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~ 崩壊の危機 ~
13話
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「これは?」
「お嬢様からのお手紙でございます。何日か前に、わざわざ家令室までお越しになりまして。旦那様がお戻りになった際に渡してほしいと、頼まれました」
封筒を裏返してみると、ご丁寧に封蝋まで押されている。
垂らした蝋の量が多く、さらには押印の力加減もうまくいかなかったのだろう。封蝋はひどく不格好な形をしていた。
どうやら我が娘は手先が不器用らしい。アルフレッドはなごやかな気持ちで封を解き、手紙を取り出す。
白地に桃色の花柄がついた便せんには、三歳にしては綺麗な字でこう綴られていた。
【おとうさま、おかえりなさい。
おしごと、おつかれさまです!
かえってきたら、いっしょに、ごはんをたべたいです。
おはなしも、たくさん、したいです。
おとうさまの、おかえりなさいのかいと、クリスティーヌさまの、かんげいかいをするので、きてください!
まってます!】
内心では微笑ましく思いながらも、アルフレッドの表情は本人の意志に反して、固く強ばっていく。
感情を表に出すのが壊滅的に不得手。それどころか、心が動けば動くほど無意識に顔が険しくなり、怒っているかのような面持ちになってしまう。
これは長年にわたって染みついた癖。
いや、もはや〝呪い〟と言っても過言ではない。
アルフレッドは由緒正しき公爵家の跡取りになるために産まれ、そして厳しく育てられた。
母は息を引き取る間際まで、我が子の名に必ず『様』をつけて呼び続けていた。
息子としてではなく、次期当主として。
常に一線を引いた接し方だった。
アルフレッドが笑うと、母は決まって険しい顔をしてこう咎めたものだ。
『いいですか、アルフレッド様。次期当主たるもの、感情を表に出してはなりません。笑顔など、威厳あるリシャール公爵家当主には不要です。貴方が立派になってくださらなければ、わたくしは〝失敗作〟を産んだと旦那様に叱られてしまいます』
母だけでなく屋敷の誰ひとりとして、幼いアルフレッドを甘やかすことは許されなかった。
なにせ絶対的権力を持つ父──前リシャール公爵が、感情に左右されない強い跡取り息子を欲していたからだ。
『アルフレッド、よく覚えておきなさい。お前の存在意義は、この家をさらなる繁栄に導くことだけだ。それができなければ、お前にはなんの価値もない。母親とともに路頭に迷いたくはないだろう?』
泣くな。
笑うな。
弱さを見せるな。
周囲に付け入る隙を与えるな。
両親の英才教育は、アルフレッドに次期当主としての才覚を芽生えさせた。
しかしその一方で、子供らしい感性や幼少期の幸せな思い出、そして人として本来備わるべき当たり前の感情表現を、容赦なく奪っていった。
やがてアルフレッドも子を持つ親の立場となり、娘を怖がらせてしまうようになるにつれ、何度思ったことだろうか。
自分がもっと、いい親だったら。
普通の父親だったら。
娘をもっと幸せにしてやれるのに──と。
しかし、ひそかな努力も虚しく、無表情で心を覆い隠してしまう呪いはいまだ解けない。
娘の行動を微笑ましい、愛おしいと想えば想うほど、意思とは裏腹に厳しい表情になってしまうのだ。
そのたびにセレスティアが怯えるのが痛ましく、眠っている時にそっと頭を撫でることはあっても、起きている時にはなるべく顔を合わせないようになった。
そうして今日まで、父娘はほとんど関わりのないまま過ごしてきたのである。
「……様? 旦那様!」
呼びかけに顔を上げると、ジェラールが眉を寄せて案じるようにアルフレッドを見つめていた。
「何度お呼びしても反応がございませんでしたので、心配いたしました。お加減が悪いのですか?」
「いや、少し考え事をしていただけだ。問題ない」
「でしたら、よいのですが……。視察からお戻りになったばかりですし、お疲れでしょう。お嬢様とのお食事会は、いかがなさい──」
「問題ない。行くと伝えてくれ」
言葉を遮るように即答すれば、ジェラールは一瞬目をまたたかせ、それから柔和な微笑を浮かべた。
「承知いたしました。お嬢様もさぞお喜びになることでしょう」
「……だと、いいが」
歯切れの悪い返答から、アルフレッドの父親としての自信のなさが伝わったのだろう。ジェラールが「実は」と前置きした上で、穏やかに話しはじめる。
「家令室にお越しになった日から、お嬢様はたびたび厨房へ足をお運びになっておりました」
「厨房に? 何用だ」
「料理長に伺いましたところ、視察帰りでお疲れの旦那様と、嫁いできたばかりで心労の多い奥様のために、晩餐会の計画を熱心に立てておられたそうです。『お父様、早く帰ってこないかな』と、しきりに口になさっていたようですよ」
「そうか……俺の帰りを、待ち望んでいてくれたのか……」
鋭さを増していく顔つきとは裏腹に、胸の奥はじんわりと温かくなっていく。
「これは是が非でも、急ぎの仕事を終わらせなければいけないな」
さっそく手元の資料に目を通しはじめる。
その面持ちはいつもと変わらぬ無表情。
だが紙の上を滑るペンは、おどるように軽やかだった。
「お嬢様からのお手紙でございます。何日か前に、わざわざ家令室までお越しになりまして。旦那様がお戻りになった際に渡してほしいと、頼まれました」
封筒を裏返してみると、ご丁寧に封蝋まで押されている。
垂らした蝋の量が多く、さらには押印の力加減もうまくいかなかったのだろう。封蝋はひどく不格好な形をしていた。
どうやら我が娘は手先が不器用らしい。アルフレッドはなごやかな気持ちで封を解き、手紙を取り出す。
白地に桃色の花柄がついた便せんには、三歳にしては綺麗な字でこう綴られていた。
【おとうさま、おかえりなさい。
おしごと、おつかれさまです!
