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第一話 卒業舞踏会の婚約破棄
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第一話 卒業舞踏会の婚約破棄
王立学園の大広間は、夜の光に満ちていた。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが宝石のように輝き、床に映る光がゆらゆらと揺れている。弦楽器の優雅な音楽が流れ、着飾った貴族の子女たちが華やかに踊っていた。
王立学園の卒業舞踏会。
この夜は、学生として過ごした最後の夜であり、同時に社交界へ正式に踏み出す第一歩でもある。多くの貴族にとって、この場は未来を決める舞台だった。
その会場の中央に、一人の令嬢が立っていた。
ルシエラ・ノクティス。
ノクティス公爵家の一人娘であり、王太子の婚約者でもある女性だ。
漆黒の髪を背に流し、夜空のような深い色のドレスをまとっている。飾りは決して派手ではないが、その姿には他の誰とも違う気品があった。
周囲の令嬢たちが小声で囁く。
「やはりノクティス公爵令嬢は別格ね」
「王太子妃になる方ですもの」
「完璧すぎて少し怖いくらいだわ」
そんな声が聞こえても、ルシエラの表情は静かなままだった。
そのときだった。
「ルシエラ・ノクティス!」
突然、大広間に鋭い声が響いた。
音楽が止まる。
踊っていた貴族たちが一斉に振り向いた。
そこに立っていたのは――
王太子エドガルド・ヴァルドール。
金髪を後ろに流した端正な顔立ちの青年だが、その表情には怒りが浮かんでいた。
周囲がざわめく。
「殿下?」
「どうなさったの?」
エドガルドはルシエラの前まで歩み寄ると、広間に響く声で言った。
「今ここで宣言する」
誰もが息を呑む。
そして王太子は言い放った。
「ルシエラ・ノクティスとの婚約を破棄する!」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、大広間は騒然となった。
「婚約破棄!?」
「王太子殿下が!?」
「なぜ今この場で……」
だがエドガルドは動じない。
彼は腕を伸ばし、一人の少女を自分の隣へと引き寄せた。
淡い色のドレスを着た、小柄で可憐な令嬢。
ヴィオレッタ・アルディス。
彼女は涙を浮かべながら、震える声で言った。
「ルシエラ様……ごめんなさい……」
周囲の視線が一斉に二人へ集まる。
ヴィオレッタは涙を拭いながら続けた。
「でも……もう耐えられなかったんです……」
「ヴィオレッタ!」
エドガルドは彼女の肩を抱き寄せる。
「もう大丈夫だ。私が守る」
ざわめきがさらに広がる。
「どういうこと?」
「まさか……」
王太子は周囲に向かって声を張り上げた。
「この女性は長い間、ルシエラに虐げられてきた!」
広間が凍りつく。
エドガルドは続けた。
「冷酷な令嬢など王太子妃には相応しくない!」
その言葉を聞いて、多くの貴族がルシエラを見る。
だが。
当の本人は――
まったく動じていなかった。
ルシエラは静かにエドガルドを見つめる。
「……そうですか」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
エドガルドは少し苛立ったように言う。
「そうだ。私は真実の愛を選ぶ」
ヴィオレッタが涙を流す。
「殿下……」
「心配するな。もう誰もお前を傷つけさせない」
その様子に、会場の一部から同情の声が上がる。
だがルシエラはただ静かに言った。
「つまり殿下は、私との婚約を解消なさるということですね」
「その通りだ」
エドガルドは胸を張る。
「私は愛のない結婚など望まない」
ルシエラは小さく頷いた。
「分かりました」
あまりにもあっさりした返事に、会場がざわめく。
「え……?」
「それだけ?」
ルシエラはドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅に礼をした。
「では婚約はここで終了ということで」
エドガルドの顔がわずかに歪む。
「……待て」
ルシエラが顔を上げる。
「何でしょう?」
王太子はなぜか戸惑っていた。
泣きついてくると思っていた。
怒ると思っていた。
だが彼女は、まるで最初から興味がないかのように落ち着いている。
「本当にそれでいいのか」
エドガルドが言う。
ルシエラは少し首を傾げた。
「殿下が望んだことでは?」
言葉に詰まる王太子。
周囲の貴族たちも、どこか違和感を覚え始めていた。
ルシエラは静かに微笑む。
「安心してください」
そして、はっきりと言った。
「私は殿下の人生に二度と関わりませんわ」
その言葉を残し、彼女はくるりと背を向けた。
大広間の扉へ向かって歩き出す。
誰も止められない。
静かな足音だけが響く。
重厚な扉が開き、ルシエラは夜の廊下へと出た。
外の空気はひんやりとしていた。
少し離れた場所で待っていた人物が一歩前に出る。
黒い燕尾服の老人。
ノクティス公爵家の執事、グラハムだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
その隣にはメイドのリーゼもいた。
リーゼは心配そうな顔で言う。
「お嬢様……」
だがルシエラは穏やかに微笑んだ。
「問題ありません」
グラハムが静かに尋ねる。
「予定通り、王家への支援を停止いたしますか」
ルシエラは迷いなく答えた。
「ええ」
そして付け加える。
「すべて、です」
グラハムは深く頭を下げた。
「かしこまりました」
その決定が、どれほど大きな意味を持つのか。
このとき王宮の誰も理解していなかった。
王太子が捨てたその女性が――
