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【新妻編】
157 今、それ言う!?
しおりを挟む“一週間後の夜、奥に御渡り願います”
「はい?」
春日局は涼し気な瞳で さらりと言ってのける。
彼のその言葉に家光は首をこきっと横に傾け、間抜けな声を吐き出していた。
「おくにおわたり?(御渡りってなんだっけ……?)」
「……その日は孝様がお待ちです。御伽坊主と御添寝役も居りませんのでご安心を」
家光が何のことかと考える暇もなく、間髪入れずに春日局が孝と閨を共にせよと嬉しそうに発言しているではないか。
「は……? 何でまた孝と……?」
――あいつとは当分ないはずじゃ……? 朝の総触れだってまだしていないのに……?
春日局の言葉に家光は困惑した。
孝の立場も考え いつかは朝の総触れも、夜の同衾も再開しなければいけないとはわかっている。
……だが、手が勝手に震えてくる。
心の傷は癒えたと思っていたが、まだそうでもなかったらしい。
(一週間後……? まだ心の準備が……。)
家光の頬に嫌な汗がたらり。
喉の渇きが急に訪れていた。
そんな状態の家光に春日局は一体何をさせようというのだろうか。
春日局の声があまりに普段通りだったため、家光の瞳が悲しみに揺れる。
「……私も忙しい身でして、今ご説明するには時間が足りません。まあ、詳しくは当日にでもご説明差し上げますよ。では」
悲し気な家光の顔を見ても、春日局は無情に冷ややかな瞳で一瞥しただけで去って行った。
「福……」
――福は……味方……なんだよ……ね?
部屋に独り残された家光は がくんと項垂れ、湯殿番が来るまでそうしていたのだった……。
◇
「………………」
……振と他出してから一週間後の昼時、家光は食事中突然の春日局の訪問にちらと冷視を送り、いつも通り冷めた食事を黙々と食していた。
相変わらず毎食出る鱚の甘露煮は、冷たい飯にもよく合うのが恨めしい。
――誰だ、こんな美味い味付けをするのは。
季節ごとに風味を微妙に変えて飽きさせないのだから、台所番は大したものである。
さっきから書付を手に春日局が涼しい顔で家光を見ているが、彼女はそんなものは無視だ。
「振ちゃんとお昼なんて嬉しいな」
「恐れ多いことで御座います」
家光は黙ってこちらを見ている春日局の存在など閑卻し、目の前で膳を共にする振に笑顔を向けていた。
家光の言葉に振は優し気な眼差しを向け、目を細めている。
「いつも綺麗なお花をありがとうね」
「家光さまの御心が少しでも安らげましたら、望外の喜びに存じます」
家光は部屋に飾ってある花器の花に目をやると振に礼を告げた。花器には瑞々しい花々が美しく彩られている。
……振と他出した翌日より、彼から毎日花が届くのだ。
振は毎日 家光の仕事部屋兼、普段過ごしている御座之間と、御休息と呼ばれる家光の寝室に花を持ち込み生けていた。
振の最近の主なスケジュールは……。
朝、春日局の手伝いをし、昼餉前には花を生け、家光と僅かばかり顔を合せてから自室へと戻り、午後も春日局の手伝い並びに たまに家光の湯殿への付き添い……である(元々振は春日局の養子として奥に入っている立場のため、春日局の手伝いが日々の常なのだ)。
家光の予定により会えない日もあったが、僅かな時間だけでも彼女の顔を見ることができ振は満足だった。
今日こうして昼餉を共にするのは他出以来の二度目である。
思い掛けない家光の誘いに、振は昼餉が始まってから頬が緩みっぱなしだ。
家光もデートの次の日こそ照れた様子だったが、ほぼ毎日顔を合せていると、やはり話しやすい振に気安い笑顔で接するようになっていた。
……現在、家光と振の二人は互いに穏やかな笑みを向け合いながら昼餉を楽しんでいる。
そんな家光と振の向かい合う間に春日局が座しており、先程から黙って二人を窺っていた。
春日局は家光の食事が終わるのを待っているのか……、とそうではない。
「…………ご連絡が遅くなり、申し訳御座いません。今宵の御渡りの件で御座いますが」
なんと、家光が汁椀を傾けたタイミングで、待ってましたとでも言わんばかりに春日局が急に話をし始めたのだ。
“ごふっ!”
家光は口に含んだ汁物を吹き出してしまう。
ついでに手にした汁椀も畳に落として全部ぶちまけてしまった。
「い、家光さまっ……!」
振が慌てて箸を置き、懐紙を取り出して家光に駆け寄ると、汁物で汚れた着物を丁寧に拭いてくれる。
……げほっ、ごほっ。
「げふっ、ごふふっ……! へ、平気……振ちゃんありがと……」
盛大に咽る家光に、“火傷は御座いませんか?”と振が労わりの言葉を掛けてくれていたが、彼女は顔を真っ赤に染め、彼の手をそっと止めていた。
こんな時、冷めた食事で良かったと思ったが、今のはわざとなのではなかろうか。
――っ、ちょっと、福……! 今言わなくてもよくない……!?
振ちゃんが居るのに、孝との話をするなんて……!
……振のことはまだ男として好きかと言われると微妙なところではあったが、簪や、連日の花の贈り物に女として悪い気はしていない。
春日局を“きっ”と睨み付けて家光は頬を膨らませる。
……何となく、孝との夜伽話を振に聞かせたくない家光だった。
そんな家光の気持ちを知ってか知らずか、春日局の唇が ふっと歪む。
「…………ふ。先週申し上げた通り本日、家光様には奥に御渡り頂き、御正室孝様と一夜を共寝して頂きたく存じます」
「っ……、それっ……! 今言うの!?(今、福 笑った……!?)」
――わざとか……!? って、なんでそんな意地の悪いことを……!!
春日局が言い淀むことなく淡々と告げると、家光は側で汚れた畳を拭く振を見下ろす。
振は春日局の言葉に一時畳を拭いていた手を止め固まっていたが、少しして再び俯いて畳を拭い出した。
……のだったが。
「……家光さま、私の手拭い一枚では足りそうにございません。追加を持って参ります。少々中座しても宜しいでしょうか」
「え? あ、うん。ありがと、ごめんね」
「いえ。すぐ戻ります」
振は家光に了承を得ると俯いたまま立ち上がり、襖へ。
襖を開いたかと思うと廊下に出て膝を折り、丁寧な座礼をしてから優雅な笑みを浮かべ、静かに襖を閉じた……。
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