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しおん

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19 イリヤの身の上3ー人猫族のイド

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 イリヤは入り口のスイッチを操作して、部屋の明かりを付けた。
 すると、間接照明がぽっと灯って、部屋の様子がぼんやりとだが、明るみに出た。
 整えられた清潔なベッドと、テーブルを挟んで一対のソファーが置かれ、一番奥の窓際には机が置かれてあった。
「電気、通ってるんや」
 テンがきょろきょろと部屋の中を見回している。
「すっごく、キレイな部屋ー」
「誰が住んでんだよ」
 ユジュンとヒースにソファーに腰掛けることを勧め、イリヤはベッドの上にボスンと腰を下ろした。スプリングが跳ねる。クーガーはやはり、主人であるユジュンにぴったりくっついて、足下に伏せていた。
「ちょっと待てば、すぐ戻る。それまで休憩、だ」
「勝手にええん?」
 テンがヒースの隣に腰を下ろしながら、イリヤの顔を伺った。
「平気だ。鍵もかけずに、出かけるヤツ、だからな」
 防犯意識が、著しく低い、それだけ大雑把なヤツだとイリヤは言いたい。
 時計の長針が九十度ほど進んだろうか。
「あっれー、電気消して行かへんかったかなぁ~」
 と、誰かが自問自答しながら、階段を上がってくるのが分かった。
 何ヶ月ぶりかで会うイドは、相変わらず、ヘラついており、何を考えているかよく分からないヤツだが、ざっくばらんとしていて善良な一市民ではある。
「イド! どこ行ってたんや。俺を待たせんなや」
 イドに注目していた三人の目が、イリヤのその一言に、釘付けになった。
「悪い、悪い。ちょお、近所に用事あってなぁ」
「鍵くらいかけえや。そのうち空き巣にあって、泣く羽目になんで」
「だいじょうぶやって、この辺、治安はええし」
「そんなわけあるかぁ!」
 イドとイリヤは丁々発止の言い合いを始めた。
 それを聞いていた三人は、ぽかんと口を開けている。
「イリヤ……? その、なまり……」
 最初に言葉を発したのはユジュンだった。
「テンと、同じ……?」
 触れて良い物かどうか、ヒースの口調は控えめだった。
「あ、ああ……」
 イリヤはしまった、とばかりに三人から目線を外した。
「俺、こいつに言葉、教わったんだ。だから、今でも、こいつと話すと、なまりが、出る」
 イリヤは苦しい言い訳をした。イドに言葉を習ったイリヤにとっては、このなまりこそが母国語のようなものだった。
「こいつはイド。こう見えても、俺の命の、恩人だ」
 イリヤは雑な紹介をした。
「こう見えてって何やねん。余計なこと言わんといて」
 紹介にあずかったイドは、ベルボーイのようなお辞儀をした。
「こいつらは、俺の仲間。ユジュンと、テンと、ヒースだ」
 イリヤは順に顔を指さして名前を言った。その脇で、
「イドさんって、赤月帝国の出身ですか?」
 テンが期待を込めて、腰を浮かせている。
「ああ、そうや。わい、南の出身や」
 イドはテンを見て答えた。
「やっぱり! ボク、北の方出身ですぅ」
 テンは立ち上がって、イドの元まで行くと、握手を求めた。
 イドは喜んでそれに応じていた。
 そうか、テンとイドは同郷だったのか。テンのなまりを初めて聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのはイドと同じだな、という所感だった。それで、なんとなく親近感を持った。
「この広い世界で、同郷に会えるなんて、思わんかったなぁ。さすがに、同族とは会えへんけど」
 イドはぴょこぴょこ頭の上の猫耳を動かした。
「その耳、尻尾……あんた、まさか、不老不死のひとねこぞくかッ?」
 イドの容姿を見て、鬼気迫る声を上げたのは、ヒースだった。切羽詰まった表情をしている。