王国を支える柱の一つだったことを。
そして数日後。
王都は、その事実を思い知ることになる。
王立学園の大広間は、夜の光に満ちていた。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが宝石のように輝き、床に映る光がゆらゆらと揺れている。弦楽器の優雅な音楽が流れ、着飾った貴族の子女たちが華やかに踊っていた。
王立学園の卒業舞踏会。
この夜は、学生として過ごした最後の夜であり、同時に社交界へ正式に踏み出す第一歩でもある。多くの貴族にとって、この場は未来を決める舞台だった。
その会場の中央に、一人の令嬢が立っていた。
ルシエラ・ノクティス。
ノクティス公爵家の一人娘であり、王太子の婚約者でもある女性だ。
漆黒の髪を背に流し、夜空のような深い色のドレスをまとっている。飾りは決して派手ではないが、その姿には他の誰とも違う気品があった。
周囲の令嬢たちが小声で囁く。
「やはりノクティス公爵令嬢は別格ね」
「王太子妃になる方ですもの」
「完璧すぎて少し怖いくらいだわ」
そんな声が聞こえても、ルシエラの表情は静かなままだった。
そのときだった。
「ルシエラ・ノクティス!」
突然、大広間に鋭い声が響いた。
音楽が止まる。
踊っていた貴族たちが一斉に振り向いた。
そこに立っていたのは――
王太子エドガルド・ヴァルドール。
金髪を後ろに流した端正な顔立ちの青年だが、その表情には怒りが浮かんでいた。
周囲がざわめく。
「殿下?」
「どうなさったの?」
エドガルドはルシエラの前まで歩み寄ると、広間に響く声で言った。
「今ここで宣言する」
誰もが息を呑む。
そして王太子は言い放った。
「ルシエラ・ノクティスとの婚約を破棄する!」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、大広間は騒然となった。
「婚約破棄!?」
「王太子殿下が!?」
「なぜ今この場で……」
だがエドガルドは動じない。
彼は腕を伸ばし、一人の少女を自分の隣へと引き寄せた。
淡い色のドレスを着た、小柄で可憐な令嬢。
ヴィオレッタ・アルディス。
彼女は涙を浮かべながら、震える声で言った。
「ルシエラ様……ごめんなさい……」
周囲の視線が一斉に二人へ集まる。
ヴィオレッタは涙を拭いながら続けた。
「でも……もう耐えられなかったんです……」
「ヴィオレッタ!」
エドガルドは彼女の肩を抱き寄せる。
「もう大丈夫だ。私が守る」
ざわめきがさらに広がる。
「どういうこと?」
「まさか……」
王太子は周囲に向かって声を張り上げた。
「この女性は長い間、ルシエラに虐げられてきた!」
広間が凍りつく。
エドガルドは続けた。
「冷酷な令嬢など王太子妃には相応しくない!」
その言葉を聞いて、多くの貴族がルシエラを見る。
だが。
当の本人は――
まったく動じていなかった。
ルシエラは静かにエドガルドを見つめる。
「……そうですか」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
エドガルドは少し苛立ったように言う。
「そうだ。私は真実の愛を選ぶ」
ヴィオレッタが涙を流す。
「殿下……」
「心配するな。もう誰もお前を傷つけさせない」
その様子に、会場の一部から同情の声が上がる。
だがルシエラはただ静かに言った。
「つまり殿下は、私との婚約を解消なさるということですね」
「その通りだ」
エドガルドは胸を張る。
「私は愛のない結婚など望まない」
ルシエラは小さく頷いた。
「分かりました」
あまりにもあっさりした返事に、会場がざわめく。
「え……?」
「それだけ?」
ルシエラはドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅に礼をした。
「では婚約はここで終了ということで」
エドガルドの顔がわずかに歪む。
「……待て」
ルシエラが顔を上げる。
「何でしょう?」
王太子はなぜか戸惑っていた。
泣きついてくると思っていた。
怒ると思っていた。
だが彼女は、まるで最初から興味がないかのように落ち着いている。
「本当にそれでいいのか」
エドガルドが言う。
ルシエラは少し首を傾げた。
「殿下が望んだことでは?」
言葉に詰まる王太子。
周囲の貴族たちも、どこか違和感を覚え始めていた。
ルシエラは静かに微笑む。
「安心してください」
そして、はっきりと言った。
「私は殿下の人生に二度と関わりませんわ」
その言葉を残し、彼女はくるりと背を向けた。
大広間の扉へ向かって歩き出す。
誰も止められない。
静かな足音だけが響く。
重厚な扉が開き、ルシエラは夜の廊下へと出た。
外の空気はひんやりとしていた。
少し離れた場所で待っていた人物が一歩前に出る。
黒い燕尾服の老人。
ノクティス公爵家の執事、グラハムだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
その隣にはメイドのリーゼもいた。
リーゼは心配そうな顔で言う。
「お嬢様……」
だがルシエラは穏やかに微笑んだ。
「問題ありません」
グラハムが静かに尋ねる。
「予定通り、王家への支援を停止いたしますか」
ルシエラは迷いなく答えた。
「ええ」
そして付け加える。
「すべて、です」
グラハムは深く頭を下げた。
「かしこまりました」
その決定が、どれほど大きな意味を持つのか。
このとき王宮の誰も理解していなかった。
王太子が捨てたその女性が――
王国を支える柱の一つだったことを。
そして数日後。
王都は、その事実を思い知ることになる。
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