かえってきたら、いっしょに、ごはんをたべたいです。
おはなしも、たくさん、したいです。
おとうさまの、おかえりなさいのかいと、クリスティーヌさまの、かんげいかいをするので、きてください!
まってます!】
内心では微笑ましく思いながらも、アルフレッドの表情は本人の意志に反して、固く強ばっていく。
感情を表に出すのが壊滅的に不得手。それどころか、心が動けば動くほど無意識に顔が険しくなり、怒っているかのような面持ちになってしまう。
これは長年にわたって染みついた癖。
いや、もはや〝呪い〟と言っても過言ではない。
アルフレッドは由緒正しき公爵家の跡取りになるために産まれ、そして厳しく育てられた。
母は息を引き取る間際まで、我が子の名に必ず『様』をつけて呼び続けていた。
息子としてではなく、次期当主として。
常に一線を引いた接し方だった。
アルフレッドが笑うと、母は決まって険しい顔をしてこう咎めたものだ。
『いいですか、アルフレッド様。次期当主たるもの、感情を表に出してはなりません。笑顔など、威厳あるリシャール公爵家当主には不要です。貴方が立派になってくださらなければ、わたくしは〝失敗作〟を産んだと旦那様に叱られてしまいます』
母だけでなく屋敷の誰ひとりとして、幼いアルフレッドを甘やかすことは許されなかった。
なにせ絶対的権力を持つ父──前リシャール公爵が、感情に左右されない強い跡取り息子を欲していたからだ。
『アルフレッド、よく覚えておきなさい。お前の存在意義は、この家をさらなる繁栄に導くことだけだ。それができなければ、お前にはなんの価値もない。母親とともに路頭に迷いたくはないだろう?』
泣くな。
笑うな。
弱さを見せるな。
周囲に付け入る隙を与えるな。
両親の英才教育は、アルフレッドに次期当主としての才覚を芽生えさせた。
しかしその一方で、子供らしい感性や幼少期の幸せな思い出、そして人として本来備わるべき当たり前の感情表現を、容赦なく奪っていった。
やがてアルフレッドも子を持つ親の立場となり、娘を怖がらせてしまうようになるにつれ、何度思ったことだろうか。
自分がもっと、いい親だったら。
普通の父親だったら。
娘をもっと幸せにしてやれるのに──と。
しかし、ひそかな努力も虚しく、無表情で心を覆い隠してしまう呪いはいまだ解けない。
娘の行動を微笑ましい、愛おしいと想えば想うほど、意思とは裏腹に厳しい表情になってしまうのだ。
そのたびにセレスティアが怯えるのが痛ましく、眠っている時にそっと頭を撫でることはあっても、起きている時にはなるべく顔を合わせないようになった。
そうして今日まで、父娘はほとんど関わりのないまま過ごしてきたのである。
「……様? 旦那様!」
呼びかけに顔を上げると、ジェラールが眉を寄せて案じるようにアルフレッドを見つめていた。
「何度お呼びしても反応がございませんでしたので、心配いたしました。お加減が悪いのですか?」
「いや、少し考え事をしていただけだ。問題ない」
「でしたら、よいのですが……。視察からお戻りになったばかりですし、お疲れでしょう。お嬢様とのお食事会は、いかがなさい──」
「問題ない。行くと伝えてくれ」
言葉を遮るように即答すれば、ジェラールは一瞬目をまたたかせ、それから柔和な微笑を浮かべた。
「承知いたしました。お嬢様もさぞお喜びになることでしょう」
「……だと、いいが」
歯切れの悪い返答から、アルフレッドの父親としての自信のなさが伝わったのだろう。ジェラールが「実は」と前置きした上で、穏やかに話しはじめる。
「家令室にお越しになった日から、お嬢様はたびたび厨房へ足をお運びになっておりました」
「厨房に? 何用だ」
「料理長に伺いましたところ、視察帰りでお疲れの旦那様と、嫁いできたばかりで心労の多い奥様のために、晩餐会の計画を熱心に立てておられたそうです。『お父様、早く帰ってこないかな』と、しきりに口になさっていたようですよ」
「そうか……俺の帰りを、待ち望んでいてくれたのか……」
鋭さを増していく顔つきとは裏腹に、胸の奥はじんわりと温かくなっていく。
「これは是が非でも、急ぎの仕事を終わらせなければいけないな」
さっそく手元の資料に目を通しはじめる。
その面持ちはいつもと変わらぬ無表情。
だが紙の上を滑るペンは、おどるように軽やかだった。
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