「不老不死やて? ノンノン、違うで、ぼん。確かに、わいは人猫族やけど、不老不死やあらへん。あくまで、不老長寿や」
 イドはヒースの目の前で、人差し指を振った。
「そんなこたぁ、この際、どうでもいいんだよ。一年半ほど前、ヴォルフガングと名乗る少年と知り合わなかったか?」
「一年半前~?」
 イドはしばらく宙に目を泳がせていたが、ぱっと閃いたのか、
「ああ、確か、人猫族になりたいゆう、けったいな少年を世話したったなぁ」
 と、ぼんやりとした答えを、ヒースに返した。
「生きてるのか?」
 浮いていたヒースの腰が、完全に立ち上がる。
「さぁ。上手いこと転生できたかどうかまでは、分からん。わいは、里までの行き方を案内したっただけや」
「人間が、ホントに人猫族に生まれ変われるのか?」
「そういう秘儀はあるで。わいも、実際に見たことはないけども」
「はぁ……そうか」
 ヒースは意気消沈して、腰をソファーに下ろした。じっと、握った拳を見つめている。
「猫人間、ホントにいたんだな」
 ヒースがぼそりと言った。
「いややわぁ。ただの亜人やん。絶対数が少ないだけで、しっかり存在しとります」
 イドはケタケタと笑い、
「なんや、なんや、未来ある若人たちが、雁首揃えて忙しなぁ」
 机から椅子を引っ張ってくると、背もたれを正面に、椅子をまたいだ。
「ああ、俺ら、アースシアの都市伝説調べて回ってんねん。イド、そういうんに詳しそうやんか。それで、当てにして来たんや」
 このなまりでなら、イリヤはすらすらと言葉を細切れにせずに、スムーズに話せる。
「都市伝説ぅ? 悪いけど、ガキの遊びに付き合ってられへんわ。そこまでヒマとちゃう」
「『夜な夜な試合をふっかけて回る女』に心当たりないか?」
「ない、ない」
 イドはひらひらと、手のひらを振った。
「でも、イリヤにこないな、年の近い友達が出来て、お兄さん、嬉しい!」
 イドは椅子から立ち上がると、ベッドの上のイリヤに抱きついてきた。
「ええやん、うっといなぁ」
「イドさんは、何年くらい生きてはるんですか?」
 テンに尋ねられたイドは、胸を張って、
「これでも百年は軽く生きてるでぇ」
 と、答えた。
「それよか、そこのヘテロクロミアの少年、どっかで会ったことあったっけ?」
 イドがコロリと顔色を変えて、ユジュンを指さした。
 突然、指名されて、ユジュンは飛び上がっている。
「ううん。会うのは初めまして、だよ」
「せやなぁ。なんか、懐かしい気がしてんけど」
 なんやろなぁ、とイドは吐息した。
 その吐息があながち間違いではなかったことを、イリヤたちが知るのはもう少し時間が経ってからのことだった。
「ほんだら、気ぃつけて帰りやぁ。もう、こんなとこ来たらアカンでぇ」
 玄関先でイドに見送られながら、イリヤたちはイドの住処を後にした。
「見事な空振りだったな」
 はーあ、とヒースがため息を吐いた。
「イドなら、何か手がかりでも、知ってるかと、思ったんだが」
「でも、ま、兄貴のことが分かったし、トントンだな」
「二人とも、いろいろ事情があんねんなぁ」
「そうだねぇ」
 イリヤとヒースが先を歩き、そのちょっと後をテンとユジュン、クーガーが歩いている。
 そのままてくてく歩いて、旧市街地を抜けると、イリヤは仲間を引き連れて、様々な工房の建ち並ぶ街道に立ち寄った。
「ここが、俺の、父親の、工房だ」
 とあるアクセサリーを売る店の前でイリヤは立ち止まった。
「へえええ、ここが、イリヤのお父さんの仕事場?」
 滅多にプライベートを見せないイリヤに、ユジュンは興味津々だ。
「なんだ、彫金の店か」
 ヒースはガラス張りの壁面にへばりついて、店の中を見回している。
 様々なアクセサリーが美しくディスプレーされているのが、外からでも伺い知れた。
「ヒース、なにやってんの。行くで」
 テンに引っ張られて、ヒースはやっと壁面から身体を離した。
「あいさつしてかなくていいの?」
「今は、仕事に、没頭してる。邪魔、したくない」
 イリヤは仲間たちを連れて行くか否か迷った末、足を住宅街に向けた。
