、作業ログを照合すれば誰が入力したのかは一目瞭然だった。
神宮寺は社長にデータを提示しながら言う。
「野呂真子は、他人の仕事を引き受け、
部全体の成績を実質的に支えていた人物です。
第二営業部の数字は、彼女の努力の上に立っていたに過ぎません。」
社長は深く頷いた。
「……つまり、彼女がいなくなった今の業績低下は、当然の帰結というわけだな。」
「はい。
そして、その原因を“彼女の遅さ”に転嫁していたのが田所部長です。」
社長の表情が険しくなる。
「……田所は、会社の利益を損なっただけでなく、
有能な社員を潰しかけた、ということか。」
「ええ。
ただ、野呂本人は――おそらくこの報告書が提出されることすら知りません。
彼女は誰にも告げず、ただ静かに仕事をしているだけです。」
---
その日の夜。
神宮寺はオフィスの灯りが落ちた後、
ひとり会議室に残っていた。
資料をまとめ終え、机の上に広げたままのノートパソコンを閉じる。
画面に映った自分の顔は、どこか疲れていた。
窓の外では雨が降り始めていた。
ガラスを叩く雨音に紛れて、彼は独りごちる。
「……あの人は、強いな。」
彼の脳裏には、
誰もいない夜のオフィスで淡々とキーボードを打つ真子の姿が浮かんでいた。
照明の下で光る髪、無駄のない動き、そして静かな横顔。
“ノロマ子”と呼ばれていたあの女性が、
実は誰よりも速く、正確に、そして誠実に仕事をしていた――。
---
翌朝、報告書は正式に人事部を経由し、社長のデスクへと届いた。
表紙の端には、神宮寺の署名と共に、手書きで短い一文が添えられていた。
> 「沈黙の中にも、真実はあります。」
社長はその文字を見つめ、静かに目を閉じた。
そして呟く。
「……沈黙の中にこそ、会社の希望が隠れていたのかもしれんな。」
その言葉と共に、
“ノロマ子”という名で嘲られたひとりの女性の努力が、
ようやく**“証拠”**という形で日の光を浴び始めたのだった。
---
「――本当に、ここまで酷かったのか。」
社長室の机に置かれた分厚いファイル。
その表紙には、《第二営業部 職場環境調査報告書》の文字が刻まれていた。
神宮寺が静かに差し出したその資料を、社長は重たい手つきで開く。
ページをめくるたびに、
彼の眉間には深い皺が刻まれていった。
---
> 『ノロマ子!またお前のせいで取引先からクレームが来たぞ!』
『お前の遅さは病気か? いや、性格か!』
『他人の足を引っ張るのが趣味なのか!』
録音書き起こしの文字が並ぶ。
読み進めるうちに、社長の顔色がみるみる険しくなっていった。
「……田所、ここまで露骨な暴言を……」
神宮寺は沈黙を守ったまま、
もう一冊、別の封筒を差し出した。
中には社員たちの匿名証言が綴られている。
どれもが、恐怖と後悔の入り混じった文字だった。
> 「野呂さんがいなくなって初めて気づきました。
あの人がいなければ、この部署はとっくに崩壊していたと。」
> 「部長はいつも怒鳴っていました。
でも野呂さんは一度も言い返さず、ただ静かに頭を下げていた。
それが、余計に胸に刺さりました。」
> 「みんな見て見ぬふりをしていました。
でも今は、あの時止められなかった自分を恥じています。」
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社長は書類を閉じ、深く息を吐いた。
「……沈黙というのは、時に雄弁だな。」
神宮寺が小さく頷く。
「彼女は“反抗”しなかった。
それは、諦めていたからではありません。
――自分がやるべきことを、ただ淡々とやり続ける覚悟があったからです。」
社長は少し目を細める。
「覚悟、か。」
「はい。彼女は“自分の正しさを証明する方法”を知っていました。
怒鳴り返すことでも、言い訳することでもない。
数字で証明する。それが彼女の信念です。」
神宮寺の言葉には、淡い敬意が滲んでいた。
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その頃――第二営業部の片隅では、
人事部の調査担当が静かにインタビューを行っていた。
「田所部長の態度について、何か覚えていることは?」
「え、ええ……正直、毎日のように怒鳴られていました。」
「特に野呂さんに対しては?」
「はい。あの人だけは、異常なほど当たりが強かったです。」
「理由は?」
「さぁ……。たぶん、“何を言っても反論しないから”じゃないでしょうか。」
「……反論しない?」
「ええ。あの人、言い訳を一切しないんです。
“はい”って言って、全部やってしまう。
だから逆に、部長のイライラのはけ口になっていたような。」
調査担当は黙ってメモを取り、
横に座るもう一人の社員へと視線を向けた。
「あなたも同じように感じていましたか?」
「ええ。野呂さんは……正直、部の空気を保つために犠牲になっていたと思います。」
「犠牲?」
「はい。みんなが怒鳴られないように、自分が全部引き受けていたんです。
“私がやっておきます”って、いつもそう言ってました。」
その言葉に、調査員は手を止めた。
(……やはり、彼女が支えていたのか。)
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神宮寺の指揮で集められた録音データ、メールの履歴、
社内チャットの記録、提出時刻のログ――
どれもが、真子が“人の仕事を代行していた”証拠になっていた。
彼女が処理したファイルは、同僚たちの名義になっていた。
だが、作業ログを照合すれば誰が入力したのかは一目瞭然だった。
神宮寺は社長にデータを提示しながら言う。
「野呂真子は、他人の仕事を引き受け、
部全体の成績を実質的に支えていた人物です。
第二営業部の数字は、彼女の努力の上に立っていたに過ぎません。」
社長は深く頷いた。
「……つまり、彼女がいなくなった今の業績低下は、当然の帰結というわけだな。」
「はい。
そして、その原因を“彼女の遅さ”に転嫁していたのが田所部長です。」
社長の表情が険しくなる。
「……田所は、会社の利益を損なっただけでなく、
有能な社員を潰しかけた、ということか。」
「ええ。
ただ、野呂本人は――おそらくこの報告書が提出されることすら知りません。
彼女は誰にも告げず、ただ静かに仕事をしているだけです。」
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その日の夜。
神宮寺はオフィスの灯りが落ちた後、
ひとり会議室に残っていた。
資料をまとめ終え、机の上に広げたままのノートパソコンを閉じる。
画面に映った自分の顔は、どこか疲れていた。
窓の外では雨が降り始めていた。
ガラスを叩く雨音に紛れて、彼は独りごちる。
「……あの人は、強いな。」
彼の脳裏には、
誰もいない夜のオフィスで淡々とキーボードを打つ真子の姿が浮かんでいた。
照明の下で光る髪、無駄のない動き、そして静かな横顔。
“ノロマ子”と呼ばれていたあの女性が、
実は誰よりも速く、正確に、そして誠実に仕事をしていた――。
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翌朝、報告書は正式に人事部を経由し、社長のデスクへと届いた。
表紙の端には、神宮寺の署名と共に、手書きで短い一文が添えられていた。
> 「沈黙の中にも、真実はあります。」
社長はその文字を見つめ、静かに目を閉じた。
そして呟く。
「……沈黙の中にこそ、会社の希望が隠れていたのかもしれんな。」
その言葉と共に、
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ようやく**“証拠”**という形で日の光を浴び始めたのだった。
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