 丘の緩やかな傾斜を登りきると、小さな集落があった。
 その、すぐ正面の丘の上に赤い屋根の一軒家がポツンと建っている。
 庭で、小さな子供がボール遊びに興じていた。
 その姿を見て、イリヤはきゅうううと胸が締め付けられるのを感じた。
 ポンポンポーンとボールが跳ねて、子供の足下から離れてしまった。そのとき顔を上げた子供が、イリヤの方を見た。
 そして、目を見開く。
「おにいちゃん!」
 ボールの行方など気にも留めずに、子供はイリヤ目がけて丘を下ってきた。
「イリヤおにいちゃん!」
 イリヤとそっくり同じのプラチナブロンドの髪はふわふわで、目尻の下がった目はサファイアのように碧い。
「リィヤ……」
 抱きついてきたリィヤを、イリヤはぎゅうっと抱き締め返した。
「生きてたんだね、ぼく、死んじゃったかと思って、ずっとずっと、心配してた!」
 二年ぶりに見た弟は、すっかり成長していた。
 掛け替えのない、血を分けた、たった一人の大事な弟。
 イリヤの胸は一層、きゅうきゅう痛むのだった。
「リィヤ! なにしてるの!!」
 鋭い、鉄でも鋼でも斬れそうな鋭い声が、玄関先から飛んできた。
 母親だ。
「リィヤ、もう母さんのところへ、帰れ」
「おにいちゃん、また、会える?」
「会えるさ」
 イリヤがそう言って微笑すると、リィヤは何度となく振り返りながら、母親の元へと歩いて行った。
 リィヤが手元に戻ると、抱き締めながら、母親が今にも噛みつかんばかりの目で、イリヤを睨み付けていた。
 怨嗟のこもった、禍々しい目線だった。
 イリヤはそれに背を向けると、元来た道を下り始めた。
「行くぞ」
 事情がまるで飲み込めないのだろう、三人の仲間たちは顔を見合わすばかりで、言葉は発しなかった。
 あの女はなにひとつ変わっていない。
 今でも自分を憎んでやまない。
 イリヤの胸に去来するのは、虚無だった。
 ただ、ただ、空しい。
 ぐちゃぐちゃした心を片付けたイリヤは、気を取り直してヒースに言った。
「俺に、心当たりが、もう一つ、ある」
「都市伝説のか?」
「そうだ」
「じゃ、任せた」
 相当煮詰まっていたのか、ヒースはイリヤに丸投げした。
「だったら、一旦解散して、また夜に落ち合おう。道場の敷地内に入る許可を、取らないといけない。それに、霊相手なら、やはり、夜がいいだろう」
 イリヤは珍しく、自分の考えをとつとつと話した。
「道場絡みなのか? また、夜に抜け出すのかー」
 きっちぃなぁ、とヒースはごちていたが、深夜に再び集結することで話はまとまった。
 教会に戻ると、廊下で騎士ごっこをしているヨシュアとジュートにかち合った。
「あ、また、イリヤだ!」
 ヨシュアが階段から降りて来た。
「ハイネがずっと、イリヤを探してたよ」
「ハイネが……?」
「絵本読んで欲しかったみたい。ぼくたちが読んであげるよって言っても、イリヤがいいって聞かないんだよ」
「ハイネってイリヤにだけ懐いて、可愛くないんだよねぇ」
 殴っても痛くない、スポーツチャンバラの刀を携えて、ジュートも階段を降りてくる。騎士ごっこを中断されて、少しご機嫌斜めだ。
「俺はこれから、道場だ」
「あ、そっかー。今日、月曜かぁ」
 ヨシュアがスポンジ製の刀身をぶらぶら揺らした。
「イリヤはいいよね。道場の稽古がある日は、夕飯の当番免除されるんだもーん」
 ジュートは余計に当番が回ってくることを、不満に思っているらしかった。
「悪いな」
 イリヤはジュートの肩を叩いて、階段を上がった。
「しょうがないじゃん、ジュート。人にはそれぞれ理由があるんだよ。それより、あっち行こ」
 階下では、ヨシュアがジュートを連れて、どこか余所に行ったようだ。
 イリヤはクローゼットのある部屋に行き、道着を持って、再び外に出た。
 帯でぐるぐる巻きにした道着を背に背負い、街の中心部から東に外れた辺りにある道場を目指して歩く。
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